31
この落ちて来た洗濯洗剤ボトルに詰まっていたのが自分が貯えていた徳ではないだろうか?何故洗濯洗剤のボトルなのかは不明だが、私の名前と顔が描かれていたので合っているんじゃないかなあ。
ボトルの底に穴が開いていた事を良い方に捉えれば、洗濯機が満杯で水が溢れ出そうとしていた事も合わせると徳が貯まり過ぎて溢れ出したから。
悪い方に捉えれば貯まっていた徳が自分の行いでマイナスになり使い切ったから、という考えになる。
何事も前向きに捉えるといいので、徳が溢れ出した方を採用していた。
その後に神様と繋がった事を考えても、徳が溢れ出したという解釈でいいような気がする。
他に徳に繋がる行為というと、神棚に毎日お水を上げているくらいだろうか?
これは実家に居た時からの習慣だ。元は私の父が毎日朝から仏壇でお経をあげていた事が切っ掛けだ。早朝に数十分ポクポクチーンとやっていた。その時はうるせえなあ、いい加減にしてくれと思っていた。何せ朝の5時、6時、まだ寝ている時間でこの音で無理やり叩き起こされていたのだ。
その後父が亡くなりお経をあげる人がいなくなった。仏壇の花や水は母が交換していた。父が亡くなった事で県外に出ていて私は実家に戻ってくる事になる。
そしてしばらく経った頃、仏壇に供えてあった水が気になりだした。コップの水が半分以下に減っていたのだ。母は毎日交換していなかったらしい。
それから私が毎日水と線香をあげる事にした。そして仏間の掃除をしだし、年末には神棚の掃除まで始めてしまった。仏間は吹き抜けになっていてその2階部分に神棚が設置されていた。掃除をする時は脚立の1番上に立ってやっと手が届くほど高い所にあった。いつも落ちないかヒヤヒヤしながら掃除していたが、その全てを掃除する事は出来なかった。手が届かなかったのだ。
私は1度始めると辞め時が分からなくなり何でも習慣化してしまう。そういう性格らしい。お墓掃除もその1つだ。
因みに家族が神棚の掃除をしていた姿は1度も見ていない。父でさえもしていなかったので、長年の積もりに積もったホコリで凄い事になっていた。
実家を出て独り暮らしをしている今も、本棚の1番上に簡易な神棚を作り神社で頂いて来たお札とお水、盛塩の話を聞いてからはお塩も一緒に供えている。
そこには実家から持ってきた3体の小さな小坊主人形も飾っている。ちゃんと台座まで付いていて、頬杖をついている子、片肘をついて寝転んでいる子、座禅を組んでいる子と何とも可愛らしい人形だ。頭が丸まっているので小坊主人形だ。
実家を出る時何となく気になって持ってきてしまったのだ。これもご縁の1つかもしれない。
お読みいただきありがとうございました。




