異端児たちによる探求
(1)
うっすらぼんやりと、かすんだ白色の世界が目に映る。
「んぁ?」
間の抜けた声を漏らしながら、彩花は目を細めた。
(なんで私は、こんなぼやけた世界にいるんだろう?)
寝起きなので、頭の働きがにぶい。彩花の場合は、寝起きに弱いので他の人よりも、さらににぶい。
本人にもその自覚があるから、彩花はあわてない。
しばし毛布の中で、ぽや~っとしてすごす。
(そっかぁ。部屋の天井だ~)
白色の世界を眺めていた彩花は、それが自室の天井であることを突き止める。
ということは、眠りから覚めたのだということになる。
ゆっくりと上半身を起こす。
ここまでの所要時間、約10分。
しかし、いまだに体も思考もふわふわとしていて、起こした上半身が左右に揺れた。
(そっかぁ、今日はお休みだぁ。もういっかい、寝ちゃおうかな)
せっかく起こした上半身は、すぐにでもベッドに倒れ込んでしまいそうだった。
「彩花。おはよう」
部屋の壁に背をもたれて、ファッション誌を読んでいた女の子が挨拶をしてきた。
その声で、二度寝の誘惑は、どうにか断ち切られた。
でも、声の主の顔を見た彩花は、どちら様でしたっけと言わんばかりに首に角度をつけて、かしげる。なんなら、なんで私の部屋にいるんですか、と口にしてしまいそうだった。
考えがまとまらなくて、めんどうくさくなってきた彩花は、思考放棄して、やっぱり二度寝をしてしまおうかと考えだした。
しかし、親友があいさつをしてくれたのに、それは失礼だという気持ちが、かろうじて勝った。
そうだ。この子は親友だった。
おんなじマンションに住んでいる幼なじみで、彩花は彼女をお姉ちゃんのように慕い、彼女は妹のように彩花をかわいがってくれる。
そんな彼女の名前は。
名前は……?
「あ~。優美ちゃん。おはよお」
もやーっとしていた記憶の輪郭が、ようやく形になった。
瞳が捉えた人物と、口にした固有名詞とが一致しているか確認するように、彩花はゆっくりと優美の名を呼びながら、挨拶をした。
ひきしまった瞳で彩花を見つめていた優美はやがて、彩花が自分の名を呼んでくれると、やさしく目尻を下げて、手にしていた雑誌に目を戻した。
「あいかわらず、寝起き弱いわね」
今度は別方向から声が聞こえてきたので、彩花は反応して顔を振った。
徐々に頭が働いてきたおかげで、優美に顔を向けたときよりも素早い動きだったが、それでも他の人に比べれば、ゆっくりとした動きで、
「沙耶さん。おはようございます」
そしてやっぱり、優美のときと同じように、ゆっくりとその名前を紡いで挨拶をした。
彩花の勉強机に座って漫画を読んでいた沙耶が、くすくすと笑いながら、
「アレよね。寝起きの彩花に名前を呼んでもらえると、安心するわよね?」
そう言うと、優美は即座に同調した。
「わかります」
「すごく丁寧に名前を呼んでくれるのはうれしいんだけど、忘れられちゃってたらどうしようって、ドキドキするわよね」
「平日は会う機会が少ないから、なおさら不安になりますよね」
「罪な女だ、水橋彩花」
「だから、いつも言ってるじゃないですか。彩花はこう見えて小悪魔だって」
テンポ良く、会話のキャッチボールをしていた優美と沙耶についていけない彩花は、優美がしゃべれば優美のほうを向いて、沙耶がしゃべれば沙耶のほうを向いて……。
という具合に、顔を左右に振っていた。
「彩花、私たちの苗字、ちゃんと覚えてる?」
二人が投げ合っているボールを目で追う子犬のように首を振っていた彩花は、沙耶に質問されて、動きを止めた。
「沙耶さんは天川。優美ちゃんは清水」
素直に出題された問題に答える。沙耶にバカにされていることには気づいていなかったが、
「あっ!」
ワンテンポ遅れて、沙耶の皮肉に気づいた。
「もう。沙耶さんったら。そのくらい覚えてます」
両手で握りこぶしを作り、上下に振って、怒りを表現した。
優美は、高速で瞳を動かし、その様を観察する。
すさまじい反応速度であった。
口元は雑誌で隠し、ひたすらに彩花を眺めていた。
「むっつりめ……」
