第8話 「ありがとうの言葉」
多分、自分は幸せな人間なのだろう、と、蛍は思う。
より下を見て、あれよりマシだと自分を慰めるのが、いかに傲慢で卑しい行為であるかは、わかっているつもりではある。
でも。
飢えで、病気で、戦場で。
家族が、友達が、恋人が殺され、犯されることが珍しくない国々などいくらでもあるこの世界で。
他に類を見ないほどに、「ボケ」と揶揄されるほどまでに、平和という毒に麻痺した国に生まれ、その中でも裕福で権威もそれなりにある一族に生まれ、生活に不自由することなく、毎日を送れる。
それは、とても素晴らしいことだ。
確かに自分に与えられた時間は限られたものだが、それでも五体満足であることは、なによりもありがたいことである。
日々の「ほんの少し」の痛みと苦しみに耐えさえすれば、数年後のリミットまで、そんな優しい極東の島国――日本でただの女学生として過ごしていられるのだ。
一族のため、義務としてではあるが、子を設けることだってできる。
もちろん相手を自分の都合だけで選ぶことはできないだろうし、恋愛結婚を望んでも一族の者たちからは一蹴にされるだけだろう。
ただ、それでも自分を愛してくれる両親、家族たちは、普通のお見合いとして考えれば「良縁」といえる候補から相手を選ぶくらいはさせてくれるだろう。
少なくとも、体や金「だけ」を目当てにするような下賤な者は、できるかぎり――そう、あくまでできる限りではあるだろうが、その候補にいれたりはしないはずだ。
なら、きっと私は幸せな結婚が……そして短くはあるが母になることもできる。
20歳の「そのとき」まで、自分はわずかな苦痛と制限を引き換えに、そんな優しい世界を生き、女としての幸せを得、そして子に意志をつなげられるのだ。
それを、幸福と言わずなんといおうか。
神流森 蛍という少女は、この国において大人として扱われる誕生日までにこの世を去る。
それは、もう決まっていたことだ。
一族の女の生涯は、どれだけ長かろうと50年。せいぜいよくても40前半がいいところだ。自分はその短すぎる歳月の、さらに半分以下しか生きられぬ。
生まれながらにして決まってしまっているその運命に苦悩することも、己の境遇を呪うことも何度もあったが、今では受け入れたし、家族の、友人の、見知らぬ世界の人々のために逝けることを、誇れるとも思う。
自分は、間違いなく幸せである。
特定の宗教の神を信じているわけではないが、もし、この世界に何か大いなる意志のようなものが、自分を導いているのだとすれば――素直に感謝をささげよう。
神様、ありがとう、と。
そして、彼女は、今日も逢魔が時と――そして夜を駆る。
己の命の炎が散る、その一瞬まで。
止まることなく、歩み続ける。
そんな彼女が自分の生の証として、また、長い長い遺書代わりとして書いていた日記がある。
それは、その日に起こった「役目」のこともあれば、数少ない友人と過ごしたかけがえのない学校生活のこともあり、ごくまれには不安を書き連ねてあったりする、そんな日記だ。
ほぼ毎日書かれており、たまに日付が飛んだとしても次に記された時には前日書けなかった理由がかならず記載されている。
内容が「一族」に関するものを除けば、それ自体に特徴といえるものはない。
しいて言うなら、たまに日記の最後に「神様、ありがとう」「神様、皆が幸せであるように」といった一言が添えられていることくらいだろうか。
だが、それはある日を境に、それはぷつりと途切れている。
日付は、彼女がまだ17歳になったばかりのころ――彼女が高校二年の秋のころであって、決して「予定済み」である20歳の誕生日ではない。
さらに、彼女自身がその20歳まで神流森家にてしっかりと健在であったことからも、彼女の健康状態に問題が発生して物理的にかけない状態であったということも否定される。
日記から見て取れる特徴としては、断筆がなされた日から幾ばくか前から、とある少年の名前が唐突に出てきており、さらにその後も、何度も彼と――そして何人かの彼の関係者と思われる人々との関わりについて記述が繰り返されていることが挙げられる。
そして、それは唐突に記述がなくなり――しばらくの日付が飛んで、その日記帳において最後となる一文が書き込まれていた。
、
そこに記されていたのは、たった一言。
それまでの流麗なものとは異なり、震えるような文字で、こう書かれていた。
「ぶっ殺す、神様」




