別れ
突然の所長の言動は、少女たちの想像の範囲を超えていた。
言葉の意味をそのまま信じる事ができず、呆然とする少女たちに対し、唯一柏木だけが裏切られた気持ちを受け止めながらも、少女たちを一喝する事ができた。
「何してるの!
捕えるわよ」
柏木はその言葉と同時に、自ら所長に向かって行った。
それに少女たちが続く。
繰り出される少女たちの攻撃。
一人、二人、三人。次々に繰り出される少女たちの攻撃を難なくかわし続ける所長。
未来が新たに確立した超人たちの運動能力を2倍にすると言う遺伝子を、所長は組み込んでいるらしかった
自分の力だけを信じる所長はその最強の力を自分だけに適用したのだろう。
その力の差をまるで見せつけて、楽しんでいるかのようであり、余裕の形相から言って、少女たちの誰も倒れてはいないが、すでに勝敗は見えていた。
所長が攻撃を始めた段階で、少女たちに犠牲者が出る。
「真」
理保がすがるような目で、真に訴えた。
「だめだ。君はここから離れるんだ」
「でも」
「俺も中島もいる。
戦うのは俺たちだけでいい」
「うわぁー」
真と理保の二人の会話に割って入るどよめきが上がった。
二人がどよめきの先に目を向けた。
その先は兵士たち。
そして、兵士たちの視線は一点に向けられており、二人がその先に目を向けると、地面に一人の少女が倒れていた。
動きが全く違う。
聡史も戦いに加わっているが、少女や聡史の動きに対し、所長の動きは素早過ぎる。
次々に地面に激突する少女たち。
崩れ去る少女。
所長の虐殺が始まった。
「ここから、すぐ立ち去るんだ」
真が理保にそう言うと、理保に背を向けた。
「幸せになってくれ」
背中を向けたまま、その言葉を残し、飛び出そうとした真の腕を理保が掴んで言った。
「ありがとう。
でも、また失うのは嫌なの」
真が振り返って、理保に目を向けた時、理保は別のところに視線を向けていた。
「柏木さんが危ない」
そう言うと、理保は左手をギブスから抜き取り、次の瞬間には姿が無かった。
真が戦場に目を向けた。
すでに柏木は所長に捕えられていて、少女たちが柏木を助けるため、一気に所長に向かおうとしているところだった。
捕えた柏木を連れていても、速さは所長の方が速い。
全方位からの一斉攻撃に対し、一点突破を図る所長。
少女二人を瞬く間に蹴り飛ばして、包囲を突破した。
が、その先には予想外の出来事が待っていた。
捕えていた柏木の首に、あのペン状の兵器の先を当てようとした瞬間、その手の動きが止まった。
所長の腕を理保の手が捉えていた。
所長が驚いた顔つきで理保を見つめた。
「見覚えの無い顔だが、お前も超人だったのか。
しかし、大人しく逃げ出していれば、死なずにすんだものを。
うまく奴らの陰に隠れて、俺の前に回り込んで、捕まえたつもりかも知れないが、それで勝てるつもりか?」
そうにやりとして、理保の腕を力任せに振り払おうとした。
が、ピクリとも動かない。
「な、な、なんだ、この力は?」
そう言い終えた次の瞬間、ペン状の兵器を握りしめていた所長の右腕の先は重力に引っ張られ、赤い血を吹き出しながら、地上に落下した。
「ぎゃー」
所長の醜い悲鳴が轟いた。
「くっそぅ」
顔を歪めている所長の腕は血が止まり、見る見る再生されていく。
「たまたま、隙を突いて、馬鹿力で俺の腕を潰して得意顔か?」
怒りで顔を歪めた所長はそう言うと、数mの間合いを取って、理保と向かい合った。
理保の横には柏木が寄り添った。
所長がさっきまで自分の手だった地面に転がる肉塊から、ペン状の兵器を拾い上げた。
自分の腕を握りつぶした理保への怒りと復讐心を瞳にともして、ペン状の兵器を持つ右手を理保に向けた。
「理保ちゃん。あれ」
心配げにそう言う柏木に、理保がにんまりと微笑んだ。
今までに見せたことの無い表情。
ただの安心してと言う笑みではない。
夜の道でそんな笑みを見たなら、ぞっとしてしまいそうな感覚を柏木は感じた。
が、安心して。そう言う意味と柏木は思い込もうとした。
かつて、校庭で自分の仲間二人が一瞬の内に投げ飛ばされた。
あの事を考えれば、所長の力も凌いでいる可能性が大きい。
「死ね」
ペン状の兵器の先端が刻一刻と理保に近づいて行く。
このままでは、理保に接触する。
勝ったと思ったであろうはずの所長の予想は裏切られた。
一瞬にして、理保の姿は消えた。
「えっ?」
立ち止まって、辺りを見渡す。
「きゃは! こ・こ・で・す・よー」
理保の声は背後から聞こえた。
慌てて振り返ろうとする所長の右腕を理保が掴んで、再び握りつぶした。
ペン状の兵器を握りしめたまま、再び地面に落下する右腕。
右手を潰された苦痛に顔を歪めながら、所長が言った。
「どう言う事だ。
お前は何者だ」
「きゃはははは。
私の名前ですかぁ。
は・や・か・わ・ゆ・き」
小声で所長の耳元で囁いたかと思うと、両手を所長の首に回した。
「きゃはははは。
ゆっくり殺してあげるからね。
死ね、死ね、死ねぇ」
そう笑う理保の目には狂気が宿っていた。
このまま首をゆっくりと握りつぶす気に違いない。
さっきの笑みはやはり狂気の笑み。
狂気がこの力の代償なのかも知れない。
この狂気に包まれた理保の姿を見たくないため、貴明、いえ真はずっと理保が戦いに巻き込まれるのを防ごうとしていたに違いない。
そう感じた時、柏木は少し胸が痛んだ気がした。
狂気に包まれた理保から、目をそむけた柏木の耳に真の声が届いた。
「大丈夫。
落ち着いて」
柏木が声の方向に目を向けた。
理保を背後から真が抱きしめていた。
「真?
