第37話 日常は、光のあとにやってくる
202X年、6月下旬 夕方
午後四時過ぎ。
紙とインクと、少し冷めたコーヒーの匂い。
大卓上のホワイトボードには、消し跡の下からまだ「学内夏祭り」の文字が透けている。
昨日の予定も半分消し切れずに残っていて、机の上には差し入れのクッキーと、ストレッチポール。
――が、当然話題は昨夜のショーについてだ。
マシロ先輩とマヨイ先輩が質問責めにあっている。
「ねぇねぇ!昨日の写真、ネットに上がってるやつもう見ました!?」
カズネがスマホを掲げ、ぐるりと回る。
「見たー!」
とマシロ先輩。けれどいつものテンションより半歩控えめで、笑うと目尻だけがほどける。
「……わ、私は、見た。恥ずかしいけど、嬉しい」
マヨイ先輩は言いながら、のど元に手を添えた。
昨日の黒の呼吸が、まだそこに残っているように。
「――うちのお父さんもお母さんも舞い上がっちゃって、『どの雑誌社を買えばいい!?』とか『ブランドを作るか!』とか言い出しちゃって」
「……私は止めたんだけど」
先輩達が実家の話をしているが、
…なんか今日本語おかしくなかったか?
「いや待て、“雑誌”じゃなくて“雑誌社”って言わなかったか?」
「ブランド“作る”ってスケール感おかしくない?」
「……あの二人の、ご実家、何者?」
あ、やっぱり?
イズミやシンジ、ナツキもこそこそ言ってる。
「センパイたちの実家って、もしかして凄いお金持ちとか……?」
あ、カズネが突っ込んだ。
「ふ、普通……だよ? 多分……」
マヨイ先輩が視線を泳がせる。“普通”の幅は人によって違う。
机の斜め向こう、カオル先輩がニヤニヤと雑誌をめくった。
「“普通”がいちばん信用ならない言葉なのよねぇ」
なんか知ってんな、あの人。
まあ、それも含めていつもどおりか。
「おう、ショーの関係でいいニュースがあるぞ。
10月の学校祭に、特別招待枠として、ファッションショーって話が打診来てる」
「おおお~」
リン先輩のニュースに皆が反応する。
「元々、ヒカリさんのいる会社から打診はあったらしい。
大学側としては、今回のショーの反響次第ってところと、うちの生徒が出ていたってところが大きいらしいな」
「例年なら、芸人さんとか芸能人の方を呼んでる枠だからね。予算も付くけど…大変よ」
コウメイ先輩とカオル先輩が事情を補足する。
……あ、やべ。目が合った、嫌な予感がする。
「というわけで、仮の仮段階だが、基本の窓口は、タマキな」
「なんで俺が。もっと適切な人いるでしょう」
反抗してみる。多分ムダ。
無視してホワイトボードに、VIP枠担当:タマキ(仮)と書かれた。
諦めよう。
まあ、未だ三か月も先の話だ。
「いいじゃねぇか、大人しく担当しとけ。昨日、泣いてたらしいじゃねぇか」
「……アキハとカズネが言いましたね」
「泣けるものは泣いとけ。お前、最近ちょっと格好つけすぎ」
コウメイ先輩も眼鏡の奥で笑う。
「お前がいなかったら、あの二人はあそこまで伸びてなかった。誇っていい」
「……頑張ったのはマシロ先輩とマヨイ先輩です。俺は何もしてません」
「はい、出た」
丸めた雑誌で頭をパシンと叩かれる。
「人の努力も、自分の関わりも、認めろ。以上」
「リン先輩、こないだ丸めた新聞紙で壁に穴開けたって聞いたんですけど」
「壁じゃねぇ、思い切り突いたら中央ローンの木に穴開けて怒られただけだ」
俺、雑誌で殴られて死ぬかも。
「甘えた言い訳してっと、いつまでも愚図だぞ?」
コウメイ先輩が続く。
「“自分は何もしてない”は最も無責任な言葉だ。受け止めるやつが座ってるから、前の人間は走れる。忘れるな」
「……すみません」
「謝るな、と言っている」
「……はい」
説教というより、確認。
背筋が伸びる。
「ま、褒めてるんだよ。顔上げろ」
リン先輩に肩を掴んで揺さぶられる。
アキハが「ほら、怒られた」って目で見てる。
もう勘弁してください。
◇
そんな感じで、ショーの余韻冷めやらぬ部室に、メグミがバインダーを抱えてひょこりと顔を出した。
「タマキ先輩~、あの、鬼スケジュールっぽいの終わったところすみませんが、見てほしいです~」
「ん?」
差し出されたのは、分厚い計画書。表紙に大きく『“縁の交差点” 計画書(案Ver7)』。
「大人に出すのって、こんなに大変なんですね~。前回見てもらったところは直したはずです~」
