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私は猫  作者: 原口光陽
4/8

猫になる

 院長がやって来た。小さな声で家族に何かを言い、家族は頷いて病院の裏へ向かった。

 彼は私に気づいた。互いに顔見知りである。黒縁のフレームのメガネ姿だ。いつものように優しそうな顔をして私とすれ違った。

 そのときだった。

 待合所のテレビが急についた。天井の白い照明がチカチカと不気味に点滅した。真っ白な画面が映り、声がした。男の人の声だ。な、何? 驚いたことに、その声の主はおどろおどろしい声でこんな風に言った。


「事故を目撃したセイナよ。長老猫ハルのお告げがあった」


「ん?」


「もうすぐ猫戦争が起こる。男子に取り憑いた化け猫ジマを倒し、邪悪な魂を壺に封印して七十二時間以内に猫戦争を終わらせよ。そうすれば、タケルの意識は戻る」


 野太い大人の声で、実に冷淡な口調だった。やがて、テレビは勝手に消えた。言葉も聞こえず、静かな待合所に戻った。照明もちゃんとついた。

 何だろう? 意味不明のことばかりだ。

 気が動転した。どこかで聞いたような声でもある。テレビの中に入って私に語りかけたのか? だれ? だれなのよ。実に不気味なメッセージだ。

 テレビからメッセージの音声が聞こえたのも驚きだが、その内容は信じてもよいものなのか。とても疑問である。今夜にかぎって、疲れた私は、聞こえもしない声を聞いたのか。にわかに信じがたい。長老猫とは何だ? そのお告げ。猫戦争。化け猫ジマを倒せ? 邪悪な魂? あげくの果てに、その魂を封印? 七十二時間以内に猫戦争を終わらせろ? 何も知らないし、はじめて聞くことのオンパレードだ。それらをすべて満たせば、タケルの意識が本当に戻るのかしら? とても非科学的な話である。どこにも論理的なものがない。理解に苦しむ。


「これはいったい、どういうこと?」


 私はこうした状況に置かれ、素直に聞き入れられなかった。長老猫だの、化け猫だの、邪悪な魂の封印だの、どれも何かの作り話か小説めいている。いつもの私ならば、バカみたいとせせら笑うだろう。私はタケルの友だちだ。友だちとして、一人の片思いの女の子として、タケルの意識を取り戻す方法があるのなら、その方法を使って試したかった。何とかして彼が元に戻るのに貢献したかった。目の前でトラックにぶつかられ、ケガをした。意識もない。そして、私は何もしてあげられないでいる。何たる無力感。何たる虚無感。このまま意識が戻らなければ、タケルは死んだのも同然ではないか。そうした思いは強かった。強さが高じて、私の思考は冷静さから不可思議さへ大きく針を振り切った。状況の悪さが私の心を追い詰めたといっても過言ではない。私は頭も切れないし、成績もいい方ではない。疲れた私にテレビが語りかけたのはウソなのか。化け猫征伐と猫戦争。

 時間がたつにつれ、しだいに妙な考えに囚われた。だれかの呪いがテレビを通して私に語りかけた。そう思うようになった。平凡な女子高生の私だが、タケルのピンチを見た人間は私。その私に白羽の矢が立った。つまり、患者を救うには、正義の味方に変身し、悪影響を及ぼす化け猫を退治すること。誰かが暗にそんな風に望んでいる。頼りにしている。そう思うようになってきた。

 病院から家までは近い。タクシーを使わず、徒歩で帰宅した。

 自宅に着くと、そうした使命感が私の頭の中を支配していた。使命感だけがメラメラと燃え、食事もとらずに二階の居室へ直行した。パジャマに着替え、眠りについた。

 まだ夜の明けきらぬうちに、鳥の鳴き声で起こされた。カラスの仕業である。朝からギャーギャーと聞き苦しくてうるさい。


「もう。眠いのに、うるさいなぁ」


 額に皺を寄せ、目覚まし時計を見る。時計の針は五時を示している。外は暗い。秋の五時は真っ暗で寒い。未明といってよい時刻である。

 舌打ちして起きた。起きて一階へ下りた。腹が立ったら、腹がへった。冷蔵庫の持ち手を引く。冷凍室にいいものがあるはず。手でまさぐると、あった。冷凍室に保存してあるおにぎりに目を付けた。一つ出して、レンジで温めた。なにも入ってないし、かかってもない。塩をふりかけて食べた。胃袋がびっくりしたのか、ギュルルルルーと鳴り、恥ずかしい。

 おにぎりを食べ終わった。

 額に汗をかき、二階へ戻る。闇夜のカラスを呪った。居室に入り、スマホを見た。見ただけではすまず、写真のフォルダを開けた。ファンを自認している男性アイドルの写真を眺めているうちに、だんだん瞼が重くなった。再びベッドに体を横たえた。目覚まし時計が鳴る時刻まで眠った。