沙耶が目ざとくそれに気づくけれど、優美はなにごとも無かったように雑誌を再読し始めた。
沙耶と優美は、同じ大学に通う間柄だった。
沙耶も、女子高生のときは、優美と彩花と同じマンションに住んでいたのだが、大学進学を期にマンションを出て、知人とルームシェアを始めていた。
「てか、彩花。いいかげんに起きたらどう?」
いつまでもベッドから出て来ない彩花を、年長者らしく沙耶が注意した。
「あっ、ごめんなさい」
注意され、あわててベッドから出たものだから、彩花はふらふらと左右に揺れた。
すると、すぐさま優美が駆けつけて、彩花の体を支えた。
すさまじい反応速度であった。
「ありがとう。優美ちゃん」
彩花は、感謝の気持ちを、そのまま笑顔にして顔に出した。
「うん。いいよ」
対して、クールな笑みを返す優美。
(優美は、いつまで経っても感情表現が下手ねー。かっこつけっていうか……)
見守っていた沙耶は、優美のダメ出しをした。
まっとうな評論と言うことができよう。
しかし、そうして年上風を吹かせている沙耶にだって、欠点はある。
それも、優美などとうていおよばない、とっておきの。
(2)
ベッドから抜け出た彩花は、恥ずかし気も無くパジャマを脱いだ。
素肌があらわになったけれど、彩花本人も気にしていないし、優美も気にしない。
幼なじみで女同士、しかも、お互いに女子校出身なので、女子のまえで裸になることにも抵抗が無いし、女子が目のまえで裸になることにも、いちいち反応したりはしない。
ただし、優美はさり気なく、彩花の胸にある、立派なふたつのふくらみを覗き見ていたが。
その行為は、スケベ心からでは無く、無いものねだりの精神からだ。
優美は、典型的なスレンダー体型なのであった。
「彩花。大学生のお姉さんからの忠告なんだけどね。すこしは恥じらう癖を付けておいたほうがいいわよ?」
沙耶が彩花に忠告すると、
「先輩が、それを言いますか?」
優美は冷ややかに指摘し返す。
「いやでも、同性同士だと、気兼ねが無くなりすぎるでしょ? 例えば、椅子に座るときに、いちいちどっこいしょって言ってみたり、ベンチに座れば、あたりまえに、どっかり深く腰かけて、パンツが見えてることも気にせず、おもいっきり脚を組んでみたり……」
「それ、先輩のことですよね? 女同士とか関係ないですよね?」
「揚げ足を取らないで!」
「いや先輩、揚げ足っていうか……」
「いいから言わせて!」
「はぁ」
「男女共学の大学に行って、初めて気づいたのよ! お手洗いを便所って言うこと、人まえでケツ……、お尻を掻くこと、笑うときは大口を開けて笑うこと、でかい声でくしゃみをすること、あまつさえ、いま大きいの出たわって、また大口を開けて笑うことが、いかに恥ずかしいことなのか!」
溜めていた想いを一挙に掃き出し、肩で息をする沙耶。
「それも、ぜんぶ先輩のことですよね? 要するに、先輩には、恥じらいっていうものが無いんですよ。女子校出身とか、男女共学とかは言い訳です」
熱弁していた沙耶だが、優美が表情を変えずに正論を浴びせると、がっくり肩を下ろして、椅子に座った。
どっこいしょとは言わなかった。
優美と沙耶がかけ合いをしている中、彩花が首を左右に振ると、一緒に、ゴムまりみたいなほど良い弾力のお胸も、たゆんたんゆんと揺れていた。
沙耶がため息をついて、両手で顔を覆っているところに歩み寄って、
「沙耶さん。なにかあったんですか?」
心配そうに覗き込んで、沙耶を気遣った。
「ほら、こないだの白ワンピ」
しかし、優美が言うと、
「あはっ!」
たまらず思い出し笑いをしてしまった。
顔をおおっていた指の隙間から沙耶ににらまれ、口元を両手でおおったが、笑いがおさまらず、体が震えてしまう。
「ふんっ!」
「きゃっ……!」
沙耶は、彩花の右手首を掴み、勢いよく持ち上げて、脇の下を凝視した。
「ちっ、見せる相手もいないくせに、しっかりしてるわね」
「あ、あの……。沙耶さん、そんなに見ないでください……」
「なによ? その生意気なものをさらすのは平気で、なんで脇の下を見られるのは恥ずかしいのよ?」