もしかして、私、また」
「大丈夫。
何もしていない」
理保の力が緩んだ。
絞められていた首が解放されると、所長は崩れ落ちた。
潰された右手も再生されたが、二回も腕を再生した体力的消耗は激しく、首を絞められていた事と合わさって、所長は地面で四つん這いになって、荒い息をしている。
「はぁ、はぁ、はぁ。
お前が早川結希だったのか」
所長はつぶやくと、再生したばかりの右手の感触をつかむかのように、数回握ったり開いたりを繰り返した。
「ははは。
だが、私の考えは誤っていなかった。
“希望”は超人を更なる高みに導くものだった」
「それは違うな」
真が所長を見下ろしながら言った。
「あんたたちを見ていて、俺も分かったんだよ。
おそらく、“希望”はこの技術を開発した結希ちゃんのおじさんにとっての希望だったんだよ」
「どう言う意味だ?」
四つん這いのまま、顔だけを貴明に向けてたずねた。
「あんたと同じさ。
超人たちが暴走した時、それを止める切り札。
そう言う意味での希望。
だから、唯一結希ちゃんだけに与えられた」
「それでも、この力を手に入れた超人にとっては希望じゃないか」
「そうだね。力を欲する者には、そうだろうね。
だからこそ、他の者には渡さず、この遺伝子は結希ちゃんだけに入れられたんだよ。
そして、望まぬ力を与えられた者にとっては、希望なんかじゃないんだよ」
「分からん事を。
だが、一つ、分かっている事がある。
こいつさえいなくなれば、俺が最強だと言う事だ」
そう言って、所長が右手にあのペン状の兵器を握りしめ、理保の脇腹を襲った。
自分が再び狂気にまみれかけていた事に動揺していた理保は、反応が遅れていた。
しかも、体の中央の横は動きが鈍い。
理保の背後にいた真も反応が遅れた。
体力を消耗していても、運動能力が増強されている所長の動きはそれなりに速かった。
が、その手は聡史によって、止められた。
「悪いが、俺も忘れてもらっちゃあ困るね。
あんたは何かするんじゃないかと、こっそり近づきながら、ずっとあんたを見てたんだから」
「邪魔しやがって」
「いくらあんたの運動能力が速くても、捕まえてしまえば終りでしょ」
そう言って、聡史が所長の腕をねじ上げた。
「すまない」
真が聡史に言った。
「あ、そいつ、そのまま捕えていて」
桐谷がそう言いながら、兵たちの間を抜けて、聡史たちに近づいてくるにこにこ顔の桐谷の右手には、小さなガラスのビンが握られていた。
「何なんですか、それ」
その質問に桐谷は答えずに、所長の前にやって来た。
「誰か、こいつの鼻つまんでくんないかな?」
「こんな感じですか?」
真が所長の鼻をつまんだ。
何をされようとしているのか、分からない所長が鼻をつまんでいる真の手を振り払おうと、足掻いている。
「ねぇ。もう一人、こいつの顔、動かないように押えてくんない?」
今度は理保が所長の顔を押えた。
鼻を押えられても、強く結んでいた口を我慢できずに開いた瞬間、桐谷がビンを所長の口に突っ込んだ。
ビンの中の液体が所長の口の中に入り込んでいく。
飲むまいと抵抗を続けるが、息を止め続ける事もできず、いくらかは所長の体内に入り込んで行った。
「これで、しばらくこいつを閉じ込めていたら、普通の人間に戻るわ」
桐谷がそう言って、にこりとした。
戦いは終了し、全ては終わった。
柏木たち少女の超人を除き、政府側に超人はいなくなった。
当然、テロリスト側の超人はその前にいなくなっていた。
そして、少女たちも、小鳥遊優も、元の人間に戻るための処置を施された。
とは言え、体が完全に元に戻るには日にちを要するため、その間、桐谷の新たな施設に収容されていた。
窓に掛けられた白いレースのカーテンを背に、ベッドに腰掛けている柏木に向かい合って、真は立っていた。
「じゃあ、転校しちゃうの?」
少し悲しげな表情で柏木がたずねた。
「ああ。
