彼女は堕落の道へ進む
試験は終わり、その結果は、明日発表される事になった。
古くから力を持つ貴族として生まれたアメリアは、そもそも試験が免除されている。
既に、A級クラスへの編入が、確定しているのだ。
予定では、眷属としてフラフも連れて行くはずだった。
しかし、フラウは「試験」を受けてしまった。
手を回さねば別のクラスに配置される可能性がある。
いや、それよりも。
脳裏によぎるのは、試験会場での光景。
蜘蛛の亜人に抱かれていた、フラウの姿。
身体の中に、感情が荒れ狂う。
“壊したい”
その想いが、アメリアの胸を焦がしていた。
無垢な笑顔。無抵抗な手。澄んだ瞳。
それが憎らしい。
「蹂躙したい」「染めてしまいたい」
魔に属するものとして当然の欲望が身を焦がす。
だが、心の中にある何かが、その本能を必死に抑え込む。
彼らには本来ない感情。
それは確かに、アメリアの中に発生していた。
愛している。だからこそ――壊したくない。
アメリア自身は気づいていないが、魔族としては堕落した思考である。
フラウが、そっと手を伸ばした。
温かく、小さく、柔らかい指先が、アメリアの頬に触れる。
“あなたは悪くない”
“私は、あなたを怖がらない”
そう言っているようだった。
アメリアは堪えきれず、フラウの胸元に顔を埋めた。
細い腕に、自分の体温を預ける。
けれど――満たされない。
渇きは消えない。狂おしいほどに“もっと”を求めている。
「……そうか……だったら、増やせばいいのよね」
魔術陣が浮かぶ。
術式は〈分身展開式・双影応化〉。
アメリアが持つ高位複製魔術で、自分自身を二体創り出す。
髪の色も、瞳の輝きも、声の響きも、同じ。
けれどそれぞれが、異なる欲を持つ――本能の分割。
「……フラウ……」
正面から抱きしめる本体。
背後から髪に顔を埋める第一の影。
太腿の上に膝をのせ、頬に唇を寄せる第二の影。
「いい匂い……ほんと……甘くて、柔らかくて……」
「ここ……ここが、一番あたたかい……」
「……ああ……ダメになる……あなたに触れてると……」
3人のアメリアが、フラウを囲む。
魔物の巣のように、優しさと熱が交差する。
彼女の肌に指を滑らせる。
冷たいのに、吸いつくような柔らかさ。
胸元、鎖骨、首筋――唇を押し当てたくなる衝動を、額を押しつけることで誤魔化す。
髪を撫でる。指の隙間をすり抜ける淡金の絹。
香りは優しく、どこか懐かしい花のよう。
「好きよ……こんなにも好き……壊したいほどに、好き……」
本体のアメリアが、呟いた。
その声に、複製たちも息を呑む。
そして、3人同時にフラウを強く抱きしめる。
「離れないで……お願い、あなたを守らせて……この衝動が、壊してしまわないうちに……」
フラウは微笑む。
――その笑顔がまた、すべてを赦してくれるから。
アメリアの中の獣が、静かに鳴き止んだ。
欲望を3倍に分散し、3倍に味わうことで、ようやく自分を取り戻した。
だが同時に、確信してしまった。
“たった一人の少女を抱きしめるために、どれだけ自分を増やしても足りない”
その飢えは、決して消えることはない。
それは、魔族である彼女が初めて知った――人間的な愛の渇きだった。