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青襟のアーティスト  作者: 309f
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創部1

 ◇ ◇ ◇ ◇


 歩道の真ん中で立ち止まり、思いだしたように噴き出してきた汗を手の甲で拭う。

 息を整えて帰路を歩いた俺は、自宅に戻り自室に向かう階段を登った。


 部屋に入ると天塚さんはベッドでうつ伏せになり、脚をパタパタと動かしながら原稿用紙を読みふけっている。

 保呂はそんな彼女が読み終えた紙束をトントンと丁寧に整えて、時折表紙を流し見しながら懐かしそうな顔でパラパラと読み直しているようだった。

 そんな二人は扉が開く音に気がついたのか、俺が部屋に入ると二人は読書を切り上げてこちらに視線を向けてきた。

「あ、カスっち! おかえりー」

「ああ、ただいま……」

「やあ、どこに行っていたんだい? 君、やけにすっきりした顔をしているね」

「あ、もしかして……カスっちの、エッチっち!」

「いや、何を想像したのかはあえて聞かないが、違うからな!」

 俺が平成のノリで突っ込むと、二つの笑い声が重なった。

 二人して「あはは、そっか」とか「男の子だから仕方ないよ」などと俺を揶揄ってくる。

 これ以上反論しようとしても墓穴を掘るだけなので黙り込むと、二人ともすぐに興味をなくしたように読書に戻ったので、俺も読みかけの小説データを携帯端末にダウンロードして少し手前から読み直すことにした。

 仮にも高校生が三人も集まって、おしゃべりするでもなくゲームに興じるでもなくそれぞれが自分のペースで読書するだけという、およそ青春とは思えない枯れた時間。だが同時に、男友達とわいわい遊ぶのとは違う心地よさがある。

 誰一人として口を開こうとせず、頁をめくる音だけが時折静かに奏でられた。


 そうしてこうして一時間……いや、二時間ほどが経っただろうか。

 天塚さんは三十枚綴りの作品を読み終えて、ベッドの上で「んぐぐっ」と猫のように身体を伸ばした。

 怖いのであえて感想を聞きはせず、彼女の満足げに見える表情を見るだけに留めておくことにする。

 少なくとも嫌々読んでいるのではないと信じたい所だが、だとしても長時間同じ姿勢でいるのは疲れたのだろう。彼女はベッドのスプリングを軋ませながら反動をつけて身体を起こし、コキッと肩甲骨の辺りで小気味よい音を鳴らした。

「カスっち、保呂ちゃん。ちょっと休憩しよ……」

 俺はキリの良い所に栞を設定して目線を上げる。

 同じタイミングで顔を上げた保呂と目線が合い、俺達は静かに苦笑を交換した。

 保呂は天塚さんから受け取った原稿用紙を整えながら、ゆったりとした動作で立ち上がり、腕時計に目を向ける。

「そうだね。そろそろお昼の頃合いだ。君、近くにどこか、食事を取れるところはあるかい?」

「ああそれなら……駅まで行けばファミレスがあるけど」

「ふむ、まあ。天塚くんもそれで良いかい?」

 保呂に声を掛けられた天塚さんは「いいね、最高!」と口遊みながらベッドから飛び降り、肌に張り付いた衣服を摘まんで剥がしながら部屋を出て振り返った。

「それじゃ、行こう、二人とも早く!」

「ああそうだね、君。ボク達を早くそこに、案内してくれたまえ」

「え、ああ、俺も行くのか……」

 俺はてっきり、ここからは女子二人で楽しむのかと思ったが、どうやら俺も仲間に入っていたらしい。


 その後俺達は駅近くのファミレスで、一時間ほど学校教師の話題や勉強の愚痴で盛り上がり、大したドラマもなく自然と解散する流れになった。

 家の自室にはしばらく女子二人の残り香が俺の集中力を乱したが、やがてそれも窓を開けて換気をすると薄くなり、翌日には何事もなかったように元に戻っていた。


 ◆ ◇ ◇ ◇


 連休が明けて月曜日が訪れる。

 いつも通り、怠惰な学生であればまだ寝ているような時間、電車が混み始めるよりも前の時間に家を出た俺が通学路を歩いていると、丁字路の合流地点で電柱にもたれ掛かっている人影が目に入った。

