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EP 1

――深夜2時。

都市部の片隅にあるコンビニの前で、1人の男が缶ビールをあおっていた。

加藤真守、25歳。中学校の数学教師。

真面目を絵に描いたような人生だった。公務員という安定した職につき、初めて出来た彼女と順調に交際を重ね、ついに結婚の約束までこぎつけた。

彼女の条件はたった一つ。「白い壁の素敵なお家が欲しいな♡」。

その言葉を信じ、35年ローン。ボーナス払い併用。男の甲斐性を見せるべく一世一代の決断をして、新築のマイホームを購入した。

だが、現実はあまりに残酷だった。

「……はぁ。やっと結婚まで持ち込めたのに、『な~にが他に良い人が見つかったの♡』だよ。ふざけんなよ……」

真守は空になった缶を握りつぶす。

新居に引っ越してまだ1ヶ月も経っていない。

残ったのは、誰も待っていない5LDKの豪邸と、果てしないローンの残高だけ。

「……やってらんねぇ」

2本目のビールのプルタブを開けようとした、その時だった。

深夜の静まり返った道路の真ん中に、小さな影が見えた。

猫だ。黒い野良猫が、車のヘッドライトに目を細めて座り込んでいる。

「あ? おいおい、そこにいたら轢かれるだろうが。シッシッ!」

真守が声を上げた瞬間、エンジンの轟音が響いた。

信号無視のトラックが、減速することなく交差点へ突っ込んでくる。

猫は動かない。

「危ねー!」

思考よりも先に、合気道で鍛えた身体が反応していた。

真守はビールを放り投げ、アスファルトを蹴った。

猫を抱きかかえ、路肩へ放り投げる。

その直後、視界が真っ白な光に包まれた。

(あ、これ死んだわ。……ローン、どうすんだよ……)

衝撃と共に、加藤真守の意識はプツリと途絶えた。

   ◇

「……えっと~、起きて下さ~い。起きて下さ~い。死んじゃいますよ~? あ、もう死んでるか(笑)」

間の抜けた声が鼓膜を叩く。

鼻をつくのは、線香の匂いではなく、安酒とメンソールの匂い。

「う、う~ん……え?」

真守が重い瞼を開けると、そこは雲の上でもお花畑でもなかった。

散らかった六畳一間の和室のような空間。

目の前には、ピンク色の芋ジャージに便所サンダルを履き、ワンカップ酒を片手にタバコを吹かしている女が胡座をかいていた。

「あ、起きましたね~。私はルチアナ。貴方達が言う、神のような存在です」

女――女神ルチアナは、スルメを噛みちぎりながら気だるげに言った。

「な、何? ここは何処?」

「ここは審判の場です。えっと~、加藤真守さん。貴方は先程トラックに轢かれて死にました。いわゆるテンプレ転生ですね」

ルチアナは事務的に、手元のタブレット端末(どう見ても地球の製品)をスワイプしながら告げる。

「な、何ぃ!? ここは、あの世かよ!? は~……嘘だろ……結婚も出来ない、新築の家のローンが35年有るのに! まだ1ヶ月も住んでいないのに!」

真守は頭を抱えて絶叫した。

死への恐怖よりも、理不尽な借金と未練が彼を打ちのめす。

「そう、気を落とさなくても良いですよ。私は貴方の可哀想な運命を少し変えて上げましょう」

「え?」

「貴方をアナステシアの世界に導きましょう」

ルチアナがニヤリと笑う。その笑顔は慈悲深い女神というより、面白い玩具を見つけた子供のようだった。

「い、異世界転生って奴?」

「はい。貴方が助けたあの黒猫、実は私が大大大好きな猫ちゃんでして。地球に散歩に行かせてたんですけど、助けてくれてどうもです~。そのお礼として、不幸な貴方への私からのプレゼントです」

真守は一瞬、期待した。

異世界。剣と魔法。どうせ行くなら、最強の力を手に入れて、今度こそ勝ち組になってやる。

「よし、じゃあ全属性魔法使いが良いな。それか剣神とかも捨てがたい」

「有りません」

ルチアナは即答し、タバコの灰を空き缶に落とした。

「貴方に上げるのは、『言語理解』と『マイホーム』です」

「……マイホーム?」

「貴方が買った家を出せるようにしましょう。スキル名『マイホーム』。ま、こんな名前で良いっしょっ」

あまりの適当さに、真守は口を開けたまま固まった。

「どうやって出すの?」

「あ、そろそろ時間です。定時なんで帰りますね~。では良い異世界人生を!」

「何いいい!?」

ルチアナが指をパチンと鳴らすと、真守の足元の床が抜け落ちた。

無限の落下感。視界が回転する。

最後に見たのは、新しいワンカップ酒を開けるジャージ姿の女神の背中だった。

   ◇

「……ってっ!」

ドサリ、という音と共に、真守は柔らかな腐葉土の上に転がった。

体を起こすと、そこは鬱蒼とした森の中だった。

見たこともない巨大なシダ植物。遠くからは、鳥とも獣ともつかない奇妙な鳴き声が聞こえる。

「まじかよ……どうするかねぇ」

真守は作業着のポケットを探る。

奇跡的に、愛飲している『赤マル』の箱とライターは入っていた。

震える手で一本取り出し、火をつける。

深く吸い込み、紫煙を吐き出すと、少しだけ冷静さが戻ってきた。

「えっと、スキルを貰ったんだよな……。スキル発動!」

真守が念じると、目の前の空中に半透明の電子ボードが現れた。

スマホの画面のような、スタイリッシュなUIだ。

「説明書……ヘルプか」

真守はタバコを咥えたまま、虚空に浮かぶ文字を読み上げる。

『ユニークスキル:マイホーム』

『概要:所有者・加藤真守の購入した物件(5LDK・書斎・地下室・ガレージ付き)を任意座標に展開・収納可能』

『機能1:素材変換。魔獣素材や鉱石をガレージに投入することでHPハウジング・ポイントに変換』

『機能2:ポイント交換。HPを消費し、地球の一般家庭にある物品を購入可能』

『機能3:絶対定住圏。展開中、所有者の許可なき者の侵入を物理的・魔術的に遮断する』

「何々……俺の家は異世界転生ボーナス特典で出せる。後はポイント消費、善行、素材交換……」

なるほど、と真守は頷く。

とりあえず、寝る場所には困らないようだ。最強の剣も魔法もないが、あの35年ローンの城が手元にある。

それだけで、少しだけ救われた気がした。

しかし、周囲を見渡す。

木々が生い茂り、地面は凸凹だ。こんな場所にいきなり家を建てても、基礎が安定しないだろうし、何より目立ちすぎる。

「こんな所に無闇に出しても仕方ないな……。やれやれ」

真守はタバコを携帯灰皿に押し込むと、数学教師らしい論理的思考で次の行動を考え始めた。

まずは水場と、平らな土地を探さなければならない。

三節根が入った鞄を担ぎ直し、加藤真守の異世界生活――いや、ローン完済への新たな戦いが幕を開けた。

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