第19話 闇に沈んで/破封印
斬撃は≪魔法剣≫のごとき速度と破壊力で。
身のこなしは≪身体強化≫されたかのごとく俊敏かつ強靭で。
「ホッ! ホッホ! これは凄い! 風よ、叩け!」
サイコドワーフは防戦一方だ。不意をついた≪風撃≫も盾で苦もなく霧散させられ、間合いを開けようとも狂猛に追いすがられる。
「レンマさんを……レンマさんをどうしたの! どうして帰って来ないの!」
「帰る気がないからじゃろ? もしくは、あれじゃ、お嬢ちゃんはあの男の帰る先ではないんじゃよ」
長剣と戦棍とがぶつかり合い、力比べになった。
「そういうことを聞いてない!」
「どういうことなら聞きたいんじゃ? わがままを言いおってからに」
競り勝ったのはリゼルだ。サイコドワーフは後転することで逃れた。異常な光景だ。
「レンマさんは強い! 誰にも負けるはずない!」
「ま、確かに強いのう。しかし強いものは弱くもあるものじゃ」
「ふざけて……!」
「同じ人間じゃろ? 何の代償もなく強さだけは手に入らんよ……≪首水刑≫」
リゼルの顔が水に包まれた。突然に訪れる水中は空気以上に冷静さを奪う。
「ああああああっ!!」
リゼルが吠えた。
それだけで水が弾け飛んだ。リゼルは髪の一房とて濡れていない。
「何とまあ……ブルウに引き続き、儂も駄々っ子のお相手というわけか。やれやれじゃのう」
ぼやき、サイコドワーフは≪幻影≫を使った。作り出したのは自身の幻だ。一人でありながらも十数人となって、四方八方へと走り出す。
「げえっ!? まじかよ!」
ライアスが発動直前であった≪電撃≫を空へと放った。
「はぁ!? 勿体ないことして! モヤモヤしてるのは偽物で、シャキッとしてるのが本物じゃん!」
「んなもん、わっかんねえから! 適当なこと言うじゃねえ!」
「どうしてさ! ほら、それもこれも偽物で……あれ? 本物どこ行った??」
メルクリンは無事に茨の網から脱出したようだ。先程から妙なことを言っている。
「また幻……絶対に逃がさない!」
「まだ逃げんよ?」
リゼルの背後をとった。≪潜土≫だ。地中を移動する魔法だ。息の続く間しか移動できない欠陥魔法だが、素早く発動できるのならばこのような使い方もあるか。
「やっ!」
「甘い」
振り向きざまの横薙ぎをサイコドワーフはしゃがみ避けた。頭巾が裂けて白髪が散った。戦棍が狙うのはリゼルの足か。
「えい!!」
「おう!?」
盾が来た。衝突音と共に視界が乱れる。
空の草と土とがない交ぜになって、最後に闇色の外套の内側が見えた。陶器の瓶が二本、縫い付けてある。執拗なまでに蝋と紐とで封がなされたものだ。刻まれた文言と紋様……これは封じの呪印か?
「やりおるわい。それにしても、親の仇でもなしに右腕ばかり打ちおって……まったく」
右腕をさする。もう握力も利かないようだ。
このサイコドワーフは≪治癒≫を使えない。それどころか碌な攻撃魔法も使えないのかもしれない。使う魔法が少数に限られている。
「もう少し遊んでやりたがったが……ホッホ……月照院まで来るとなれば、そういうわけにもいかんのう」
勝敗は決した。
今や千年騎士団は魔獣を駆逐する段階に入っている。
サイコドワーフの周囲にも人が集まってきた。
リゼル、メルクリン、ライアス、ロビアット、そして月照院だ。
「お前さん方に聞きたいのじゃがな?」
左手に戦棍をもてあそびつつ、サイコドワーフは楽しげに言う。
「守護外套を羽織って戦う気分とは、どういうものじゃ? リンドリム宮の威光が誇らしいかのう? それともいざという時を思うて安心かのう? 誰もがまるで選ばれた英雄のような顔をしとるが……それの本来の使われ方を知った上でのことなのかのう?」
問いつつも回答は期待してはいないようだ。
「儂はな、そいつが大嫌いじゃ。そんなものを発明した人間も、必要とした社会も、ありがたがる大衆も、全て等しく忌み嫌っとる。悪徳が臭うて臭うてしかたがない。傲慢なる無責任と怠惰なる無関心が悪臭となって世界の至るところへ染みついとる……」
ゆっくりとかぶりを振り、ため息を一つ吐いた。
「……魔王を退けてなお、そいつが世に在ることを呪う。儂の身命を懸けて」
リゼル、メルクリン、ライアスは揃って怪訝な顔をしている。顔を見合わせ、そして共通の一人へと視線をやったことで動揺を深めた。