と、ご不満の沙耶と、やれやれと息を吐いて二人のやりとりを見ていた優美には、生意気なものは備わっていない。
その代わりに、高校時代に鍛えた、綺麗な体型を持っていた。
沙耶と優美は、高校時代、同じソフトボール部に所属するチームメイトで、先輩と後輩の仲だった。優美が、沙耶のことを先輩と呼ぶのは当時の名残りである。
沙耶はジーンズ、優美はホットパンツの下に黒タイツを履いているが、ひき締まったお尻や脚のラインがより強調されて美しかった。
「な、なんでって言われても……」
彩花は頬を染めながら、左手で脇の下を隠した。
だが、沙耶はなかなか解放してくれない。
「それが、さっき言った恥じらいっていうことです。先輩に、おおおいに欠けている部分です」
そこで優美が、助け船を出した。
理屈じゃ無いんですよと付け加えれば、沙耶はようやく彩花から手を離した。
「でも、私がこんなふうに恥じらったら、あんたたちは絶対また笑うでしょ?」
「それは、男女問わずに大事な、個性の自覚です。ソフトボールだってそうだったじゃないですか。それぞれの個性を各々が自覚して、的確に生かしたからうちのチームは強かったんです。それを植え付けたのは、先輩じゃないですか」
「なるほど。そういうものかしらね」
うまくソフトボールを引き合いに出しながら優美が説明すると、納得した沙耶は、彩花の右手を解放して、漫画を手に取った。
そんな沙耶に、ちらり横目でだけ視線を送った優美は、
(みんなに個性を自覚させて、みんなを引っぱって、あのチームを強くした。だから先輩は、いまだに伝説のキャプテンって呼ばれるんですよね)
胸の内だけでつぶやいた。
(3)
タンクトップと短パンに着替えた彩花は、シャワーを浴びて帰って来た。
鼻歌まじりに小物入れを開け、水色のシュシュを取り出し、毛先にウェーブがかかった、アッシュブラウンのセミロングを、頭の後ろでまとめる。
(今日は~、六月三十日だから~、優美ちゃんの番~)
即興の鼻歌に合わせるのは、やはり即興の歌詞。
でも彩花は、それを口から出すことをしなかった。
「彩花のシュシュって、二種類ある?」
優美の指摘に。
「ぎくっ」
と彩花は、非常にわかりやすいリアクションで応じた。
「一日交代で使いわけてるみたいだけど、こだわりとかあるの?」
「あー……、えっとぉ……。その日の気分で、なんとなく選んでる感じかなぁ」
シャワーを浴びて、せっかく寝汗を流したのに、額に汗が浮かぶ。
彩花は、隠しごとが苦手で、心の動きが、そのまま表情となって表れてしまうのだ。
(あきらかに動揺してる)
先天的な才能もあるけれど、優美は、ソフトボール部でキャプテンを務めていたので、観察眼が鍛えられていた。
そんな優美にとって、隠しごとができない彩花の動揺を察知するなど、造作も無いことだったけれど、
「そうなんだ」
彩花が、追求しないでほしいという顔をしてきたので、掘り下げることをしなかった。
こういう気配りができるのも、優美がキャプテンに選ばれた理由である。まぁ、相手が彩花だから、彩花を傷つけるようなことはしたくない、という心理が働いたのもあるけれど。
ところで。
もうわかりきったことだけれど、彩花のシュシュには、ちょっとしたこだわりが含まれていた。
それは、彼女が所持している水色と黄色のシュシュを、偶数日は水色、奇数日は黄色と、交互に使用するというものだ。
ただ、その行動の理由を、子どもっぽいと感じている彩花は、学校の友達はもちろん、優美にも沙耶にも秘密にしていた。
「優美の誕生日って、いつだっけ?」
漫画本を机に伏せた沙耶は、なにやら考察を始めた。
「六月三日です」
優美が応えるや否や、彩花のノートパソコンを操作して、調べものを始めた。
「六月三日。誕生花、紫陽花。紫陽花?」
沙耶は、パソコンのディスプレイに表示された、紫陽花の鮮やかな水色の花弁と、彩花の頭の後ろに咲いている、水色のシュシュとを見比べた。
「彩花」
「は、はいっ」
「もう一種類のシュシュの色は、なに?」
「黄色です……」
消え入りそうな声で、しかし嘘はつけない彩花は、沙耶の尋問に、正直に答えてしまう。
「彩花」
「ひゃい」