 俺と同じ高校の、女子用の制服を着た揚羽は歩いてくる俺に気づくとパッと顔を上げ、感情を隠すように表情を引き締めながら近づいてくる。

 鬼気迫る様子の彼女に気圧されて立ちすくんだ俺が硬直していると、彼女は俺の目の前に「んっ」とファイルを突き出した。

 中には昨日俺が彼女に手渡した、彼女の作品が挟まれている。

「カス、これ。返すから。あんたが、持っていて」

「え? あ、ああ……わかった」

「渡したから。なくしたりしたら許さないから。それじゃ、学校で」

 情けなく「ああ、うん」と答えることしか出来ない俺を置き去りにして、揚羽は背を向けて軽々と走り去ってしまった。


 まだ目が覚めたばかりで頭が上手く動かない俺は呆然としながら、受け取ったファイルを折り目がつかないように鞄に入れる。

 何だったのかはよくわからないが、彼女の何かが吹っ切れたのだろう。鬱屈とした空気が消えていて、いつも通りの爽やかな表情だった。

 俺がそのきっかけになれたなら、他人事ながら「良かったな」と思う。まあ、なんだかんだ言って、幼馴染みではあるからな。鬱屈と部屋に閉じこもっているのは、俺の精神衛生上あまり良くない。

 そんなことを考えながらぼんやりと歩いて駅に着くと、ちょうどホームに着いたタイミングでドアが閉まり、いつも乗っている電車が無情に過ぎ去った。


 結局、いつもより一本遅い電車で通学した俺が校門を抜けて前庭をのんびり歩いていると、後ろから駆け足の音が聞こえてきた。足音は俺の真後ろでひたりと止まり、直後に背中をとんっと叩かれる。

「カスっち、おはよー! 相変わらず早いねぇ」

「ああ、天塚さん。おはよう……天塚さんも早いね」

「ふっふーん。まあまあそれは、カスっち。お楽しみにしていてね?」

 振り向くと、俺の隣を歩く天塚さんが、意味深な笑みを浮かべていた。

 彼女はササッとそのまま俺を追い抜いて一足先に校舎に入り、昇降口の靴箱でローファーから内履きに変えて立ち止まる。少しだけ小走りになった俺が追いつくと、彼女は俺の隣に並び、俺達は階段を上がって廊下を歩いてクラスへと向かった。


 後ろ扉から教室に入ると、いつもの席に座る保呂の背中がまず目に入る。そしてその正面には、椅子の背もたれに体重を預けながら保呂を見下ろす揚羽の姿があった。彼女は俺に気がついて、悪戯っぽい笑みを浮かべて片手を上げた。俺が「はよーっす」と声を掛けると、揚羽は小声で「おはよう」と挨拶を返し、保呂は振り返りもせずに「やあおはよう」と口にした。

 机の上には読みかけの原稿用紙、そこにはかつて見慣れた揚羽の手書き文字が、ぎっしりと四百字を埋めている。印刷したコピー用紙でないと言うことは、生成AIの出力ではなく、彼女自身の手による作品のようだ。

 どうやら今日は電車一本の差で先を越されたらしい。俺は鞄から俺の原稿を取り出すが、保呂の手には未読の用紙が数十頁以上残っている。どうやらまだ揚羽の作品を読み始めたばかりで、半分も読み終えていないらしい。

 とりあえず俺は自席に鞄を置いて、教科書やノートを引き出しに入れた。揚羽の小説を読んでいる横から「俺のを読めよ」と割り込ませるわけにも行かないので、とりあえず保呂が読み終えるのを待ちながら欠伸をすると、俺の席に揚羽がじりじりと近づいてきた。