正確には学校をやめるだな」
「あ、あ、あのさ」
柏木の目は泳いでいて、手はもじもじしている。
何なんだ? と、真は思いながら、柏木の続く言葉を待っていた。
「岡田先輩、じゃなくて、河原先輩!」
そこまで言って、また言葉が途切れた。
「わ、わ、わ、私ねっ。
河原先輩の行くところに行きたいんだけど」
「は?」
「だ、だ、だめかな?」
「ダメってことはないけど、なんで?」
「一緒にいたいから!」
ようやく柏木の言っている言葉の意味が分かった。
「でも、俺には好きな子がいるし」
「理保ちゃん。ううん、結希ちゃん?」
貴明改め、河原真が静かに頷いて見せた。
「で、で、でもさ。結希ちゃんとは付き合っているわけじゃないんでしょ?」
「ああ。記憶が戻った結希ちゃんにとっては、俺はただの幼馴染。そして、結希ちゃんの家の元居候さ」
「だったら!」
「人生はうまく行かないものさ。
それでも、諦めない」
柏木は、真の言葉に悲しげに一度俯いたが、すぐに真に向き直った。
「だったらさ。私も諦めない!」
真は大きく息を吸い込んだ後、にこりとした笑顔を柏木に向けた。
「分かった。居場所が定まったら、連絡するよ」
「絶対だよ!」
そう言って、柏木は右手の小指を差し出した。
「ああ」
真は柏木の小指に自分の小指を絡めた。
「約束げんまん、嘘ついたら、針千本のぉーますっ! 指切った!」
柏木に、真はにこりと微笑みを向けると、向きを反転させた。
「じゃ!」
「うん。じゃあだけじゃなく、またね」
「ああ、また」
右手を軽く上げながら、真は部屋のドアを開けた。
開いたドアの横には、聡史が立っていた。
「残念だねぇ」
聡史の最初の一言はそれだった。
何が? 的な視線を真が向けると、聡史は言葉を続けた。
「今が河原先輩の一番のモテ期だったかも知んないのに」
「俺が好きって言われたいのは一人だけなんだよ」
そう不機嫌そうに真は言って、歩き始めた。
聡史も歩き始めて、真の横に並んだ。
「なるほど。
で、その子を守るために、全て仕組んだんだろ?」
「何が?」
「もう隠さなくてもいいんじゃない?
その手、かなり血に染まってるんだろ?」
「想像には答えないよ」
「で、どうして、君たちは元に戻る道を選ばなかったんだい?」
「結希ちゃんが決めた事だ。
結希ちゃんが戻らないなら、俺も戻らない」
「何で? あの子は自分が狂気にまみれる事を本当は恐れてるんだろ?
そして、君はそんなあの子を見たくない」
「正確には、そんな風にあの子をさせたくないだな」
答えになっていない。そんな視線を聡史は真に向けている。
真が視線をちらりと聡史に向けて言った。
「結希ちゃんは言ったんだよ。
この力が”希望”と言うのなら、本当の希望にしてみたい。
狂った力ではなく、人々の希望にしなければ、おじさんは浮かばれないってね」
「なるほど。
そんな河原先輩に一言だけアドバイス」
聡史の顔は少しにたにた気味だ。
「家の居候とか、ただの幼馴染認定された男子が恋人に昇格できる確率は、ほぼ0だと思うよ」
「は、は、ははは」
真は一瞬、目を点にした後、笑い始めた。
「かもね。
でも、自分が好きだって気持ちは変えられないだろ?
そして、俺は諦めない。
結希ちゃんが別の男を選ばないかぎり」
真の目に宿る真剣さを読み取った聡史は、返す言葉もなく、肩をすくめてみせた。
「じゃあ」
片手をあげ、その言葉を残して立ち去って行く真を、聡史は立ち止まって見送ると、向きを反転させ、自分の部屋を目指し始めた。
「報われなくても、好きな子のためにあそこまで、頑張れるものかねぇ」
誰もいない廊下。そう思い、ぽそりと言った言葉に、女の人の言葉が返ってきた。
「好きなお姉さんのために、あそこまでの事が出来る人なら、分かるんじゃないの?」
声の主は階段の踊り場に立っていた。桐谷だった。
「は、は、ははは。
だね」
聡史は苦笑いした。




