初めての懸垂下降!
この作品は『ノベルアップ+』にも掲載しています。
「はー。昨日のコトがウソみたいだな……」
大穴を目の前にして、アルシーアは昨晩のアールズの王宮での一夜の出来事を思い出していた。
天蓋付きのフカフカのベッド、良い香りのする室内。
貧民街のボロ家の様な隙間風も無く、何処からか聞こえてくる深夜の怒号などとは無縁の王宮の寝室。
天蓋の白い垂れ幕には当然だがシミ一つ見当たらなかった。
――あんなトコロで寝られたなんて……ナルミさんに感謝しないとな……
ふとナルミの笑顔が思い浮かぶアルシーア。
稽古中はいつも厳しい。家に帰れば少しは優しいが、それでも厳しい。仏頂面から笑顔に変わるそのギャップがナルミの魅力の一つだと思う。
アルシーアが仰ぎ見た空は高く青く、雨の心配など皆無。
ここに来るまでもそうだったが、天候は味方してくれている。
――皆で無事に帰ってまた一緒に踊るんだ!待っててよね、ナルミさん!
◇
二頭の馬を馬車から解放し自由に遊ばせる。
逃げちゃうんじゃないですかとのシルスの問いに、訓練された賢い馬達だからその心配は無いよとラズラットが答えた。
底の見えない大穴は、凡そ人の立ち入るような場所では無い。
人どころか鳥や獣といった小動物をも寄せ付けない、ただならぬ様相を呈している。
「ねー、シアシアっ。スゴい場所だよね!ディロンさんとケンカしてたコトも忘れちゃうくらいでしょ?」
「それは忘れて無いからなっ。あの堅物にオンナノウラミは恐ろしいってコトを解らせてやらないとな!」
大穴には下部へと続く階段などある筈も無く、降りるにはロープを使用するしかなさそうだ。
ラズラットが馬車の荷台部分からロープを取り出し、降下の準備を始める。
しなやかで細いロープを見てアルシーアが不安な思いを口にした。
「それ、なんかやたら細いしふにゃふにゃじゃん?そんなんで大丈夫なの?」
「このロープには特殊な魔法糸が編み込まれていて軽くて丈夫なんだよ。君達二人くらいならぶら下がっても余裕でびくともしないよ。まず僕がお手本を見せるからよく見ていて欲しい。いいね?」
魔法の品の説明をする時のラズラットは何処かしら楽しそうだ。
教え方も丁寧に優しく、といった感じでシルス達に圧迫感など与えない。
お手本と周囲の偵察を兼ね、一番手にラズラットが垂直懸垂下降でロープ伝いに降りていく。
「コレさ、帰りはどうすんの?このロープで昇んなきゃいけないの?」
「帰りの事を考える必要は無い。今、大切なのは目の前の事に集中することだ」
と、ディロン。
「そんなの解ってるよっ。聞いただけだっつーのっ」
吐き捨てるようにそう言うと、アルシーアはプイッとそっぽを向いてしまった。
やれやれ、と肩を竦めつつ。
憤慨して会食の席を後にした昨晩のような怒りのオーラは感じない。
アルシーアの態度から察するにそこまで不機嫌にはなっていないのでは?と何故かディロンは思う。
何処かしらそわそわと落ち着かない様子のアルシーア。
ディロンがその理由を理解するのは、この数分後である。
「では、行きます!」
手際良く準備を整えると、重荷を背負っているとは思えない身軽な動きでラズラットが降下を開始する。
しゅううっ、しゅううっ、とロープとラズラットの皮グローブが擦れる音。それは直ぐに聞こえなくなり、地上に残る五人の耳に届くのは草原を走る風の音のみ。
一時の静寂の後。
「ディロン様!下部に到着しました!」
ラズラットからの返事が届き、皆ほっと胸を撫で下ろす。
「どうだ?ラズラット!」
「問題ありません!彼女達でも大丈夫でしょう!まだ下に続いていますがこの先は歩けそうです!」
ラズラットが降り立ったその場所は。
大人数でも余裕を持って寝転がれるほどに足場は広い。
まだまだ最深部にはほど遠いが、下部へは降りられそうである。
昆虫類の活動が活発な夏場にも関わらず、襲いかかってくるような虫などがいない。
と言うよりは。
――生命の反応が無い……?
ラズラットの魔水晶の瞳に映るのは。苔も生えないごつごつとした赤黒い岩肌。
周囲の状況を確認しながら懸垂下降してきたが、小さな虫、アリの一匹も目にする事は無かった。
――赤黒く、溶けた様な岩肌……この大穴は宇宙隕石が落ちて出来たらしいが……その名残だろうか?