 私は二度寝して、その日の朝を寝過ごした。ありがちなことをやってしまった。目覚ましのアラームを止め、寝てしまったようだ。欠伸をしながら起きて目覚まし時計を見た。


「あっ、ヤバイわ。もう、こんな時間。学校に遅刻しちゃう」


 大慌てで着替え、カバンを持って部屋を出た。ふと、昨夜のテレビが頭をよぎった。

 長老猫ハルのお告げがあった。もうすぐ猫戦争が起こる。男子に取り憑いた化け猫ジマを倒し、邪悪な魂を壺に封印して七十二時間以内に猫戦争を終わらせろ。そうすれば、タケルの意識は戻る――。

 私しかあの場にはいなかった。あの台詞を聞いた人は私以外にいない。私がタケルを救いに行かねば。足がその場で止まる。遅刻はたまにするし、もう定刻に間に合わないのは目に見えている。私はカバンを手に、どうしたら化け猫ジマを見つけ、倒すことができるのか。真剣に考えた。

 起床したばかりで、取りとめのないことを考えながら階段をとんとんと下りた。下りている時、途中の一段を踏み外した。「あっ」と思った時にはもう手遅れだった。ズドドドド。尻を下にし、派手な音を立てて落ちた。最後に、壁に頭をぶつけた。

 打ちどころが悪かったのだろう。私は意識を失った。

 どうしてなのかはだれにも説明がつかない。意識が遠のき、それが体に戻って気づいた。私の体は猫になっていた。

 私は猫。


「ニャンとも、猫じゃん」


 私の足の裏にはふくよかな肉球があり、動物の短い足になっている。体毛が長く生えている。前足で頭に触れると猫の耳があり、尻の先には尻尾がついている。私は完全にメスの猫に形を変えてしまったのだ。

 とにかく、驚いた。私は流家の階段を背にして、猫のような風体で自宅にいた。


「おや、まあ。こんなところに猫がいるわ」


 明子の声がした。

 心の中では「母さん、私よ、私」と叫んだものの、口から出た音はミャアミャア、ミャオオという猫の鳴き声。


「しっ、しっ。ウチの猫じゃないの。おまえは野良猫。入るんじゃないの。あっちへお行き」


 明子は邪険な態度で私を追い払う。私はすねながら後ずさり、玄関から外へ出て行った。

「ちぇっ。なんてひどい母さん」

 家から離れて、とぼとぼと近所を歩いた。歩いていると、ニトランが現れた。近所で飼われている猫だ。ときどき外に出る。今日は塀の上にいた。こちらに向かって、「よう、元気か」と猫の言葉で鳴いた。


「ニトラン。私よ、私。セイナよ」


「違う。きみは猫だ。猫のステラだよ」


 ニトランは私を私の知らない名前で呼んだ。あくまでも私が猫であると主張した。


「分かったわよ。私はステラという名の猫ね。そう言うのなら、そういうことにしましょう」


「ステラ。きみは猫として、こちらの世界に来たんだ。もちろん、ステラはセイナの生まれ変わり。俺はそれも知っている」


「そうなのよ。さすがは賢い猫ね、ニトランは。私、うれしい」


「ステラ。きみをいいところへ招待しよう。ついてくるがいい」


 ニトランは先頭になって尻尾をピンと立て、すたすたと歩いて行く。ステラはニトランに遅れまいとついて行った。ニトランはぴょんと塀の上に飛び移る。ステラもそれにならうようにして飛び移り、片足が塀にかからずに落ちかけた。まだ猫の動作に慣れてない。猫舌を出した。ニトランは振り返ることもなく、どんどん先を行く。平均台を渡るように塀の上をバランスよく歩いたかと思うと、今度は工場の庇に下りてさささっと駆けて行く。庇から別の塀の上を足場にし、また別の屋根に飛び移る。ステラは同じ動作をまね、やや遅れながらもニトランの後を追った。

 途中でいくつかの危険が待ち受けていた。

 地上に下りて歩いていると、犬にほえられて追いかけられた。一目散に走り、屋根の上に逃げのびた。ここまでは犬といえども登って来られない。いわば安全地帯である。

 しめしめ、と安心したら、こんどは別の敵のおでましだ。

 屋根に近い木の枝から、二つの目が光ってこちらを見ている。ねっとりした視線の持ち主はヘビだ。木の枝にヘビがいて、こちらをじっと睨みつけている。猫にとってヘビは天敵である。ステラは後ずさり、息をのんだ。その場で立ち尽くし、動けない。


「危険だわ。どうしよう」


 ヘビは木の枝にロープのような胴体をからめながら、じわじわと先端へ移動する。かなり大きなヘビである。ゆっくりとステラに狙いを定め、距離を詰める。口を開け、舌を出し、シューシューと音を発している。

 ステラは足がすくんで動けない。体毛が逆立った。フギャーと鳴き、ヘビを威嚇する。


「ニトラン、助けて!」

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