10 初日の出
隔離村の村長の家。
この家から、大きな笑い声が聞こえていた。
「わっはっはっは!ハ、ハゲ、その、頭……」
腹を抱え、ステンカは大声で笑い出す。
「だ、だめですよ、笑っては……ぶふーっ」
諫めるドミトリーも、思わず吹き出す。
「お兄……ぷっ」
オルガまでもが、ハールィチの姿に堪えきれない。
「くそ、お前ら……」
ツルツルと輝く、そのハゲ頭を、彼は三人に見られていた。
昨日まであった、彼の長い黒髪は、今は一本も残ってはおらず、毛根までが、ものの見事に抜け落ちた状態であった。
今までは、仲間がハゲても、自分だけはハゲないという、謎の自信があったのだが、それが今日この時、一気に崩れ去るのを、彼はひしひしと感じていた。
そんな彼を見て、ステンカとドミトリーは、ずっと笑い続けている。
ハールィチは、彼らの頭をちらりと見る。
この間まで薄かった二人の頭が、もう元に戻っていた。
――内側に向くとは、こういうことか。
ツルツルの頭のてっぺんから、湯気を上らせ、彼は老人の言葉の意味を理解していた。
「こ、これで、名実共に、呪いのハゲ。なわけだな」
ステンカの指摘に、ドミトリーはまたも吹き出した。
手を口にあて、笑ってはいけないとばかりに、身体が震える。
笑い続ける二人を横目に、オルガは彼の胸に抱きついた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんが、どんな姿になっても、私はお兄ちゃんが好きだから」
「オルガ……」
そう言って、彼女は顔を上げる。
だが、その顔も、すぐに伏せられ、身体が細かく震えだしていた。
「オルガ、勘弁してくれ……」
笑いを堪える彼女に、ハールィチは大きく肩を落としていた。
「それでだ、これからどうするんだ?」
部屋にて、四人は話し合っていた。
「と、その前に、村長たちはどこへ行った」
寝台に腰掛けて、ハールィチが皆に問う。
「ああ、ハゲが倒れてすぐに、村の外へ出て行った」
――やはり、禿山にか。
ステンカの答えに、彼はそう思っていた。
「そっちは放っておいてもいいな、どうせ奴らには扱えない」
老人から与えられた力を理解し、扱えるのは、この世界では彼だけだ。
そして、あの老人は、普通の人には見えない。
それが分かっているからこそ、彼は余裕の態度であった。
「それでは、この村にいても情報は得られない。ならば……」
手を顎にあて、ハールィチは窓の外を見た。
「首都に行こう、少し聞きたいこともあるしな」
ハゲ頭が、日の光で反射していた。
街道を、首都に向けて、彼らは歩いていた。
「ハゲ、どうして急に、首都へ行こうと思ったのですか?」
オルガと手を繋ぐハールィチに、ドミトリーは問いかけた。
「この間、怪物退治が中止になる話を聞いた。それを確かめるためだ」
「中止ぃ?なんでまた……」
ステンカの反応に、彼は頭を振る。
「まったく分からん、こうなったら直接聞きにいく」
「直接って、一体誰に?」
「ウラジーミル公だ」
その名に、二人は驚いていた。
「ええ?ウラジーミル公って、公様だぞ?」
「会える訳ないですよ、私たちは一介の自由民なのですから」
彼らの言うとおりであった。
この時代、国の公は偉大な人とされ、目通りができるのは、位が上の役人か、親衛隊のみ。
たまに戦場で気さくな姿を、見せるぐらいで、下々の者にとっては、厳しく苛烈な人だとされてきた。
「無理だって、止めようぜ」
威勢のいいステンカも、これには及び腰になる。
行っても門前払いがオチ、最悪殺される場合もあるのだ。
「無理だというのなら、私だけでも行く。これは私の問題だからな」
オルガの手を握る腕に、力が込められる。
「このまま中止にされては、私の十年が無駄になる」
そう言い、彼はオルガを見やった。
十年前、彼はオルガと出会い、彼女を救った。
長いようで、短いその年月の間に、彼らは様々な苦労を重ねて、再び出会った。
その十年、されど十年。
それを無かったことにしたくはない、死んでいった仲間の事を思い出し、彼は歩き続ける。
「私は、ハゲについて行きますよ」
ドミトリーが、頼もし気に言った。
「ステンカは、どうしますか?」
振り向き、そう訪ねる。
彼は少しだけ考えると、こう答える。
「ここまで来たら、最後まで付き合ってやる。行こう、ハゲ」