「私の誕生日、覚えてる」
「そそその……、あの……、四月、三日です」
沙耶がタイピングすると、ディスプレイには、ラッパ水仙の花が映し出された。
慎ましい紫陽花の花とは対照的に、よく目立つ黄色い花びらが印象的だった。
「彩花、もしかして……」
「わーっ! わーっ!」
追い詰められた彩花は、実力行使に出た。
沙耶の口を左手で塞ぎ、右手で手早くキーボードを操作して花の画像を消した。
「むがっ! ちょっと彩花っ……! ぐえぇっ!?」
「沙耶さんの、ばかー!」
画面を消し終えた彩花は、沙耶の後ろに回って腕を首に絡みつけ、がっちりと首を絞めた。運動部にも所属していない、非力な女子高生はずなのに、すごい力で沙耶の口封じを図る。
沙耶はしきりに、ギブ、ギブと彩花の腕をタップするのだが、彩花は許さない。
乙女の秘密を暴こうした報いであった。
人間は、追い詰められると、なにをしでかすかわからない。
(だから、あたしは自重したのに……)
という常識論でもって、自制をすることができるのが、優美の長所でもあり短所でもある。
そして、そんな常識論が通用しないのが、沙耶の短所であり、長所でもあった。
(4)
「じゃあ、水色のシュシュをあたしに、黄色のシュシュを先輩に見立ててるってこと?」
「うん……」
彩花は、まっ赤に染まった顔を両手でおおった。
なにも悪いことをしていないのに、なぜ、犯人のように自供をしないといけないだろう。
理不尽さはぬぐえないけれど、ごまかしたりすることはできないのである。まして、親友の優美と沙耶に対して、どうして嘘をつくことができようか。
彩花は中学も高校も、優美とは一年間しか同じ学校に通うことができず、沙耶に至っては同じ学校に通うことができなかった。
そのことをさみしく感じている彩花は、二人のイメージカラーのシュシュを交互に身につけることで、一緒に学校に通っている気分になりたいのだ。
奇数日は沙耶で、偶数日は優美。
だから、六月三十日の今日は、優美の色をイメージした、水色のシュシュを身に着けた。という次第であった。
「そんなに恥ずかしがること無いじゃない」
「っ……!」
けたけたと笑う沙耶に、彩花は飛びかかった。
しかし今度は、沙耶にあっさりと両手を拘束されてしまい、犯行は未遂に終わった。
「はっはっは。彩花に同じ手でやられるほど、ヤワな鍛えかたはしてないわよ」
こうなると、元運動部と、インドア派の力の差が、如実にあらわれてしまう。
彩花は悔しそうに、ぐぬぬとうなるが、抵抗のしようが無かった。
「彩花、気持ちはわかるけど、あきらめな。先輩の性格は、変えようが無いから」
「そうだね。沙耶さんの性格は、もうどうしようも無いもんね」
いきんでいた彩花だったが、優美に諭されて冷静になった。
「ちょっと。なんかトゲを感じるんだけど」
「だって、先輩ですし」
「ねー、沙耶さんだもんねー」
沙耶だから、で納得し合う優美と彩花。
沙耶は昔から、良くも悪くも、興味を持ったものに対してひたむきだった。
だから高校時代は、ソフトボール部以外のことには興味を示さず、いかにしてチームを勝たせるかということのみを探求し、それ以外のいっさいを思考から排除していた。
いまでこそ、だいぶ丸くなったけれど、それは当社比。
飽くなき探求心は健在で、ひとたびなにかに興味を持てば、どこまでもつきつめようとするのである。しかも、鋭い感性を持っていて、他人が気づかないことに気づけるものだから、とことんまでつきつめてしまう。
今日は、彩花がその被害に遭ってしまったのだ。
「あれ? っていうことは……」
優美は、不思議そうに、彩花のシュシュに目をやり、首をかたむける。
「?」
優美の真似をするように、彩花も首をかたむける。
(マジで姉妹みたいね)
ならば、その模様見をしていた沙耶は、さながら、三姉妹の長女であった。
ちなみに、沙耶も優美も、彩花も一人っ子。
だから友人に、姉や妹が欲しい願望をぶつけているのかもしれない。
「さて、そろそろ遊びましょうか」
沙耶がきり出す。
三人の先頭をきって、行動の指針を決めるのは、沙耶の仕事みたいなところがあった。
