大図書館の司書長
「わっかんねーなー…………」
見渡す限り、本、本、本。
本の山に埋もれるような錯覚を覚えながら、目ぼしい本をかき集めても、やはりそう簡単に成果は出ない。
大図書館はその名に恥じぬ巨大な建造物だった。
巨大な円形の塔が立っている様な概観だが、中に入ると、古紙の匂いがこびりついて、独特な香りが漂ってくる。
俺は勇者特権をフル活用して、その最上階、智慧の天球と呼ばれる場へと足を運んでいた。この場は、公になってはいるものの、その立ち入りにはかなり難易度の高い条件がある。
一つ、王族の立ち入り許可。
二つ、一定以上の身分。
三つ、金銭の寄与。
これらを満たしたものだけが立ち入ることを許された場所だ。
当然ながら蔵書の質もとんでもなく高い。
一冊の本で、豪邸が建つ価値のある本がゴロゴロと置いてあった。
だと言うのに――
理論書や統治論、政治書などのお堅い本は内容が難しくて意味不明だし、肝心の魔導書や呪文書、魔法に関する資料も高度すぎて理解が追いつかない。
忍や輪廻先輩なら持ち前の天才っぷりで難なく理解するであろうが、高校の模試に苦戦する俺程度の頭では、複雑精緻な魔法式の意味がまるで掴めない。
これなら王城で読んでいた、「サルでも分かる魔導学」と「実戦、超感覚派魔法文字」の方が有意義に思えてくる。
「ぬわー! やっぱ、駄目だ……魔法、向いてねーな……」
魔力はあるのに。
いや、魔力しかないけれど。
行き詰る俺に、ゆっくりと近づいてくる人影があった。
「お探し物は見つからないようですじゃのう」
と、初老のおじいさんが話しかけてきた。
「残念ながら本の知識に頭が追いついてくれないようです、ジュレイドさん……」
ジュレイド・アレクセイ。
元宮廷魔術師第一席で、王国最強の魔導師と呼ばれるこの老人は、今は引退し、この大図書館の司書長をやっている。高身長の紳士なお方で、朗らかな笑みと温厚な空気に惹かれ、誰もが気を寄せるであろう老人は、かつての戦場で猛威を振るい、右に出る者はなしとまで言われた男である。王国では、この人物を英雄視する人も少なくはない。
まあ、今ではただの御爺ちゃんだけれど。
「いやはや、魔導の道も究めれば極めるほど深淵なれば、理解の底もまた違ってくるも当然。お主に見合う本が見つかっていないだけですじゃ。ワシも昔は、そういった理論本が大の苦手だったが故に、お気持ちは分かりますぞ」
そんなジュレイドの言葉に俺は驚きを隠せなかった。
魔法使いの最高峰とも呼べる老人が、魔導書が嫌いだと言うのだから。
「ですが、ここには勇者殿の求める本はありますまい」
と、ジュレイドは言う。
だけど、ここになければ、最早探す場所がない。
王国中の本はここに集められ、厳選されて、智慧の天球に置かれるのだから。
「そうっすよねー、勉強あんま好きじゃない俺が、急にやる気出したって変わんないですよね……」
自虐するように俺は笑った。
「ははは、ワシも嫌いじゃったぞ、授業とかのう。実技の方がよっぽど有意義だったわ」
ジュレイドは豪快に笑う。
「んでも、このままじゃなー。有り余る魔力がただのゴミなんですよね……」
結局、効果的な利用方法は見つからないままだ。
むしろこのままでは足枷ですらある。
だからと言って、加護の恩恵なしで、一から訓練していくのもまた、無茶なんだろうな、と思う。いやではないけれど、効率が悪すぎる。
やはり、強くなるための近道は、贈物を生かせる道を探すことだろう。
「ふむ…………」
ジュレイドはしばし考えた後、何かを閃いたのか再び口を開いた。
「ならば、契約魔法はどうじゃ?」
「契約、魔法……?」
ジュレイド楽しそうに頷く。
「そうじゃ。勇者殿は魔法文字を学んでいるんじゃろ? その応用、魔法文字で契約魔法陣を描き、部下を得る。契約魔法は魔力によって相手を縛る、奴隷契約などもその一つじゃ。勇者殿が契約した下僕を増やせば、下位の者は契約の繋がりを元に、勇者殿の魔力を引き出して利用できるぞ」
「マジですか!! でも――」
俺はジュレイドが垂らした糸に飛びつきそうになって、口を噤む。
セリアのこともあって、俺は契約魔法についても少しだけ調べておいたので分かるのだが、魔力を引き出すことは、生命力や精神力を分け与えることと同義なのだ。命を分け与えると言ってもいい。
故に、かなり深い繋がりが必要だったはず。
自由を奪い苦痛を与える奴隷契約よりもさらに深い、魂の契約が必要だと書いてあった。
それは、誰かの生命を縛ることを意味する。
「それは、駄目でしょう…………」
「なんじゃ、若い女の奴隷ハーレムはいらんと申すか、枯れとるのう」
「うっせ、エロ爺!」
ロリっ子は誰にも縛られず、自由であるべきなのだ。だからこそ光る。どうしてそれが分からない。
「なんじゃ、勇者殿はそう言うのはお嫌いか? むふふ、まあ、確かに一度契約をすれば、もうその子は勇者殿に絶対服従。奴隷のようなものじゃからのう」
ジュレイドはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「契約は魔力の優劣が物を言う。まあ、人に限らず魔物、精霊、悪魔に至るまで、お主の魔力ならば支配できるじゃろう。学んでおいて損はないぞ?」
「んー…………まあ、考えとく……アドバイス、ありがとうございます」
「なんのなんの、老人の暇つぶしじゃて。勇者殿と話が出来てワシも楽しかったぞい」
俺は本の中から契約魔法入門だけを持って、帰ろうかと思っていると、
「後、ついでじゃ――お主今から地下に行っておいで」
そう言って、俺を引き止めたジュレイドは古びた鍵を俺に渡してきた。
「これは?」
俺が聞くと、ジュレイドは厳かに言う。
「禁書庫の鍵じゃよ」
「ぶふーっ! それ、俺に渡していいものなんですか?」
俺は慌てて言う。
禁書庫。つまり、公になっていない、本当に危険な書物が集う場所だ。後から知ったが、その在り処は王族とジュレイドしか知っていない。
つまり、幾ら勇者とはいえ、他国の人間が足を踏み入れていい場所ではない。
「駄目じゃよ、バレたらワシ怒られる」
いやいやいや。
怒られるだけで済むのかよ。
もうちょっと深刻そうに言ってくれないと、事の重大さが分からない。
「じゃが、あそこの本は文字通り禁じられた書物。お主のような規格外にしか扱えまいて――安心せい、お主ならミスっても死なぬよ…………………………たぶん……」
「たぶん! 多分って言ったよな、今!」
俺の叫びも空しく、ジュレイドは何か魔法を使って、禍々しい門を生み出した。
「待て、これはやばいやつだろ! ゴゴゴとか行ってる、絶対生きたくねー!」
「ええい、男の癖にグジグジと五月蝿い! さっさと行かんか」
「待て、何で俺が……つか、心の準備がぁっ!」
「ほれ、行って来い!」
俺はとんでもない怪力の爺さんに、地獄の門のような何かへと、無理やり押し込まれた。見る見る内に吸い込まれていく体。右手に持っていた鍵が光った時には、すべてがもう手遅れだった。
「お、覚えてろよ、クソ爺ぃいいいいいいいいいいいいいいっ!」
俺は、吸引力が増していく扉に引き寄せられ、闇の中へと吞まれていった。