プロローグ
初恋は、近所の姉ちゃんだった。
元気で明るくて年下の扱いがわりと雑で、でもそれ以上に優しくて笑顔が素敵な人だった。
「ねえちゃん、おとなになったらおれとけっこんして!」
当然、求婚した。
五歳の秋のことである。
「んー、あんたが近衛兵になれたら考えたげる」
それが姉ちゃんの返事。
五歳相手でも手を抜かないその本気っぷりを良く覚えている。
「このえへい」
「そ、強くて格好よくて賢い人しかなれない兵隊さん。大変だぞー?」
曰く、安定した高収入かつ軍人年金で老後も安心、旦那元気で留守がいい、何より世の役に立つ立派な仕事だと。
女の子にモテモテだと。
「わかった、がんばる!」
「おー、がんばれがんばれ」
幼いころの俺はとても素直だったので言われた通りに頑張った。
超頑張った。
しかし姉ちゃんは俺の成長を待ってくれることなく、働き者で腕がいいと評判の家具職人と結婚し沢山の子供に囲まれて今でも仲睦まじく幸せに暮らしている。
子供のころにありがちな、ありふれてつまらない初恋の終わりだ。
当時の俺はひどく落ち込んだものだが、姉ちゃんに振り向いてもらうための努力は無駄にならなかった。
長じてのち狭き門をくぐり抜けて、見事近衛兵となることができたからである。
容姿端麗、文武両道、品行方正、そんな人間にしか就けない平民なら男女どちらも憧れる夢の職業に。
これはもう嫁さんなんて選び放題。
幸せな人生が約束されたと断言してもいい――そのはずだった。
頑張りすぎて栄誉ある聖女様の護衛小隊に選抜される、それまでは。
§
「――はい?」
噓だと言って欲しい。
そんな内心が近衛兵らしからぬ礼節を忘れた反応になって現れてしまった。
最近こういうことが増えてきていて、少しまずいなと思っている。
問題は改善するより早く次の面倒ごとが飛び込んでくることだった。
「聖女様はお三方に断りを入れたそうだ。聖誕祭は別の方と過ごして欲しい、と」
年季の入った机の向こうの上司は疲れた顔で言葉を繰り返した。
このごろ五歳くらい老けたように見える彼の声は「弱弱しい」を体現している。
「それは、困りましたね」
一方で隣の同僚は、言葉と裏腹にまるで困っている様子はなかった。
もっと強く当事者意識を持って欲しい。
呑気な彼にかわって、俺は聞きたくはない本題に踏みこむ。
「では当日、聖女様はどうなさるおつもりで」
聖誕祭。
初代聖女ソフィアの誕生を祝福したその祭りは、現在においては若者たちにとって意中の相手とともに過ごすのが定例となっている。
そんな良き日に例のお三方――第三王子、魔導士団次席導師、近衛騎士団団長というそうそうたる面々の誘いをすべて断るというのは、彼らに恋する娘たちが聞けば憤死しそうなぜいたくである。
なにより、そんな彼らよりも優先される予定とは――
「祭りの王都を一人でめぐってみたい、だそうだ。護衛としてお前たち――近衛兵AとBを希望されている」
「終わりだ」
絶望の嘆きはなめらかに俺の口をすべり出ていた。
さすがに聞き逃せなかったのだろう、上司が眉を吊り上げる。
「なんだそれは。聖女様から同道を命じられるなど名誉なことだろう」
「お言葉ですが隊長。名誉なことと終わりなことは両立しますよ」
「お前、お前それはダメだろう……! 近衛兵ともあろうものがそんなことでどうする!」
そう俺をとがめながらも上司は腹を押さえた。
板挟みになっている彼の苦しみは十分承知しているが、ここで引いてはそれ以上に俺たちが苦しむことになる。
情けはかけられない。
「だって絶対お三方に恨まれるじゃないですか……! それにあの聖女様が市井に下りてなにも起きずに済むと本気で思ってるんです!? その責任は全部自分たち近衛がかぶることになるんですよ!」
「あのってのは不敬じゃないかな?」
「ぐぅ、うぅぅ……! それを言われると……!」
よし、効いてる効いてるぞ。
同僚の言葉は聞こえなかったことにしてここが勝機と一気呵成に畳みかける。
「聖女様にはご自重いただくか、どなたかに同道してもらうべきです! いやいっそお三方全員でもいい! 多少不自由でも安全には代えられません」
そうだ、それがいい。
我ながら完璧な考えでは?。
聖女様は多少当日のかじ取りに苦労なさるかもしれないが、あの三人も彼女の言葉なら最終的に聞き入れてくださるだろう。
なによりこの国の武の頂点の盛り合わせになるのが良かった。
「管理体制、責任問題……! いえ近衛兵の面子と聖女様の安全、どちらが大事なんですか隊長!」
「ぐぅっ、うぅぅ……! いや、しかし……」
いける、もう少しだ。
だがそこに横から割って入るものがいた。
「――でもそれでは聖女様はさぞ落胆なさるでしょうね」
「B、お前……! 裏切るのか……!?」
「いや、そんな大げさな。ただ出立前最後の、しかも聖女様にとってはじめての王都での聖誕祭なんだよ?」
「くっ……」
「……お前の意見を聞こう、B」
たずねる上司の声にはわずかに力が戻っていた。
(まずいまずい……!)
