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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第43話 掃除と、服と、交換条件と、約束。

202X年、7月上旬 朝


 家政夫として雇われた翌日、朝。

 合鍵でヒカリさんの部屋の扉を開いた瞬間、俺は一歩、たじろいだ。


「……すっげぇ」

 玄関からアトリエまで、布、布、布。紙、紙、紙。紙、紙、紙。靴。


 …あの人、コレ、布の山の中で寝てる?もしかして。


「あれ?タマキくん来た?入っていいわよー」


 あ、起きてる。

 というか、この感じ徹夜だな。


「あの人は、ホンット…」

 溜息を吐きつつ、靴を…一瞬だけ悩んだ後、脱いで奥に向かう。

 針踏んだら終わりだな。


「……なんといいますか」


 服のパーツ、裁ちかけの型紙、プリントアウトされた資料、謎のボタンの山、靴の山、糸、雑誌、商談の付箋、スケッチ、栄養ドリンク、カップ麺、菓子パンの袋、紙コップ、コンビニの袋。

 床のどこかに“床”がいるはずだが見えない。


 唯一きちんとしているのは、机の上だけだ。

 そこだけ、びっくりするほど綺麗。


 うん、まあ、描く場所だけは確保してるのをかっこいいと思ってしまったのでダメかも。


「寝てないですね、ヒカリさん」

「うーん、多分ちょっと寝たと思う」

「それは寝たのではなく、気絶と言います」

 

 うわ、寝室も同じ有様だ。

 これじゃ寝れないわけだ。


「………生活できるようにします」

「おねがいー」

「仕事のものには手を付けないようにします。捨てるか悩んだものはお伺いしますので、買ってきた朝食を食べながら座っててください」

「わーい」


 とりあえず、ゴミ袋を広げる。

 深呼吸一回。

 動線確保。生地は種別ごとに分け、足元の紙袋はすべて裏返して成形、靴は両壁に寄せて並べ、同型はヒールの高さ順。

 紙類はアイデアの種と決着済みに大別。迷子の道具は箱へ避難。

 洗濯カゴは二つ。仕事用のものと、部屋で着るものに分ける。

 もう下着を見ないようにすることは諦めた。


「このメモは?」

「それ大事。新しいパターンのラフ」

「この布の端切れは?」

「それも大事。配色のテストピース」

「この空のカップは?」

「それはいらない。気づいたら増える」

「ですよね」


 一定リズムで、床から物が減っていく。


「おお、ベッドが見えてきた」

 感動してしまった。

 掃除の合間に、ヒカリさんが椅子から声をかけてくる。


「ごめんね、ほんと」

「いいですよ。こういう光景嫌いじゃないですし。

 ……ただ、ピンはマジで床に落とさないでください。刺さったら洒落にならないので」

「それは同意。私も痛いのは嫌」


 笑ったあと、ヒカリさんがふっと真顔になる。


「で。――掃除してくれる代わりに、何か言いたい顔してる」

「顔に出てましたか」

「出てた。“お願いがありますって顔”」


 さすがというか、なんというか。


「……お願いがあるんです」


「わかったわ。貸し、ひとつね♡」

 即答。


「せめて、内容聞いてから言ってくれません?」

「ふふふ、タマキくんになんでも言うこと聞かせるチャンス♡」

「俺は今悪魔に魂を売っている?」

「そ、れ、で?」

「……マシロ先輩が、“服を作る仕事”に興味が出たって。

 マヨイ先輩は、“モデルの仕事をもっと知りたい”って」

「……私の、ショーの後からかしら?」

「はい。とても、素敵な経験でしたから」

「…………嬉しいわね」

「歩くのも楽しかったけど、“楽しい”を生む側やってみたいって――マシロ先輩は。

 マヨイ先輩は、“あの静止の意味を、もっとちゃんと知りたい”って言ってて」


 呼吸がひとつ、深くなる。


「もちろん、あの人たちの意思次第ですし、迷惑ならやめてください。

 “ショーでたまたま一回”で終わるのが、普通だと思っています。

 ただ、もし“やってみたい”って気持ちが本物なら、

 中途半端に火を煽ったまま、放置するのは、嫌だなと思って」


 ヒカリさんは、しばらく何も言わなかった。

 机に肘をつき、ペンをくるくる回す。


「だから、その……」


 掃除道具を持ったまま、背筋を伸ばす。


「ヒカリさんの時間が許す範囲で、で構わないので。

 二人に、何か“きっかけ”をもらえませんか」


「きっかけ?」


「マシロ先輩には、例えば専門学校の選び方とかでしょうか。

 マヨイ先輩には、モデルの現場や、プロの人に話を聞く機会とか」

 言ってから、自分で少し恥ずかしくなる。


「……偉そうなこと言ってすみません」


 けれどヒカリさんは、笑わなかった。


「偉そう、じゃないよ」


 ペンの回転が止まる。


「ていうかね」


 椅子の向きをこちらに変え、足を組み替える。

 プロとしての顔に、悪戯の色が少し混ざる。


「――とっくに動いてるけど?」


「え」


「学校祭の件で大学側と話す時に“もし条件が合えば、双子をインターンみたいに預かる案”ってもう出してる」

「こんなに早く?」

「ショーのあと、会社でも話題になってたの。『あの学生二人、すごくよかった』って」

「ですよね」

「そう言えるあたりが、もうね」

 彼女はくすっと笑ってから、真面目に続ける。


「マシロちゃんは“素材”としてもいいけど“作る側の目”も持ってる。服の線を見るときの反応が、完全にそっち。

 マヨイちゃんは、あれは完全に“モデルの呼吸”よ。怖がりながらも、怖さを正面から抱えて止まれる。それは訓練ではどうにもならない種類の才能」

「……そう、なんですね」

「だから、あなたの“お願い”は、既に書類上半分くらい通ってる」

「じゃあ俺、無駄なことしました?」

 あー、もう。これだからホント俺空回りばっかり。

 嫌になる。


「ああ、落ち込まないで。二人には秘密にしておいてあげるから」

「お願いします……」

「タマキくん、あなた、自分が思っている以上に、今ちゃんと歩いたわよ」

「?」

 ヒカリさんがすごく嬉しそうな顔してる。

 なんだ?

