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八剣士伝承

 時は安永(あんえい)元年。

 世相は盃の水のように揺らぎ、人々の心は麻のように乱れていた。

 不安、憎悪、殺意、怖気、そういった感情は、悪霊を生み出す。

 そうして、但馬(たじま)柳生(やぎゅう)但馬守(たじまのかみ)俊則(としのり)は日夜戦いに明け暮れていた。

 また、彼から剣術を教わる者が二人。

 頑健な身体を誇り、勇武で名を馳せる充盈(じゅうえい)勝敏(かつとし)武西(たけにし)。その弟、技に生きる充盈流徹(るてつ)道邦(みちくに)


 その日は大普賢岳(だいふげんだけ)天ヶ瀬(あまがせ)の峠道で俊則が二人と従者二人を連れて妖怪退治に出た時であった。




 日中に描き出される木々の陰は、月夜の闇によって輪郭を薄れさせ、松明と僅かばかりの月明りの他は何もない。

 山の尾根も見えなくなった今は戦闘に於いて視覚を頼ることなどもできない。

 故に、俊則はただ無謀にも彼らをこの場に連れ出したわけでないと容易に想像できる。

 それは彼らにとっての誇りであると同時に大きな責任感でもあった。

 俊則は重苦しい声で告げる。


「よいか、流徹。我々は印兵在流十字陣いんびょうざいるじゅうじじんという陣形で戦う」

(わたし)が中央に立ち、防御力の高い球磨(くま)が先頭、左右を勝敏と慈英(じえい)が固める。お前は(わたし)の後ろに立つのだ。その立ち位置が一番安全じゃ。安心して戦うと良い」


 厳粛とした顔つきの銀杏髷(いちょうまげ)に立派な大紋(だいもん)を身に纏う男、柳生俊則が、一人の少年の立ち位置を指し示した。

 総髪のもうすぐ二十にもなる少年。彼こそが充盈流徹。服装は明らかにみすぼらしい、寝間着のような、泥で汚れた白茶色の簡素な着物であった。身近な者からは「そのようなお召し物で向かうとは!! 寝間着で剣を振るうなど、うつけにも程がありまするぞ!」との事だったが、「未熟者たる自分には優美たる長裃(ながかみしも)(いくさ)甲冑等は身の丈に合わない」と拒否し、敢えてこうした格好をしている。

 それを、箔押しが施された絢爛なる甲冑に身を包む男が安堵の目で見つめる。

 彼こそが充盈勝敏。流徹の兄である。


 そこに、僧兵然とした大男が助言をした。


「但馬殿、流徹様をこの場に連れてきたのは失敗ではありませぬか? 彼は技は良いが肝心の膂力(りょりょく)や体力に一抹の不安が残る」

「良いのだ、慈英。いずれこの世は戦火に包まれる。今の内に武芸を仕込まねばいずれ破滅のみの道になろう」

「ですが、勝敏様が……」

「良いか、乱世では如何(いか)に強い英雄豪傑であろうと容易く命を散らす」

「だが、そうしたときに如何(どう)するか、その布石をあらかじめ打っておくことがただ一つ我々にできる事じゃ」


 その言葉に、僧兵は食い下がる。


「他に異存はないな?」


 山中を松明で照らすと、七尺もの大きさの妖虫が這っていた。

 他でもない、化生(けしょう)の類だ。


「では、参るぞ!」


 そして、刀を抜いて大地を蹴った。



「これが……柳生新陰流やぎゅうしんかげりゅう!?」


 流徹はごくりと喉を鳴らす。

 無数の妖虫が、夜雀(よすずめ)が、野槌(のづち)が、一刀のもとに切り捨てられる。

 そして、漂うのは血の匂い。

 戦場(いくさば)の臨場感など、つい最近まで味わう事はなかったものだ。泰平(たいへい)の世である江戸に於いて、(いくさ)など、遠い昔話のようであった。

 だが、目の前の光景はそれを否定する。

 流徹はその怖気にも負けず、震える手で刀を握り、目の前の敵へと立ち向かう。

 その相手は月兎(げっと)

