第32話 support
ヴァンパイアにとって夏は、もっとも死に近づく季節だ。
薄暗い部屋の中、アランは伏せった父親を見下ろしていた。
「……親父、調子が悪いんだってな」
アランの父……アルフォンスは寝床に身を横たえたまま、首だけでアランの方を向く。
まだアンヌがいた頃、暁十字の会との戦闘により負傷してからというもの、アルフォンスは夜に動くことすら億劫になっていた。
「ア……ラン……」
掠れ、震えた声で、アルフォンスはアランの名を呼ぶ。アランは仮面を外さない。……アルフォンスとて、焼けただれた素顔を見たいとは思わないだろう。
漂う安息が飢えたアランの魂を鎮め、在りし日の親子の姿が蘇る。……が、それも瞬く間に泡のごとく消えていった。
「死なせてやろうか」
アランの言葉に、アルフォンスは首を横に振る。
「ヴァンパイアは……まだ、滅びていない……。諦めない限り、未来はある……それを、見届けないうちは……断じて……断じてッ、死んで、たまるか……」
ズタズタにされた肉体を長らえさせているのは、おそらく生への執着だろう。その姿は、奇しくもアランの姿とよく似ていた。
ただ、アルフォンスは肉体を回復させようと沸き起こる吸血衝動を必死で耐え忍んでいた。……だからこそ、今、彼は寝床に伏せっているのだが。
「ああ……そうだよなぁ。死にたくねぇよなぁ、死にきれねぇよなぁ……親父……」
ヴァンパイアが血液を欲するのは、ヴァンパイアの体内では生成できない養分が動物、特に哺乳類の血中に含まれているからだ。
その中でもっとも吸収効率が良いとされるのが人間の血液であるため、ヴァンパイアは能力、および弱性だが麻酔効果のある唾液を駆使して吸血行為を行うことがある。
つまり、ヴァンパイア同士で吸血行為を行うのは全くの無意味。
ゆえにアランの吸血衝動も……暴力性も……基本的には「同族」に向けられることはない。
「お前が……生きていて、くれて……俺は、嬉しい……よく、帰ってきた……」
たとえ人間の世界で殺人鬼であろうが、アルフォンスにとって愛しいわが子であることに代わりはない。
「……アンヌは……」
ふと、アルフォンスはもう一人の「わが子」の名を口にする。
「……アイツは、帰って来ねぇよ」
アランは確信の宿った言葉で告げる。
「……そうか……」
それだけ呟き、兄妹の父親は黙り込んだ。
***
アルフォンスが伏せっている部屋から離れ、アランは集会所となっている大広間に現れた。
「……さて、ヴィクトル……オレらが次にやるべきことが何か、当然わかってるよなぁ?」
「えっ……?」
アランに問われ、ヴィクトルはきょとんと首を傾げる。
はん、と鼻を鳴らし、アランはおもむろにヴィクトルの胸ぐらを掴んだ。
「そういうとこだっつってんだろ。ボンクラが」
「……っ、ごめん……」
何も言い返すことが出来ず、ヴィクトルは項垂れる。チッと舌打ちをしつつ、アランは乱暴に手を離し、周囲を見渡した。
匂いを手繰り、ある事実に気付く。
この場では、「隠匿」と「狂乱」のみしか嗅ぎ取れない。
「……ロベール……は、部屋か。……オーギュスタはどうした?」
その言葉に、ヴィクトルはおずおずと反論する。
「アラン、その……あなたは、彼女の息子を……。……」
「へぇー、あのアマ、ヴァンパイアの未来より私情の方を優先するってか。ハハッ、どうせ行き場なんかどこにもねぇのによぉ!」
腹を抱えて笑うアランを見て、ヴィクトルは小さく唇を噛んだ。
「何か言いてぇことがあんのか。……あぁ?」
「……あなたが、ヴァンパイアのことを本気で想ってるようには見えない」
前髪で隠れた両目は、揺らぎながらも仮面の中心を射抜いている。アランには彼の表情は見えない。見えないが……怯えながらも向けられる気迫だけは、よく伝わった。
仮面を押さえ、アランは無言でヴィクトルを蹴り飛ばす。壁に叩きつけられた長身が、みしりと嫌な音を立てた。
「大した働きもできねぇくせに、口だけはいっちょ前だよなぁ……無能なりにご苦労なこって。なぁ……オレに任せろっつったの、もう忘れたか。ええ?」
そのまま再び胸ぐらを掴み、無理やり立たせる。ヴィクトルは苦しげに呻き、どうにか手を振り払った。咳き込みながらも両足を踏ん張り、今度は確実にアランを睨みつける。