「今日は、なにをするんですか?」
それに追従するのは優美。
優美は、沙耶のあとをひき継いで、次世代のキャプテンを任された。
この二人は、行動力があり余っている沙耶、冷静な意見を述べる優美という、将軍と参謀のような関係性であった。
そして、優美の後ろから顔を出して、優美の肩にあごを乗せた彩花は、ペットのわんこみたいなポジションだった。
優美よりも一つ下の彩花も、二人に倣い、一念発起をして、ソフトボール部に入部……、とはならなかった。
二人の試合を観戦して、感動したのはたしかだけど、彩花は、まったりおっとりしたマイペース娘で、運動には向いていない。
性格も内向的で、漫画やアニメやゲームなど、二次元を愛するインドア女子なので、全国を目指す運動部などというのは、彩花にとって、それこそ二次元世界のような、現実離れした世界なのである。
ただし、優美に言わせると。
―――彩花は、胆力があって、あたしなんかよりも、よっぽどリーダーに向いている―――
ということらしいのだが、それが正確な評価なのか、親友のひいき目なのかは、永遠の謎である。
(5)
「よし。さっそくインストールしていきましょう」
沙耶は、バッグからとり出したゲームのケースを開けて、CD-ROMをパソコンに挿入した。
「先輩。また彩花のパソコンに、勝手にゲーム入れるんですか」
「いいよ~。沙耶さんが持ってくるゲームは面白いのばっかりだから、一人でも遊べるし……。今日はどんなゲームなんですか?」
一人でも、と口にした瞬間、胸が少しだけモヤっとする。
(学校でも、こんなふうにすごせたらなぁ)
休日に、二人と遊べるのは楽しいけれど、不定期にしか実現しない。
一緒に学校に通っていれば、毎日、三人が顔を会わせることができるのに。
なんて考えてしまう。
胸の陰りを晴らすように、彩花は、わざとらしくゲームに食いついてみせた。
「今日はこの、《真実の探求者》っていう、同人ゲームをプレイするわよ。その界隈じゃ、けっこう有名なゲームみたいよ」
沙耶がパッケージを見せると、優美はなにかに気づき、彩花の目に入らないようにパッケージをぶんどって、素早く裏面のパッケージ絵を確認した。
「先輩! このゲームはダメですよ!」
なぜか、優美の頬に、ほのかな朱色が浮かんでいた。
「大丈夫よ。このゲームは、純粋にゲームを楽しみたい人のために、普通にクリアを目指すルートだと、〝そういうシーン〟に出くわさないように、しっかりシナリオが管理されてるの」
「それなら、まぁ……。いや、ホントはダメですけど」
「始めていい!?」
「彩花、もう食いついちゃってるし……。それに、あいかわらず説明書を読まないんだね」
「大丈夫。やりながら覚えるから。予備知識が無い状態でプレイするのが、初見プレイのだいご味なんだよ!」
「待った待った。このゲームはゲームパッド推奨だから、こっちでやりなさい」
「はいっ!」
飼いならされた犬のごとく、彩花は従順であった。
いますぐにでも散歩に連れて行ってほしい。だから、ご主人の機嫌を損ね無いようにしよう。でも、体はそわそわとうずいてしまう。
一刻も早くゲームをプレイしたい彩花の心境は、それに似ていた。
興味を持ったものにまっしぐら、という部分だけならば、彩花も、沙耶に負けていなかった。
鼻息が荒くなる彩花を、どうどう、と鎮めながら、沙耶はパソコンゲーム用のコントローラーをとり付けた。
そして、彩花がパソコンのデスクトップに追加された、勾玉のアイコンをダブルクリックすれば、ゲーム画面が開いた。
「いかにもなホラーゲームですね」
ゲームのタイトル画面を見た優美に、他の二人も頷いた。
NEWGAME、LOAD、PRACTICE、OPTIONという文字が、おどろおどろしいフォントで表示され、その後ろで骸骨が不気味にほほ笑んでいる。
よほどゲームに疎い者でなければ、これはホラーゲームなんだなと察することができるだろう。
彩花はNEWGAMEを選択し、難易度は、初めてのプレイということで、無難にノーマルを選択した。
次に、二人の女性が表示される。
