第18話 闇に沈んで/防衛戦
闇の中から呑気な侵攻を見物している。
小川を見つけては好きなだけ水を飲ませ、草原に兎が跳べば追いたいだけ追わせて。
森を出る前には数百数十と群れていたはずの魔獣たちも今や百匹に届くか否かというところにまで減少した。主力としては十数匹の≪影色狼≫と五頭の≪刀爪熊≫で、最も数が多いのは≪猿蜥蜴≫か。大物としては≪四頭犀≫が一頭交じっている。
「ホッホ。ようやくのお出ましか。あんまり遅いんで、広くここら辺りを魔獣の生息地にしようかと思うたわい。恥知らずなのどかさに吐き気がするからのう?」
緑鬼面のグリインが誰にともなく呟いた。
やはりか、この男は戦闘特化の妖精族サイコドワーフだ。素肌が枯葉のような色をしている。指が短く肉厚な手が見えている。
「一個分隊十人……即応部隊にしても少ないのう。質はどうじゃな?」
暮れなずむ空の下、丘陵の頂に隊伍を組む者たちがいる。旗はなくとも所属は知れる。誰もが紫紺の長外套を羽織っている。
「この時この場となれば≪飛行≫を使えん者も交じっとる。それに……ホッホ……森で見た連中もおるわい。月照院は遠目にもすぐにそれとわかるのう。何であやつにだけ光が差し風がそよぐのか……謎じゃ」
なるほど、確かにいる。目立っている。
「桃色の小さいのは軍人じゃからわかるとしても……半人前を三人とも駆り出すとは敵ながら哀れな人手不足よのう。家畜ばかりが増えて牧童が不足しとるとみえる。そのくせ、本当の戦争を知る者はおらんのじゃな……はてさて、どうしたものか」
ロビアットは杖を構えている。リゼルは長剣に丸盾という装備で杖を持っていない。メルクリンは手甲と脚甲を着けることにしたようだ。ライアスは細剣を佩き杖を構えている。
トゥエルヴの姿は見当たらない。まさかあの洞窟に残ったということもあるまいが。
「中々に魅せる顔つきじゃのう……弱かろうが青臭かろうが戦う覚悟を決めた者の目には炎が宿る。誰かのためにと思わば燦然と、抗い護り救わんと欲すれば赤熱して。眩いとは思わんか?」
何だ?
戦棍の表面に緑色の鬼面が映っている。物見穴は黒いばかりで奥が見えない……いや……何かが見えてきた。どこか見覚えのある色が。鈍く、鮮やかさなど一欠けらもない、くすんだ暗赤色が。
「お前さんの目にも炎が宿っとる」
俺か。
俺に向かって話しているのか、サイコドワーフ。
「己のためにと思うがゆえに冷然と、侵し攻め滅ぼさんと欲すればこそ殺伐として……暗い炎を燃やしとる。破滅の魔槍じゃな。ひとたび投じられたならば、地の果てまでも敵を追い、必ず討ち滅ぼす……そして自壊するのじゃ。お前さんの魔法にもそんな性質が色濃く表れとったよ」
笑んだか。髭の下に隠しきれないほど、その分厚い唇を大きく歪めて。
「ブルウもあれで根が優しい。律儀にも正面からお前さんを受け止めおった。そりゃあ勝てんわい。ホッホ。お前さんと戦う様は、まるで泣き喚く童に手を焼く母親のようじゃったな」
む?
「甘えとるなあ、お前さんは」
ほぅ?
「我欲に駆られて覚悟を決めることなぞ誰にでもできる。簡単じゃ。幼子が菓子食べたさに野菜を口に入れる勇気とさして変わらん。怨恨にも程度の差があることを知るのじゃな。お前さんのそれはまるで駄々っ子じゃ。父親に構ってほしくてむずかっておるのか?」
俺が駄々っ子?
「孤独を気取っとるところがいかにも駄々っ子じゃ。身も世もなく泣き叫びたいのじゃろ? どうして自分だけがこんなにも辛いのかと訴えたいのじゃろ? そのくせ他者を拒絶する臆病者よ。複雑なる現実を無視する怠け者よ。自己憐憫の酒は悪酔いするからほどほどにしておくことじゃな」
泣き叫ぶ? 臆病者? 怠け者? 悪酔い?
俺がそんな風であると言うのか。サイコドワーフ。
「違う、と吠えるか? だって、と言い訳するか? うるさい、と耳を塞ぐか? どれもこれも幼子の特技じゃからして、ま、似合うておるよ。そんなだから、お前さん、儂よりも強いくせに儂に負けたんじゃ」
「………」
言い返した言葉が俺自身にすら聞こえない。
「そんなお前さんのことを助けにいくつもりじゃったかな? あの連中は」
急に視界が変わった。
戦いは既に始まっていたか。
百匹前後の魔獣を相手にして、千年騎士団の十人は丘陵に“籠城戦”を繰り広げていた。突如現れたあの壁は何だ……猿蜥蜴が群がるも越えられないどころか傷つき怯んでいる、あの垣根のようにも見えるものは?