 彼女はどこか他人行儀な緊張感を漂わせながら、俺に向かって手を伸ばす。

「あっ、カス。あんたの小説……」

「……カスっち! あゆち、書いてきたから、交換しよっ!!」

 揚羽の掠れた声は、別方向から飛んできた元気な声にかき消されてしまう。

 後ろから抱きつくような勢いで近づいてきた天塚さんの手には、表紙に『小説』と記されたA4のキャンパスノート。彼女はそれを俺の机に置いて、代わりに俺の小説をバッと強奪した。

 その後モジモジと恥ずかしそうな表情を浮かべながら「カスっちの、ちょうだい♡ 代わりにあゆちの処女作(はじめて)、あげるから」と言葉だけを聞かれたらどんな誤解を受けるか分からない台詞を平然と口にした。

 そんな様子を見せつけられた揚羽は、パクパクと鯉のように口を開きながら、非難するように俺に向かって指を差す。

 その後彼女は保呂へと視線を向けたが、無言で問いかけられた保呂は「ああ、彼女は天塚阿由知さん。彼女も小説に興味があるみたいだね」平然と告げる。そういえば揚羽には、何も説明していなかったな。


 揚羽は特に文句を言わず、何も知らないような呑気さで自席で俺の小説を読む天塚さんの斜め後ろに陣取った。

 後ろから覗き込みながらでも、俺の小説を読むことを優先することにしたらしい。

 俺も自分の椅子に座り、天塚さんに渡されたノートの表紙をめくる。そこには作者名も、タイトルすらも書かれていない。最初のページの最初の行から、彼女らしい丸くて丁寧な筆跡で、文字が連々と紡がれていた。

 彼女自身が「初めて書いた」と言っていた通り、技法や作法は知らないのだろう。文法や文章技法には稚拙な所が多い。もっとこう書いた方が読みやすいだろうという改善点もいくつか目についた。だがそれ以上に……

「へぇ……」

 読み進めているうちに思わず声が漏れ出した。わくわくと、心が躍る物語だ。純朴な少女が勇者となり、旅に出る。主人公のモデルは天塚さん自身なのだろうか。まだ序盤すら抜けていない、中途半端なところで終わっているがつい「続きを読みたい」と思ってしまう。そう思わせるだけの魅力と工夫が満ちている。

 初めて書いた小説でここまでの作品を生み出せる才能に、嫉妬の影が差し込みそうになる。

 だがそれは、俺の小説を食い入るように読む背中を二人の後ろ姿を見ると、少しだけ和らいだ。


 しばらくの間、静かに読みふけるだけの時間が流れる。

 保呂が俺の席に近づいて来たので、彼女に天塚さんのノートを渡し、代わりに俺は揚羽の小説を受け取った。

「彼女……長畝くんの小説、面白くなってるよ。腕を上げたね。きっかけでもあって、何かを掴んだのかな?」

「そうか、それは楽しみだ。ちなみに天塚さんの小説も……いや、俺から言うのはやめておこう。保呂、後で感想を教えてくれ。お前がどう感じたのかを聞いてみたい」

「いいとも。君の小説を読むのは……どうやら最後になりそうだね」

 そんなやり取りを小声で交わし、手札を交換した俺達は再び読書に戻る。

 揚羽の新作を読むのは、なんだかんだで久しぶりだ。相変わらずの、印刷した書体のように丁寧で綺麗な文字。俺はどこか懐かしい気持ちになりながら目を落としたが……すぐに「はっ」と息を呑み込んだ。

 俺は保呂ほど作品の良さ、質の高さに言及できる知識がない。だけどそんな俺でも「前と違う」と感じるほどに、すらすらと読めるようになっている。保呂が「腕を上げた」と言っていたのはどうやら本当だったらしい。仲間の成長は喜ぶべきだと思う一方で、俺だけが取り残されたような孤独感に襲われそうになる。天塚さんの小説に感じた嫉妬の感情が、再び心に重くのしかかってきた。

 俺は毎日書き続けてきたはずなのに……数日間、書くことから離れたはずの揚羽は一足先に、次のステージに上がってしまった。それどころか書き始めたばかりの天塚さんの足音が、ひたひたと近づいてくる。このペースで追いつかれたら、俺が背中を追うことになる日も近いのだろう。

