森を抜けたその先に
この作品は『ノベルアップ+』にも掲載しています。
かたんことんと馬車が行く。
馬車の車輪には振動を抑える魔法がかかっており、揺れは少なく快適である。
四人の少女が乗るその馬車の中は空気が重く、誰一人口を開く者はいなかった。
ネコエルフに襲われた森を抜けても、小一時間は無言の空気が馬車内を支配する。
シルスの対面にはルーフェルメが。
アルシーアの対面にはルーフェリカが。
シルスとアルシーアは隣同士に座っているのだが、互いに窓の外を見つめ顔を合わせようともしなかった。
アルシーアにかかったネコエルフの呪いは、シルスとのキスで解けている。
紫色のネコミミは消え去り、いつもの美しい金髪に戻っていた。
エルフにかけられた呪いはエルフにしか解けない、とアルシーアが知る由も無く。
何の説明も聞かずにその行為におよんでしまったのだから、アルシーアに非があるのは否めない。
シルスがアルシーアに対してムクれる理由は二つ。
人の話も聞かずにいきなりだった事と、悪気は無かったとは言え謝罪に誠意が感じられない事、である。
「だから悪かったって言ってるじゃんよー」
「おでこに軽くキスすればいいだけだったのにっ。わたしのっ!ファーストキスだったのにっ」
これが馬車に乗る前に二人が最後に交わした会話だった。
馬車が動き出してからずっと無言の空気に晒されているのだから、ルーフェリカとルーフェルメはたまったものでは無い。
13歳の少女ならばファーストキスに夢を見ても不思議ではないのだろう。
初めてのキスは白馬に乗った王子様とお城を背景に、とまではいかないにしても、誰もが羨むような素敵なシチュエーションでのキスを。
シルスもうっすらとではあるが夢見ていたのだが、現実は。
薄暗い森の中でネコミミ姿の15歳の少女、若かりし頃のひいひいおばあちゃんと、という『初めて』の記憶が刻みこまれてしまったのだからシルスがムクれるのも無理もない所ではある。
この空気はよろしく無い。ここはなんとかしなければ。ルーフェルメは『お菓子を配る作戦』を打ってみる事にした。
出立前の買い出しの際に買っておいたものだ。
「シルスちゃんシルスちゃん、クッキー食べるう?」
と、ルーフェルメがクッキーが入った小袋を差し出す。
「わ!ありがとうございますっ」
と、クッキーに手を伸ばした所に。
「エサに釣られるんだからチョロいよなー」
と、アルシーア。堪らずシルスの手がピタリと止まる。
「クッキーはエサじゃ無いです!お菓子です!ってシアさんに伝えて下さいよルーフェリカさんっ!」
「へっ!?アタシが言うのっ?」
いきなりシルスに伝言係に任命され戸惑うが、ここは乗っておく事にする。こんな事でも後々話の種になるからね、と。
「『クッキーはエサじゃ無いです!お菓子です!』ってシルスちゃんからの伝言だよ、シアシアっ」
「んな事はわかってるっつーのっ。いつまで拗ねてんだよガキじゃあるまいし。ってシルスに伝えてくれよ、ルメっ」
「えっ!?ルメちゃんが言うのっ?」
ルーフェルメもいきなりアルシーアに伝言係に任命されてしまった。
退屈しのぎにはちょうどいいかなと、ルーフェルメもここは乗っておく事にする。
「『いつまで拗ねてんだよガキじゃあるまいし』ってシアシアが言ってるよ、シルスちゃんっ」
「どーせガキですよちんちくりんですよでもわたしだって大きくなったらクールで知的でオパイぼいんってなる予定ですから今はまだガキでいーんですよっ。て伝えて下さい、ルーフェリカさんっ」
「えっ?長くない?えっとお……『どーせガキですよちんちくりんですよでもわたしだって大きくなったらクールで知的でオパイぼいんってなる予定ですから今はまだガキでいーんですよっ』てシルスちゃんが言ってるよ、シアシアっ」
「……よく今のを一回聞いただけで覚えたな」
「んんー?伝言だから合ってるかわかんないよー?それともシアシアにはアタシから聞く前に何処からか聞こえてたのかなっ?」
ルーフェリカが意地悪く覗きこむと、アルシーアはプイっとそっぽを向いてしまった。
「……ゴメンって。そんなに剥れるコトないじゃん……」