「あれは刃金茨による防壁じゃな。ただ草が繁茂しとるようにも見えるじゃろうが、硬く強靭なあれには魔獣の皮膚さえ切り裂く棘が無数に生えておる。風は通すも肉は通さん。ま、容易くは突破はできんじゃろうなあ」
茨は地に根付いている。それはつまり。
「見るのは初めてか? あれは精霊魔法じゃ。木属性の……名前は何というたかな……そう、≪無尽茨園≫じゃったか。『棘夢』が来とるのじゃろう。上手い具合に大物を釣れたわい。餌は儂らかお前さんか……それともどちらもか」
言いながら魔晶石のついた戦棍を手に取った。左右の手に一本ずつだ。二本持ちか。
「……儂が隠れとることに気づきよった。恐るべし月照院。お前さんとは似て非なる鋭利さよ。どちらも物騒じゃが凄みが違う。それは野獣と戦人の差というものじゃな」
月照院が突出している。
他の九人は棘の草で構築された陣地に篭って魔獣を迎撃しているが、黒髪の剣豪だけは陣地外で舞い踊っている。≪刀爪熊≫を挑発しつつも≪四頭犀≫へ攻撃を加えている。
そのように戦いながら、時折、圧のある視線をこちらへと寄越す。
「月照院と『棘夢』を同時に相手取る、か……ワクワクするのう」
視界が揺れる。サイコドワーフが身を震わせている。
「おう、そうじゃ。守護外套を着込んだ人間の殺し方を教えてやろう」
笑っている。楽しくて堪らないとばかりに。
「重甲冑の騎兵を殺すのとさして変わらんよ。破壊力を一点集中させて≪防護≫を穿てばいい。一撃必殺を心掛ければ死体が≪帰還≫するのみじゃ。単純な話じゃろ?」
言うなり、雑草を模していた≪幻影≫を解いた。
「闇よ、幻を育め」
そしてすぐさま新たな≪幻影≫をまとう。
「お前さん、無口じゃろ? こういう時に利用しやすいわい」
俺か。
俺に化けたのか。
「悪趣味じゃろ? こういうの、大好きなんじゃよ」
駆ける。速い。サイコドワーフは誰もが優秀な身体能力を有する。
向かう先は魔獣の群がる茨の砦だ。月照院を避けて反対側から回り込もうとしている。
「うおっとぉ!? ホッホッホ!」
跳躍し、地面を転がった。土煙りが上がる。断たれた雑草が舞う。≪風斬≫か。月照院の振るった斬撃が間合いを越えて届いたものだ。サイコドワーフは避けたが猿蜥蜴の一匹が身体を両断された。
「危ない! 月照院さん、何てことを!」
そう叫んだのはリゼルか。
「生きてやがったか! そうだろうと思ったぜ、おい!」
進路上にいた猿蜥蜴を≪電撃≫で打ち据えたのはライアスか。
「隊長さん隊長さん! ここ開けて! 入れてあげて! ほら! あれ! レンマが走って……き……?」
メルクリンが茨にしがみつき、こじ開けようとして……しかしその動きを止めた。
「んん? 何か上手く目の焦点が合わないような……何これ??」
「どけ! それは敵だ!」
ロビアットが杖をつき出すのと、≪幻影≫を解いたサイコドワーフが地を戦棍で叩くのとはほぼ同時だった。
「烈風の力よ、打ちたお」
「岩よ、立て」
圧縮呪文の強みが出た。≪風撃≫に先んじて≪石壁≫が発動した。横幅はさして長くないが縦に長い。しかも進む側へと大きく傾いている。衝撃がそれを揺らした。ロビアットの≪風撃≫か。
「ホッホ。面白い目をした娘がおったな」
岩石の壁を駆け上がる。力強い一歩一歩に足場が揺れる。
「我は風なりっ」
焦った声で≪飛行≫がなされた。飛び上がったその足を鋭利な一撃がかすめ、血が散った。再びの≪風斬≫だ。角度があるためそれはメルクリンらを襲うことなく上空へ消えていった。
これが月照院か。
≪四頭犀≫の前足を斬り裂き、≪刀爪熊≫を斬り伏せ、その上更にサイコドワーフの動きを読んだというのか。
「風よ、叩けぃ!」
サイコドワーフが≪風撃≫を直下へと放った。足場とした岩石の壁がギシリと鳴った。倒れる。その質量で茨の壁を押し潰す。
「ホッホ! 楽しいのう!」
戦況は一変した。
石造りの突破口に魔獣が殺到する。見知らぬ魔法使いたちがそれを押し止めようとする。魔法がひっきりなしに飛ぶ。
「儂はこういうこともする……闇よ、幻を育め」
≪幻影≫で作られたのは“危機”だ。
リゼルが猿蜥蜴に組み伏せられ首筋に噛みつかれようとしている。メルクリンが≪刀爪熊≫に足を掴まれ持ちあげられている。ライアスが≪影色狼≫に腕を噛みちぎられそうになっている。