やめろ、と懸命に目配せする俺を全く無視して同僚は口を開く。
「はい。聖女様の安全だけが問題なら出立の日まで城の奥に籠っていただけば良いはずです。それをしないのはあのお方に心身ともに健やかでお過ごしいただくためでしょう。ならば今回も多少の労苦は已むを得ないのでは」
「ウム……それはそうだ……」
立て板に水のその言葉に上司はいちいち頷きを返している。
「おい正論を言うな! 汚いぞ!」
「正論が汚いって、知らない間に違う文化の住人になってる?」
同僚は俺の抗議に肩をすくめる。
兜の向こうで楽しげに笑っている彼の顔が目に浮かんだ。
なに笑ってるんだお前……!(因縁)
「わかってるのか!? このままだと俺たちはあの聖誕祭の人ごみの中で聖女様を護衛しなくちゃならないんだぞ!? しかもあとでお三方に恨まれないよう慎重に距離をはかって!」
「そこはうまくお諫めしてくれよ。君が真剣に頼めば無碍にはなさらないだろ」
「お前、あの聖女様が『わかりました』って言ったあとに顔に浮かべる『これって貸しですよね?』が読めないとは言わんだろうな……!? 俺がどれだけ追いつめられていると!?」
「ものごとに犠牲はつきものだよ」
「お前、自分が犠牲にならないからと……」
「その論理で動いたのはそっちが先だろ。それで犠牲にしようとした当の聖女様は選ばれた身だけれど、僕ら近衛兵は自分で選んだ道じゃないか」
「ぐう」
ダメだ。
正論過ぎてこれに反論してはいよいよ人でなしになってしまう。
聖女とはおおよそ二十年に一度、神託で選ばれた乙女に与えられる称号だ。
その務めは王都での一年間の修行と、建国神話における初代聖女の足取りをたどる一年半にも及ぶ巡礼の旅である。
人生において二年半は、決して短い期間ではない。
花の盛りの娘にとってはなおさらだ。
だからこそ人々はその献身に敬意を払い、尊崇の念をもって彼女たちを「聖女」と呼ぶのである。
その聖女のための苦労を惜しめば、なるほど近衛兵の名が泣こう。
「……そうだな。そもそも、元を正せば多少、自業自得の面もあるだろう」
しかし立ち直った上司の追い打ちは聞き逃せなかった。
「なんですって?」
「聖女様が今回ご指名なさったのは、今までのお前らの自我の消し方が甘かったからじゃないか?」
「な……!」
「ははは、耳が痛いですね」
おおっぴらに口に出せない過去の経緯から、聖女の護衛を務める近衛兵には滅私が求められていた。
その徹底ぶりと言えば、顔と名前を知られたものは役目を解かれるほどである。
「そんな。そんな……!」
そして現在の聖女の護衛として、なんとか完全な特定を免れているのは俺こと近衛兵A、隣のBをふくめわずかに五名だけだった。
聖女の瞳は真実を見抜くと言うが当代の鋭さは史上でも指折りだ。
だというのこの言われようはないだろう。
いくら五名の内で近衛兵A・Bの組み合わせを特に頼りに――あるいは都合よく――使われているとはいえ。
「やりました! やったんですよ! 必死に! その結果が今なんですよ! 鎧兜で顔と姿を隠して、訓練で声色も変えて、喪心の魔道具を使ってBに操られまでした!」
「あれはまずかったね」
できらあ! とばかりに本気で心を消して操り人形になってみたら事態を見抜いた聖女様にガチ泣きからの説教で二日ほど口をきいてもらえなかった。
そしてじゃあもう黙ったままでいいかと無言で働いていたら、「開き直るなんて酷いと思いませんか」と説教のおかわりが来た痛ましい事件である。
「これ以上なにをどうしろって言うんです! 顔でも焼けって言うんですか!」
「わかった、失言は詫びるがそれはさすがに狂人めいてるからやめろ!」
「自傷やめてね。聖女様が本当にお怒りになる」
「あと普通に除隊になるぞ」
近衛兵は容姿も採用基準にあるから、畜生!
「くっ……! どうして俺の正体は聖女様に見抜かれないんだ……!」
そうしたらもう楽になれるってのに。
「護衛にこれ以上穴が開かないように君が頑張って隠してるからじゃないかな」
「A、なんだかんだと言いながら職務に忠実なお前の姿勢はちゃんと査定で評価しておくからな……!」
上司と同僚がはげましながら俺の肩を叩く。
「ううう……!」
でもそんな同情はいらない、賞与もちょっとでいい。
ただ俺はもう少しだけ憂いなく仕事がしたいだけなんだ――
神託によって選ばれた当代の聖女エステル。
長女が自ら針を手に衣服を繕うつつましやかな地方領主の家に生まれ、環境が育んだおおらかさと必要が生んだ知恵、苦難が授けた諧謔としっかりした経済感覚、そして素朴ながらも人好きのする陽性の容姿を持つ少女。
彼女はそれら数多くの美点で、色々と闇の深いお三方の鬱屈を吹き飛ばして――彼らの偏愛とも呼ぶべき執着を呼び込んだ。
予想されてしかるべき事態にいまさらドン引きした彼女は、近衛兵を盾に矛にとおおいに活用されつつ彼らの求愛からなんとか逃れようとしているのだった。
不定期更新です。




