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第57話 豚のようなイノシシ

 目を開けるとのっぺりした白い天井が視界に広がる。見覚えのないものに不安を覚え、起き上がろうとした。

 頭の上で金属音が鳴った。無理に顔を向けると両手首に手錠が嵌められていた。上部の柵の一部に回されて外すことができない。

 元の姿勢に戻って頭だけを上げると全裸だった。両脚は軽く開いた状態で足首に紐が見える。行き先を目で追うとベッドの下に回されていた。

 身体を揺すったくらいでは意味がない。拘束された理由もわからず、右手にある唯一のドアを眺めた。拉致監禁の首謀者は、やはり綾芽なのだろうか。ルチルの可能性も頭の隅に入れて置く。

 質問の内容を頭の中で考えていると、前触れなくドアが開いた。現れた人物に驚き、やや遅れて目を伏せた。

 要は艶やかな黒いボンテージを着ていた。胸と股間が丸く開けられていて大事なところを隠そうとしない。ピンヒールを履いているような高い音が近づいてきた。

「ごめんね、貧乳で」

「そ、そんなこと、思ってないよ。それより、なんで僕はこんなことになっているのかを教えてよ。できれば拘束も解いて欲しいんだけど」

「ごめんね」

 要は謝ると無機質な部屋の隅に立ち、悲し気に笑った。

「用を済ませたあとで解放してやる」

 ドアの方から声がして瞬時に視線を飛ばす。

 ルチルは赤いボンテージで、要と同じように大事なところが露出していた。僕は怯まず、怒った顔を意識して言った。

「ルチルがやったんだね。どういうことなんだよ」

「わかったんだ。私が他の四人を出し抜く方法が」

「な、なにをするつもりだ」

「妊娠すればいい。それで結婚だ」

 全裸の意味がわかった。隅にいる要に目をやる。力ない笑いで顔を左右に振った。

「要の助けを求めても無駄だ。胸の勝負に負けて私の軍門に下った。今の立場は、従順な従者だ」

「そんなバカな! 要、僕を助けてくれ!」

 要は悲し気に笑うだけで動こうとしない。

「口で言ってもわからないのか? そうだな。要、豚の鳴き真似だ」

「……ブ、ブウ。ブヒブヒ」

「恥ずかしいのか? そんな豚は見たことがないぞ」

「ブヒブヒ、ブウブウブウ、ブヒィィィ!」

 要は四つん這いの姿で部屋を走り回る。ルチルの高らかな笑い声と重なった。

 僕は見ていられなくなり、目を閉じた。絶望感のおかげというのか。股間の高揚はなくなった。

「さて、やるか」

「む、無理だから。完全にえてるから」

「寝た子は叩き起こせばいい」

 ルチルは僕に覆い被さる。身体を密着して艶めかしく上下に動く。

「どうした? 早速、反応してるぞ」

「そんなこと、ないけど」

「ブヒブヒブヒィィ!」

 要の助けは得られそうにない。とんだ喜劇で悲劇だ。

 目の前が真っ暗になった。これが真の絶望なのだろう。諦めたことで心が穏やかになり、妙な眠気を覚えた。


 そして僕は目覚めた。見慣れた天井を見て、瞬間的に上体を起こす。

 首を触ると汗ばんでいた。夢の内容をはっきりと覚えている。最後だけはおぼろげで、何となくルチルの中の温かさを感じた。

 頭を軽く振りながら、出してはいないはず、と内心で思って自嘲気味に笑った。現実ではなくて夢の話である。

 どうやら混乱から完全には抜け出せていないらしい。


 二限目の講義にしては早めに家を出た。いつもの土手を歩いていると欠伸あくびを連発した。妙な夢のせいでよく眠れなかったようだ。

 講義に耐えられるだろうか。余計な心配と思いながらも考えてしまう。河川敷から幼い子供の声が聞こえて、ほんの少し、気持ちが明るくなった。

 大学の正門を抜けて講義が行われる講義棟を目指す。またしても出そうになる欠伸を噛み殺す。

 講義棟に入って二階に上がり、廊下を歩いていると横手の講義室から要が現れた。

 不意打ちのような出会いにびっくりして、豚、と口走ってしまった。

 ジャージ姿の要は怒りの目で詰め寄る。

「誰が豚だ!」

「ち、違うって。見た目の話じゃないから」

「なんであたしが豚なんだよ」

 納得していないようで目と肩を怒らせる。

「夢の話だよ」

「どんな夢であたしが豚になるんだよ。次の講義まで時間があるから話は聞けるんだよな? こっちは当事者なんだし」

 どう考えても夢の内容を口にできない。特殊なボンテージを着ていた上にルチルの下僕みたいな扱いになっていた。胸の勝負に負けたという話も触れてはいけない。

 ルチルの胸を直に揉んだことが夢の内容に反映されていた。口にすると要に気付かれるかもしれない。

「また今度じゃ、ダメかな」

「ダメだな。あたしが気になる。それとウソは無しな。拓光がそんなこと、しないとは思うけど」

「それは……怒らない?」

「怒るような内容なのか?」

 要は両手の指を組んで手首を回し始める。首を左右に傾けて、話してみろ、と凄んで言った。

 僕は正直に夢の内容を語った。要の夢の姿を話すと本人が赤面した。

「ちょ、どんな夢だよ。恥ずかしいだろ。あたしは拓光のオカズかよ」

 その表現はこちらが恥ずかしい。通り掛かった女性の視線が僕に遠慮なく突き刺さる。

 折れそうな心にえ、続いて登場したルチルと要の関係を語った。

「なんであたしがそんな真似しなくちゃいけないんだよ。ふざけんな。アイツの方がよっぽど豚だろ」

「ま、まあ、落ち着いて」

 最後は少し曖昧あいまいだが、やったような気がする、と小声で言った。要は小鼻を膨らませた。唇を歪めて歯ぎしりしそうな顔になる。

 荒い息遣いに身の危険を感じた僕は脱兎だっとごとく逃げ出した。要はイノシシとなって追い掛けて、浮気だ、と叫んだ。夢の話で浮気も何もあったものじゃない。

 それにルチルは五股の彼女の一人なので、浮気自体が成立しないように思う。などと悠長に考えている場合ではなかった。


 甘い悪夢は現実に引き継がれ、その日の二限目は幻となった。

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