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#10 辿り着いた夢の入口 ꕤ︎︎後編ꕤ︎︎



夕飯の食事や風呂が終えたあと、六畳の和室に2枚の布団が敷かれた。

周りに家具があるせいか、どう見ても距離が近かった。


「毛布は後で持ってくるわね」


早苗はそう言って、部屋を出ていった。

パタン…と静かに襖が閉まる。


わずかな間が流れたあと、理子がぎこちなく笑った。


「同じ部屋で寝るのグランピングの時以来ね…」


「…… お、おう」


ハルトもぎこちなく笑い、ふたりは目を逸らしたままだった。

理子は小さく息をついた。


「こんなことなら帰ればよかったじゃない。結局、夕飯の席でも、誰かさんは怖気付いちゃって私たちのこと話せなかったし」


理子は嫌味たっぷりに言った。


「仕方ねーだろ。懐かしい思い出に花が咲いちまったんだから。あれじゃ言い出せねーよ」


そう。昔の思い出で盛り上がり、ふたりのことを言いそびれてしまった。

あんな流れで切り出せるほど、ハルトは器用じゃない。


理子は布団に倒れ込み、枕に顔を埋めて叫んだ。


「もうっ。いつになったら話すのよー!」


声はくぐもっていた。苦しくなり顔を横に向けると、仰向けに寝転び、ぼんやり天井を見つめるハルトが目に入った。


「こうなったのもあんたのせいよ、ハルト」


理子は鋭くハルトを睨む。


「はぁ?」


ハルトが呆れたように返すと、理子はガバッと勢いよく起き上がった。


「あんたが親に話しに実家に行こうなんて言うから、こんな生きた心地がしない週末の夜を過ごすはめになったんじゃない!」


「しなくちゃいけないことだろ。なんでそう逃げるんだよ!」


「なんであんたはいつもそうド正論なのよ、あったまくるわね!」


理子は思わず手を出し、ハルトの両頬を思い切りつねった。


「いってーな!離せよ!」


ハルトは理子の手首を掴み、勢いで起き上がった。


「離さない!せっかくの週末を台無しにされて頭にきてるんだから!……きゃっ!」


ふと、バランスが崩れたのと同時に、ハルトの頬から理子の手が外れ、ハルトは理子の手首を掴んだまま押し倒す体勢になった───


静かな気配の中、理子の顔にハルトの影が落ちる。


「ちょっと……離してよ…」


理子はハルトを見つめたまま静かに言って小さく抵抗した。

するとハルトは、手首を掴む手に、グッと力を込めた。


「……逃げんなよ」


そっと低く呟いて、ハルトは理子に顔を近づけた。

理子はそっと目をつぶり、ふたりの唇が重なった。


そのとき────


「理子ちゃん、ハルト。毛布、持ってきたわよ」


襖がガラッと開いた。


キスを交わすふたりの姿を目の当たりにし、早苗は目を見開いた。


「……え?」


それだけ言って、毛布を両手に抱えたまま固まる早苗。ハルトと理子は唇を離すと、体勢はそのまま、早苗を見て固まった。


「あ、あなたたち……なにしてるの……キ、キス?」


静かに動揺するように、早苗の呼吸が浅く早くなる。


「あ、いや、これにはわけがあって……」


ハルトは慌てた様子で理子から離れた。


次の瞬間────


「お父さぁぁぁん!」


早苗は悲痛な声を上げると、毛布を放り出して階段を駆け下りていった。


ハルトと理子はハッと顔を見合わせ、起き上がると、早苗の後を急いで追いかけた。






階段をうるさく駆け下りてくる足音に、高座椅子に座っていた三浦孝介は眉を寄せた。

子供ふたりが久しぶりに帰省し、家族4人で過ごした穏やかな時間の余韻に浸っていたところだった。


その静かな時間を破るように、階段のすぐ下にある和室の襖が勢いよくガラッと開く。


「お父さん!大変なの!ハルトと理子ちゃんが…!」


早苗の息は上がり、目は血走っていた。

そんな妻の顔を今まで見たことがない孝介は、不穏な空気を漂わせ椅子から立ち上がった。


「どうしたんだ?何事だ?」


早苗は一瞬息を飲み、思い切り吐き出した。


「キスしてたのよぉぉぉぉ!」


「はぁ?」


孝介が理解に苦しむと言うように、シワの刻まれた顔をしかめた。


「ハルトと理子ちゃんがキスしてたの!ねぇ、大事件よ、お父さん!」


