前編
グウェンドリンのデビュッタントは、来週に迫っていた。これまでダンスやマナー、立ち居振る舞いなどを厳しく躾けられてきたのだ。あとは当日を迎えればよいだけだ。ドレスも装飾品もじっくり吟味して、リンデル伯爵家の令嬢として恥ずかしくないものを用意している。緊張しながらも、その日を楽しみにしている。
しかし今、目の前にある深紅のドレスは何なのだ。グウェンドリンのベッドに広げて置かれている。こんなドレスは見た覚えがない。デビュッタントは白いドレスと決まっているし、その後の舞踏会でも、こんな色のドレスは好みじゃないから、着るわけがない。なのになぜこれが私の部屋にあるのか?
グウェンドリンは、侍女のマーサを呼んだ。彼女ならこのドレスがここにあるわけを知っているだろう。
「マーサ、このドレスはなぜ私の部屋にあるのかしら? これは私のドレスじゃないわよね?」
「はい。これはお嬢様のドレスではありません。どうしてこんなドレスがここにあるのでしょう?」
マーサも不思議そうに首をかしげている。
「お母さまに聞いてみましょう。もしかしたらお母さまのドレスが間違えてここにあるのかもしれないわ」
マーサが母イモージェンのところに聞きに行った。それにしても素材は高級な良いものを使っているが、ずいぶん昔のデザインである。母の若いころのドレスだろうか。
しばらくするとイモージェンがあわててやってきた。
「このダサいドレス! また出てきたのね! やっと封印したと思っていたのに」
「お母さま、どういうことですか?」
「これはね、我が家に伝わる呪いのドレスなの」
グウェンドリンは一歩後ずさる。
「大丈夫よ。呪いといっても、大したものじゃないわ。私の曾祖母のころ、我が家にすごく病弱な令嬢がいたんですって。彼女はデビュッタントもできずに亡くなったそうなの。それで心残りがあって、ドレスにその魂が宿ったのだそうよ。それ以来、我が家にデビュッタントを迎える令嬢がいると、このドレスが現れるのよ。私のデビュッタントの時も出てきて、とてもうざったかったわ。デザインも好みじゃなかったしね。だから魔術師を呼んで、封印してもらったの。でも年月が経って、封印も解けてしまったのね、きっと」
「どうしたらいいのかしら? 何か私たちに害を加えたりはしないの?」
グウェンドリンは恐る恐る尋ねた。
「その点は大丈夫よ。私も何も影響はなかったもの。ただね、うっとうしいのよ。どうやらドレスを着てほしいらしいの。それで周りをうろうろするの。ドレスが浮かび上がって、始終そばを漂うなんて、わずらわしいでしょう? だから封印したのに……またあの時の魔術師を呼ばないとダメかしら」
確かにそれは嫌だ。まとわりつくドレスなんて、うっとうしいことこの上ない。それにいくら着てほしくても、この古めかしい、時代遅れのドレスを着るのは、恥ずかしい。
「とにかく魔術師を呼んで封印してもらうから、それまでは我慢してちょうだい。慣れれば怖くもないわよ」
そう言ってイモージェンは魔術師への依頼の手紙を書きに自分の部屋に戻って行った。あとには、グウェンドリンと、マーサ、そして呪いのドレスが残された。
「お嬢様、とりあえずこのドレス、クローゼットに入れておきましょうか。ベッドの上だとお嬢様が休めませんし……」
マーサがおっかなびっくりといった様子で、ドレスを手に取りクローゼットにしまった。しかしクローゼットの扉がひとりでに開き、ふわふわと漂うようにこちらへ向かってきた。
「ひえっ!」
マーサは驚いて、腰を抜かした。グウェンドリンも駆け寄って、二人で抱き合う。
「お母さまは、これが平気だったのかしら。うっとうしいだけじゃなくて、怖いわよね、普通」
「奥様は、胆力がおありですから」
残念ながら、グウェンドリンはイモージェンほど豪胆ではない。普通に怖い。気味が悪い。改めて母を尊敬した。
ドレスは、着て欲しそうに周りを漂っている。確かにうっとうしい。
「あなたは、私に着てもらいたいの?」
思わずドレスに聞いてしまった。答えが返ってくるとは思わなかったが、ドレスは、上半身の部分を曲げ、肯定するようにこくこくとうなずいた。
「でもね、デビュッタントのドレスは白と決まっているから、着ることはできないの。そのあとの舞踏会で着て欲しいの?」
ドレスはまたこくこくとうなずく。
「困ったわねぇ。まず私はその色が好きじゃないの。他の色にはなれないの?」
するとドレスは少し考えているような様子をしたあと、ぱっと色を変え、白いドレスになった。
グウェンドリンはちょっと慌てた。