 心臓が締め付けられて、目が上滑りして内容が頭に入ってこない。彼女に対する感情そのものよりも、そんな事を考えてしまう俺自身に対する自己嫌悪が俺の中に充満していくようだった。

 最初の数ページを何回か読み直しているうちに、教室に数名の男子生徒が入ってくる気配があった。俺は読みかけの小説を机の引き出しに隠す。保呂と天塚さんも同じように何事もなかったような顔をして、揚羽は気づいたら教室からいなくなっていた。

 にぎやかになる教室の熱が冷めた心に染み、鈍い痛みが雲に散り霧に消えていった。


 ◇ ◆ ◇ ◇


 俺達の、互いに小説を読み合うという関係は、隠すようなやましい物では決してない。だが同時にひけらかすような大層な物でもないとも思っている。

 俺の『執筆』という行為が、世間一般から見て「奇異の目で見られる事である」ことは、俺も自覚を持っている。

 俺と同じ趣味を持つ揚羽という幼馴染みがいることも、俺の作品を毎回読んで感想をくれる保呂に出会えたことも、さらには俺なんかの小説に感化されて天塚さんが同じ趣味を持ってくれたのも、すべて奇跡のような幸運だ。

 だからこそ、この何かの拍子で崩れてしまいそうな関係を崩したくないのだろう。

 そんなポエミッシュな事を考えながら自席で独り電子書籍に目を通していると、俺のおでこに軽くチョップが振り下ろされた。顔を見上げると俺の数少ない友人が、爽やかな笑みを浮かべている。

「よっ伝馬、おはよ!」

「ハル、おはよ。あー、小テの勉強してねえよ、やべえ!」

 小柄で細身の同級生、猫洞(ねこがほら)滝春(たきはる)。背の順では常に最前列になる小柄な彼だが、所属しているサッカー部では一年生でありながら頭角を現しつつあるらしい……という噂をどこかで聞いた。

 俺がタブレットを片付けながら適当なことを言うと、滝春は「また伝馬はそんなこと……この前もそんなこと言いながら余裕で合格点取ってボクを裏切ったじゃん! ボクはもう信じないからね?」と冗談めかして笑う。

 滝春といつもの調子で話していると、ちょうど教室に入ってきたゴツゴツした巨躯を持つ男子、牛巻(うしまき)武路(たけじ)も「がはは」と豪快に笑いながら近づいて来た。ちなみに武路はこの恵まれた体格なのに、帰宅部らしい。もったいないとは思うが、同じく帰宅部である俺にはなにも言う資格はない。

 俺と滝春、武路の三人は出身中学も違えば性格や趣味にも共通点は無く特に接点もなかったが、気づいたらなんとなく仲良くなっていた。これはこれで一つの、違う種類の奇跡なのかもしれなかった。


 いつもの三人が揃った所で、滝春は「はぁ」とわざとらしいため息をついた。俺と武路は「いつものことか」と顔を合わせながら苦笑いをするが、そんな反応を無視して滝春は今一度「はぁぁ」と深く息を吐き出した。


伝馬(てん)さん、武路(たけ)さん。聞いてよ昨日、合同練習で他校のめちゃ可愛な女子マネに声かけられちゃってさぁ。やばい僕、お前たちを置いてモテ期、突入しちゃったかも?」