「お、出来たか。おつかれ、頑張ったな」
「徹夜はしてないです~。でも、頑張りました~」
書類を片手で受け取りながら、もう片方の手が自然に――メグミの頭を、ぽん、と撫でていた。
空気が、一瞬止まる。
「「あっ……」」
同期も先輩も一年も、同じ声になるの、やめてくれ。
慌てて手を引っ込める。
「すまん、メグミ」
「ん~?」
メグミは一瞬だけ目を丸くして、次の瞬間には、いつものゆるい笑顔。
「タマキ先輩なら、悪い意味無さそうなんで、べつにいいっすよ~。むしろ、もっと撫でます?」
ぱた、と頭を差し出してくる。
最初に挙手してきたのはカズネだ。
「私もその書類いっしょに作ったんで、撫でてください!」
「作ってないけど、私も!!」
マシロ先輩までが手を挙げる。
「ま、マシロ!?」
マヨイ先輩のツッコミが裏返る。
「じゃあお姉ちゃんも――」「わ、私は……順番、最後で」
「つ、作った人が撫でて貰えるなら私もやってます」
フユミまで主張するんかい、珍しい。
アキハがパン、と手を鳴らした。
「ほら、はい解散。撫でられ渋滞、終了――メグミ、提出手順は後で詰めるわよ」
「は~い」
室温が一段落ちる。いつもの部室が戻ってくる。俺の心拍も戻ってこい。
「で、書類。見る」
書類の表紙――『企画案:縁の交差点』。春合宿以降、何度も机を囲んで詰めてきたやつだ。校内の“人の流れ”を、出会いと再会が生まれる“交差点”に設計していく。案内、休憩、救護、SNS、写真、音。全部を一本の糸にする。メグミとカズネ、フユミが一生懸命に作っているのがよくわかる。言葉が柔らかく、実務が堅くなった。
「ちょっと読むから待ってて」
「はい~」
メグミの返事は、いつもより半音高い。
撫でろの列から外れ、机に向かう姿勢が良い。可愛い。
書類に赤を入れていると…あ、ここ書いたのカズネだな、スマホが震えた。
フユミからだ。
ふと顔を上げてフユミの側を見ると、明らかに不貞腐れている。
感情を表に出している。いい傾向だ。
《時間に余裕が出来たなら、明日、ケーキ、行きませんか》
《約束、してくれましたよね》
明らかに機嫌が悪い。
よくない傾向だ。主に俺の命に。
《明日、行こう》
即既読。返信が来た。
《明日の15:00でどうですか》
スタンプは拗ね顔。
実物をチラリと見ても拗ね顔。
多分、ナツキやアキハあたりも気づいてるぞ、アレ。
《ありがとう、楽しみにしておく。》
秒で《…予約します。無理しないでくださいね》と来た。
ここで半歩引くのがフユミの可愛らしいところである。
「タマキ先輩?」
メグミに呼ばれて我に返る。
「ごめん。ここ、時程の穴がひとつある。救護の導線、医務室前の人だまりの対策――この図面でいける?」
「えっと……あ、そこ、カズネちゃんが追加で描いたやつです〜」
「カズネ?」
「はいっ! “写真スポット”に木陰を作る案と、待ち合わせベンチの形、描きました!」
「見せて」
受け取る。うん、いい。人が立ち止まる“理由”が言語化できてる。
「――上出来」
「やった〜!」
「最終稿、金曜昼までにもう一回出して」
「了解です!」
いや、ほんとに優秀だな、皆。
◇
鍵の音、軽い靴音、柔軟剤の匂い。
「ただいまー」
「おかえり」
いつもの速度で、ナツキが俺の部屋に入ってきて、いつもの速度でカバンをソファへ落とす。
今夜は静かに、ショーの余韻の話を少しだけして、シャワーの音がやんだあと、いつものように髪をタオルで拭きながらこっちへくる。
「タマキ♡」
「ん?」
「――私も、撫でて、って言おうかなー♡」
「……無意識だったんだよ」
「知ってる。だから、こう」
ソファに座る俺の横へ、ふわり。ナツキは言いながら、俺の頭を抱えて、自分の胸元へ預ける。
片手で、そっと、やさしく、髪を梳くみたいに撫でられる。
「……ナツキ」
「なーに?」
「……」
「……」
「……なんでもない」
「知ってる♡」
それで終わる。
それで十分だ。
テレビは点けない。冷蔵庫の音だけする。
「明日、朝早い?」
「普通」
「じゃ、普通に寝る?」
「普通に寝る」
「じゃ、超普通にくっつく」
「……超普通ってなんだよ」
「これ♡」
額がこつん。肩が寄る。
「ナツキ」
「なーに、二回目」
「ありがとう」
「どういたしまして。――撫でるの、上手でしょ?」
「上手です」
「知ってる♡」
毎晩倒れているばかりではなく、何事もない夜も大事。
おやすみ。




