灰被りの森
目を見開けば、そこは地獄絵図だった。
転移を抜けたその先は、崩れ去り、風化が所々に見られる人のいない街だった。
周囲は鬱蒼とした森に覆われている。遥か遠方で、森を駆け抜ける風がびゅっと吹き抜けたと思うと、青白い魔力が空へと昇った。やがて降り立った光が、緑や赤の木々の葉について、微かに明るく、それでいて不気味な灰色に染まった。
そんな森に囲まれたこの街はどこかおかしい。人がいないのはまだ納得できる、恐らく滅んだ街か国なのだろう。だが、それにしては綺麗過ぎるのだ。街道を初めとした、硬質な土の道、備え付の器具だけが劣化した井戸。それらはまるで荒れていない。それどころか、この場所には魔物や他の生物に荒らされた痕跡さえ存在していない。
まるで幽霊でも住んでいるんじゃないか、そう思える場所だった。
そして、そんなが街道と広場の間で、獣人の皆様は、盛大に倒れこんでいた。
ある者は頭を抑えながら仰向けで倒れこみ、またある者は俯けで必死に口元を押さえている。限界を迎えたものが吐き散らしたのか、見せられないものがいくつも広がっていて、誰もが満身創痍だった。
格言う俺も若干気持ち悪い。
超長距離転移は初体験だったが中々に凄まじい。空間を潜る感覚に慣れている俺でさえ、三半規管が悲鳴を上げている気がした。
俺は地面に吐かれたものを水で洗い流した上、幾つも水球を生み出して、皆に新鮮な水を振舞おうとしたのだが、やはりそれどころではないのだろう。あの凶悪そうだったウサ耳少女のお父さんでさえ、尻尾が垂れ、ピクピクしていた。
だがそんな中にも、平気そうな人物が、一人だけいた。
「パーパ、ここどこ?」
と、リリーだけは平然としている、というかぴょんぴょんと跳ね回ってすらいる。俺よりも、彼女の方が平気そうなのだから不思議でならない。
「流石は金妖狐のお嬢さんですね。主様の娘は優秀なようです」
と、イリスが褒めるが、俺にはよく分からない。
だが、リリーは俺よりも空間系の魔法に適正があるのだろう。
それに比べて、
「ニア、イリス、大丈夫か……?」
「………………うぇ…………ぎもぢわるい…………」
セリアは口元を押さえて、それだけを言った。
「――――、…………」
二アにいたっては言葉も話す事ができないらしい。
まあ、これが普通だ。
どこか、建物を清掃して寝かしてあげないといけないな。
そう言えば、
「イリス、ここは何処だ?」
「この大陸のほぼ中心――王国より西にある大森林、灰被りの森です。この街は、かつて栄えた多種族と精霊が共存した国、アルファ。丘の上に見える、紅玉宮はかつて、この国の王と彼らが信仰した神が住まう場所でした」
とイリスが言った。
「グルゥうぼぇええええええええ、ぎざま、なぜぉおおおおおおぇ、ごんなぎけんな地うぇえええええええええ」
「おいおっさん! 汚ねーぞ! 吐くなら喋るなよ!」
二アのお父さんが、一瞬だけ立ち上がり、掴みかかろうとしてきたのだが、敢え無く転ぶと、そのまま地面に色々見せられないものを撒き散らしていた。
俺は、新しく増えたそれを洗い流す。
水で綺麗に洗って、後は道の隅や、森の外へポイだ。
結局何が言いたいのか分からん。
俺が疑問に思っていると、イリスが通訳してくれた。
「彼はこう言いたいのです。どうしてこんな危険な地へと俺らを連れてきたのか、と。それに対する答えはこうです。追っ手を振り払う天然の要塞を得ること、食料及び水に困らない場所を得ること、そしてこの街にいる限り、安全であるが故に、ここに転移したのですよ」
天然の魔素溜まりが多く存在するこの森は、極めて危険な猛獣が数多く生息する古き場所らしい。風に吹かれた魔力が、木々に被って灰色に見える、故に灰被りの森と名付けられたこの場所は、一流の冒険者でも滅多に近づくことのない、危険指定区域だった。西に帝国、東には王国、北には魔界、それぞれに国境を持つこの場所は、まさに大陸の中心だった。
北には魔王の一柱である古代龍の盟友がいると伝えられているし、様々な地に亜人の隠れ里があるとも言われている。辺りをうろつく魔物は、どいつもこいつも強者ばかり。霊薬の材料やら、不老不死の薬が眠る迷宮などなど、伝説を数えればきりがないほど広大で、謎に包まれた森林だった。
「つまり、とっても危険な場所なんですよ、この森は」
とイリスは楽しそうに言った。
「で、羽虫――なんでここは安全だと言い切れるんだ?」
「アルファには精霊の加護があります。風の精霊が辺りを包み外敵を一切通さないため、危険な魔物は侵入することができないですし、水の精霊が井戸や水源を清らかにするので水に困ることはなく、地の精霊が大地を固定し、形を保つので劣化することがなく、火の精霊が熱を齎し菌を殺すので健全な生活が送れます。疲労し傷ついた獣人達にとって、これ以上に理想的な場所はありません」
