↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】―火を斬る少女―  作者: 甕星 慶(ミカボシケイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/40

第一話 抜く

 柄(つか)の鈴が、ちりと鳴った。


 スズは藁(わら)屋根を踏みしめ、鞘(さや)を払った。


 抜いた刃が、屋根に落ちたばかりの火の粉を二つに割った。


 割れた火は藁の上で一度だけ身をよじり、煤(すす)になって消えた。細い煙がひとすじ立ち、風にちぎれた。


 刀身に、女の顔が映った。


「また抜いたの」


 スズと同じ切れ長の目で、目尻だけがわずかに下がっている。十七の頃のままの顔が、刃の中からスズを見上げていた。


「今夜で何度目?」


「数えてない」


「わたしは数えてる。九度目」


「十度目は、来ないかもしれない」


「来るよ。ほら」


 頭の上から、また降ってくる。


 赤い粒だった。ひとつ、またひとつ、里の夜空をゆっくり落ちてくる。里の北には、山がひとつ、膝を抱えた人のように座っている。火封山(かふうざん)という。見上げると、その頂(いただき)が、灰をかぶせた熾火(おきび)のように鈍く光っていた。


 火の粉が繁く降るようになったのは、この春の終わりからだ。それまでは、年に一度あるかないかだった。はじめは月に一度、それが十日に一度になり、夏が過ぎるころには、三晩と空かなくなった。そのたびにスズは日暮れから屋根に上がり、明け方まで下りない。里の者は戸を閉めて眠る。眠れない者は、戸の隙間から空を見ている。屋根の上の娘と、娘の腰の剣を見ている。


「西だ、西の納屋!」


 下の泥道を、桶を抱えた男たちが駆けていく。スズは屋根から飛び降り、男たちとは逆へ走った。


 納屋に燃え移った火なら、水で消える。


 山から落ちてきた火そのものは、水では消えない。



    ◇



 機屋(はたや)の軒で、それが燃えていた。


 梁(はり)に、火の粉がひとつ食いこんでいる。握りこぶしくらいの火だった。桶で三杯かけられて、梁は黒く濡れ、湯気を上げている。それでも火は濡れた木の上で、瞬きもしない目のように赤かった。


「スズだ。スズが来た」


 機屋の女が、子を抱えて後ずさった。子は五つか六つで、母親の肩ごしに、スズの手元をじっと見ていた。


 スズは梁の下に立ち、刃を上げた。切っ先が、腕よりわずかに遅れてついてくる。


 刀身に、火が映った。その横で、女の顔が梁を見上げていた。


「十度目。つけ根のほう、深く食いこんでる」


 スズは答えず、梁の火に刃を当てた。


 斬るというより、なぞるだけだった。刃が火の腹を抜けると、火は音もなく二つに離れ、縮み、灰になって落ちた。濡れた梁から、今度こそ湯気だけが上がった。


「スズ、袖。焦げてる」


 見ると、左の袖口が黒く縮れて、細い煙を上げていた。スズは手のひらで叩いて消した。


「……助かったよ」


 機屋の女が、スズの足もとのあたりに向かって言った。


「かあちゃん、あのひと、また剣としゃべってる」


 子が母親の耳に言った。母親は子の頭を押さえ、自分の胸に顔を埋めさせた。


 里の者に、刀身の顔は見えない。声も届かない。彼らに見えるのは、夜ふけに抜き身を下げて、ひとりごとを言う娘だけだ。


 スズは袖で刀身を拭った。拭っても、顔は消えない。


「嫌われたね」


 刃の中で、姉が言った。


「前からだ」


「前はね、もう少しましだったよ。あんたが笑わなくなるまでは」


 スズは剣を鞘に納めた。鈴が鳴った。


 三年前から、この剣は人ひとりぶん重い。



    ◇



 鐘が鳴ったのは、そのすぐあとだった。


 里の真ん中、母の社のほうからだった。


 社は、里でいちばん古い建物だ。火守(ひもり)の里の者はみな、母の末を名乗る。遠い昔、火の神に殺された母を祀るその社には、火を入れない。灯明さえ置かない。火は母の仇だからだ。


 祖母の祖母の代から、社にだけは、火の粉が落ちたことがなかった。


 その屋根が、燃えていた。


 檜皮葺(ひわだぶ)きの三か所に、赤い点が並んでいる。まわりに人が集まり、桶の列ができかけていた。女たちは子を抱いて石段の下まで下がり、年寄りの誰かが、母の名を唱えている。