「早苗、落ち着きなさい」


早苗の肩に手を置き、宥めていると───


「母さん、これにはわけがあって!」


「話聞いて!」


ドタドタと大きな音を立てて、ハルトと理子が階段から降りてきた。


「どういうことなんだ、ふたりとも」


騒ぎを制するような孝介の厳しい声音が、夜に落ちる。

ハルトと理子はほんの一瞬、気まずそうに目を合わせてから、理子が口を開いた。


「ハルトに無理やりされたの!」


「はぁ!?」


ハルトは思いきり顔をしかめて、理子を見た。


「無理やり!?ほんとなの理子ちゃん!」


理子は被害者ヅラを浮かべながら頷いた。


「わたしの色香に負けたのかな……急に襲ってきて……」


隣で聞いているハルトは、理子の白々しい演技と逃げる態度にほとほと呆れ、小さく俯き、額に手を置いた。


「本当なの、ハルト?あんた最低よ!そんな息子に育てた覚えないわ!」


早苗のハルトを見る目は軽蔑の色に染まっていた。


「実は初めてじゃなくて、こないだ会った時も別れ際に…キス、されて…」


「……そんな嘘で逃げられると思ってんのかよ」


ハルトは低く小さく呟いた。

その隣で、早苗はハルトを鋭い視線で見つめ、理子の肩を包み込む。


「ハルト、あんたどういうつもりなの!」


「あーごちゃごちゃうるせーな。いい加減にしろよ」


ハルトは理子の手に指を絡め握ると、孝介と早苗に見えるよう、上へ持ち上げてみせた。


「俺たち付き合ってるんだよ」


理子は息を飲み、早苗は耳を疑った。


「付き合ってる…?あんたと理子ちゃんが…?」


「ああ。今日は姉ちゃんの離婚の話と、この話をしに来たんだ」


真剣な眼差しで自分を見つめるハルトの瞳に、孝介は、嘘や偽りを感じなかった。


「本当なのか、理子」


孝介の、父としての威厳ある視線が刺さり、理子は怯む。


「はい……本当です」


「まったく、お前というやつは……」


孝介は息をついた。


「なぜハルトに濡れ衣を着せた」


「……面白いかと思って」


理子は、少しだけ唇を尖らせた。

孝介は部屋に向き直り、低く言った。


「ふたりとも、入りなさい。話がある」


その場の空気が引き締まった。

その背中は厳かで、有無を言わせない。

ハルトは内心、震えあがった。






「付き合ってるってどういうことだ!」


ドン!と、テーブルを拳で思いきり叩いた孝介の声と顔には、恐怖を感じさせるような圧が滲んでいた。


正座で座らされている理子とハルトはビクッとなり、息を飲んだ。


「自分たちがしていることが、どんなことか分かっているのか!」


「ああ、わかってるよ。お互いに特別な感情を持ってて、真剣に付き合ってる」


まっすぐ前を向き、背筋を綺麗に伸ばしたハルトの堂々たる姿勢は、恐れのなさを物語っていた。


「特別な感情って、おまえたち、姉弟なんだぞ!」


ハルトの胸にその言葉の重みがチクリと刺さる。


「そうだけど、血縁はない」


ハルトは躊躇いなくきっぱりと言った。


「理子、おまえはどうなんだ!ハルトは弟なんだぞ!」


理子は孝介の大きな声にうんざりしたように息をつき、俯いた。


「どうって……相手がハルトなら、お父さんだってよく知ってるんだから安心でしょ」


少し反抗するような目で、理子はチラリと孝介を見る。


「馬鹿者!そういう問題じゃない!」


「じゃあどういう問題よ!」


理子がテーブルから身を乗り出す勢いで言う。


「姉弟だろうがなんだろうが、私は真剣にハルトのことが好きよ!それにもう…」


勢いが失速し、理子は目を伏せる。


「……もう、姉弟だからって考えるの嫌になっちゃったの…」


孝介は黙った。その顔は苦悩に苛まれているようだった。


「父さん……」


ハルトの呼ぶ声に、孝介はゆっくりと顔をそちらに向けた。


「驚かせて悪いと思ってる。でも俺、自分が間違ったことをしてるとは思ってないよ。」


かすかに戸惑いを帯びた孝介の視線が、ハルトに向けられる。


「父さんが母さんと出会って恋したみたいに、俺も姉ちゃんに、そうだっただけ。それでも、周りから見れば異端で、たとえ父さんと母さんが認めてくれなくても、俺はこの気持ちを、貫きたい」