三人は、大きくうなずいた。
「オルガ、君はどうする?」
「えっ」
傍らの彼女に、ハールィチは問うた。
「怖かったら、ついてこなくても、いいんだぞ」
オルガは勢いよく、首を左右に振り、ハールィチの目を見た。
「つ、ついて行きます。私、お兄ちゃんと一緒がいい」
「よし、決まりだ」
日が傾き始めた街道を、彼ら四人は進み続けた。
開けた草原のただ中の、川と濠で囲まれたその場所に、首都はあった。
木造の城壁は強固にできており、中の町を守ろうという気概が感じられた。
町の中心には、一際大きな建物があり、それが公の居城だというのが、遠目からでも分かる佇まいであった。
一行は、役所に出向き、謁見までの手続きを進めるのだが。
「今日は何用だ」
大きな役所の窓口にて、役人は、偉そうに腕組みをして座っている。
ハールィチは、懐から木札を取り出し、役人の前に差し出した。
その木札を見た役人は、ふんぞり返った身体を慌てて戻し、姿勢を正す。
「イズゴイ・クニャージのハールィチだ。ウラジーミル公に謁見を申し出たい」
それだけ、言う。
役人は、真っ青な顔で裏に引っ込むと、役所が何やらざわつきだしていた。
「おいおい、ハゲの奴、イズゴイ・クニャージと言ったぞ?」
彼から離れたところで、三人も驚いていた。
「イズゴイ・クニャージって、何ですか?」
きょとんとした顔で、オルガは二人に聞いていた。
「イズゴイは捨て子、クニャージはこの国の君主、つまり」
「つまり?」
「公の息子でありながら、継承権を持たない者です。様は私生児ということです」
ドミトリーの説明に、彼女は目を丸くさせていた。
「お兄ちゃんが、公様の、息子……」
呆気にとられる彼女の元へ、ハールィチがやって来た。
「少し日にちがかかるようだ、しばらくは宿で待機しよう」
そう言って、彼はオルガの頬を優しく撫でた。
「どうした?そんな顔をして」
だが、彼女は呆然としたままであった。
「ハゲ、お前、すごい身分だったんだな」
「すごい身分でも、頭がコレじゃあ、イマイチ締まらないがな」
笑いながら、ハールィチは己のハゲ頭を叩いた。
その様子に三人は笑顔を見せ、そのまま町中の宿にて、知らせが来るのを待つ事にした。
数日後。
役所からの知らせが届き、四人は謁見のために、公の居城へと赴いていた。
謁見の間にて、彼らは膝をつき、深く頭を垂れる。
「よく来たな、ハールィチよ」
威厳のある声が、部屋に響く。
「面を上げよ」
公の言葉に、皆は顔を上げた。
四人の前に、椅子に腰掛けた、公の姿があった。
体格は大きく、黒髪よりも白髪が多めに混じる、年老いた公だ。
その顔は、どことなくハールィチに似ている感じであった。
「そんな姿になって、苦労したのだな」
ハールィチの後ろで、ドミトリーかステンカが吹き出す声がした。
「それで、用件は何だ。言うてみい」
「はい、実は、怪物退治が取り止めになるとの話を聞きました」
彼は、大きな声で、それを言った。
「何故にお取り止めになられるのか、公様のお気持ちを伺いたく存じます」
「ああ、あれか……」
あごひげを撫でつけて、公は心当たりがあるようにうなずいた。
「実はな、あれの中に魔法を使うのがいると聞いてな、戦に使おうと思ったのだ」
四人は驚いていた。
「生け捕りにして、飼い慣らし、前線に持って行こうとしたのだがな……」
公の眉間にしわが寄った。
「あれは、言うことを聞かん。どんなに脅したり、なだめすかしても、こちらに牙を剥く」
――だろうな。
ハールィチは、そう思っていた。
「なので、毛皮を取る事にした。あれの毛皮は高値で売れる、貴重な交易の品になる」
公は、嬉しそうに語っている。
だが、彼らは不安な心境であった。
「毛皮はなるべく傷の少ないものがいい、だが、お前達は傷をつけすぎる」
彼の頭頂部に、汗が噴き出た。
「それに、あれは風土病の者を好んで食べるそうではないか」
ハールィチの胸に、隔離村の話が蘇った。
怪物どもは、人間の肉を食らう。それも、風土病の者を積極的にだ。
「風土病は何の役にも立たんと思ったが、あれの餌にはなるようだ」
冷酷な、言い方であった。
「という訳だ、お前たちによる、怪物退治は取り止めとする。今までご苦労だったな」
公の決定に、彼は激しく動揺していた。
――中止だと、私の十年は何になる、冗談じゃない!