 愛玩動物の如き小さな体、そして、くりくりとした赤い瞳。額に三日月模様がある事から、月からやってきたと言われている兎の(あやし)だ。


「流徹、よせ!」


 俊則の制止の声も振り切り、盲目的に刀を振るった。

 こんな弱い妖、叔父上の手を煩わせんとばかりに振るったその剣は、いとも容易くかわされ、代わりに鋭い前歯が眼前に迫る。


「馬鹿なっ!?」


 激しい痛みと共に、左の視界が真っ赤に染まった。


「流徹!!」


 月兎はかわいらしくもどこか血を求めているような赤い目で流徹を捉える。

 何を隠そう、月兎は鋭い前歯で人の頭蓋に穴を開け、脳を喰らうとされている化け物だ。

 追撃が流徹目掛けて飛んでくるが、それは弾かれた。

 パリイッ! 剣と剣がぶつかるような音。

 荘厳な顔つきをした野武士の様な出で立ちの男、球磨。

 彼の刀がその前歯による攻撃を弾いたのだ。


 俊則は咄嗟に判断を下した。


退()けい! 退け退けい!」


 球磨が殿(しんがり)を務めながら、撤退を開始する。



 山裾(やますそ)に戻ると、馬の前で流徹は目を布で覆う。

 暗い中でも、血の滴る音が緊迫感を募らせる。


「流徹、大丈夫か?」

「叔父上……」


 その様子に顔をしかめていた勝敏。

 俊則はそうした状況を鑑みてか、彼の名前を呼ぶ。


「……お主は慈英と共に先に柳生庄(やぎゅうのしょう)に戻っておれい。我々はこの近くの村で夜を明かす」

「……ですが…………」

「ええい、聞こえぬのか!? 先に戻れと申している!」

「は!」


 勝敏と慈英が戻った後、俊則は静かに呟く。


「ここ最近、(もの)()の数が異常だ。何が起きておる」


 球磨が答えた。


「何やら朝廷の方でも慌ただしい動きがあったようです」

「京で何が起きている……よもや一刻の猶予もないようだな」

「と、言いますと?」

「百鬼夜行。今昔物語集などにも載っておる妖怪が列を成してやってくる話だ」

「それは空想の話ではないのか?」

「先ほどの戦闘に関わってそれを言えるとは、お主も大したタマだ」


 そうして雑談を切り上げると、流徹の方へと目を向ける。


「……しかし……」


 二人は左目の傷に注目する。


「これでは武芸の道も立たれてしまった。膂力(りょりょく)に乏しいながらも、正南真熟(まさなみしんじゅく)の剣の名を継ぐにふさわしい技の持ち主になると踏んでいたのだがな」


 その残念そうな声色に、彼は全力で否定した。


「いえ、叔父上! 俺はまだ!」


 その時、俊則は拳を眼前へと突きだす。

 それは寸止めであった。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()に、流徹は全く反応できなかった。


「武芸者にとって、目とは命に等しい。だがな、こうなってしまっては頭を丸めて寺に入るか、早急に討ち死にするかのどちらかとなってしまったわけだ」

「叔父上……」

「案ずるな、勝敏がお前の意思も継いでくれる。この稀代の名刀江弐参號(えのにじゅうさんごう)も失われたお前の未来の分まで、な」


 俊則は懐紙(かいし)を咥え、自らの刀を見せる。

 暗い夜の中であっても光を放ち、若干虹色に輝く不思議な刀を取り出す。刃渡り二尺二寸ほどの居合刀。

 それは、勝敏が全てを継ぐ事となった。

 だが、彼はそれでは納得できなかった。

 力の勝敏、技の流徹と考えていた当初の俊則の考えは崩れ、意志を曲げてしまった自分の失態に、不甲斐なさに、流徹は責を感じていた。



 近くの小村に辿り着くと、一行は英気を養う。

 その時、異国然としており、奇妙な雰囲気を醸し出す女性が近寄ってきた。


「何奴じゃ!」


 球磨が刀に手をかけ、立ち上がる。


「……但馬守で、ございますね?」


 頭を深々と下げるその奇妙な女性に、球磨は恐怖した。


「お、おのれい!」


 刀を抜こうとした彼に、俊則は制止の声を上げる。


「良さぬか、球磨。(わたし)に用があるのだろう。少し席を外していてくれ。流徹の面倒を頼んだぞ」

「は!」


 そういって、二人だけになった。


「そこの女よ、名は何という」

「イヴ青葉(あおば)

「どこの者だ」

「遠い、遥か遠い地の者でございます」

「何の用件か」


 俊則は軽く酒をあおりながら、談笑する気配だったが、青葉の声に顔をしかめた。


「……忠告に参りました」

「忠告だと?」


 空気が変わる。


「勾玉と八剣士の話をご存じでしょうか」

「ああ、あの浮世の法螺話だと存じているが。八徳を持った剣士が蘇って世を救うという」

「あれは……現実のものとなりました」

「なんだと!?」


 盃が割れる。

 だが、すぐに冷静さを取り戻し、思考を巡らせる。妖魔の類の増加と考えるとこの時期での発生は伝承の通りであると。そして、伝承が何某(なにがし)かの事象を由来としているのであれば、元となった人物や出来事は存在するのだという。


「京には現在、信二(しんじ)刀夜子(とうやこ)と名乗る勾玉を持った剣士がいます」

「ですが……彼に気を付けてください」

「気を付けろ……だと?」


 その一言は、俊則に、妙な胸騒ぎを覚えさせた。

 それから、しばらくその宿から灯りが消える事はなかった。

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