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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第39話 とあるバーにおける6月の終わり

202X年、6月30日 夜


 六月が終わる夜は、どこか“区切り”の匂いがする。

 俺は更衣室でシャツと黒エプロンに着替え、手を洗い、氷を見て、砕き具合を指先で確かめる。

 いつもどおりのバイト。六月の締めの夜。


 …ヒカリさんに貰ったままのタグはバイト用シャツの胸ポケットにいつも入れている。


 最初の客は、一番窓際の定位置を選ぶ人――OLさん(仮)。

 落ち着いた紺のワンピースに、紙袋がひとつ。「いつもの」を合図みたいに視線で告げる。

 続いて、カズネが顔だけ覗かせてから、ぴょこんと入ってきた。


「こんばんはぁ!

 ……はぁ、涼しい……しあわせ……」


 カウンターに頬をつけそうな勢い。

 その数分後、マシロ先輩とマヨイ先輩が並んで来る。

 四人がそれぞれの速度で、六月の終わりを持ち込む。


「……あのね」

 マシロ先輩が、氷の音に紛れるくらいの声で言い出した。

「わたしさ、服“作るほう”に興味出てきちゃった」


「素敵ですね」


「歩くのも楽しかったけど、“楽しい”を生む側、のほう。……お姉ちゃんの背中、見てたら、そっちもやりたい!って」

 言いながら目尻が明るい。


「ふふ。マシロ、良い顔してる」

 マヨイ先輩が隣でうなずく。

「私は、逆に……“モデル”の仕事、もう少し知りたい。歩くこと、受け止めること。あの日の“静止”の意味を、もっと」

 静かな声。けれど芯の温度は高い。


「私もまた見てみたいですね」

 いや、ホントに二人とも素敵な話だと思う。


 OLさん(仮)がグラスを傾け、横目で微笑む。

「どちらも“やってみたい”って言えるうちが、いちばん贅沢よ。

 気がついたら、“やらなきゃいけないこと”ばかりになるからね」


 カズネがすかさず手を挙げる。

「じゃあ私は、二人のドキュメンタリー記事を書いてPVを稼ぎます!」

「記者になるのですか?」

「なんでも屋さんです!」

 また笑いが広がる。六月の終わりは、人をやわらかくする。


 そのときだ。

 マスターが、ふとこちらへ顎をしゃくった。


「……バイト君」

「はい」

「カクテル、作ってみなさい」


 空気が一拍、深くなる。

 聞き間違いじゃない。

 “初めて、客に出すものを公式に作らせてもらえる”――その言葉の重さが、胸にちいさく落ちた。


「何を」

「自分で選びなさい。ただし――“タマキくん”の責任で」

 “バイト君”ではなく、ゆっくり区切った呼び名。


 逃げ道は用意されていない種類の優しさ。

 深呼吸一回。氷のバットが自分の緊張を映す。


 なにを作る。

 六月の終わり。始まりの余韻。

 目の端で、マシロ先輩がこちらを見ている。視線は素直だ。

 決めた。


 みんなが見ている。

 カズネは期待で身をふわふわ揺らし、OLさん(仮)は面白がって頬杖。

 マシロ先輩は笑いを飲み込み、マヨイ先輩は息を整えている。


 氷を入れる。酒を注ぐ。シロップ、ライム。

 金属の冷たさが手のひらをまっすぐ冷却して、余計な力を抜かせる。


 シェイク。

 最初は小さく、次に大きく、最後は音を聴く。

 氷の角が丸くなる手前で、収める。


 ストレーナーを重ね、よく冷やしたカクテルグラスへ。

 光がひと筋、滑り降りる。

 ダイキリ――白い刃みたいな、夏の前口上。


 受け皿を添えて、カウンター越しに置く。

 差し出す先は、決めてある。


「――どうぞ」


「えっ……わたしに!?」

 マシロ先輩の目が、ぱっと丸くなる。


「ええ。……私の“初めて”を、受け取ってもらえませんか?」

 言ってから、耳が熱い。

 胸ポケットの内側で、金糸のタグがちいさく熱を持つ――そんな気がした。


 マシロ先輩は一拍だけ驚いた顔をして、すぐに、あの“ステージの朝の顔”に切り替える。

「ふふっ、じゃあ、もらおうかな!」

 グラスの縁に唇を寄せる。


 ひと口。


 瞳が細くなり、喉がすこし動く。


 それから、満足そうに笑った。


「……おいしい。“元気”になる」


 たぶん褒めすぎだ。


 けれど、嬉しい。


 横でマスターが、息をひとつだけ置く。


「ふぅん……」

 

