第一話 家電量販店の憂鬱
平日の家電量販店のマッサージイス売り場ほど憂鬱な場所はないと思う。
死んでいるのか眠っているのか口を開けたまま動かない老人と、あきらかに仕事をしていないであろう薄汚い格好の中年と、女であることをあきらめて久しいデブのおばさんが、機械に揺られて寝ている。
智子はぼんやりとそれを眺めながら、両手をエプロンの前で重ね、薄笑いを浮かべて立っていた。ときどき入り口から客が入ってきて素通りしていくこともあれば、商品の場所を聞かれることもあるのだが、ほとんどがひとことふたことで話が終わる内容ばかりだった。
要は智子も暇だった。
暇はお互い様じゃないか。
なのに、この嫌悪感はなんだろう。
人間として終わっているから? 見た目が汚いから? 仕事をしていなそうだから? 金が無さそうだから? そのくせちょっと贅沢な感じを味わって気持ちよさそうにしているから?
まあ、どうでもいいけど。
売り場の向こうに巨大な人影が見えた。
障碍者雇用の山口君だ。彼は身体が大きい。180くらいあって、体重は100キロくらいありそうだった。年齢はまだ20代なのだろうか? もしかしたらもっといっているのだろうか。
障碍者雇用というのは大企業が一定の割合で障碍者を雇用すると、補助金が出るんだか、税金が安くなるんだかという制度で、施設の職員さんがときどき様子を見に来る。
普段は倉庫のアルバイトをしているおじさんたちが面倒を見ていて、一日一回くらい彼らに怒鳴られている。
そんなに怒らなくても、と私たちは思うが、そのアルバイトおじさんたちも、あまりまともな人たちではないのでしょうがない気もする。
アルバイトおじさん。
リーダー。この中では一番まともだということになっているが、マウンティング大好き。この中でまともだと思われていることがそうさせているのか。主に怒鳴っているのが彼。
もう一人が島田。オタク変態系。ストーカーの前科あり。
あと高田。ぼーっとしているタイプ。
共通しているのは、未婚の、実家暮らし。
はっ、しまった。
未婚の実家暮らしは、私もじゃないかと気づき、智子は考えるのをやめた。
山口君は立ち止まってきょろきょろと左右を確認しては進み、ダスキンモップで店内を掃除していた。
目が合った。
すごい、見てくる。
目を逸らす。
が、山口君は智子のもとに近づいてきた。
「あの! ちょっといいでしゅか?」
良くない。と言いたかったが我慢。
「お疲れ、どうしたの?」
「あそこの人、僕のことスマホで撮ってるんでしゅ」
山口君は思いっきりマッサージイスのおばさんを指さした。おばさんは先ほどの体勢よりも少し身体を起こし、スマホをさわっていた。
「撮ってないと思うよ」
「撮ってました!」
声が大きい。山口君はたまにこういう状態になってしまうことのある子で、智子もこれまで数回そういう場面にはあっていた。
「大丈夫だと思うよ、ほら、まだ掃除の途中じゃない? 向こう側をやらないと」
たぶん、智子の言葉は届いていない。
ふしゅー、ふしゅー、という音が、だんだん大きくなっていく。呼吸音だと思う。
「あ、あのね……」
「ちょっと僕、撮らないでくださいって言ってきましゅ!」
「ちょ、ちょ、ちょっとまって。それはやめよう?」
智子は山口君の行く手を阻むように身を乗り出した。
ギョロ。
山口君の眼からは理性のかけらも感じられなかった。ふと動物園で獣の目を見たときのことを思い出す。ヤバイ、これは、無理だ。
智子は助けを求めに駆け出していた。
「あのお! 撮らないでくだしゃああい!」
智子の背後、山口君の声が響く。
倉庫のドアをわざと大きな音を立てて開けた。
倉庫ではアルバイトおじさんが二人、音に反応して顔を上げたが、すぐに目をそらされた。
「ちょっと、山口君が…」
智子は恐る恐る目をそらしたままのリーダーに声をかけた。
「知らねえよ」
低い声。こっちは見てくれない。
「でも…」
「知らねえっつってんだよ!」
ビクッ! 大きな声に反射的に身体がこわばった。
わかりました、頼みませんので、もう怒らないでください。
智子はとにかく誰かがいるはずだと、レジに向かった。
レジ内に入るとパートのおばさん達が「どうしたの?」「なにかあった?」と口々に言うが、あからさまにおびえた顔で後ずさっていく。面倒ごとには関わり合いたくないという強い意志。
とりあえず誰か社員を! できれば男の人!