「はいはい、どうせいつもの妄想だろ。それよりタケ。一限の英語って前、誰が当てられたっけ?」

「そうだな……確か、伝馬の前の席までじゃなかったか?」

「やっぱりそうだよな。あー、てことは今日は俺からか。でもある意味逆に運がいい……」

「確かに。伝馬が今日当てられる所は、ある程度想像つくからな……」

 二人で滝春を無視して話をしていると、彼はバンバンと机を叩いて抗議した。

 そんな様子を見て俺達はニヤリとほくそ笑む。まあこんなのが、俺達にとっての定番だった。

「もー! 真面目に聞いてよ二人とも。マジな話だって! 絶対あの子、僕のこと好きだよね!」

 そんなことを聞かれても、俺達はそもそも彼の言う『あの子』を知らないので答えようがない。滝春の子供っぽい主張を、俺と武路は「はいはい」と聞き流した。

 滝春自身も揶揄われているだけだと分かっているのか、本気で怒るような感じではない。


 ちなみに滝春は、先週は別の女子と運命を感じていたし、その前にも別の女子に片想いを寄せていた。

 顔は良いのに性格が終わっている滝春を、そういえば保呂は以前「残念な彼」と呼んでいたな。

 あまりにも言い得て妙な例え方に、今でもたまに思い出しては笑いそうになる……などと彼女のことを考えていたら、視界の端で保呂が席から立ち上がり、俺達男子三人の環に……近づいて来た。


 眼鏡の奥で目を細める彼女を見た滝春が「荒輪井、さん?」と怯えるような声を出す。

 そういえばこいつ入学当初に、クラス全員の前で保呂に告白して玉砕していたな。どうやら滝春はその時のことがトラウマになっているようだが、保呂はそんな彼には見向きもしない。真っ直ぐに近づいてきた彼女は、いつも通りの冷たい視線を俺に向けた。


「君。今日の放課後、しばらく教室に残りたまえ。話がある」


 それだけ言って、保呂は何事もなかったように振り向いて歩き去る。

 爆発物のような発言だけを残された俺達男子三人は面食らって動くことすらできなかったが、やがて武路が「やるな、伝馬」と呟いた。滝春は「伝馬(てん)さん? え、なにどういうこと?」と困惑するが、どういうことなのかは俺の方が聞きたいぐらいだ。虚を突かれて間を奪われた俺は「……はぁ?」と抗議をするが、彼女の背中には届かなかった。


 結局俺はこの日、何かあるごとに二人に揶揄われ、英語の先生に当てられたときは珍回答してクラスを賑やかしてしまい、普段は真面目に取っているノートはしっちゃかめっちゃかに乱れ、体育の授業ではチームの足を引っ張ったりと、散々な学校生活を送ることになるのだった。まあ最後のに限ってはいつも通りのことではあるが。


 ◇ ◇ ◆ ◇


 気がつけば授業後のホームルームが終わっていた。

 アインシュタインは相対性理論を「楽しい時間は一瞬で」と表現したらしい。どうやら彼の人は「楽しくなくても一瞬で」過ぎるという事実を見落としていたらしい。

 俺は、野次馬しようとする武路と滝春を「シッシッ」と追い払い、保呂に言われた通りに自席に座って待っていた。

 教室に残って駄弁り続けていた生徒も次々といなくなり、俺と天塚さん、隣のクラスからいつの間にかきていた揚羽の三人だけになる。

 おそらく揚羽と天塚さんも、保呂に呼び出されたのだろう。と言うことは「もしや愛の告白か?」という望みはなくなった。

 まあ、冷静に考えればそんなわけがないので、そもそもそれは期待してなかったけど。


 揚羽に目線を向けると、ぷいっと顔を逸らされた。天塚さんは何かを聞いているのか、そわそわと正面の黒板と教室の入り口の間で視線を彷徨わせている。とりあえず待っている間に、朝に読めなかった揚羽の小説を……と思って引き出しの奥から原稿用紙を取り出そうとした所で、ガラガラと扉が開き保呂が教室に戻ってきた。

 彼女は抱きかかえるように持った書類を教卓に置き「こほん」と咳払いをして、教壇の上から俺達を見渡した。


「君たち。今日はわざわざ残ってくれて、ありがとう」

 まるで演説するような口調だ。若干声が震えているが、まさか緊張しているわけでもないのでそういう演技なのだろう。クラスでは真面目な顔をしているが、案外保呂にはそういう所がある。