「正式な命令は、後で出す。今は……」
「お待ちください!」
椅子から立ち上がろうとした公を、彼は大声で引き留めた。
「この十年、民衆のために戦った者たちはどうなります。無駄死にだと言うのですか!」
だが、公は答えなかった。
「私は、民衆のため、公様のために働きました。それを、取り止めだと……」
無表情だった公の顔が、にやりと笑った。
「取り止めだ。この退治の話は、最初から失敗だったのだ」
ハールィチの目が、大きく見開かれる。
「最初から、毛皮を取っていれば、どれだけ稼げたか。惜しいことをした」
「ならば、せめて褒賞を!死んでいった者たちのためにも、何か……」
「死んだ者に褒美はやれん。それにお前も父のために働けて、満足であったろう?」
冷徹な公の言葉に、彼の感情が爆発する。
「ふざけるな!」
杖を翻し、呪文を詠唱する。
公の周囲に青白い光が出現し、冷たくも熱い火の玉となって浮遊していた。
「無礼者め!」
親衛隊が、公を守ろうと、ハールィチに襲いかかる。
「やめろ!」
「させません!」
ステンカとドミトリーも、ハールィチを守るため、素早く親衛隊の前に立ち塞がった。
「……何のつもりだ、ハールィチ」
「褒賞を渡さぬのなら、この城ごと父上、あなたを吹き飛ばす」
ジリジリと火の玉が、音を立てた。
「これは嘘ではない、私はそれが出来る力を持っている」
公は、日々の報告により、息子ハールィチの能力を、十分に理解していた。
その気になれば、この木造の城を壊すぐらいは、わけないであろう。
それどころか、この首都を更地に戻すことにもなりかねない力を持っていた。
母に似て、大甘な性格だと思っていたが、実際はその逆で、冷酷な公の血を受け継いだ、恐ろしい男に、彼は成長していたのだった。
「……分かった」
公の顔が、青白く照らされ、彼は何か思いついたようだった。
「お前の訴えを認めよう」
ハールィチに剣を向ける親衛隊を下がらせ、公はあごひげを撫でた。
「ここより北、川を越えた向こうに、お前と同じ名の町がある。その一帯をお前にやろう」
謁見の間が、俄にざわつく。
「いずれはお前にやろうと思っていた町だ、今くれてやっても、惜しくは無い」
公は、側の者に、白樺の皮と鉄筆を持ってこさせ、何かを書き付けた。
「この文書を持って行け、お前を新たな分領公国の公にする正式なものだ」
それに公家の印を刻み、彼は鉄筆を置いた。
銀の盆に文書を載せ、それは恭しく彼の元へと届けられる。
ハールィチは、それを受け取ると、急いで確認する。
公の直筆の文字と印があり、そこに書かれるのは、町の名と、周辺の村の名。そして、父の名と、息子である、彼の名だった。
「どうした、不服か?」
公の言葉に、ハールィチは、我に返り、深く深く頭を下げていた。
数ヶ月後。
呪われし禿山に、彼の姿はあった。
剥き出しの岩肌の所々には、人の骸がいくつも横たわっている。
「やはり、無理だったな」
そう言い捨て、彼は死体を次々に魔法で炭にしていく。
それは、隔離村の役人だったものだ。
彼らは、禿山の力を手に入れることが出来ず、ただその身を野ざらしにするのみであった。
『人が、手にするには、まだ早い』
山に風が吹き、人の声のようなものが、した。
この禿山の岩石は、謎の力を持っている。
だが、今の人には、それを扱う技術も、理解も、全てが足りていなかった。
――これを人が手にするには、もっと、もっと、長い時間が必要になる。
そんな事を考えながら、彼は、山を歩き、進む。
「……帰るか」
見晴らしのいい場所にて、彼は振り返り、山の麓を見る。
そこには、故郷である、母と暮らした村と、分領公国の首都があった。
小さな分領公国の首都、ハールィチ。
故郷からさほど離れていない場所に、彼の現在の住まいはあった。
木造の素朴な城と、町を取り囲む、木の城壁は、とても重厚である。