ロビアットが震えている。顔色を蒼白にして。
言葉は出ずとも、大きく見開かれた瞳がサイコドワーフへと必死に何かを問うている。
「ま、そいつを羽織れど、お前さん方はまだしも少しはマシな類かもしれんな? ≪帰還≫機能を切ってまで踏み止まり戦おうとする気概……この世界で戦争ごっこをしとる連中よりは幾分見どころがあるわい」
注視したのはリゼルの右足だ。体重をかけられずにいる。戦棍が命中したからだ。
「森での戦いで≪防護≫が心許なくなっとったかな? それを補うための選択じゃろうが……思い切ったもんじゃ。あの男も存外に……ホッホ」
髭をしごいたものか、戦棍が視界に出たり入ったりする。
サイコドワーフは右手を闇色の衣の内側に隠したきりだ。
「のう、当代の月照院よ。お前さんはどう思うとる?」
「是非を論ずるに及ばず。我は月照院なれば、人の世を水の心をもって映し、また、月の心をもって照らすのみ……武器を捨て両の手を上げよ。さもなくば斬る」
まだ十数歩と距離が開いているが、月照院にとっては間合いの内か。
「ホッホ……仕方がないのう」
落下音は三つ。戦棍の二つに紛れて、小さな一つが音を立てた。
「遊びはこれまでじゃ」
ザリ、と小さな何かを踏む音。
「本物の戦場を体験するといい」
踏み砕かれた小瓶から闇が溢れた。清浄な空気を浸食し、変質させて、瘴気が妖しく噴霧した。朝の中に夜が漏れ出でたかのような違和感が世界を歪めていく。
ああ……ソレか。
ソレが入っていたのか。
ソレは地を舐める津波の欠片だ。どす黒く、ぶよぶよとしていて、這いずることの他には動く目的を知らないかのような醜悪なる怪物……牛馬をも一呑みにしそうな大きさの芋虫だ。その胴体には不規則な配列で黄色の目が開き、長さも太さもまちまちな触手が闇雲に生えている。
悲鳴、怒号、咆哮、喊声、絶叫。
決着がついたかに見えた場は混乱の坩堝と化した。
怪物は人間も魔獣も見境なく触手で絡め取ろうとする。体表には何か毒気でもあるものか、触れた草が急速に萎れていく。触手は断たれてもすぐさま再生する。より長大に、あるいは二股になど変化して。
「外禍蟲……その体液には魔法を阻害する働きがある。呑みこまれたなら≪防護≫も≪帰還≫も満足に発動することなどない……さて、何人生き延びるかのう?」
視界は既に戦場を映していない。一度土の中を経て、今は夕闇の地平を中心として上下に天地の広がりを見るばかりだ。サイコドワーフは高速で空を飛んでいる。
「それにしても……」
風の音の中に呟きが混ざる。
「お前さんも相当じゃな。今しがたまでの光景を見せてもまるで動じるところがないとは……剛毅というべきか薄情というべきか……ま、それでこそなのかもしれんがのう」
どこか呆れたような、その声。
「これから先の出来事……リンドリム宮の崩壊を見ても、心動かさずにおれるかな?」
ニヤリと笑った気配がして、それきり映像が遠のいていった。
見物の時間はお終いということか。
「……どうでも、いいな」
俺の声が聞こえた。口から発したそのままに。
ここはあのサイコドワーフの魔力で満たされていると同時に、闇の属性力によって塗り潰されてもいる。息苦しさの原因はそれだ。空気に宿る風の属性力すらが阻害されているのだ。
「半端な封印だ、これは」
それと気づいてしまえば、あとは己の属性力を闇へ傾けていけば済む話だ。もとより同調しやすい魔力でもある。
五感を闇の色に研ぎ澄ませていく。
身体があることはリゼルの光で確認できている。
そら……感触が戻ってきた。
「ずっと、そうしていたのか」
赤マフラーが全身に巻きつき、奇妙な螺旋模様を描いている。乱雑に処置された包帯のようだ。それは熱を帯びている。
「この魔力の内では、声を出せないか」
動くこともできないようだ。声が届いているのだろうか。
もしかしたら、赤いのは俺の全身をくまなく覆いたかったのかもしれない。そうすることで俺を護ろうとしたのかもしれない。咄嗟のことでそれが叶わず、こういうことになっているのかもしれない。
「……姉がいたら、こんな感じか? 歳の離れた従姉か? それとも、おばさん?」
自分のための言葉は返事を必要としない。あのサイコドワーフも俺へ好き放題に語っていた。
「甘え、か……全部、アンタらのことだろ。挑発にしても……暑苦しくて」