レジの奥にいた男性社員は、いつもならこういう場面で力を貸してくれそうなベテランの人だったが、汗を垂らしながら深刻な顔で電話をしていた。
次に見つけた売り場の男性社員は、接客中だった。口を挟む隙もないくらいベラベラと新型のテレビを熱く語っている。
残念ながら、まともな人はいつも忙しい。
喫煙所まで走ればさぼっているヤツを捕まえられるかもと思い、バックヤードへ。
若手の男性社員が一人。
「どうしたんすか?」
「山口君が暴れちゃってて!」
「えー、あれ、今日って店長休みっすよ。サッチャーさんが責任者の日じゃないっすか?」
サッチャー。マーガレット・サッチャー。「鉄の女」80年代のイギリスで女性初の首相を務め、低迷していたイギリス経済を立て直した半面、国営事業の民営化や炭鉱の閉鎖など、国民に負担を強いる政策も多かったため…。
はっ。意識がサッチャーに。
「店長のいうことは聞くらしいですよー、なんでなんすかね? 役職とか気にするんですかね、彼も。それともお父さんみたいだからですかねー」
「それで、船橋副店長は? どこ?」
「えー、さっきは事務所にいましたけど、見ました?」
「いなかった。わかった、他を当たるわ」
サッチャー。智子はその呼び方があまり好きではなかった。強い女を揶揄するような響きが、なんだかすこし差別的に感じるからだ。
船橋紗智子。数少ないこの家電量販店チェーンの女性管理職のひとり。一か月前に赴任してきたばかりで、智子はまだあまり話をしたことがない。
確かに彼女は強そうだった。部下の社員たちを強い言葉で叱責することもあるらしい。
あの真っ黒なひっつめ髪と営業スマイル以外では決して笑わない佇まいを「鉄の女」と称したヤツの気持ちもわからなくはない。
売り場とバックヤードを隔てる扉の手前に、船橋副店長はいた。
「ちょっといいですか! 副店長!」
彼女は振り返ると、智子の様子に少しだけ驚いたものの、声のトーンは落ち着いていた。
「どうしたの?」
「山口君が! 売り場で!」
「うん、うん」
鉄の女、船橋紗智子は頷きながら、そっと智子の肩から腕をさすり、微笑んだ。
ええ? 意外。優しい。人肌が嬉しい。あと、いい匂いがする。
「えっと、あの」
「落ち着いてからでも、いいですよ」
「いや、でも。はい…」
智子はそのまま膝から崩れ落ちて、皆からサッチャーと呼ばれた女、紗智子の胸で「えーん、えーん!」と泣いてしまいそうだったが、緊急事態だったことを自分に言い聞かせ、なんとか役割を果たした。
「山口君が、暴れてます!」
扉の向こうは店内だった。店内は必要以上に照明が明るい。鉄の女、マーガレットサッチャーこと船橋紗智子の後ろ姿は逆光で、光に吸い込まれていく後ろ姿は、リングに向かうレスラーみたいで、ヒーローみたいで、カッコよかった。
という智子の妄想は、現場に戻るその道すがら、しぼんでいくように萎えていった。
いやさ、そりゃそうなんだけどね、そんな妄想の通りにヒーローが都合よく解決なんてしてくれないよね。
山口君は男性社員二人に取り押さえられていて、奇声を上げていたし、おばさんは首を押さえて山口君に罵声を浴びせていたし、船橋副店長は客でもなんでもないマッサージイスに座っていただけのおばさんに、土下座していた。
「こ! 殺されそうになったんだからね! わかってんの!」
「はい。申し訳ございませんでした」
「なんで女なのよ! 男の人呼んできなさいよ!」
「本日は私が責任者となります。申し訳ございません」
地獄じゃん。
智子はそれ以上近づけなかった。足がすくんで動けなかった。
智子は正社員ではない。
だから、誰に咎められる筋合いもない。
だから、疚しい気持ちなんて持たなくていいはず。
だから、聞こえないところまで、離れた。




