最終話 愛する野花の咲かせ方
学園の生徒が、一年の中で最も浮き足立つ時期、舞踏会の季節がやってきた。
豊穣の秋に感謝を捧げるなど言う名目で、所狭しと並べられた料理を食べ、踊る。あるいはこれでもかと着飾り周囲の目を独占したり――あるいは、特別な誰かとだけ踊ったりして、楽しい時間を過ごす。
僕は、これまでで一番楽しい時間を過ごしていた。
「……はぁ……! 緊張しました……!」
一曲が終わり、そのまま流れに合わせてリディアを連れ中庭に出ると、緊張しっぱなしだったリディアが、ようやく息を吐いた。
「どうして? 綺麗に踊れていたよ?」
「だって……! もしも、ロラン様の足を踏んだりしたら……!」
「花のように可憐な君に足を踏まれたって、撫でられたような物だよ。気にしなくていいのに」
笑って、肩口までの長さになった彼女の髪に触れると、リディアは二度三度と口をパクパクさせた。
「ん? どうしたの?」
「……ロラン様は、時々、すごく恥ずかしいことを言いますよね」
「恥ずかしいこと? いや、そんなことないよ」
「ありますよ……! ゲームだから、わざと言っているのかと思ってたんですけど……、今も、可憐だとか、言うし……」
真っ赤な顔でポツポツと呟くリディアは、それでも髪に触れる僕の手を払わない。
「僕は、思っていることを口にしているだけだ。……これでも、大分自重しているんだけど?」
「はぁ!? だ、だって、おかしいですよ、私なんかを可憐だとか、なんだとか……!」
「おかしくないよ。さっきのダンスの時だって、何人かが君を見ていた。……あれは、次の相手に自分が立候補するつもりだったんだ」
だからわざと、中庭に連れ出したのだと白状すると、リディアは「絶対無い」と首を振る。
「別にいいよ、君は無自覚でも。……その分、僕が気をつけていればいいんだから」
笑いかけて抱き寄せると、リディアは素直に僕の胸に飛び込んできた。
「無自覚って……。私なんかより、ロラン様の方が」
「僕?」
「みんな、ロラン様と踊りたそうに見てましたもん」
「嫌だよ。僕は、君としか踊りたくない。……他人に足を踏まれたら、僕は百年も痛む自信がある」
「……ロラン様、それは、いくらなんでも」
「気分の問題だ。……僕は、他の誰かじゃなくて、君がいいんだから」
リディアが手を伸ばして、僕の頭を引き寄せた。
大人しく身をかがめると、頬に彼女の唇が触れる。
「拗ねないで下さい、ロラン様」
「……今の、唇にもう一回してくれたら、拗ねるのやめる」
「もう……!」
それでも、目を瞑ってくれたので、僕はそのまま距離を縮めようとした。
「へぇ? まだ飽きてないのか」
邪魔が入ったのは、その時だ。
元来、恥ずかしがり屋なリディアはバッと僕と距離を取った。
僕は、顔をしかめて振り返る。
「……やぁ、こんな所で休憩かい? ――ルイ」
ゲームが終わった後、リディアとルイの婚約は白紙に戻った。
話半分だったリディアの父が、二人の関係がかなり険悪だという事実を知ったからだ。
ルイは、両家の親にも、かなりいい顔をしていたらしい。だから、原因はいつだってリディアにあると思われていたようだ。
ところが、僕が割って入ってきて話は引っかき回された。
遊び人のロランとしか説明されていなかった僕が、二人の不仲の証拠をひっさげて、お嬢さんと結婚させて欲しいとやって来たため、話はぐるんとひっくり返ったのだ。
幸い、二人の婚約は普段からルイが口にしていた「親同士が勝手に言っているだけの口約束」だったと言う事で、立ち消えた。
自分が、周りに散々吹聴していた事だからもっと喜べばよかったのに――ルイは、しばらく口数が減っていたらしい。ジョニーからの情報だ。
だから、正直ルイは舞踏会になんて出ないと思っていたけれど……と、視線を向けて僕はリディアを後ろに隠した。
ルイの格好は正装ではなかった。舞踏会は正装と決まっている。事情があり用意出来ないという者には、学園側から貸し出しが行われているから、服が無くて参加できないという人間はいない。
けれど、ルイは制服ですら無い。参加者ではないと一目で分かる格好で、こんなところにいるという事は。
「僕に、何か用かな?」
わざわざ僕達を、血眼で探していたんだろう。
「お前には用なんて無い、弱虫野郎」
へっと吐き捨てるように言ったルイの表情は歪んでいる。
「あぁそう。なら、もういいね」
「待て。俺は、そっちの遊ばれているのも気付かない馬鹿女に用があるんだよ」
「そんな人はここにはいないよ。間違えてるね」
ぎゅっとリディアが僕にしがみついてくる。
「……大丈夫」
