プロローグ
詐欺師という職業について、世間はひとつだけ致命的な誤解をしている。
詐欺師は、嘘をつく人間だと思われている。
違う。
嘘をつくだけなら、子供でもできる。
嘘を信じさせるだけなら、少し頭の回る大人でもできる。
嘘で金を取るだけなら、三流でもできる。
だが、それでは続かない。
嘘は腐る。
時間が経てば臭う。
臭えば誰かが気づく。
気づかれれば怒りを買う。
怒りを買えば、終わる。
だから、俺は嘘を売らない。
俺が売るのは、真実だ。
ただし、真実には“順番”がある。
どこから話すか。
どこで黙るか。
どの事実を、どの事実の後に置くか。
それだけで、人間は勝手に結論を作る。
俺は、その結論を売っている。
影山誠。相談業。
誠実の誠と書いて、影山誠。
名は体を表す、という言葉がある。
だからといって、俺が誠実だと思うなら、それはお前の責任だ。
古い雑居ビルの三階。
階段は湿っていて、靴底がわずかに滑る。
手すりには誰のものとも知れない皮脂がこびりつき、
廊下には長く換気されていない空気が溜まっている。
俺の事務所は、その奥だ。
看板は出していない。
来るべき人間だけが来ればいい。
名刺には、こうだけ書いてある。
影山相談事務所。
相談の中身は書かない。
書かなくても、来る人間は困っている。
その日の客は、三十代後半の女だった。
椅子に座る前に、指先を一度だけスカートで拭った。
細かい所作だが、緊張している証拠だ。
左手の薬指に、指輪の跡がある。
外してから、それなりに時間は経っている。
化粧は崩れていない。
目元だけが少し乾いている。
泣く準備をしてきた顔だ。
「夫と、もう一度だけ話がしたいんです」
俺は電卓を叩いた。
「五十万」
「……まだ何も話していません」
「だから安い」
女は、言葉を飲み込んだ。
ここで怒る人間もいる。
帰る人間もいる。
だが、この手の客は帰らない。
すでに払う理由を持っているからだ。
「……お願いします」
終わりだ。
金が動いた時点で、話は半分終わっている。
「謝るつもりか」
「……はい」
「やめろ」
女の呼吸が止まる。
「謝罪は一番安い言葉だ。誰にでもできる」
「でも……」
「謝れば許されると思ってるなら、それは願望だ」
俺は続ける。
「相手は、謝罪を聞きたいんじゃない。
自分が正しいと確認したいだけだ」
女の目が揺れる。
いい反応だ。
「……どうすれば」
「離婚の話をしろ」
沈黙。
「離婚……ですか」
「その名目なら、出てくる」
事実だ。
ただ、順番を変えただけだ。
一週間後。
ホテルのラウンジで、二人は向かい合った。
女は泣かなかった。
謝らなかった。
縋りもしなかった。
ただ、条件を聞いた。
結果だけ言えば、関係は切れなかった。
繋がったままだ。
壊れた形で。
外に出ると、雨が降っていた。
細かい雨だ。
傘がないと、じわじわと濡れる。
一番嫌な種類の雨だ。
「影山誠さんですね」
声がした。
振り返る前に、位置を測る。
距離、二メートル弱。
足音はなかった。
見落としていた。
振り返る。
少女が立っていた。
白い制服。
黒い傘。
濡れていない髪。
だが、それよりも。
目だ。
値踏みする目ではない。
測定する目だ。
「人違いだ」
「違います」
即答。
間がない。
「なぜわかる」
「否定のタイミングが早すぎます。それと、ラウンジでの位置取りが不自然でした」
「尾行か」
「確認です」
「言葉を変えるな」
「はい。尾行です」
いい。
躊躇がない。
そして、躊躇がない人間は壊れやすい。
「依頼があります」
「帰れ」
「理由を聞いてもいいですか」
「未成年。面倒。それで十分だ」
少女は、間を置かなかった。
封筒を差し出す。
白い封筒。
角が少し湿っている。
雨の中、ずっと持っていたのだろう。
「父の革靴が、玄関から消えました」
少女は言った。
「母は寝室に鍵をかけています。昨日は三人分の箸が並んでいました」
一拍。
「父の箸だけ、少しずれていました」
観察は正確だ。
だが。
「だから、父は家族を捨てました」
早い。
結論が先にある。
「証拠は」
「靴です」
「弱いな」
「では、母が味噌汁に砂糖を入れました」
「それも証拠じゃない」
「ですが、事実です」
いい。
ここまではいい。
「名前は」
「天城真白です」
やはり、か。
金で回る家。
壊れたとき、音が大きい家だ。
「帰れ」
「なぜですか」
「お前はもうやってる」
少女の指が、わずかに止まる。
「……何をですか」
「詐欺だ」
沈黙。
ほんの一秒。
「私は嘘をつきません」
「そうだな。嘘はついてない」
「なら」
「並べ方を変えてる」
少女の視線が、初めて揺れる。
ほんのわずかだが、ズレた。
「父が出ていった。
母が壊れている。
箸が三本並んでいた」
「全部事実だ」
「はい」
「だが、“終わりだ”はお前の結論だ」
少女は黙る。
今までで初めて、言葉を選んでいる。
「……違います」
「同じだ」
俺は言った。
「それが詐欺だ」
雨音が、少しだけ強くなる。
「私は正しいことを言っているだけです」
「俺もだ」
少女が顔を上げる。
「……あなたは詐欺師です」
「そうだ。お前もな」
少女の呼吸が、初めて乱れた。
わずかに。
だが確実に。
いい顔だ。
壊れる前の顔だ。
「……依頼を受けてください」
「受けない」
「なぜですか」
「自分が正しいと思ってるやつは客じゃない」
一拍置く。
「ただの加害者だ」
少女は言葉を失った。
理解ではなく、停止だ。
思考が止まっている。
そのとき。
スマホが震えた。
知らない番号。
出る。
「影山相談事務所」
『……天城です』
母親の声。
かすれている。
だが、泣いてはいない。
もう泣く段階は終わっている声だ。
『娘を、止めてください』
少女を見る。
何も知らない顔で立っている。
『通帳と印鑑を全部並べて……』
いい。
始まっている。
「前金で百」
『払います』
即答。
迷いがない。
通話を切る。
数秒後。
振込通知。
百万円。
俺は少女を見る。
この案件の依頼人は、こいつじゃない。
こいつは客でもない。
この案件そのものだ。
値段がついた時点で、関係者は全員、当事者になる。
誰も、外にはいられない。
そして。
真実は、もう並べ替えられ始めている。




