プロローグ
「――――ここがカタコンベですか…」
テレビの音声に混ざって冷蔵庫を閉める音と足音が、そっと耳を掠めた。
誰もいないと思っていた我が家に誰かいる。そう思ったら手足が震えだしていた。
両親は今出かけている今、家には自分ひとりしかいない。後ろを振り返って確認した方がいいか逡巡した。
数瞬、もうひとりいたことを思い出す。
もしかしたら違うかも知れないという懸念が、まだ幼い自分の脳裏を掠めるが、何が危ないかなんて想像力は持ち合わせていなかっただろう。ただ恐い何かという認識だけがひとり歩きしているようなものだ。
いつも居るかいないか分からないその人のことを思い浮かべたら、また変に息を呑んだ。
もう随分と言葉を交わしていなかった。またどこかへ消えるのだろうとも思った。しかし今日は、それも束の間に足音はすぐ止まり、そして、ゆっくり近づいてきた。
徐々に足音が大きくなるのが分かる。
どうしてこっちへ来るのだろう。
また昔みたいに――――なんて、こともなく滉大の思いとは裏腹にその人はソファに腰をおろした。
ふたり分のスペースを空けたところで一言も喋ることもなく静かに、足を組んだ膝上に頬杖をついて、他からの干渉を拒むかのようにジッと表情を変えずに、視線はテレビに向けられていた。
マンションの一室にある白い壁とフローリングで囲まれた空間に、テレビの音以外に聴こえてくるものなんて、この時には他になかった。その静けさの中で永遠といっても差し支えないぐらいの感覚が、息を詰まらせるほどに渦を巻いているようだった。
久しぶりに見た兄の姿は、ちょうど外から帰ってきたのか、それともこれから外へ行くのか、パーカーを羽織った外行きの服装をしていた。痩せていて、意外と身体は柔らかいんだと思った。
何か気になる情報でもあったのだろうか。
あまりにも自然に座り込んできた姿に、ゆっくり静かに、気取られないように滉大は唾を飲みこんだ。何気ない素振りをしながらテレビに視線を向けて、たまに隣をチラッと覗いた。
何も話さなくなった兄が隣にすわっている。最近はこうして出会うこともなかったのに。
「――――本当にただ眠っているような、それでも一〇〇年近くこのままなんですよね…」
テレビに映る男の人が、薄暗い地下でなにかを話していた。
不意に入ってきたその声に、それまでの記憶がまったくない。そのせいで自分が何を見ているのかまるで分からなくなっていた。
テレビを見ているのか、それとも兄なのか。なにかのバラエティーだったのは確かだが…。
ここで何か話しかけたり、飲み物とか食べ物を持ってくるべきであったのであろうかと、また逡巡した。この時の番組についてはほとんど覚えていないけど、あれこれと考えていたことだけは不思議と覚えている。
結局、黙したままテレビ画面を見つめているだけだった。久しぶりに話しかけられる機会だったのに、思考に蓋をして、見て見ぬふりをしてその場をやり過ごしただけだった。
窓からはいる雲ひとつない綺麗な青い空を背景にして、そんな兄に影を作って記憶を朧げにした。
まだ小学生の頃の、ある晴れた春の日のことだった。




