第5話 値段の話
翌日、空はよく晴れていた。
こういう日は嫌いじゃない。
問題が解決したように見えるからだ。
実際には、何も解決していない。
ただ、形が変わっただけだ。
窓を少しだけ開ける。
古いサッシが軋む。
空気が入れ替わる。
昨日の匂いが、少しだけ薄くなる。
机の上には何もない。
通帳も、印鑑も、領収書もない。
全部、あの家に置いてきた。
ここには残らない。
残るのは、記憶と金だけだ。
それで十分だ。
チャイムが鳴った。
時間より少し早い。
予想通りだ。
「どうぞ」
ドアが開く。
天城真白が立っていた。
白い制服は同じだ。
だが、着方が違う。
襟元が少し乱れている。
髪も整っていない。
昨日までの“整えられた正しさ”がない。
いい。
変わった。
「……来ました」
声は静かだ。
だが、力の入り方が違う。
「知ってる」
俺は言った。
「座れ」
真白は椅子に座る。
背筋は伸びている。
だが、どこか力が抜けている。
崩れたわけじゃない。
支え方が変わっただけだ。
「報告か」
「はい」
「いらない」
短く言う。
真白が少し止まる。
「……ですが」
「結果は見てる」
俺はスマホを指した。
記事が更新されている。
“会社資金の不正利用は確認されていない”
いい並べ方だ。
誰も嘘は言っていない。
だが意味は変わっている。
「会社は」
「処分は保留。様子見だ」
「……はい」
「相手は」
「まだ動いています」
「止まらない」
当然だ。
一度動いたものは、簡単には止まらない。
「母は」
言葉がわずかに遅れる。
「……起きました」
「それだけか」
「……はい」
それ以上は言わない。
言えないのか、選んで言わないのか。
どちらでもいい。
「で」
俺は言った。
「何をしに来た」
真白は少しだけ考えた。
考える時間が長くなっている。
いい傾向だ。
「……確認です」
「何の」
「昨日の選択が、正しかったかどうか」
いい。
そこに来たか。
だが答えは一つだ。
「知らん」
俺は言った。
真白の目がわずかに動く。
「……判断できないんですか」
「できない」
「結果が出ていないからですか」
「違う」
俺は言う。
「正しさは、結果で決まらない」
沈黙。
言葉は理解されている。
だが、まだ納得はしていない。
「お前がやったのは」
「……並べ替えです」
「そうだ」
机を軽く叩く。
「事実は同じだ。順番だけ変えた」
「……はい」
「それで人が動いた」
「はい」
「それだけだ」
それ以上でも、それ以下でもない。
「……じゃあ」
真白が言う。
「間違いだった可能性もあるんですね」
「ある」
「正しかった可能性も」
「ある」
同じだけある。
区別はない。
「……では」
「選んだだけだ」
言葉を切る。
「それで終わりだ」
真白は黙る。
理解している顔だ。
だが、納得はしていない。
それでいい。
納得した時点で、終わる。
「代償は」
小さく言う。
「何ですか」
少しだけ考える。
答えはいくつもある。
だが一つに絞る。
「信用だ」
真白が顔を上げる。
「誰のですか」
「全部だ」
俺は言う。
「父も、母も、お前も」
短く続ける。
「お前はもう、“何もしなかった側”には戻れない」
沈黙。
重い沈黙だ。
「家の中のことを、外に出した」
「……はい」
「並べ替えた」
「……はい」
「なら、次もやると思われる」
真白の指がわずかに動く。
自覚している。
それがどういう意味か。
「それが信用だ」
俺は言った。
「壊れた形で残る」
静かになる。
「……それでも」
真白が言う。
少しだけ息を吸う。
「やるべきだったと思います」
迷いは残っている。
だが、言い切った。
いい。
「そうか」
俺は言った。
「なら、それでいい」
それ以上はない。
選んだなら、それが答えだ。
「……もう、来ない方がいいですか」
少しだけ間を置く。
「来るな」
はっきり言う。
真白は驚かない。
予想していた顔だ。
「理由は」
「向いてない」
短く言う。
「考えすぎる」
「……はい」
否定しない。
理解している。
「この仕事は、迷うやつには高くつく」
真白は黙る。
言葉の意味を、そのまま受け取っている。
「それでも来るなら」
俺は続ける。
「次は倍だ」
「……覚えておきます」
真白は立ち上がる。
椅子を戻す。
音を立てない。
ドアの前で一度だけ止まる。
振り返らない。
「……一つだけ」
「何だ」
「あなたは」
少し間を置く。
「正しいんですか」
いい質問だ。
だが答えは決まっている。
「違う」
俺は言った。
「使ってるだけだ」
何を、とは言わない。
真白は小さく頷く。
それで十分だ。
ドアが閉まる。
足音が遠ざかる。
軽くはない。
だが、止まってもいない。
それでいい。
俺は椅子に座り直す。
窓から風が入る。
机の上は空だ。
何も残らない。
それでいい。
スマホが震える。
振込通知。
百万円。
悪くない。
少しだけ考える。
あの家が払うには、安すぎる。
真実は売った。
並べ替えて売った。
あいつはそれを使った。
その結果も引き受けた。
なら、これは対価だ。
それだけの話だ。