「なにが大丈夫だ。……女をたらし込む事くらいしか取り柄の無い、腰抜けのくせに!」
言うなり、ルイは拳を突き出してきた。
「……危ないんだけど?」
受け止めると、ルイは僅かに目を瞠る。
「リディア、下がってて」
「ロラン様……、私、人を呼んできます」
「ふざけるなよ、リディア! そんな事してみろ、こいつの顔、あの時以上にボコボコにしてやる!」
完全に悪役の台詞だなと、僕は冷めた目でルイを見た。
「そんな事……!」
震えたリディアが、足を止める。
満足そうに笑うルイ。
リディアは、そんなルイに近付くと――。
「最低よ!」
目をつり上げて、怒鳴りつけた。
「……は?」
ルイは、そんな反応を想定していなかったらしい。
きっと、彼の中ではまだ「自分のモノ」だったんだろう。
予想外の反応を示されたルイは、徐々に顔を真っ赤にし、目をつり上げ、怒りの形相に変わった。
「ふざけるなよ、お前っ……! 誰に向かって、そんな口」
リディアにつかみかかろうとするルイ。
「触るな」
彼女を自分の元へ引き戻すと、僕はルイを睨み付けた。
「リディアに触るな」
「はぁ? 何、自分のモノみたいな顔をしてるんだよ、そいつは、お前が横槍入れたせいでイヤイヤお前と一緒にいるんだ。――知ってるか? リディアは、ずっと俺が好きなんだよ。……おいリディア、くだらない遊びに付き合うのも、もういいだろ。今日くらいは優しくしてやるから、来いよ」
「行くわけ無いだろう。彼女は僕の婚約者だ」
「……お前も、そんなふりまでして、暇だよな。そんなに、俺の気をひきたかったのか? ……ほんっと、気持ちの悪い女」
笑うルイの方が気持ち悪い。
現に、リディアは震えている。
「……人の婚約者に、気色の悪い言動で迫るなよ」
僕が牽制すると、リディアを抱きしめているのが気に入らないのか、ぴくぴくと左頬あたりがひくついていた。
「邪魔なんだよ、腰抜け野郎! いいから、さっさとこっちに寄越せ!」
やり方が同じというか――今回は全く煽っていないのに、ルイは突然激高し殴りかかってきた。
「――渡すわけ無いだろう。リディアは、僕の大事な人だ」
これだけ距離が開いたのに、お前はまだ現実を見ようとしないのか。
僕は腕を掴むと、そのままひねり上げた。
「痛ぇっ!」
「痛くしてるんだから、当然だ」
「なんだよ、お前っ、この間は、あんな簡単に……!」
「…………何か、勘違いしてないかい? 僕は、こう見えて大公家の人間だ。……最低限の身を守る術くらいは身につけている。……同時に、子供の頃から自制心ってものを、死ぬほど叩き込まれているんだよ」
そんな僕が、ケンカなんて馬鹿な事で相手に手を出すわけが無い。
だけど、そんなことで僕が弱いと判断されても困る。
「君にご心配いただかなくても、僕は大切な女性を守れる男だよ」
君と違って、ね。
こっそりと続けた言葉を、ルイは理解できるだろうか。
……どちらでも、構わないけれど。
ほどなくして駆け付けた警備の者や教官に、事のあらましを説明し、僕とリディアは会場を後にした。
正直、あそこにもどって騒ぐ気にはならなかった。
僕とリディアが、ゲームを始めたあの場所で、二人座る。
「ごめんね、せっかくの舞踏会だったのに……途中で、抜けることになってしまった」
「そんな事、気にしないで下さい! 私はロラン様といられれば、どこだっていいんですから!」
「…………」
「ロラン様?」
リディアは、時々無意識ですごい事を言う。
赤くなったのがバレないように顔を背けると、リディアは顔を覗き込んでくる。
「……君は僕は恥ずかしい事を言うって言っていたけど、自分だって、すごい事を言うじゃないか」
「え? ……あっ! 違います、いえ、違わないけど……!」
「……僕も、君といられるならどこだっていいんだ。……君が、そこで笑っていてくれるなら、構わない」
「ロラン様……」
「ただ、わがままを言うなら、僕の隣で笑っていて欲しい」
リディアは、僕に抱きついてきた。
「そんなの、全然わがままじゃありません……!」
「そうかな? でも、君がそう言ってくれるなら、よかった。……ずっとずっと、大事にするよ」
額にキスすると、リディアはくすぐったそうに笑った。
「……ロラン様、大好きです」
「ありがとう」
「……ロラン様は?」
「僕? 僕は、勿論……――」
リディアの耳元に唇を寄せて、僕はとっておきの言葉を囁いた。
「愛しているよ、僕の……僕だけの、可愛い野花ちゃん」
真っ赤になったリディアは、意地悪と膨れた後、花が開くような笑顔をみせてくれた。
それは、僕が心惹かれたあの時の笑顔よりも、もっとずっと鮮やかな笑顔だった。