23 無関心の罪
地獄の話をしたのでついでにこの話も付け加えておこうと思う。
極僅かな人しか天国に行けない理由があるのだ。
この世界には法律で決められた罪と言うのがある。罪とまでは言わなくても、大多数の人がしないようにしているマナーと言うものもある。
だが、この世界では罪にならなくても、あの世の世界では罪になる事がある。
それが「無関心の罪」だ。
例え話として出されていたのが障がい者施設の話だ。
自分の住んでいる地域に障がい者施設が建てられる事になった。それを知った住民達の中に反対の声を上げる人がいたそうだ。施設ができたとしても、障害がうつる訳でもないのにだ。
何故か?自分の家族に障がい者がいないから。施設が出来ると助かる人達がいる事に思い至らないから、考えが及ばないから。
反対してないから良いという問題でもないらしい。
何にでも関心を持てと言ってる訳ではないとも話していたが、ではどこまで関心を持てばいいの?自分の住んでいる地域だけ?自分の国だけ?
その範囲については分からない。
私なりの解釈としては、もし道端で困っている人がいたらと考えた。
物を落としたとか、道に迷ったとか何でもいいのだが。そう言う人を見かけたら知らんぷりするのではなく、一言「どうしました?」と声を掛ける事だろうか。
声を掛けた結果相手から断られたりする事もあるだろうが、大事なのは気に掛ける気持ちだろうか。結果どうなるかではなく、自分がどうするかだ。
この話を書こうと思った時、もう1つ話を思い出した。
朝目が覚めた時、または外に出かける前に「今日は人に親切にしよう」と思うと良いそうだ。実際に親切に出来なかったとしても思ってるだけで良いそうだ。
何故いいのか?それはね、人に親切にしようと思っているその気持ちが輝きを放つからだ。人の目から見て輝いているかは分からないだろう。だけど天から見た時、その人だけ輝いて見えるそうだ。
当然、天にいらっしゃる方々だって光っている人がいれば注目するだろう。注目された結果どうなるのかは知らないが、他の人達よりは気にかけてもらえるんではなかろうか?
以前に神様の時間調整という話を書いたと思う。
自分にとってタイミングよく信号が青になったり、電車やバスが来たり、そういう時私は「時間の神様ありがとうございます」と心の中でお礼を言うようにしている。そうすると次も自分にとってタイミングが良い出来事が起こるのだ。
もしずっと赤信号が続いたり、タイミングが合わない事があったとしたら、今時間を調整してもらってるんだな。無理やり動いたら危険な事が待っていたのかもしれないと思うようにしている。
そう考える事で無駄にイライラしなくなるのでお勧めだ。
神様だってお礼を言ってくれる人にはまた良くしてやろうという気になるはずだ。人だってお礼を言われれば気分が良いのだから、神様だってそのはずだ。
お読みいただきありがとうございました。