情熱だけに突き動かされた、まっすぐな想い。

それは時として、父親の胸を不穏に揺るがす。


「今だけの感情だろう。じきに冷めてお互い興ざめするのが関の山だ」


孝介はハルトから目を逸らしたが、ハルトは孝介を見つめたまま言った。


「父さん、俺、子供の頃からずっと、姉ちゃんのことが好きなんだ。ずっと葛藤してきたよ」


──そう。いつも考えていた。

愛か、それとも姉か。


一瞬、孝介の視線がハルトへと動く。


「今だけの感情じゃない。この先もずっと姉ちゃんのこと、好きでい続ける自信がある」


触ると火傷でもしそうなほど熱そうなハルトの想いに、孝介は重々しく息をついた。


「お父さん。私、ハルトのこと、本気で好きなの。ちゃんと覚悟はあるから」


理子は必死に訴えかける。

孝介は腕を組み、横を向いた。


「ふたりとも……少し、頭を冷やしなさい」


孝介の声は低く、その横顔は不安に揺れながらも、どこか厳かだった。






古いアルバムが1枚、また1枚と、めくられる。

楽しそうに笑う、小学生のハルトと高校生の理子のツーショットが、何枚も収められている。

傍から見れば、本当の姉弟のようなのに、まさかこんな未来になるなんて──孝介は思ってもみなかった。

それでも、孝介は口元にわずかな笑みを浮かべながら、どこか懐かしむように大事そうにアルバムを眺めた。


襖がそっと開き、お盆に湯のみを載せた早苗が静かに入ってきた。


「あなた……大丈夫?」


テーブルに湯のみを置き、早苗は畳に腰を下ろした。

孝介は早苗を見てから、またすぐにアルバムに視線を落とした。


「ああ……。昔のアルバムだ。ディズニーランドへ行った時の写真かな。ハルトの泣き顔や、ふたりの仲良さそうな写真ばかりだ」


「仲が良さそうじゃなくて、仲が良いのよ。昔も今も」


孝介は何も言わずページをめくる。


「ねぇ、あなた。ふたりのこと、応援してあげたらどうかしら」


孝介のアルバムをめくる手が止まり、視線はアルバムから早苗へゆっくり移された。


「あなたの一言で別れるわけないわ。燃え上がるだけ」


早苗は穏やかにクスッと笑った。


「ふたりに血の繋がりはないんだから、問題はないでしょう?それでも、世間からの目は厳しいかもしれないわよ。だからこそ、せめて私たちはあたたかい目で見てあげましょうよ」