「白に変わったからといって、あなたを着るわけにはいかないわ! だってものすごく流行遅れなんですもの。それにデビュッタントのドレスは、お母さまが用意してくださったものがあるの」
ドレスは、しょんぼりしたように、うなだれてしまった。グウェンドリンは何だか少しかわいそうな気がしてきた。
「あなたをデビュッタントや舞踏会で着ていくことはできないけど、ダンスがしたいのなら、うちの舞踏室で着て踊るくらいなら……」
「お嬢様! そんな約束をしてはいけません! 奥様に聞いてみないと」
「だってなんだか、かわいそうじゃない。それに我が家のご先祖様よ。ひどいことするわけないと思うわ」
ドレスは、こくこくとうなずき、嬉しそうにグウェンドリンの周りを回っている。
「じゃあ、パートナーを探さなくちゃね。お父様か、執事のジョセフがいいわね。家令のフランクは年だから、頼めないわ。マーサ、ちょっとお父様がお手すきかどうか、見てきてくれない? ダンスのお相手をお願いしますって。ダメならジョセフをあたってみて」
「イモージェン様に怒られても知りませんからね」
そう言いながらも、マーサは父の様子を見に行ってくれた。ドレスは嬉しそうにゆらゆら揺れている。きっと病弱だった令嬢は、ダンスを踊ることもあまりなかったのかもしれない。ダンスも結構体力がいるのだ。
しばらくすると、父のエヴァレットが顔を出した。ちなみに父エヴァレットは、リンデル家への入り婿である。夫婦仲は良好だ。ちょっとばかり、イモージェンの方が強くはあるが……
「今さらダンスの練習なんて、どうしたんだい? グウェンドリンは十分上手だと、ダンスの先生からも言われていたじゃないか。……え、えーっ! 何だこれは!」
疑問を口にしながら、途中で浮かんでいるドレスに気が付き、エヴァレットは驚きの声を上げた。
グウェンドリンは、ドレスが現れた経緯とダンスをしたがっているということをエヴァレットに説明した。
「それで私が着て、ダンスをしたら少しはドレスの気も済むんじゃないかと思って。お父様、お相手をして下さらない?」
「グウェンドリンは、優しい子だね。いいよ、私も今日の執務は済ませたから、久しぶりに親子でダンスをしよう」
エヴァレットも娘とのダンスがうれしそうだ。呪いのドレスを着て、舞踏室に行くとエヴァレットが待っていてくれた。マーサがピアノを弾いてくれるようだ。音楽が奏でられ、エヴァレットとワルツを踊る。楽しい、そういった感情がドレスからも伝わってくるようだ。しかしドレスは疲れを知らない。いつまでも踊り続ける。やがてエヴァレットは、疲れてよろよろしだした。
「グ、グウェンドリン……私は、……そろそろ限界だ。すまないが……今日はこの辺で……」
「お父様、お仕事でお疲れのところ、ありがとうございました。どうぞゆっくりお休みになってください。明日は、ジョセフにパートナーになってもらいますわ」
「すまないね。そうしておくれ。ジョセフには言っておくから」
エヴァレットは、よろよろと自室に向かった。
「マーサ、お父様には無理を言って申し訳ないことをしたわ。明日は、ジョセフにお願いしてね」
「お嬢様、明日もダンスをなさるんですか?」
「だって、今日のダンス、ドレスがすごく嬉しそうに跳ねるように踊るのよ。まだ踊り足りないのよ、きっと。数日のことだから、いいじゃない」
そんな話をしているところへ、イモージェンがやってきた。以前依頼した魔術師は、すでに亡くなっていたらしい。その魔術師の弟子からの返事では、自分には呪いのドレスの封印はできそうにないので、他をあたってほしいということだった。
「困ったわねぇ。他にも魔術師を探してみるけど、しばらく我慢してちょうだい。ところで、エヴァレットがよろよろして部屋に戻ってきたけど、どうしたの?」
「お父様と呪いのドレスを着て、ダンスをしましたの。お父様には悪いことをしてしまいました。久しぶりにダンスをしたので、疲れてしまったようですの」
「まぁ、エヴァレットったら。軟弱ね。それとも年なのかしら?」
「お母さま、どうぞお父様を労わって差し上げて。お疲れのようだから」
「わかりました。そのドレスがあまりわがままを言うようなら、燃やしてしまいましょう。私たちにも都合があるのだから、ダンスをねだらないこと。グウェンドリンやパートナーが疲れるまで踊らないこと。この二つ守ってちょうだい。いいですね?」
イモージェンは、ぎろっとドレスを睨むと、そう申しつけた。ドレスは、グウェンドリンの後ろに隠れて、ぶるぶる震えている。お母さま、最強です。