暗い穴の底に横たわったまま、立ち上がることもせずに呟く。
「魔導師を忌み嫌うのは、いい。アイツは異物だ。拒絶が正当だ。アイツに由来する力を呪うのも、いい。使うのも、いい。憎悪は力だ。利用するのが、道理だろう」
黙るのと黙らされるのとではこうも違うのか。
「……だけど、な?」
俺としたことが無駄口を叩きたくてしかたがない。
「アイツを討つことが、世界正義? 過ちを正す? 汚れを清める? 馬鹿なことを……」
溜息が出る。
「アイツにまつわる全て……全部を消し去ったって……似たような何かが造られる。きっと。別な異世界人が召喚されるかもしれない。どうせ、すぐ元通りだ。それが世界の選択で、だからこそ、俺が存在している。世界はアイツを求め、受容した。だから、俺が生まれたんだ……嫌な話だが」
どうしたことか、俺はアイツを庇っているらしい。
「クク……クハハハハ……」
嗤う。これでは本当に父親の愛情を乞うているかのようだ。
「母さんがいる……妹も。俺は、この世界を、憎めない」
俺の声が暗闇の隅々にまで響き渡っていく。
「綺麗なんだ、世界の明るい方は。暗い方にいると、わかる。それで充分。全部が全部お綺麗なら、困る。父殺しを企む、俺のような人間が……息も吸えない」
闇がざわめいている。
「逆襲でいい。魔導師を討つ理由なんて、逆襲くらいで、丁度いい。それ以上である必要は、ない。世直しなんて……暗い世界の住人が、どうこうと論じるな。おこがましいし、恥ずかしい……ああ、だからか。だから、仮面をかぶっているのか?」
闇が俺を取り巻き、俺に触れてくる。どうしてか柔らかで温かな感触だ。
赤色が覆いきれなかった部分を黒色で補われていく。
「……何だ? 懐かしい気がするな……」
これは闇の精霊だろうか。
いや、それにしては化身たる姿がない。これは、まさか。
「魂鬼なのか?」
魂鬼とは精霊に近しい存在だ。精霊未満の存在にして、この世を彷徨う属性未決定の半精霊であると記す文書もある。時と機会とを得たならば十属性いずれかの精霊へ成り上がるとも、それらを模倣するばかりで結局は力及ばないとも伝えられる。
「……ああ、そうか……そういうことか」
いたのだ、魂鬼は。この森のそこかしこに。呼び掛けられることを待っていたのだ。
そして俺は声を上げた。≪帰還≫しなかったトゥエルヴが抱えていた、受信装置であると同時に発信装置でもあるところの捕獲具を通じて。
「お前らは、俺の魔力を……魂を、闇の属性と認識したんだな」
だから闇の精霊を模して俺を包んでいる。
どこか中途半端なその力で、それでも俺の魂に呼応しようとしている。
「いいだろう。契約だ」
今ここに闇の属性を始めたばかりの、名もなき弱々しい半精霊……いかにも俺に相応しい。
「俺たちは上手くやれる。互いに真っ当でない存在なのだから、何の気兼ねもなくていい」
刻まれていく。俺と闇の半精霊との間に見えない契約が結ばれていく。
「だが……勘違いのないように、一応、言っておく」
影に何かが潜り込んでいく、この怖気のする感触……歯を食いしばり、笑む。
「ここから出るためじゃ、ない。そんな力を欲して、契約するわけじゃない。気に入ったからだ。契約を交わした理由は」
身を起こす。
水の中でそうするように、軽く、柔らかく穴底に立つ。
「急ぐ必要なんて、ない。面白いから……色々見られるから、のんびりしていた。それだけだ。見世物が一つ終わって、次の見世物は面白くなさそうだから……だから、俺はこうして、出ていく。簡単なことだ」
上昇する。闇の魔力に押し上げられるようにして地上へ。
【おはよう。月の綺麗な夜だけど】
(ああ、おはよう)
首に巻きつく赤いのと魔力で言葉を交わす。もう口を開く必要もない。
(待たせたか?)
【べっつにー? 何か寛いでたみたいだしー? アタシは勝手に焦ってアンタ護ろうとしただけだしー? 凍えないように温めてたのに感謝されてないしー?】
(ありがとう。今回は一緒にいてくれたな)
【どーいたしまして。けどテメエ、おばさんっつったか? さっき? あ??】
(聞き違いだろ、姉さん)
【……ふ、ふん! 手のかかる弟を持つと大変よね! まったく!】
笑う。
飛ぶ。
今夜の俺は随分と速い。風をも裂いて、彼方へ。赤いマフラーをたなびかせて。