木材資源の豊富なこの領地は、辺境でありながら、交易の要ともなる場所に位置する。
その首都、城下の町を、彼は一人で歩く。
通りでは、今日も賑やかな市が開かれていた。
魚や、塩、毛皮や果実に、銀製品など、近隣で採れたものや、交易でやって来たものが、様々なものが所狭しに並べられ、買われていく。
「あれは、ハールィチ公だ」
「ハールィチ公、お出かけですか」
「公様、お元気そうですね」
町の商人や、職人が、皆口々に彼の名を呼び、笑顔を向ける。
それに、彼はにこやかに微笑み返すと、城の前までやって来ていた。
「おい、ハゲ!」
身体の大きな男が、彼に声を掛ける。
男は真新しい鎧に身を包み、元気そうに手を振っていた。
「だめですよ、ステンカ。彼はハールィチ公なのですから」
中肉中背の男が、そう言って、男をたしなめる。
「ステンカ、ドミトリー、二人とも揃ってどうした?」
城前の広場で、二人は戦支度を整えていた。
「ええ、怪物が出たとの情報があったので、退治に向かうところです」
「任せてくれ、俺たちは百戦錬磨の経験がある、上手く毛皮にしてくるからよ」
力こぶを作って見せ、彼らは一団を率いて、活を入れる。
「お前ら、今日はハールィチ公が、直々にお見送りに来てくれたぞ、気合い入れろ!」
「はい、隊長!」
親衛隊の若き兵士が、大声で応える。
「おいおい、ステンカ、何もそんな大声で言わなくとも……」
少し困り顔の彼が、照れくさそうに言った。
「ハールィチ公、彼も念願の親衛隊隊長になれたので、嬉しいんですよ」
くすくすと、彼は笑う。
「では、行ってきます。ハールィチ公」
彼に深く頭を下げ、二人は部下と共に、町の外へと向かう。
「ああ、気をつけてな」
親衛隊を見送り、彼は居城へと戻って行った。
木造の城の廊下を、彼は歩く。
コツコツと足音が響く中で、その音が、向こうからもしてくることに、彼は気づいていた。
「お兄ちゃん!」
彼よりも、軽い足音だ。
細身の身体に、赤毛のおさげが二つ、その美しい髪を大きなスカーフで覆い隠した少女が、廊下の向こうから、走り寄って来ていた。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
「ただいま、オルガ」
胸に飛び込む彼女を、軽々と抱き上げて、彼は嬉しそうに笑顔を見せていた。
「どこへ行っていたの?ずっと一緒にいるって、言ったのに」
「悪い、少し出かけていたんだよ」
ばつが悪そうな顔で、彼は彼女の頬に口づけをした。
「お兄ちゃん、くすぐったい」
「ふふ、私をそう呼ぶのは、部屋の中だけにしてくれないか」
「うん」
彼女に手を取られ、彼は自室へと向かった。
部屋に入るなり、彼ら二人は窓辺から、外を見やる。
城壁の外には、近隣の村々が見え、遠くには、呪われし禿山が鎮座している。
「ねえ、お兄ちゃんの村って、どこ?」
「あれだよ」
彼女のあどけない問いに、彼は指を差して教えてやった。
「結構、近くなんだね」
「そうだな」
「今度、一緒に行ってみたいな」
そう笑顔を見せる彼女の頭を、彼は優しく撫でていた。
「その前に、オルガはもう少し、おしとやかにならないとな」
「ええ、なんで」
「お前は私の妃なのだから、もっとお上品でないと困るぞ」
彼の言葉に、彼女は頬を膨らませる。
「ほら、そんな顔をしている」
ぷくぷくに膨れた頬をつつき、彼は苦笑いをした。
と、その時、城前の聖堂から、昼の時刻を告げる鐘が鳴り始めた。
「かわいいな、オルガは」
「お兄ちゃん、大好き」
そう言って、二人はそっと口づけを交わした。
民衆のために戦った者たちを称える聖堂は、今日も人々に時を知らせる。
新たな公を戴いた、このハールィチの町は、ここよりさらに発展の歴史を、歩み出そうとしていた。
だが、それは遙か未来のお話であった。