 マスターがグラスの高さを確かめるみたいに眺め、すこしだけ口角を上げた。


「――まぁまぁね、“タマキくん”」


「…………ありがとうございます」


 “バイト君”から“タマキくん”に。

 たぶん、この店の辞書でけっこう大きい差分。



 その空気を面白がるみたいに、OLさん(仮)がグラスを指で叩いた。

「ふふっ、じゃあ、私も“タマキくん”指名でカクテル、貰おうかしら」

「承りました」


 マヨイ先輩が、おずおずと手を挙げる。

「わ、わたしも……お願い、できますか」

「もちろんです」


 カズネは全身で跳ねる。

「センパイ!センパイ! 私はかわいいのお願いしますね♡ ピンク! 泡! 笑顔!」

「笑顔は自前でお願いします」


 ひとつごとに、氷の音が六月の終わりを刻む。

 注ぐたび、小さな拍手。

 OLさん(仮)は「機嫌直った」と笑い、マヨイ先輩は両手でグラスを包んで「……優しい味」と呟き、カズネは「ふぅぅぅ!」と語彙をどこかに置いてきた。


 “いつもどおり”の手順の中に、初めてが混ざりはじめる。

 視界の端で、マスターがほんの少しだけ顎を引き、“続けなさい”と目で言った。


 六月が、静かに降りていく。

 氷の角が丸くなるみたいに、夜の角も丸くなる。

 誰も大きな声を出さないけれど、“楽しかった”がカウンターの木目に染み込んでいく。


「――お会計」

 OLさん(仮)が立ち上がり、会計を済ませて微笑む。

「次は七月。夏の顔、見せてね、“タマキくん”」

「はい。……がんばります」


 扉が閉まる。鈴がひとつ鳴る。

 店内の温度が半歩、やわらぐ。


「さて、今夜は日を跨ぐ前に帰りなさい」


 日を跨ぐ前に。

 その言い方に、少しだけ引っかかりを覚える。


「……言いましたっけ、私?」

 思わず口をついて出る。

 マスターは、薄く笑った――ような、気がした。


「履歴書、出したでしょ」

「あ」


 履歴書って、ちゃんと読まれてるんだな……


 カズネが首を傾げる。

「なになに? 何かあるんですか?」


 別に隠すことでもないが、口を開くより早く、マヨイ先輩が、少しだけ口元を緩めて言う。


「あ、明日になれば、わかるよ」

「あー!! そうだったね、お姉ちゃん、準備してたもんね、もごもご」

「ま、マシロ!」

「んーっ!」

 マシロ先輩が、口を滑らせかけたところを、横からマヨイ先輩に口を塞がれている。

 見ているのも面白いのだが、うん。


「あー、なんとなくわかりました!けど黙ってます!」

 カズネも気づいたらしい。

 せっかく気を遣ってくれたのだ、俺も黙っていよう。


「では、すみませんが、今日は帰りますね」


 エプロンを外しながら、胸ポケットに触れる。

 黒地に金糸のタグ――Hikari。

 ひとりにしない印。仲間印。


 六月の間、胸の内側で何度も熱くなった小さな布切れは、今夜も静かにそこにある。


 マシロ先輩が小さく手を振ってくる。

「タマキくん、ありがとー。初めて、もらっちゃった」

「内緒でお願いしますね」

「内緒♡」


 マヨイ先輩が少し赤い顔のまま、声をかけてくれる。

「お、おやすみ、また明日ね」

「はい、また明日。おやすみなさい」


 カズネが、わかってますよ!と言わんばかりに笑顔を向けてくる。

「お疲れさまでした!」

「カズネさんもお疲れ様です、ちゃんと休んでくださいね」


 マスターは視線だけ向けてくる。

 改めて一礼し、扉を開け、更衣室に向かう。


 指先のわずかな震えがまだ残ってるのを自覚する。

 でも、その震えが悪くない。


 六月の終わりに、ここで初めて“客に出す”をやらせてもらえたこと。

 “見ているだけ”だった場所で、やっと一歩だけ前に出たこと。

 『怖いのは、“ちゃんとやる”から。』――そう教えてくれた人の顔を思い出す。


 今日は少しだけ早く帰る。

 ありがとう、六月。

 よろしくな、七月。

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