アルシーアが小声でぼそぼそと言うのは照れ隠し意外に他ならない。
車輪の音にかき消されそうなほどのアルシーアの小さな声。
だがその小さな声は。
隣に座るシルスの耳にしっかりと届いていたが、シルスは敢えて聞こえないフリをした。
「『ゴメンって。そんなに剥れるコトないじゃん』ってシアシアが言ってるよう、シルスちゃん!」
とルーフェルメがアルシーアの『照れ』に追い打ちをかけると、アルシーアは思わず赤面する。
「おいルメっ!それは伝えなくていーんだよっ」
「えっ?そうなの?なんでなんでー?あれー?シアシア、顔真っ赤だよ?ほらほらシルスちゃんも見てみなようっ!」
「なんっでだよ見なくてイイよっ」
ふっとアルシーアがシルスに視線を送ると。
シルスは大きな目をきらきらさせ、ニンマリ顔でアルシーアの方をじーっと見ていた。
アルシーアの空色の瞳とシルスの翠色の瞳。
糸で繋がれた様に視線が絡み合う。
「シアさんっ」
「……なに?」
「わたしの目を見ながら今のを言ってくれたら、しちゃったコト許してあげてもイイですよっ?」
「……なんで上から目線なんだよ」
「ここはオトナになっておくコトをオススメするよシアシアっ」
ルーフェリカがニコニコ笑顔で言う。
「仲良きコトは美しきかな、って言うからねえ、シアシアあ♪」
と、ルーフェルメも柔らかな笑みを浮かべながら。
「ちゃんと目を見て言って下さいねっ♪」
「ええー……聞こえてたんならいーじゃんよー……」
明らかにアルシーアは照れているし、シルスの方が優位に立っている。
年下の女の子に押される、などという珍しい事は滅多に無い。ルーフェリカとルーフェルメの双子も胸の前で手を組み、ちょっとどきどきしながら事の成り行きを見守る。
「わたしはいつでもイイですよっ。シアさんのタイミングで、どうぞっ♪」
「……じゃあ、馬車から降りたら、なっ」
「えー、ズルい!逃げるんですかあ?」
「なんっでだよ、逃げないよっ!恥ずかしいだけだっつーのっ」
「じゃあ、言って下さいよう」
「う……あの……えー」
――あれっ?なんでこんなに照れてんだ、あたしはっ?さらっと言えば済むんだからなっ。さらっとなっ。カンタンカンタンっ!
アルシーアがシルスに対して照れてしまう理由は単純明快。
実はアルシーアも初めてだったのである。
火事場の鎮火作業の如く勢い任せでやってしまったものだから、それを言い出すタイミングも何もあったものでは無い。
ただ、不意打ちだった事に関しては非があった事は間違いない。
素直に謝れないのは、相手が年下の女の子だから、という理由の他にもう一つの秘めた理由『実は自分も初めてでした』があったから、なのである。
「えー……その、な。いきなり……ス、しちゃって、な。あの……ゴメンナ、サイ、でした……」
アルシーアの空色の瞳がシルスを真っ直ぐに見つめる。
シルスは視線を外さない。いや、外せないでいた。
金色の髪に空色の瞳、白く透き通るような白い肌は、共に旅をした祖母ファルナルークに瓜二つである。
だがシルスは『ファルナルークさんの顔で』とはもう言わない。
耳まで真っ赤になって照れるアルシーアを目の前にして、シルスもまた同様にハーフエルフ特有の長い耳の先まで真っ赤になって照れていた。
「ああああのっ、そのっ。わかりましたっ。これでこのコトはフモン二ショスでありますっ」
「シルスちゃーん。ナニ言ってるのかよくわかんないんですけどー?」
と、ルーフェリカが意地悪く言う。
アルシーアはちょっと拗ねたような顔で、恥ずかしさに耐えるように唇を噛んでいた。
「二人ともカワイイっ。ルメちゃんはこのコトを一生、語り継いでいくねえ」
「えー!やめてくれよルメっ!こっぱずかしいだろっ!」
「ウフフぅ♪悪気が無かったとは言え、不意打ちでのキスは誰だってびっくりするよねえ、シルスちゃん?」
「そうですよっ。いきなりはダメです!」
「いきなりじゃなければ大丈夫だったのかなっ?そうなのかなっ、シルスちゃんっ?あっははー!」
「えっ?えっ?いきなりじゃなくてもダメですようっ!」
重く沈んでいた空気はどこへやら。結局ワイワイと騒ぎだす四人であった。
