EP 13
領民の運動不足と、元教師の血
アルニア公爵邸・執務室。
領主であるカトウ・マモルは、宰相のエドガーから上がってきた月次報告書を読み、深く眉をひそめていた。
「……エドガー。この『アルニア騎士団および冒険者ギルドの健康診断結果』なんだが」
「はい、閣下。……非常に、由々しき事態となっております」
エドガーが胃薬を水で流し込みながら、重々しく頷いた。
報告書の円グラフには、驚くべきデータが示されていた。領内の戦闘員たちの実に6割以上が、『BMI基準値オーバー』――つまり、肥満の予備軍となっていたのだ。
「理由は分かっているな?」
「……はい。閣下がもたらした『近代化』の弊害かと存じます」
マモルがアルニア領を豊かにしすぎた結果、街には『魔導エレベーター』や『魔導自動車』が普及した。
かつては重い鎧を着て山を越え、魔物を狩っていた騎士や冒険者たちも、今や現場までバスで直行。マンションの階段は登らずエレベーター。おまけに『アルニアキング』などの安くて美味い高カロリーな飲食店が乱立し、最近ではスマホのアプリで食事を届ける『アルニア・イーツ(配達員は足の速いゴブリン)』まで始まっている。
結果として、アルニアの領民たちは完全に「運動不足」に陥っていたのだ。
「平和なのは良いことだ。だが、いざという時に動けないぽっちゃり騎士団では困る。それに、健康寿命は大事だ」
マモルは報告書を机に置き、立ち上がった。
その瞳の奥に、かつて日本で「中学の数学教師」であり「合気道部の顧問」を務めていた頃の、熱い教育者の血が燃え上がっていた。
「スポーツの秋だ。……やるぞ、エドガー」
「はっ。……何をでございましょう?」
「決まっているだろう」
マモルは窓の外、抜けるような青空を見上げてニヤリと笑った。
「『第一回・アルニア大運動会』の開催だ!」
***
数日後。
アルニア領の中央広場に、主要な面々が招集されていた。
マモル邸の居候組(フィリア、エルミナ、ヴァルキュリア、アルカ、ルチアナ、サルバロス、デュラス)。
そしてシェアハウス組(キャルル、ルナ、リーザ)と、治安維持部隊のレオパルドやイグニスたちだ。
マモルは特設ステージの上に立ち、マイク(拡声の魔道具)を握った。
今日はスーツではなく、動きやすいジャージ姿である。首にはホイッスルを下げていた。
「えー、皆集まってくれてありがとう。今日は重大な発表がある!」
広場がざわつく。魔王軍の残党の襲来か、はたまた新メニューの発表か。
「来週の日曜! このアルニア領にて『大運動会』を開催する!」
「「「うんどうかい?」」」
異世界の住人たちの頭上に、一斉にクエスチョンマークが浮かんだ。
「体を動かし、チームで競い合い、健康と親睦を深める神聖なスポーツの祭典だ! お前ら、最近たるんでるからな! デュラス、お前も最近腹が出てきただろ!」
「なっ!? こ、これは貫禄というもので……!」
元魔王軍将軍が図星を突かれて顔を赤らめる。
「とにかく! 全員強制参加だ。種目は徒競走、綱引き、借り物競走、そして騎馬戦などを用意している」
しかし、反応はイマイチだった。
「えー、走るの面倒くさい」「休みの日くらい寝ていたいわ~(ルチアナ)」と、士気はどん底である。
マモルはため息をついた。
(まったく、どこの世界でも生徒にやる気を出させるのは一苦労だな。……ならば、これならどうだ)
マモルは、懐から一枚の豪華なチケットを取り出し、天高く掲げた。
「当然、優勝チームには『豪華賞品』を用意している!」
その言葉に、ピクッと全員の耳が動いた。
「見事優勝したチームのメンバーには……この領主である俺、カトウ・マモルが、『なんでも一つ願いを叶える権利』を与えよう!!」
静寂。
一拍遅れて。
ゴォォォォォォォ……ッ!!!
広場の空気が、物理的に震えた。
ただのやる気のない参加者たちが、一瞬にして「飢えた獣」へと変貌したのだ。
「な、なんでも……ですって!?」
純情乙女のフィリアの目が、スナイパーのように据わった。
「マモル様の……何でも叶える券……! それはつまり……『婚姻届にサインをして』でも……!」
元天使エルミナの背後に、黒いオーラ(欲望)が渦巻く。
「ついに……! ついに神が私に微笑みましたわ! これで正妻の座は私のもの!」
ヴァルキュリアが鼻息を荒くし、羽を羽ばたかせた。
嫁候補たちの凄まじい殺気に、マモルは一歩後ずさった。
(あ、あれ? 常識の範囲内でって言い忘れた……)
だが、暴走しているのは彼女たちだけではない。
「フハハハ! マモルになんでも言うことを聞かせる権利だと!? ならば余は、最新のテレビゲームと専用の防音ゲーミングルームを作らせるぞ!」
元魔王サルバロスが拳を突き上げる。
「待って。なんでも? なんでもって言ったわよね?」
そして、群衆の最後尾。
借金と税金に苦しむ極貧王女、リーザの瞳に「¥」のマークが浮かび上がっていた。
「一生遊んで暮らせる年金も!? アルニアキングの永久無料パスポートも!? 借金の一括免除も、全部アリってことよね!?」
リーザは両手で顔を覆い、天を仰いで絶叫した。
「やるわ! 私、走る! 血を吐くまで走るわ!! 命を燃やして優勝をもぎ取ってみせるぅぅぅ!!」
あまりのガチ勢っぷりに、隣にいたキャルルがドン引きして安全靴で砂利を蹴った。
「あんたたち……『常識の範囲内で』っていう暗黙の了解を完全に無視してるわよね」
だが、欲望の炎はもう止められない。
健康増進のための平和な運動会は、この瞬間、アルニア領の覇権(とマモルの貞操と財産)を賭けた、血で血を洗う聖戦へと変貌を遂げたのだった。