 良いから早く。という俺達全員からの無言の圧をものともせずに、原稿を読み上げるように話し始めた。

「じつは今朝、天塚くんと話していて思いついたんだ。今日はそのことを話したくてみんなには残って貰った」

 天塚さんは、うずうずとしながら目を輝かせ、保呂を見る。

 保呂はニコリと微笑んで、彼女に向かって小さく頷いた。


「結論から言おう。阿由知くんが提案した『文芸部を創立する』というのは……不可能だった」


 保呂の発言を聞いて、天塚さんは「えー?」と首を傾げる。俺が困惑して言葉を失っていると、同じく状況を理解できていない揚羽は小さく手を上げた。

「文芸部……? 荒輪井さん、なんのこと?」

「ああ、天塚くんが『集まれる場所があれば良いのにね』と言ったからね。ボクの方で調べてみたんだよ」

「そうなの。折角みんなで小説を書くんだから、もっとじっくり読みたいなって、あゆち思ったの。でも……ダメだった?」

「まあ、話は最後まで聞きたまえ。確かに新しく部活を作るのは不可能だが、それは我が校には既に文芸部が存在するからだ。まずこれを見たまえよ」

 そう言って保呂は四人にコピー用紙を順番に手渡した。

 そこには抜粋されてプリントアウトされた校則と、手書きのメモが記されている。

 なになに……校内における授業外自由活動(以降『部活動』と呼称)について? 部活動の創立、存続には最低4名の部員を要する。部活動には各学期末に『活動報告書』の提出が義務づけられる。最小単位人数を超える部員が存在する場合、部内でそれぞれの『課』として活動することが出来る……?

 顔を上げると、保呂は「むふん」と自慢げな顔をして俺達の反応を見ながら愉しんでいた。

「聞いた話だと、現在の文芸部は『第一課』から『第三課』まで、すでに三グループが存在するようだ。ボク達はだから、集まった全員が参加するなら『第四課』として文芸部に参加することになりそうだ」

 話を止めて、保呂は「どうする?」と全員に顔を向けた。天塚さんは「私は賛成だけど……」と言うような表情で俺を見る。俺としても「まあどうせ、俺は帰宅部だから」ぐらいの気持ちで揚羽はどう思っているのかが気になった。偶然にも注目の終点になった揚羽は「え、私!?」と声を出し、恥じらうように顔を伏せる。


「私は……まあ、良いけど」

「よし、じゃあ申請はボクがやっておこう。とりあえずみんなはここに名前だけ書いてくれ」

 そう言って保呂は近くにいた天塚さんに用紙を渡す。彼女はカリカリとボールペンを滑らせて、近くに座っていた揚羽に回す。そして最後に回ってきた用紙を見て、俺は「おい」と思わず声を荒げた。


【部活動 創設願】

(代表)

(部員)荒輪井保呂

(部員)天塚阿由知

(部員)長畝揚羽

(部員)

(部員)

(部員)


 ……どうして、一番上の欄が飛ばされているんだ? 俺が抗議するように睨みつけると、揚羽は外の景色を眺めるようなそぶりで窓際へと歩き、天塚さんは「ぴゅー」と下手な口笛を吹いた。

 保呂だけは真面目な顔をして俺に曇りのない眼差しを向けてくる。

「どうした? 早く名前を書きたまえ、君だけだよ、残っているのは」

「いやそうなんだけど……なんで俺が代表? こういうのは保呂や揚羽の方が向いているんじゃ……」

「君はボクをもう一度職員室まで向かわせる気かい? ボクに『書き間違えたのでもう一枚ください』なんて、そんな恥ずかしいことを教師達の前で言わせる気かい? そもそもボクは、君が代表をやることに賛成だよ。小説を書かないボクよりも、小説を書く君がやった方が良い」

「そんなこと言ったって……揚羽は? 天塚さんはどう思うの?」

「私は、カスで良いと思う」

「あゆちも、二人に賛成! これからは『カスっち代表』ううん、カスっちのことは『代表』って呼ぶね?」

「それはやめてくれよ……恥ずかしい」

 揚羽も天塚さんも、本気で俺が相応しいと思っているわけじゃなく、おそらく単に「自分がやりたくない」だけなのだろう。

 俺だって、俺なんかが代表に相応しいとはとてもじゃないが思えない。だがこれ以上何を言っても、彼女達は聞きもしないのだろう。これ以上粘っても空気を読めない男だと思われるだけだろうなと感じて、俺は「はぁ」と溜息を吐く真似をして諦めることにした。