対して御者台の二人は静かなものだが、後ろが騒がしくなり始めた事を不思議に思い、ディロンがポツリとこぼした。
「ラズラットよ」
「なんでしょうか?」
「彼女達はついさっきまで静かだったのに、どうしてまた騒ぎ出したのだ?」
「十代の女の子とはそういうものですよ?全くもって仲の良い四人ですよ」
「……そうか。ラズラットは十代の女の子とはどのような年頃だと思っている?」
「そうですね……美しく傷付きやすい水鏡のようなお年頃、ではないでしょうか」
「美しく傷付きやすい水鏡……そうか」
ディロンが知る身近な『十代の女の子』は。
亡き妹は。
もし生きていたら。病気が治っていたら。
――こんな風に……きゃあきゃあと友達と一緒に騒いだりしたのだろうか?
御者台に黙して座すディロンの横顔は何処と無く寂しそうに思えて。
ラズラットはそれ以上は何も言わずにおいた。
◇
もう一度小休憩を挟み森の中の街道を逸れた草原に入り、やや急勾配の坂を抜けると。
それは突如現れた。
「皆、着いたぞ。ここが竜の巣だ」
ディロンが低い声で馬車内の四人に呼び掛ける。
「あーあっ!ケツが痛いっ!やーっとカラダ伸ばせるぜっ!」
「馬車の中、菓子クズだらけになっちゃったねー!あっははー!」
「森を抜けた後って、結構揺れてたもんねえ」
「ルメのおっぱいもぷるんぷるんしてたよな」
「もー、シアさんはデリカシーが無さすぎですようっ」
馬車の中でも外でも騒がしい、いつもの四人の姿がそこにある。
アルシーアがシルスの唇を奪い二人の間がギクシャクし、何処か懸案な雰囲気になったのも束の間だったようだ。
「足元にお気を付け下さい、お嬢様」
まずシルスから降車する。
ラズラットがシルスに手を差し伸べ、馬車から降りて直ぐにシルスの目に飛び込んできた絶景は。
「えっ……?ここですかっ?」
シルスは思わずディロンに問い質す。
ディロンは無言で頷き、眉間にシワを寄せて視線を遠くに向けた。
その瞳は物語る。
情報と違う。こんな筈では無かった、と。
「大穴って言ってなかったっけ?」
「湖だね、これはね」
アルシーアとルーフェリカの、いや。
六人の目に映るのは、広大な湖だった。
地の底まで続くような大穴など何処にも見当たらない。
青空を飲み込み、その湖面の色は空より蒼い。
時折吹く蒼風がさざ波を立てて、湖面に映った白い雲を散らしてはまた映す。
周囲の山々から流れ出る水を湛える雄大な湖。
そう。湖である。
「キレイな湖だなー。水遊びでもして帰るかー?」
「あっははー!イイねそれ!夏の最後の思い出にピッタリじゃん!」
アルシーアが軽く冗談めいて言い、ルーフェリカがそれに乗って明るく笑い飛ばす。
二人の騎士は湖を見据えたまま一言も言葉を交わさずにいた。
竜の巣――地の底まで続くような大穴。
聞いていた情報と掛け離れ過ぎている。
アールズ騎士団副団長補佐ディロンも、さすがに戸惑いの表情を隠せないでいた。
「どーするよ、デロンデロンさんよー?竜の巣なんて、大穴なんてありませんでした!っつって帰るかー?」
アルシーアが意地悪く問うが、ディロンはその言葉に反応を見せなかった。
もちろん、ディロンはクスリともしない。
現状を把握するには近くまで行ってみないと判らない。何も確認せずに引き返すなどという選択肢は、ディロンの中には皆無であるのは言わずもがな。
「うむ……ともかく水辺まで降りてみようか。ラズラット、馬車を進められそうか?」
「まだ大丈夫ですが……これ以上勾配がキツくなると危険かと思われます」
「行ける所まで馬車で行ってみよう。そこから湖の近くまでは徒歩移動としようか」
森を抜けたその先は、草原が拡がる緩やかな丘陵地帯だった。
シルスが建造中のハイテンションタワーを遠目に見た時は険しい山岳地帯のように見えたが、いざ近くに来てみると人が足を踏み入れることなど不可能な険しい場所などでは到底、無い。
「……んー?」
誰が見ても天然の湖にしか思えないであろう雄大な湖の景色に、シルスは不思議な『違和感』を覚えていた。
――キレイな湖だけど……なんだろう?なんかヘンなカンジ?ファルナルークさん達と水遊びした湖より大きいのに……何も感じない?
