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第1話 出会いの塩おにぎり ①

 絶望も二度目なら愛せるだろうか。


 弟が殺されたのだ。他でもない、姉であるこの私の手で。父から絶縁を言い渡され、いま私は果ての国へ追放されている。


 もし奇跡が起きて過去へ戻れたなら――そんな夢ばかり見ている。


「おい、聞いているのか。ユウナ・フォリオ子爵令嬢」


 隣から低い声が落ちてきた。私の監視役であり、この地の辺境伯でもあるオブセルヴィ・ランテルノ。


 彼の整った顔を、私は遠い山並みでも眺めるように見上げた。


「今はただのユウナです、オブセルヴィ様」

「……そうだったな」


 自分の失言に気づいて彼はわずかに肩を落とした。随分と真面目な方なのだろう。


 馬車から冷たい地面へと降ろされる。目の前には古びて傾いた小さな屋敷があった。隙間風がひゅうと吹き抜けていく。


「最低限の家具は揃えてある。生活に困ることはないはずだ」

「ご親切に、どうも」


 屋敷の中は荒れていたが、おそらく彼の気遣いで家具だけは丁寧に整えられていた。


 オブセルヴィ様の眉間に深いしわが刻まれる。彼から滲む心配に、私は気づかないふりをした。


 ポケットからガラスの小瓶を取り出し、栓を抜いて一気に喉へ流し込む。私の舌は味を感じず、液体が冷たく胃に落ちていくだけ。


「そんなものばかり飲むな!」


 オブセルヴィ様が手荒に小瓶を奪い取ってきた。


「ちゃんと食事を摂るんだ。死んで罪を償おうなどと考えるな」

「……口うるさいお母様がもう一人増えたのかと思いました」


 私は一応笑顔をつくる。オブセルヴィ様は瓶を握りしめたまま、怒るでもなく、まっすぐに私を見ていた。


「明日も来る」


 彼はそれだけ言い残して去っていく。扉がパタンと静かに閉まった。馬車の音が遠ざかり、あたりには静寂だけが残る。


 酒さえあればこの体に巣食う痛みを少しは誤魔化せたのに。胸を焦がすアルコールの熱だけが、私という存在を辛うじて繋ぎ止めていた。


 もう、どうでもよかった。


 弟を殺したこの手に、生きる希望を掴む資格など残っていない。私は冷たい椅子に座り、静かに目を閉じた。


 ……グゥゥゥ〜〜〜……。


 静まり返った空間に間の抜けた音が響く。なんとも情けない、人間が生きようとする音。それを耳にしたのは、遠い昔のことのようだった。


 私はゆっくりと立ち上がった。生きる気はない。だが、不法侵入を放置するわけにもいかない。


 音のした方へ向かい、家の奥へと歩き出した。床板がぎぃと軋む。突き当たりにあったのは薄暗いキッチンだった。


 錆びついた鍋が暗がりの中に沈んでいる。私は部屋の真ん中で足を止めた。見回しても誰の姿もない。気のせいだったのだろうか。


 ……ギュゥゥゥ〜〜〜……。


 やはり、誰かいる。


「誰ですか?」


 返事はない。私は足音を殺し、そっと音が聞こえた木箱の裏を覗き込んだ。そこには小さな影が丸まっている。


 前で合わせた服は、遠い海の向こうにあるという日向(ひむ)かしの国のものだ。黒髪の男の子は両手で必死にお腹を押さえていた。


 小さな体を震わせながら、真っ赤な顔をしてこちらをきつく睨みつけてくる。鋭い目だったが、不思議と恐怖は湧かない。


「な、なんやぁ! お前っ!」

(猫みたいです。黒くて、ずいぶん口の悪い……)


 泥のように重い頭で、ぼんやりとそんなことを思った。


「僕の家に勝手に入ってきたらあかん!」


 ここは私の家になる予定だったはずでは?