「タギさまが、起きなすった」


 腰の曲がった爺さまが、山を見上げて言った。誰も返事をしなかった。返事をすれば、本当になる気がしたのだろう。


「どけ」


 スズは人垣を割り、社の脇の杉に取りついた。


 登るとき、腰の剣が幹に当たって、重い音を立てた。


 枝から屋根へ移る。檜皮が足の下で熱く、草鞋(わらじ)の裏から細く煙が上がる。抜く。


「右の棟に一つ。その奥に、もう一つ」


 刃の中から、姉の声がした。先代の目は、スズより早く火を見つける。


 いちばん手前の火に刃を入れる。消える。二つ目。消える。


 三つ目は、屋根の端にあった。


「跳ぶよ」


 姉が言うのと同時に、火が跳ねた。


 風上へ、ひと息に。社の屋根から隣の家の軒へ、火は自分の足で跳んだように見えた。乾いた藁が、待っていたように燃え上がった。


「与平(よへい)の家だ!」


「中に誰かいるか!」


「いねえ、みんな出てる!」


 スズは屋根を蹴って、隣の軒に跳んだ。


 遅かった。


 藁屋根を舐めているのは、もうただの火だった。山から落ちた火は、藁に火を移すと、屋根のどこかで灰になっていた。残ったのは、斬っても消えず、水で消すしかない火だ。男たちの桶がそれに追いつくまで、スズは軒の端で刃を下げたまま、立っていることしかできなかった。


 与平の家は、半分焼けて残った。


 与平も、女房も、年寄りの母親も、石段の下で煤だらけになって座りこんでいる。年寄りの母親は、焦げた鍋をひとつ、胸に抱えていた。誰も、焼けてはいなかった。


 与平の女房が、屋根から下りてきたスズを見上げた。何か言いかけて、口を閉じた。代わりに、焼け残った柱のほうへ顔を向けた。


 スズは刃を下げたまま、女房の前を黙って通り過ぎた。背中に、いくつもの目が貼りついてくる。


「あんたのせいじゃないよ」


 刀身の中で、姉が言った。


「知ってる」



    ◇



 明け方が近づくと、火の粉はやんだ。


 スズは社の石段に腰を下ろし、刃を拭っていた。刀身に、また顔が浮かぶ。


「母の社に火が落ちたの、はじめてだね」


「知ってる」


「祖母(ばあ)ちゃんが生きてたら、腰を抜かしてた」


「知ってる」


「あんた、今夜それしか言ってない」


「ほかに言うことがない」


「昔は、うるさいくらいしゃべったのにね」


 石段の下から、社守(やしろもり)のウメ婆が上がってきた。灰をかぶった髪を撫でつけ、焼けた与平の家のほうを見て、長い息を吐く。それから、腰の竹筒をスズに差し出した。スズは一口だけ飲んで返した。水は、煤の味がした。


「サヤがいたころは、火の粉なんて、年に一度落ちるかどうかだったのにねえ。あの子は、よく笑う子だった」


 婆さまの後ろに、機屋の子がくっついていた。まだ眠そうな目で、スズの抜き身と、婆さまの顔とを見比べる。


「サヤって、だれ」


「スズの姉さまだよ。先代の、火を斬るお役目でね。かわいそうに、三年前、火に呑まれて——」


「火じゃない」


 スズは刃から目を上げなかった。


「わたしが斬った」


 ウメ婆の口が、半分開いたまま止まった。子は意味がわからないまま、婆さまの袖をつかんだ。


 刀身の中で、姉は何も言わなかった。


 ただ、スズの手元のほうへ、目を落とした。


 杉の上で、朝の鳥が一羽鳴いた。ウメ婆は黙って子の手を引き、石段を下りていった。途中で一度振り返り、スズの持つ剣を見た。ただの鋼を見る目だった。



    ◇



「スズ」


 石段の上に、里の長が立っていた。


 白い髭(ひげ)に灰が積もっている。長は、スズの顔を見て、それから抜き身の刀身に目を落とした。そこに映る顔には、目を留めなかった。見えないのだから、留めようがない。


「昼に寄り合いをする。出ろ」


「わかりました」


 長は焦げた社の屋根を見上げた。檜皮の三か所が、黒くえぐれている。


「母の社に、火が落ちた」


 誰に言うでもなくそう言って、長は石段を下りていった。


「寄り合い、なんの話だろうね」


 姉の声は、いつもより低かった。スズが刀身を見ると、姉は長の背中の向こうの山を見ていた。


 姉は、山の話をしない。もう、ずっと。


 スズも、山へ目を移した。


 火封山の頂が、明けかけた空の下で、まだ赤い。


 その赤が、ふっと膨らんだ。


 遠く、腹の底に響くような音がした。頂から、ひと筋の火が、夜明けの雲を焦がして高く昇り、ゆっくりと崩れて散っていく。散った火は細かな粒になり、山の斜面を撫でながら、こちらへ流れてくる。


 ゆうべより、ずっと多い。


 起きなすった、という爺さまの声が、耳の奥に残っていた。


 里のあちこちで、戸が開く音がした。誰かが、また鐘を打ちはじめた。


 スズは立ち上がった。夜通し握っていたせいで、指が柄からうまく離れない。剣は抜いたままだった。


「……姉さん」


「なに」


「なんでもない」


「そう」


 石段を下りかけて、スズは一度だけ、刀身を見た。


 姉は、目を閉じていた。


 三年前、この刃を受けたときも、姉は目を閉じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。