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第80話

「悪いな、デリカシーのない奴なんだ」


 榎本が消え去った後、僕はため息交じりにそう告げた。どうしてあいつが、と文句を垂れたくなる。だが、あいつは今日が実行委員の当番。当然学内を歩き回るわけで、その過程で出会ってしまうのは仕方のないことだった。周囲の盛り上がりは健在でこちらに目を向けている相手がいない様子なのは幸いだが……僕は一生この間の悪さとは付き合っていくのだろうか。


「大丈夫。それより世良町君は?」


「僕?」


「うん。とってもやつれた顔してる」


 やつれた、か。まあ心身共にどっと疲れたのは間違いない。そもそも、あいつは声がうるさい。いつまでも耳がキンキンする。それにだ。


『ははは、事実を言っただけっすよ。文化祭で男女2人をデートと言わずになんて言うんすか?』


 あいつの言葉がいつまでも頭を離れない。腹立たしい軽い声だ。だが、それでいて客観的には正しく、非の打ちどころのない指摘でもある。例え揶揄うのが目的であろうと、あるいは何か他の意図があろうと、その文言自体に反論の余地はない。僕とこの少女は今、傍から見て仲睦まじい間柄であると認識される。僕達がそれを否定しようと認めまいと、周囲の目は友達の関係とはとらえてくれない。


 僕は痛みに頭を抑えながらなんとか答えた。


「どうしても人には相性ってのがあるからな」


「相性……うん、そうだよね」


 困ったように微笑む染谷。やはり人には好き嫌いがあり、合う合わないがある。大事なことはそれを無理やり矯正・強制するのではなく、上手く程よく付き合うこと。仕事や人間関係に支障をきたさない程度に関わることができれば良いのだ。僕たちはやり切った、やり過ごした。だからあいつのことなど、あいつの残した爪痕も忘れてしまおう。


「ねえ、世良町君」


 そう、思ったのに。


「世良町君、私のこと苦手?」


「……は?」


 目の前の少女は、染谷加奈はその爪痕から目を離さないことを選んだ。


「そんなことない」


「じゃあ、さっきはどうしてあんなに怒って……ううん、取り乱してたの?」


「それは、あいつが遠慮ないから───」


「本当にそれだけ?」


 僕の言葉を遮るように、染谷が告げた。普段の染谷なら相手の言葉を遮るようなことはしない。だが、今の染谷はそれをするだけの理由と感情があるのだと僕に目で訴えてくる。


「世良町君なら、もっと上手く流せてた。あの人を幼稚だって思うのなら、その幼稚さに振り回されたりしない」


 言葉に詰まり、それを庇う様に視線を落としてしまった。確かに、もっと上手いやりようはあった。波風立てず、声も荒げず、焦ることもなく。まともに付き合う必要なんて、最初からありはしなかった。だが、僕はそれができなかった。


 なぜか。


「私、迷惑だった?」


「ちがっ」


 適切な返しが浮かばない僕にかけられた言葉。それを否定しようと勢いよく顔を上げる。


「じゃあ、どうしてあんなに強く否定したの?」 


 再び見た少女の顔は、ひどく寂しそうだった。


「───っ」


「私、臆病だから。ちゃんと言葉にできてないけど……それでも、バカじゃないよ。文化祭で男の子を誘うことの意味も分かってる。世良町君だってそうだよね」


 染谷の降ろされた状態の左腕。そこに自らの右手を持っていき、優しく左肘に当てる。その自信なさげにも見える仕草は時折染谷が見せるものであったが、発せられる言葉には確信めいたものを感じられた。


 どうして、気が付かなかったのだろう。この少女が意味を理解していないわけがない。なんせ、アイドルとして芸能界に身を置いているのだ。異性と出かける様を誰かに見られでもすれば、それは身を置く世界から離れる片道切符発行の合図。おそらく、この学校で最も気を付けている存在だと言っても良い。それが染谷加奈だ。そんな染谷が、どうして僕を誘ったのか。人一倍、人との距離に敏感であるこの少女がわざわざ僕と一緒に文化祭を回りたいと言ってくれたのか。なぜ、他の誰でもなく僕だったのか。


 ……違う、気づかなかったのではない。気づいていないふりをしたのだ。隣の、目の前の女の子のことをちゃんと見ようとしなかっただけ。ちょっと仲良くなった友人と一緒に楽しむだけで、それ以上の意味などありはしないと自己暗示をかけていたにすぎない。


 今の関係が心地よくて、ぬるま湯のような感覚から上がってしまうのが想像できなくて。それに……一人の女の子として意識する度に、染谷とは違う子の笑顔や甘い焼き菓子の匂いが、景色が過って。そんなどっちつかずで右往左往して、結論ばっかり先延ばしにする自分の姿が情けなくて。


 臆病なのは、僕の方だ。


 いっそのこと、いろんなものがまとめて祭りの喧騒に掻き消えてしまえばいいのにと思ってしまった。


 だが、いきなりやって来た台風はそれを許さず。一瞬の静寂の中で少女の声だけを響かせた。


「世良町君、私ね」


 待て。待ってくれ。


「……ごめん、困らせるつもりはなかったの」


「え」


 その一言で僕はまともに染谷の方を見ていなかったことに気が付いた。




 ピーンポーンパーンポーン




「お知らせします。文化祭実行委員は、至急本部まで集まってください。本日は非番の方も対応をお願いします」


 チャイムと共に校内に流れる放送。その音声を皮切りに、周囲の人々の声が耳に届くようになる。


「急ぎのお仕事?行かないとかな」


 染谷は意外そうな顔で、かつ何事もないかのように言う。それは、ともすれば造られたかのような声色にも思えた。


「え、あ……でも」


「私のことなら気にしないで」


 そう言って穏やかな顔で手を振る染谷。その表情はまるであの映画のように、確実に相手の印象に残るようなもので、ケチのつけようもない程に良く出来ていた。


「分かった」


 そう告げて染谷に背を向け、小さく安堵の息をついてから駆け出そうとする。


「その代わり、後夜祭に少しだけ時間をください」


 背後からの声に、僕は小さく頷いた。今度は、しっかり向き合えるようにと思いながら。

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