「……それで……何をすればいいんだって? まさか、僕に八つ当たりしに来たのか?」
「はっ、ポンコツは考えてもわからねぇらしいなぁ……。決まってんだろ、敵をぶっ殺しに行くんだよ!!」
目の無いはずの仮面が、ぎらりと赤い眼光を放った。……少なくとも、ヴィクトルにはそう見えた。
「向こうの『狩り』にはもう正当性ができちまってる……敵意はありません戦う気もありません……なんて命乞いは通用しねぇ。そんなこたよく分かってんだろ」
アランが持つ親愛の力が弱まっているのか、その声の迫力にヴィクトルはおろか、ミシェルすらも息を飲んだ。
「殺すんだよ。……特に、殺すべき野郎が『暁十字の会』にゃ2人いる」
指を2本立て、アランは語り続ける。
「まず、仁藤亮太。……コイツはオレ達を『苦しめて』殺す武器を嬉々として考えてやがる。オレらの身体の構造を知っちまったし、毒物を作るのすら簡単にやってのけるだろうな」
自らの失態など忘れたかのように、そして、自らの醜さをかき消すように、
「次に、言わずもがな矢嶋源三郎。……ただし、場合によっちゃコイツを殺すのは不味い。『信者』どもの復讐心を煽るだけの結果じゃ、オレたちは灰のひとつまみもこの世に残らねぇだろうな」
男は、断罪すべき敵を掲げ続ける。
「本当に……僕らの戦力で殺せるとでも?」
ヴィクトルの反論に、アランは大きく頷いた。ミシェルはまだ、黙って部屋の隅に佇んでいる。
「てめぇの言いたいことはわかる。……正直、矢嶋を殺すのは厳しい。あのジジイを殺すとなりゃ、それこそ組織を壊滅させなきゃ意味ねぇからな。……が、オレらにその力はねぇ」
アランは指を1本折り曲げる振りをし、また立てる。変わらず2本の指が、殺めるべき人数を指し示す。
「ただ、仁藤を殺すのには大上家も協力するってよ。あのガキ、向こうにもずいぶん脅威に見られてるらしい」
「……戦力を削る方針か」
「その通りだ。……仁藤だけなら、大上と力を合わせりゃ消せる」
ヴィクトルはなるほど、と頷き、引き下がる。
そこで、ミシェルがようやく口を開いた。
「もう一人、いるのですね? もう一人、消し去るべき敵が存在するのですね? その指は、そういうことではなくて?」
漂う狂乱に、アランの呼吸がわずかに乱れる。
……憎悪の記憶に蓋をすることなく、アランは次の名を告げた。
「東郷晃一だ」
それは、父親を師と2人がかりで再起不能にし、友人に致命傷を与え、妹を攫った人間の名。
「コイツは光川龍吾の弟子で……ま、あの戦闘狂には劣るが……人間の中じゃ格段に強い。力や速さは問題じゃねぇ、完璧に戦闘感覚をわかっていやがる。奴の本心は読めねぇが……殺しておくに越したことはねぇ。フラフラあっちこっち行ってる野郎なんざ、信用できねぇからなぁ」
アランの脳裏に、心臓を潰した「同族」の姿が浮かぶ。
……自分は決して間違っていない。すべて……すべて、堂々とした、誇らしく、美しい決断だ。そう、アランは自分に言い聞かせ続ける。
ミシェルが口を開く。彼女がまとう「狂乱」が、会合に異様な熱を呼んでいく。
「ああ、そう、その通りよ。東郷晃一は、あの青年は、セザールと一時懇意でした。私は信じていましたよ。あの若者は、『こちら』に来ることも有り得ると、ヒトとヴァンパイアも、手を取り合うことができると。そうです、私は間違いなく、あの日々に可能性を見たの。……けれど……」
「ああ……アイツは結局、組織に帰って行った。セザールを殺し、ロベールを利用してアンヌを攫い……連れ戻しに行ったオレを仲間と一緒にボコボコにした。ロベールだけはどうにか連れ戻せたが……その後、オレの頭もどうにかなっちまった」
そこまで告げて、アランは天を仰いだ。
ヴィクトルは、無言で言葉の続きを待つ。
「……コイツに関しちゃ、オレらが手をかける必要はねぇ。上手くやりゃあ、暁十字の会に『処刑』させるって手が使える……」
親指で首をかき切る動作をし、アランは含むように笑う。
絶望的な情勢の中、その弁舌は、ミシェル、ヴィクトルの心に確かな希望の種を撒いた。
陽岬に住むヴァンパイア達が無事にこの夏を越え生き延びられるかどうか……すべては、アランの采配にかかっている。