岩盤を前に思案するラズラットの頭上からディロンの大声が続けて聞こえてくる。
「ラズラット!オーバーハングはあるか?」
「最後の部分だけです!」
と、ラズラットからの返答。
地上に残る五人には。
声はすれども姿は見えず。現状を確認するには大きな声で会話する他ないのである。
「おーばーはんぐ、って何ですか?」
「垂直よりも傾斜している箇所、要するにロープで降りた時に足が着かない宙吊りの部分の事だよ、シルス」
と、岩登り経験の無いシルスからの問いにディロンが簡潔に応える。
「えっ!?足が着かないんデスカっ!?宙ぶらりんになるんデスカっ!?」
「案ずる事は無いよ。魔法のロープが勝手に降ろしてくれる。その部分まで行ったら、ぶら下がっているだけでいいんだ。怖かったら下を見ない事だ」
――簡単に言いますけどもディロンさんっ!コワイものはコワイんですよディロンさんっ!わたしはもう足が震えちゃってますよディロンさぁんっ!
岩場での懸垂下降など、高所恐怖症のシルスにとっては一大事。
ここまでの旅路で高所からの飛び降りを経験してはいるが、あの時は信頼するファルナルークから『私を信じて!』と、勇気を分けて貰ったからこそ。
「さて。誰から行こうか?」
「ハイハーイ!アタシアタシっ!」
やたらと積極的に張り切るのはルーフェリカ。
目の前の一瞬一瞬を楽しむ事を信条としているルーフェリカならではだ。
何事も率先して物事に取り組むようになったのは演舞活動を始めた事が大きな要因である。
幼い頃はおとなしい子供だった。とある事がきっかけで劇団『焔』に加入する事になり、そこから徐々に積極的な性格に変化していったのだ。
残る三人の降下順の取り決めでは、ああでもないこうでもないとワイワイ相談しながら、結局ルーフェルメ、シルス、アルシーアの順に懸垂下降をする事に相成った。
◇
命綱、懸垂用具、皮のグローブを防具の邪魔にならない様に準備を整え、ルーフェリカが降下を始める。
「あれ?コレ意外と面白いっ!アタシは全然平気なヤツだよ!」
ルーフェリカはニコニコ笑顔で下部へと降りていく。
途中で何があったのか『あっははー!』と笑い声が聞こえて来たが、残る三人にはそれを気にする余裕は無かった。
次いでルーフェルメが懸垂下降に初挑戦。
「コワイようううっ。シルスちゃんっ!見ててねっ!ちゃんと見ててねっ!」
「見てますようっ!頑張ってっ!ルーフェルメさんっ!」
「あっ!やだコワイようっ!あっ!んっ♡あんっ♡」
「……ルーフェルメさんっ?なんか様子が変ですよっ?」
「ルメはヘンタイだからなっ。おいルメっ!ヘンな声出すなよっ!おかしな空気になるだろっ!」
「だってえっ!ロープがっ!ロープがあっ!きゅうって!食い込むんだもんっ♡シルスちゃんっ♡あんっ♡♡」
「わたしの名前呼びながらヘンな声出さないで下さいようっ!」
「あっ!やんっ♡ダメだよシルスちゃああんっ♡いやーん!こんなの初めてえっシルスちゃんっ♡シルスちゃああんっ♡♡」
あっ♡やんっ♡あはんっ♡
と、おかしな声を上げながらルーフェルメが降りて行く。
地上に残る三人は。
素知らぬフリを決め込む他無かった。
――ルメのヤツはまったくっ!どーすんだよこの気まずい空気をよっ!
ルーフェルメがおかしな声を出しながらも無事に下部に到着し、いよいよシルスの番となる。
足の震えと胸のドキドキが止まらない。
降下場所が見えないという事が、シルスの恐怖心を殊更に煽り立てる。
――下を見ないコト下を見ないコトっ!深呼吸深呼吸っ!楽しむコト楽しむコトっ!
「ゆっくりと、落ち着いて。足が宙に浮いたら身体の力を抜けばいい。後はロープが勝手に降ろしてくれる」
「ハイッ!」
元気な返事をしてシルスが降下を開始し。
「あっ」
と言う声を残して。
ひゅわあっ!