 俺がいろいろ諦めて一番上に署名をすると、保呂は「それじゃあ」と言って回収した。

 書類の提出は保呂がしておいてくれるらしい。とりあえずやることを終えた俺達は、朝に出来なかった読み合いと感想の交換を軽くして、ついでに連絡先を交換してグループチャットを作った。そして程よい時間になったところで解散しそれぞれの帰路につくことに。


 自転車通学をしている保呂とは校門で別れ、逆方向の電車に乗る天塚さんとは改札を越えた先で「また明日」と言い合った。

 二人きりになって、少しだけ気まずい空気になる。通勤通学のラッシュ帯から外れた車内はガラガラだ。わざわざ離れるのも変なので、俺達は拳一つだけ離れて横に並んで座ることにした。

 窓から夕焼けが差し込み、揚羽の長い黒髪が茜色に染まる。彼女は髪を耳に掛けながら「カス……その、ありがとね」ガタンゴトンと電車の走行音に紛れさせるように何かを囁いた。


「なんて? 揚羽、何か言った?」

「何でもないわよ、この……カス」

「それって悪口だよな、おい!」


 俺の抗議に揚羽は「くすっ」と笑う。その表情を伝える言葉を持っていないことが、俺は少しだけ悔しくなった。


 ◇ ◇ ◇ ◆


 玄関を開けると、父と母の靴は既に揃っていて、台所の方から良い匂いが漂ってきた。

「ただいま」と告げると「遅かったじゃない」と、少しだけ心配するような母さんの声。父は大して気にした様子もなくソファに座って本を読んでいた。

 俺は制服から室内着に着替えるより先に、鞄だけを階段の近くに放り捨て、二人に聞こえるように「父さん、母さん」と声掛けた。

「そういや俺、部活に入ることになったから」

 父は「そうか、良いんじゃないか」と関心のなさそうな返事をして、母は台所から作業を止めて近づいてくる。

「あら珍しいわね。テンくん、そういうの興味ないと思ってた。何部に入るの?」

「あー、うん。文芸部、なんだけど……」

「まあ、文芸部ですって。お父さん、あなたも昔は文芸部でしたよね」

「まあな。だけど今の時代じゃやることも違うだろ……伝馬、今時の文芸部って何するんだ?」


 改めて聞かれて、俺は「そういえば何するんだろう」とつい本心を口にしてしまう。

 そんな、何をするかも分からない部活に入ろうとしている俺に、母は「あらまあ」と呆れたような顔をした。

 蛇口の水で濡れた手をエプロンで拭いながら台所からリビングに戻り、父を見て心配そうに「テンくん、大丈夫かしら」と相談する。

「良いんじゃないか。危ないことをするわけじゃないんだから。母さん、あまり心配しすぎても伝馬のためにならないよ」

「でも……うん。まあそうね、テンくんも高校生だものね。でも、テンくん。何かあったらお母さんに相談するのよ?」

 父は俺のことを信頼しているというか、どちらかというと「どうにかなるだろ」と割り切っているようだ。対する母は俺のことを心配しているようではあるが、流石に部活に入るのを止めるつもりはなさそうだった。俺はそんな両親と同じ空間にいるのが耐えられず、二人を残して俺は階段を登り自室へと逃げ込んだ。

 学校で出された宿題をパパッと適当に終わらせて、小説を書く。俺がこんなものを書いていることを両親は知らない。文芸部に入ると聞いても「本を読む部活なのだろう」と思っていることだろう。そしてこれからも、このことを伝えるつもりはない。もしかしたら過保護な親に対する反抗期なのかもしれないと、子供っぽい自分を嘲笑しながら文字を綴る。遅くまで学校に残っていたので時間は足りないはずなのに、普段よりも良い作品が書き上がった……ような気がした。

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