全ては偽りだ。映像だけのものだ。しかし真に迫っている。
「集団において最強の力とは最弱の力の影響を最もこうむる……森でお前さんもあの三人のために無為な時間を過ごしたじゃろ? ここでも似たようなものじゃな。精霊魔法は防御に使われ、月照院はそれを支えるために熊や犀を一人で引き受けねばならんことになった……ホッホ!」
乱戦へと飛び込んで、サイコドワーフは嗤う。その手の戦棍には赤いものが付着している。リゼルの幻を助けようとした名も知らぬ一人を一撃のもとに≪帰還≫させたからだ。
「さあて、月照院が来る前に『棘夢』を……おうおう、おったわい」
視界の中心に映るのは長杖を持つ美しい女だ。波打つ茶髪を肩口で切り揃え、どこか眠たげな印象の半眼は新緑の色合いをもってかかる戦況を眺めまわしている。
「別嬪さんじゃのう。数多の求愛に辟易して千年騎士団へ入団したという噂、まんざら嘘でもなさそうじゃ。誰と添うこともなくここで無残に終わるわけじゃが」
地を這うようにしてサイコドワーフが駆ける。助けられる味方を助けず、討てる敵を討たず、ただ一人の命に狙いを澄ました疾走だ。
『棘夢』と呼ばれた女がこちらを見た。
「来て、アゲハ」
契約した精霊を呼んだか。やはり。
それならば圧縮呪文に対抗できる。
蝶が現れた。どこからともなく、大きく艶やかな蝶が。音もなく翅がひるがえる。そのたびに多色の鱗粉がハラハラと舞う。それらが地に触れる。すぐにも茨が生える。女を護る障害になろうとしている。
「土よ、風を成せ」
ここで≪風成≫か、サイコドワーフ。
茨の根元から風が吹き上がった。砂煙の中、繁茂していた根が晒される。安定を欠き、茨が傾く。地が蒸発するようにして大穴が開いていく。それでも女を護るべく草は伸び、網となって落下させじとするが。
「我は風なり」
戦棍を振りかぶってサイコドワーフが行く。女は長杖を構えるが対抗できまい。
しかし、視界が急変した。
獲物から目を逸らした? この必殺の好機に?
目の前に大きく迫ってきているものは……脚甲の足の裏。
「アチョオオオオオ!!」
奇声。衝撃。吹き飛ぶ。≪飛行≫で軟着陸は果たしたものの間合いは壊された。右腕が見える。そこで防いだのか早くも変色している。
「嘘、痛い!? 凄く痛いいい!! た、隊長さん! 隊長さん、助けて!!」
メルクリンの悲鳴が聞こえる。どうやらサイコドワーフを蹴飛ばした反動で茨の網へと落下したらしい。守護外套を着ていても痛いのか?
「おっと」
また視界が大きく動いた。元いた地面を薙いだものは≪風爪≫か。大穴の向こう側からロビアットがこちらへ杖を向けている。二発目はない。すぐにも魔獣と戦うため身を翻したが、チラリと笑みを残した。
「……ホッホ。侮られたのか、侮っていたのか」
茨だ。
丘のあちらこちらから茨が突き出でて、魔獣へと襲い掛かっている。紫紺の長外套をまとう者たちは優勢に戦いを展開している。だからメルクリンはサイコドワーフの動きに注視できたのだろう。
「茨の砦の内側は、これ全て茨の根のはびこるところか……『棘夢』め、やりおるわい」
よっこらしょ、などと言ってサイコドワーフは戦棍の一本を腰に戻した。左手の一本のみを構える。自らに剣を向ける一人へ油断なく視線を固定している。
「レンマさんはどこですか?」
リゼルだ。
その金髪は風もなく揺れ、その碧眼は光輝を宿し、その剣と盾とは聖性を帯びて煌めいている。全身に光の魔力を立ちのぼらせている。
「剣と盾とで武装し、魔晶石も持たずにその魔力……まるで『勇者』じゃな」
勇者。
世界が危機に瀕する時にのみ現れるという救世主のことだ。
「答えてください。レンマさんはどこにいるのですか?」
「はて……ここにいるといえばいるし、どこにもいないといえばいないかのう?」
「もう一度だけ尋ねます」
リゼルが一歩踏み出した。
サイコドワーフは戦棍を構え直した。
「レンマさんはどこで、どうしているのですか? 簡潔に、誠実に……今すぐ答えなさい!!」
魔獣すら怯え近づけない、その迫力……これはもう、未完成魔法などとは呼べない代物かもしれない。俺の理解を超える力なのかもしれない。
眩しさに、目を手でかばった。
俺の手が、そこに見えた。真っ赤な色が巻きついていた。