とイリスが言って、そんな便利な場所なら、と一応は納得する。
「何が安全なものかっ!」
だが、寝転んだままのお父さんがそう言った。名前を知らないので、ニアの父を呼ぶときはお父さんでいい気がしてきた。
「古代龍よりも、死者の王よりも、魔物なんかよりも、もっと恐ろしいものがここにはいる――立ち入る者は生きて返さぬ、紅玉宮の神。天より墜ち、神となった守護者が住まう場所こそがアルファだ、そうだろう!」
と、お父さんが言った。
何だ、その物騒な奴は、有名なのだろうか。
「ええ、その通りです。いや、その通りではないのですけれど、半分は正しいです。この場の加護を得られるかは、彼女に認められるかどうか、でしょう。その辺は主様がどうにかしてくれるので問題無しです」
自信満々に言うイリスだが、俺は何も聞いてない。
「おい、聞いてないぞ羽虫」
「だって、聞かれてないのですから。それに、説明する時間もありませんでしたし」
こんの、羽虫は。
せめて俺にくらいは説明しろよ。
「危険じゃないのか?」
「すっごく危険ですよ? お願いですから彼女を怒らせないでくださいね、今の主様じゃ、逆立ちしても勝てませんから」
とイリスは当然のように告げた。
それが切っ掛けだったのかは分からない。
だが、突如として俺達の頭上に、それは現れた。
体に、ズンと錘が乗った、そんな錯覚。
星を思わせる、次元の違う存在感が、そこに浮かんでいたのだ。
「今日はやけに珍妙な客が多い――月も浮かばぬこんな時間に二度も我を起こすとは面倒極まりないのう――ほれ、疾く用件を告げよ、小さきもの共」
漆黒と純白の六対十二枚の羽。
神々しくも造形された美の女神のような女性の美貌は言葉で表すことさえ不敬に思えてくるほど、常識離れしていて、誰もが呼吸を忘れて見入っていた。
周囲に漂う小さな球。星を思わせるそれらは回り、小さな光が生まれては消えていく。球の上には、イリスに似た光と闇の妖精がちょこんと鎮座していた。
何かを言わなければ、と思いながらも、中々思考が纏らない。人知を超えた存在の重圧のせいなのだろうか。
いや、違う。
俺は何か、違和感のようなもの感じていて、そのせいで考えが上手く纏らないのだ。
「お久しぶりですね、セラ様」
とイリスが言った。
すると、堕天使、あるいは神はそっとイリスを見て、面白そうに微笑んだ。
「ほー、何やら珍しい気配がすると思うたら、ラフェルの玩具ではないか。懐かしい、あ奴は無くしたと言っていたが地上におったのか」
「今はイリスですよ、そう呼んで下さい、なのです」
「ならば我のことはルビアと呼べ、かつて小さきものは我をそう呼んだ」
俺は重圧に当てられ、反射的に開いていた魔道の書を消した。少なくとも、会話の通じる相手のようだ。
「しかしまあ、魔族に次いで、勇者か――――お前の主は中々に優秀そうだなイリスよ」
「勿論なのです、何せ私の主様なのですから――ほら、主様、ご挨拶ご挨拶」
と言われて、俺は何とか口を開く。
「木崎陣、異世界人です」
「――ふむ、ラフェルの玩具を従えし勇者よ。何故、ここに来た? 我は誰も歓迎せぬ、ここは既に終わった地。誰も足を踏み入れることは叶わぬぞ?」
聞くだけで、脳ミソが蕩けそうなほど甘く響くそんな声。だがそれ以上に濃厚な気配から放たれる重圧を感じる。
「と、言われても俺はイリスに連れられてきただけなんですよね。まあ、とにかく、貴方に許可を頂ければ、この場所に住んでもいい、とそう言うことですよね? だから――――少しだけ、交渉に応じてくれませんか? ――俺は貴方に足りないもの、あるいは望むものを、提供できると思います」
やっと回り始めた思考で、何とか言葉をひねり出す。
この気配にも大分慣れてきた。
確かに凄まじいが、こちとら普段から回りにプレッシャーをかけられ続けて生きてきた人間である。頭を回して、状況に対応することぐらいはしてみせよう。
「ふむ――交渉、か――」
そして俺は、彼女が宙で足を組む姿を見て、やっと違和感の正体に気づけた。
まるで、空が玉座だと言わんばかりに座る彼女は、完璧なまでに美しかった。
だが、その完璧こそが違和感だったのだ。
俺にとって、完璧な美とは、幼く、あどけない、少女の体躯――小さな体に平坦な胸こそが絶対なのだ。
にも関わらず、彼女は豊満で、程よく引き締まり、むちっとした体をしている。それでもなお美しい。
つまり彼女には――
「ロリ成分が足らない」
俺はそう口にした瞬間、不思議な力で衝撃を受け、頭から地面に激突していた。