 男の子は小さな肩を怒らせてまだ威嚇を続ける。私が何も言い返さないでいると、戸惑ったように首を傾げた。


「んん?」


 険しさが潮のように引き、男の子はおずおずと私の方へ近づいてくる。


「お姉ちゃん、大丈夫? どっか痛いん? 顔、真っ白やで……?」


 さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。純粋な心配の色が紫の瞳に浮かんでいる。


「放っておいてください。私はもうすぐ死ぬつもりですから」

「そんなん、あかん!」


 男の子は激しく首を横に振った。衣服の袖を細い腕までたくし上げて、誇らしげに語る。


「僕なぁ、レイっていうねん! お姉ちゃんのために、お料理つくってあげるわ!」


 レイと名乗る男の子は勝手知ったる様子でキッチンの奥へ、トテトテと駆けていった。私はその背中を止める気力もないまま、見送ることしかできない。


 私はなにもかもに疲れてしまって、力なく目を閉じた。


 小さな踏み台を、よいしょよいしょと引きずる音が聞こえてくる。それから水を汲む音。シャカ、シャカと、何かを一定のリズムで研ぐような音が続いた。


 しばらくすると、パチパチと薪の爆ぜる音が聞こえてくる。


「……っ」


 私は思わず小さく息を吸った。この国では一度も嗅いだことのない、微かに甘さを感じる温かい匂いが漂ってくる。


「お待たせ!」


 トトト、と軽い足音がこちらへ近づいてきた。目を開けると顔を煤で真っ黒に汚し、ボウルをもったレイが立っている。


「いらない。私はもう、何もいらないんですよ」


 レイは私の言葉を意に介さなかった。生きることを手放す私にこの温かさは必要ないのに。


「おにぎり、握ったる。これ食べたら元気出るから」


 レイは小さな手を一生懸命に動かした。きゅっ、きゅっと不器用にオニギリとやらを押し固める音だけが聞こえる。


 彼の小さな手元を見ていると胸がざわついた。私の記憶にある小さな手が重なる。


 思い出したくもない。かつて私が愛し、そして私の手で最期を迎えた弟。


『お姉ちゃん!』


 弟の声が耳の奥で反響する。頭が割れるように痛くて、息が、上手く、吸えない――。


「お姉ちゃん、できたで!」


 差し出されたオニギリという食べ物はお世辞にも綺麗とは言えなかった。力加減が掴めなかったのか、形は歪でところどころ、ぽろぽろと崩れかけている。


 私は震える手で、ただ塩を振っただけであろう白い塊を受け取った。拒むことだってできたはずなのに、私の手はオニギリをゆっくりと口元へ運ぶ。


 感覚を失った舌に強烈な味が広がった。口の中で塊が崩れ、べちゃべちゃとした食感が襲う。塩が固まっているのか、ものすごく塩辛い。


 喉の奥が締め付けられて上手く飲み込めなかった。レイが振ってくれた塩の味なのか、それとも自分の目から溢れて止まらない涙の味なのか。


 ただひたすらにしょっぱくて、温かかった。


「お、美味しくなかった?」


 レイが不安そうに大きな瞳を揺らす。


 奥のキッチンに目をやると、ひっくり返った瓶から塩が四方へ散乱している光景がみえた。床にはオニギリだったものが真珠のように転がっている。


 幼子が全力で料理をした爪痕がそこにあった。


 お腹なんてこれっぽっちも減っていなかったけれど、オニギリを何度も咀嚼して最後の一粒まで必死に飲み込んだ。


「とっても美味しいですよ」


 私は精一杯の微笑みを浮かべた。レイはぱあっと顔を輝かせる。


「お姉ちゃん、元気になってよかった!」


 あまりの健気さと愛らしさに、倒れてしまいそう。私は愛おしさが抑えきれなくなり、レイの小さな体を軽々と抱き上げた。


「私はユウナ。ありがとうございます、小さい天才料理人さん」

「わぁーい! 僕、天才料理人やぁ」


 レイは私の首に腕を回し、無邪気な声をあげて喜ぶ。腕に重みと温もりを感じているとレイは「あ!」と声をあげた。


「お父さんにもおにぎり食べさせてあげなぁ」

「お父様がいるんですか? どこに?」

「こっちこっち!」


 抱き上げていたレイを下ろす。彼は私の手を引いて二階へと案内してくれた。私は突き当たりの扉をゆっくりと開ける。


 そこにいたのは、人間でもなんでもなかった。

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