狂気の覚醒
近づいてくる卑猥な笑みが、結希の嫌悪感をMaxにさせていたが、まともに戦っても勝てない事も悟らせていた。
絶対拒否のために、何ができるのか?
そんな結希の脳裏に浮かんだのは、かつて鋼鬼と戦った真の戦い。
捕らえた獲物を味わおうと、ゆっくりと迫って来ている男の目に結希が、人さし指を突き刺した。
「ぎゃああ」
男は一度結希から離れて、目を押さえていたが、すぐに手を離して、結希を睨み付けた。
その男の頬には流れた血が赤い筋を描いていたが、その瞳はすでに完全に再生されていた。
睨み付けるような視線を向けた次の瞬間、結希の右手を掴みあげていた。
「この指かぁ」
そう言うと男は結希の人さし指をもぎりとった。
「きゃあぁぁぁ」
「やめろう」
結希の悲鳴と卓也の声が響いた。
結希がちらりと卓也に視線を向けた。
結希の最初の攻撃で廊下の壁に激突した超人が、卓也の腕を掴んで立っていた。普通の人間であれば、かなりの怪我を負ったはずだか、その男にはもうどこにも怪我は見当たらない。
「うるさい」
そう言い終えた瞬間、男の拳が振り上げられた。
卓也を庇いたくて、結希が一気に男の前に飛び出そうとしたが、相手も超人だけあって、この戦場はいつもの力を解放した時の時が止まったような世界ではない。
見る見る男の拳が卓也に向かって行く。
間に合わない事を認めないまま、全力で卓也の下に向かおうとする結希だったが、腕を別の男に掴まれ、動きを止められてしまった。
卓也を守る事はおろか、代わりになる事も、近づく事もできないまま、その視界の中で卓也の顔面に男の拳が到達した。
手加減無しに殴ったらしい超人の拳が卓也の顔にめり込み、破れた皮膚の奥から赤い筋肉が一瞬覗き、さらに拳の直撃を受けた場所から上のかつて白石卓也と言う人間の頭部だった一部が吹き飛んで行った。
「白石ぃぃ」
「たくやぁぁぁ」
真と結希の絶叫が重なった時、頭部の上部を失い、真っ赤な血しぶきを上げる卓也だった肉塊がどさりと床に崩れ落ちた。
結希の目からは涙があふれ出し、腕を掴まれ、卓也の下に駆け寄る事もできず、手だけが卓也をつかもうとむなしく空を掴んでいた。
私には何もできなかった。
卓也を救う事はおろか、逃がす事さえ。
私も卓也と共に死にたい。
そして、あの世で卓也に詫びたい。あの世でもいい、卓也と一緒にいたい。
そう思った瞬間、結希の体から力が抜け、膝から崩れ落ちた。
「なんだ、大人しくなったようだな」
男はそう言うと、力なくうなだれている結希の顎に手をあてがうと、くいっと顔を上に向けさせた。その瞳は虚ろに開いていて、生気もなく、焦点すらどこにあるのか分からない。
「しかし、このままただ殺すのもったいないな」
その言葉に超人の男たちが集まり始めた。
「確かにな。
楽しんだ後で、ばらばらにしてみるか?
いひひひひ」
下品で卑猥な笑い声が結希を包み込んだ。
「結希ちゃん。
逃げるんだ!」
部屋の片隅から、ほとんど生命力を失いかけている真が、声を振り絞り、四つん這いで結希の下に向かい始めて来た。
が、その声は絶望の闇に押しつぶされた結希の心には届いてはおらず、虚ろな視線のまま反応を示す事もなかった。
「うるさい、このくたばり損ないが!」
結希を取り囲んでいた男の一人がはい寄ろうとしていた真の所に行き、思いっきり踏みつけた。
ごきっ!
「ぐぁぁぁ」
骨が折れる鈍い音と、真の悲鳴が響いた。
決して聞きたくなんかない骨が折れるような音と、人の悲鳴が結希の本能に刺激を与え、虚ろな目がゆっくりとだが、真の方に向けられた。
「ごめん。
結希ちゃんを守れなくて」
「ま・こ・と?」
ぽそりと結希の口から真の名がこぼれた。
「白石だって、結希ちゃんに無事でいてほしかったはずだ。
今、逃げなくてどうする!」
無事でいてほしかった。
どこかで聞いた言葉。
結希の脳裏に卓也との光景がよみがえって来た。
遠藤を相手に立ち向かう卓也。
拉致られそうになった時、必死で自分を守ろうとしてくれた卓也。
そして、卓也は言った。
「僕が怪我をしなかったとしても、早川さんがいなくなったり、もしもの事があったら、そんな世界の僕はもう死んだに等しいんだよ。
どんな怪我をしても、早川さんが無事な世界でこそ、僕は生きているんだ」
私はここで死ぬ訳にはいかない。
そして、卓也を殺したこいつらを許せなんかしやしない。
虚ろだった結希の瞳に生気が戻り始めた。
だが、その奥には深い闇の光が増幅し始めていた。
だれよりも大切だった卓也が殺された。卓也を殺した奴は殺してやりたい。
だれよりも大切だった卓也が殺された。卓也を殺した奴は殺してやりたい……。
結希の頭の中を駆け巡るのはたった二つの言葉のループだった。
二つの言葉に満たされた結希の思考回路からは理性が排除され、悲嘆と怒りから遷移した破壊願望に襲われ始めた。
こいつら、全員殺してやる。
それを実現するための戦意が膨らみ始めた。そこにはもう結希と言う存在はなかった。結希の身体は その感情に乗っ取られたかのように、動き始めた。
突然立ち上がった結希の瞳には、戦意と殺意が宿っていた。
自分の腕を掴んでいる男の腕を掴み、力を込めると、結希の視界の中で男の腕は潰れて行き、それにふさわしい何かが潰れる感触に結希は包まれた。
男の腕は男の人の本体から離れて地上に落ち始め、腕を失った男の腕から真っ赤な血がゆっくりと噴出し始めた。
あの時の光景が結希の脳裏で重なり、戦意と殺意に恐怖がかぶさり、結希自身の意識を闇の奥底に封じ込め、外の世界と隔絶させた。それは結希の本能的な逃避行だったのかも知れない。
消え去った結希に代わり、結希の顔に現れたのは殺人をよしとする狂気の人だった。
「けははは。死ね。死ね」
かつて力を解放した時、周りは時が止まった世界のようだった。
それと同じで、相手が超人たちだと言うのに、彼らの動きは止まっていた。
そして、強じんな躯体を持つ超人だと言うのに、まるで普通の人間相手の時と同じように、結希の攻撃でその肉体を破壊されていく。
止まった人形を一殴りし、破壊する。
再生が追いつく間も無いほどの攻撃で、肉体を損耗していく超人の男たち。
「けははは。死ね。死ね」
止めどの無い攻撃に、再生の限界が訪れた超人は死に絶えるしかなかった。