んー?んんんー??
「シルス君」
「はえっ!?」
湖を眺めながら考え事をしている所に背後から声を掛けられ、すっとんきょうな返事をしてしまうシルス。
「何かおかしいと思わないかい?」
「えっ?ラズラットさんもそう思うんですかっ?」
「僕には、あの湖が本物の様には見えないのだが……ハーフエルフのシルス君にはどう見えているのだろうか?」
「えっと……ハッキリとは言えないんですけど。水の精霊の存在が感じられない、というか。これだけ大きな湖だと、未熟なわたしでも精霊の存在くらいは感じるコトが出来るんですけど……」
遠目に見える湖はきらきらと輝き生命力に溢れているように見える。
だがそれはそう見えるだけで実際には、生命の輝き、生命の息吹、という目では見えないものを感じ取る事が出来ない。
シルスに流れるエルフの血が告げていた。
「この湖は……幻……ニセモノ?」
「えー?こんなでっかい湖がニセモノっ!?それはそれでスゴいなっ!」
「スゴい手品だよねー!シンディさんにも見せてあげたいっ!」
「ルーフェリカ君は面白い感性だね。これだけ大掛かりな仕掛けの手品は、僕は見たコトが無いよ」
シルスの言葉にアルシーアとルーフェリカが驚き、ルーフェリカの『手品発言』にラズラットが破顔する。
「これ全部ニセモノって考えたら、それはそれでワクワクしませんか?ラズラットさんっ」
ルーフェリカはどんな出来事も前向きに捉え明るい道を模索する。いわゆる『前向き思考』を信条としている。過ぎた事をクヨクヨと悩むタイプでは無いのだ。
目の前の湖が偽物ならば、それはそれで面白い!
ルーフェリカは目を輝かせて、そんな風に現状を楽しんでいた。
「ともかく近くまで行こうか。引き返すか進むかは、そこで判断しよう」
湖までは緩やかな下り坂。道は無いが馬車が進めない訳ではない。
身体を伸ばすだけの休憩時間を終えて、四人は再び馬車に乗り込んだ。
「ディロン様」
「なんだ?」
「僭越ながら……この先は正確な情報など皆無ですので、十分お気を付けて頂きたいと」
「……解っている。やはりお前に同行して貰って良かった。頼りにしているよ、ラズラット」
二人の目に映る湖は。
ディロンには蒼く美しく雄大に。
ラズラットの目には。
――ここからでは遠いか……?少し神経を尖らせてみるか……
両方のこめかみに親指の腹を当て、ぐうっと指圧し意識を集中して湖を凝視すると。
湖の――草原の真ん中辺りにその部分だけ、何かで切り取ったような。
飲み込んだ者を地の底まで引きずり込むような。
赤黒い口をぽっかりと開ける大穴が、ぼんやりとではあるが見えてきた。
――あれが……竜の巣への入り口か……?
ネコエルフの森を抜けて見えたのは、大穴ではなく湖でした。
次話『湖の正体』
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