シルスが足を滑らせてしまい、一気に下部へと落ちていった。
「「シルスっ!?」」
思わずアルシーアとディロンの声が重なる。
張り詰めた空気が地上の二人を包み込む。
一瞬、最悪の事態を想定したディロンだったが、それは直ぐに稀有だと判る。
「シルス君は無事です、ディロン様!オーバーハング部分で止まりました!」
魔法品のロープを準備しておいて良かったとディロンは心から安堵した。
山岳訓練においても魔法のロープを使用する事はあるが、使用する機会は少ない。頻繁に魔法品に頼る様では訓練にならないからだ。
ラズラットからの声に、地上の二人は『ほうっ』と同時に安堵のため息を漏らす。
「はー。シルスったらもー、びっくりさせるなよなー……」
シルスが無事に下部に到着し、続いてアルシーアの降下準備に入る。
アルシーアの表情が固い。ここでディロンは察した。
――強がってはいるが……やはり怖いのだな。
アルシーアの緊張を解す為にディロンが一つの話を持ちかけた。
「アルシーア。一ついい事を教えてやろう」
「ああん!?にゃんだよっ!?」
「懸垂下降はその人の本性が現れると言う」
「は!?にゃんだよそれ」
「言ったままの意味だよ、アルシーア。落下するかも知れないという恐怖感、自由のきかない体勢で宙吊りという不安定感が、人間の奥底に眠る本能を呼び覚まし本性が現れる、と言われているのだよ」
「あっそ!だったらにゃんだって言うんだよっ」
「健闘を祈る」
「余計にゃお世話だっつーにょっ」
アルシーアはプイッと背を向ける。
が、今のディロンの一言はアルシーアの負けず嫌いの性格を大いに刺激し発奮させた。
――あいつらみたいにキャーキャー騒がにゃきゃいーんだろっ。あたしはクールにソツにゃくスイチョクカコウ出来るってトコロを見せてやるぜっ!
ディロンがアルシーアの身体にロープをセッティングし、ラズラットからの合図の後、いよいよ下降となる。
「変にゃトコ触るにゃよっ」
「……それだけ元気があれば大丈夫だな。時々止まって深呼吸するといい。気を付けて」
「おおおっ、おうっ」
ディロンがアルシーアをゆっくりと下部へと送り出す。
ネコエルフの呪いは解けた筈のアルシーアの喋り方がにゃーにゃー言葉になっている事を不思議に思いながら。
――目に見えない恐怖に曝されると喋り方が面白くなるのか。あれがアルシーアの本性の部分なのだろうか?
実はアルシーアも高所を苦手としている。負けず嫌いの性分が邪魔をして、ルーフェルメやシルスのように弱みを見せられないのだ。
だがそれは、とうの昔にルーフェリカにはバレてしまっていた。
――コワイものはコワイって言えばいいのに、シアシアったら素直じゃないよねー。負けず嫌いなのはイイけど、バレバレだよー!
と、アルシーアの反応を楽しみに待つルーフェリカであった。
懸垂下降中のアルシーア。
中間地点にて。
「まだかっ!?まだにゃにょっ!?にゃんで誰も応えにゃいにょっ!?コワ……っくはにゃいけどっ!」
「あっ!見えたっ!おっきいお尻が見えてきましたよっ!なんか足がプルプルしてますよっ」
と、シルスが余計な事を言うが、アルシーアはそれを聞く余裕が無い。
額に汗を掻きつつ、じわりじわりと降りていく。
懸垂下降中のアルシーア。
オーバーハング部分にて。
「あれっ!?足っ!足がつかにゃいにょっ!?にゃんでっ!うわ!?回るっ!?」
「シアシアっ!頑張ってっ!舞台の一場面だと思えば怖く無いよ!たぶん!」
と、ルーフェリカ。
「シアシアっ、ロープがイイ感じでしょおっ?イイ感じだよねえっ?」
と、ルーフェルメ。
「あっ!おっきいお尻が回ってますよっ!なんかカワイイですねっ!」
と、シルス。
何をしてもわちゃわちゃする四人組。
微笑ましいやら呆れるやら。
下でアルシーアを待ち受けるラズラットの表情は複雑だ。
アルシーアがどうにか無事に下部に到着し。
一番騒がしかったのはアルシーア。
一番楽しんでいたのはルーフェリカ。
一番おかしな声を出したのはルーフェルメ。
一番速く降りたのはシルス、という結果を残し四人の懸垂下降初挑戦は幕を閉じたのであった。
もっともシルスの場合は降りたと言うより『落ちた』と言った方が適当であるが。
しんがりのディロンがひゅるるんっ、という風切り音と共に颯爽と降りて来た。
アルシーアが10分以上かかって降りた所を、ディロンはものの数秒で降下してみせた。
無論、日頃の訓練の賜物であるがアルシーアは面白くない。
「次っ!次は負けないからなっ!」
「それだけ元気があれば大丈夫だな。受けて立つよ、アルシーア」
ディロンが懸垂用具を外している所にラズラットが歩み寄り、素直な感想を口にする。
「ディロン様」
「なんだ?ラズラット」
「こんな賑やかな懸垂下降は初めてですね」
「……まったくだ」
岩登りの経験など『竜の乙女隊』の四人にはある筈も無い。
垂直懸垂下降なども当然ながら初めてである。
それでも果敢に挑戦し皆が無事にいる事をディロンは僅かだが、彼女達の事を見直したのだった。
ようやく大穴のスタート地点に降り立った六人!
次話『何事も起こらないのは良いコトです』
面白かったよ!続きが気になるよ!と思われた方は評価ポイント、ブックマーク登録を頂けたら嬉しいです!
作者の励みになります!
続けて読んで頂けたら幸いです!