 別に俺歩いてないけど……


「ただし」

「はい」

「本人たちが意思を示したら、っていうのが大前提ね」

「あ、それはむしろこちらからお願いしたいです」

「声はかけてあげる。でも、それで手を伸ばしてこなければそこでおしまい」

 そう言って、にっと笑う。


「マシロちゃんには、うちのパタンナーとデザイナーの現場を見せる。

 デザイン画を描くことだけじゃなくて、生地選びとか、仕立てとか、縫製工場とのやり取りとか、現実全部。

 “楽しい”の裏側にある“めんどくさい”も含めて教える」


「……はい」


「マヨイちゃんには、信頼できるモデル事務所の知り合いを紹介する。

 ウォーキングの基礎も、ポージングも、現場でのマナーも。

 ただし、そこは私じゃなくて現役のプロに任せるわ」


 ひとつひとつ、段取りを並べていく。

 そこで、指がピタリと止まり、目だけこちらを向いた。


「交換条件」

「……来ますよね、そういうの」

 まあ、ですよね。


「条件その一」


「はい」


「学校祭まで、“私の生活”を助けなさい。週一以上、できれば二回。

 掃除、洗濯、食事、強制睡眠。――観葉植物の水やりも忘れずに」

「観葉植物、そんなに不安ですか」

「すぐ枯れそうな顔してるのよ、あの子」

「わかりました。枯らさない方向で」

「よろしい」

「あと、回復行為としてのハグ」

「……検討します」

「それでいい。交渉成立」


 頷いてから、指を二本目立てる。


「それから」


 少しだけ、声の高さが下がる。


「仕事落ち着いたら――デートしよ?」


 笑ってない笑顔。


「はい。約束します」


「よろしい♡」


 安堵の息。

 この人、普段軽いくせに、大事な場面だけ言葉が真っ直ぐだ。


「で、学校祭までってことは?」

「そう、その話」


 ヒカリさんは机の上のファイルを一冊引き抜いた。

 表紙には、大学のロゴと、「最北大学学校祭 企画案」の文字。


「大学のほうから正式に、うちの会社に打診が来た」

「会社から売り込みじゃなくて、大学から来たんですか」

「そう。こっちも水面下でちょっとだけ布石は打ってたけど、それはそれ。

 『先日、御社のショーでうちに所属する学生さんが歩いたと伺いまして』って」


「……マシロ先輩とマヨイ先輩の噂、思ったより広がってるんですね」


「写真も回ってるしね。来週くらいに出る雑誌にも載ってるわよ。

 で、“もし学校側の許可が出るなら、学内で特別ショーをやりませんか”ってこっちから逆提案したわけ」

「なるほど。流石に舞台は簡易版ですよね?」

「当然。学生が安全に出来るレベルのものに調整する」

 肩をすくめてから、真面目な顔に戻る。


「今のところ、感触は悪くない。

 で――その“学校側における学生担当者の窓口”」

「……嫌な予感がします」

「タマキくんって聞いた」

「ですよねー!!」

 頭を抱えた。


「聞いてたの?」

「リン先輩から、仮の仮だと」

「大学側からも『学生の窓口、彼なら安心ですね』って言われたわよ?」

「誰ですかそんな悪い風評流したの」

「“悪い”じゃなくて“優秀な”でしょ、そこ」

「コウメイ先輩と勘違いしてません?」

「それに、うちとしても“顔のわかる担当者”が一人いると助かるの」

「……まあ、それはそうなんでしょうけど」

「だから、窓口よろしくね、タマキくん。

 外部との調整、先生方との根回し、会場の図面、導線、ボランティアの配置、タイムテーブル、全部“両方の言語”で翻訳しながら進めなきゃいけない」

「マジすか」

「あなた、もともとそういう役割でしょ?」

 なんだかんだで――嫌いじゃない仕事だ。


「でも、やるんでしょ?」

 視線で追い詰めてくる。


「――やりますよ。あー、“やる”って言っちゃったー」

 頭を抱えるしかない。


 笑い合う。

 アトリエの空気が、少しだけ軽くなる。



 気付けば、昼時を過ぎていた。

 床は、さっきよりもだいぶ“床”になっている。

 ベッドも、ベッドとしての面積を取り戻していた。


「今日はこのくらいにしときましょう。また近日来ます」

「そうね。……ありがとう、タマキくんじゃあお礼の――」

「キスはしません」

「言ってない、言ってない。ハグ」


 両手が、わずかに広がる。

 ため息の代わりに、腕をゆるく回す。

 昼の光の中のハグは、夜よりも素直だ。


 ヒカリさんが、少しだけ真面目な声で言う。

「倒れたくなったら、また背中貸してね」

「……その前に寝てください」

「検討しとく」

 検討だけで済ませる気だ。


 玄関で靴を履きながら、ふと振り返る。

「ヒカリさん」

「なぁに」

「また来ていいですか?」

「待ってる」

 即答だった。


「私も、また呼ぶから」

 ドアが閉まる瞬間、彼女の声が聞こえた気がした。



「……デートかぁ」

 誰にも聞こえない声で呟いて、自分で自分に小さく苦笑する。


 学校祭まで、あと三ヶ月ちょっと。

 ――覚悟しておこう。

 倒れるなら、夜に。立つべき場所では、立っていられるように。

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