孝介は目を伏せ、また写真を眺めた。


「あのふたりはもう大人なんだから、大丈夫よ。理子ちゃんも、ハルトもいい子よ」


「知ってるよ。いい子たちだ」


孝介はふっと、やわらかな笑みを浮かべた。


「親の再婚に文句も言わず、連れ子同士仲良くして。互いの親にも懐いてくれて。この子たちのおかげで、新しい家族になれた」


孝介は、家族4人で映る写真を、指先でそっと撫でた。


「じゃあどうして味方してあげないの」


「心配だからだよ。ふたりがうまくいかなかったら、今までの絆がなくなってしまうだろ。それに血縁はないと言えど姉弟。世間から傷つけられるふたりを見たくないんだ。」


その言葉は弱く、そして何より優しかった。


「特に理子はね。高校生になるまでは俺が手塩をかけて育てたんだ。そんな子が傷ついて悩む姿を想像したらたまらないよ」


孝介は声を震わせ、パタン…と静かにアルバムを閉じた。


「大丈夫よ。ハルトがついてる」


早苗は、アルバムの上に置かれた孝介の手に自分の手を優しく重ねた。


「離婚した話をしてくれた理子ちゃん、覚えてる?『ハルトがいてくれたから立ち直れた』って、すごく安心しきった顔をしていたわ」


孝介も思い出し、目を細めた。


「ああ、そうだったな……」


「ハルトは理子ちゃんのことが、きっと大好きよ。絆を失うなんてことは絶対にないわよ」


早苗の心強い言葉が、孝介の心を包み込んでいく。


「すぐに終わる恋じゃなかろうな……」


孝介は、ぽつりと呟いた。


「子供の頃から好きだったって言ってたじゃない」


早苗は孝介の顔を覗き込む。


「おまえ……聞いていたのか」


孝介は呆れたようにわずかに笑った。


「なかなか飽きない、あの子の執着心はすごいわよ。母親の私が、保証するわ」


早苗の頼もしい笑顔に、孝介の瞳が揺らぐ。


「そうか……」


静かな夜更けの中で、孝介の頑なな心が少しづつ解されていった。






「じゃあ、また来るよ。父さん、母さん」


玄関で靴を履くと、ハルトと理子は並んで立つ両親を振り返った。

4人の表情はどことなく固い。


「これ。荷物になって悪いけど、野菜とか残り物とか、持って帰りなさい」


早苗が理子に紙袋を渡すと、理子は微笑んだ。


「ありがとう、お母さん」


少しの沈黙が、穏やかな風のように流れた。


ふいに、ハルトと理子が顔を見合わせた隙に、早苗が孝介の腕を肘で軽く突っついた。


コホンと、孝介が恥ずかしそうに咳払いをした。


「ハルト、理子。また来なさい。今度は……ふたりで手でも繋いで」


孝介の視線が不器用に宙を泳ぐ。

そんな孝介の言葉に、ハルトと理子の顔がふっと和いだ。


「お父さん……」


理子が思わず歓喜の声を漏らした。


「ハルト」


自分に向けられた、孝介の重い口調と真っ直ぐな視線に、ハルトは背筋が伸びた。


「理子を頼んだぞ」


許されたような想いに、ハルトは密かに胸を撫で下ろし、静かに力強く頷いた。


「はい」


その一言は短かったが、確かな覚悟を帯びていた。


「またすぐにでも遊びに来なさいね」


早苗の言葉に、ハルトと理子は笑顔を浮かべ、玄関のドアをふたりで開いた────。

まるで、新たな扉を開くかのように。





商業施設のテラスから見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。

穏やかな空気が、軽くなったふたりの心を、さらに軽やかにした。


「父さん、めちゃくちゃ恐かったな」


苦笑いを浮かべるハルトの隣で、理子は、ふふっと笑った。


「昔と変わらなかったね」


理子の髪が風でふわりと揺れる。


「じゃあ次は、結婚式の日取りでも決めるか」


「はぁ?気が早いわよ。先走りすぎ」


目の前に広がる景色を見ていた理子は、チラリとハルトを見やってから、景色に視線を戻した。


「じゃあ、キスの続きでもするか」


「はぁ?生意気言ってんじゃないわ───」


呆れ笑いながらふっと向けられた理子の唇に、ハルトは軽くキスをした。


理子は、わずかに目を見開いた。


「言ったろ?この山超えたら、キスしてやるよって」


ハルトは無邪気に笑う。


「……実家でもしてきたけどね」


「あれはまずかったな」


ハルトは照れ笑い、手で口元を押さえた。


「まぁ、それで、話せるきっかけができたんだけど」


理子の口元がにっこり笑う。

ふたりの間に、穏やかな風がそっと吹き抜けた。


「あ。姉ちゃんあの時、俺に無理やりキスされたって言ったよな。なんだよあれ。俺めちゃくちゃ焦ったんだからな」


「だって怒られたくなかったんだもーん」


「なんだよそれ。だいたいあんな嘘で逃げられると思ったのかよ」


「嘘じゃないわよ。私の色香に負けてキスしたくせに」


「姉ちゃんのどこに色香があんだよ」


せせら笑うハルトの横顔を、理子は睨んだ。


「そんなこと言ってると、ハルトが8才までおねしょしてたこと、ここから大声でバラすわよ」


スーッと息を吸いこみ、開きかけた理子の口を、ハルトは慌てて両手で塞いだ。


塞がれた両手の奥で、理子は声にならない声を発している。


「姉ちゃんやめろって!」


ハルトは笑って制しながら、この幸せを噛み締めた。


ふたりのじゃれ合いは、広がる青空のようにどこまでも続いていく。

どんな困難があっても、きっと笑っていられる。

──ふたりいっしょなら。これからも、ずっと。




最後までお読みいただき、

本当にありがとうございました!

この作品はこれにて完結です。

応援してくださった皆さま、

本当にありがとうございました✧*。

そして明日からは、休載していた

『猫は夜にひっそり泣く』の更新を再開します。

これからもよろしくお願い致します。

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