一人は、ピンク色の髪をした、大人しそうな女の子。
もう一人は銀髪で、フレームの無い眼鏡をかけた、ミステリアスな雰囲気の女性だ。
「この女の子、ちょっと彩花に似てるね?」
二人のキャラクターを見比べていた優美が、大人しそうな子を指さして言うと、
「そうかなぁ?」
彩花は首をひねりながら、優美に指さされたキャラクターを凝視したが、優美の意見に同意できないようで、また首をひねった。
「せっかくだから、その子にしてみる? 感情移入も、ゲームを楽しむための要素だし」
「そうですね~。え~と……、彩……、彩……」
そんな感じで、彩花が主人公の名前を決めて決定ボタンを押すと、今度は四人の女性キャラクターが表示された。
「次は、探索の仲間を選ぶみたいね」
念のために、説明書を開いていた沙耶が言うと、彩花は、うぅ~んと低い唸り声をあげた。
「四人もいるんですか? 誰にしようかなぁ」
「女の子ばっかりですね」
「クリア特典で、性転換システムっていうのが解放されるみたいよ」
「ディープですね……」
「制作者たちが好きなものを合成しました。っていう触れ込みらしいわ」
「そうなんですね……」
「この子、優美ちゃんに似てるね」
彩花は、一人の女性キャラクターを指さした。
「あたし、いい歳をして、ツインテールで外を出歩けるほどの度胸は無いよ」
彩花が指さしたのは、黒髪のツインテールで、目がキリッとしたキャラだった。
優美はわずかに表情を曇らせ、彩花と同じように同意できないという意思表示をした
「優美。それ、夏恋のまえ言っちゃダメよ?」
「わかってます。それに、夏恋さんは似合ってますから」
「え~? 優美ちゃんも似合うと思うけどなぁ」
いったんゲーム画面から目を離した彩花は、優美の後ろに回ると、両手で優美の長い黒髪を持って、ツインテールを作ってみた。
「ちょ、ちょっと彩花……」
「んふふっ。に、似合うことは似合うけど……」
絵としてならば悪くは無いのだが、大人びている優美では、大丈夫ですか? 無理してキャラ作りしてませんか? となってしまう。
やっぱり、各々の個性って大事。
という結論に達したところで、ゲーム再開。
(6)
「そういえば、夏恋さん、お元気ですか?」
「優美」
沙耶は、小指で耳をほじった。
最近はマシになってきたけれど、他人の目を気にしない性分は完治していない。
こと、イラついたときに耳をほじるのは沙耶の癖で、なかなか矯正することができなかった。
「元気が無い夏恋なんて、想像できる? 毎日、口うるさくてかなわないわよ」
夏恋は、沙耶のルームシェアの相手だった。
沙耶や優美とは、別の高校のソフトボール部に所属していて、沙耶のライバルとして、立ちはだかった。
高校時代から現在に至るまで、沙耶と夏恋はお互いを激しく意識する、喧嘩の絶えない仲である。
「そんなことより、ゲームしましょ、ゲーム。彩花、どの子を相方にするの?」
「せっかくだから、このツインテールの子にします」
「えっ。あたしの名前にするの?」
仲間に彩花が授けた名は、優美であった。
「えへへー。このほうが盛り上がるかなって」
「まぁ、いいけど……。でも先輩、仲間が四人いるってことは、それぞれ、特徴が違ったりするんじゃないですか?」
「あー、っとね」
説明書を開いた沙耶だが、すぐに閉じた。
「あるにはあるんだけど、直観任せで大丈夫でしょ。基本、どの子を選んでもクリアできるみたいだし」
優美は苦笑した。
沙耶は、感性が優れているあまりに、直観を過信する悪癖があった。これも、だいぶ矯正されてきたけれど、沙耶の根幹をなしている性質だから、治ることは無い。
仲間も決まり、優美の名前を入力してエンターキーを押すと、オープニングが流れ始めた。
「はぇ~。なかなか凝ってますね~」
「でも、アニメみたいに、キャラクターが動いたりはしないんですね」
映し出されているムービーは、いわゆるフラッシュアニメで、キャラクターたちのポーズは、固定されたままだった。
「様式美らしいわ。よくわからんけど」
彩花は、これから始まるゲームへの期待でいっぱいだった。
優美は、素朴な疑問を口にする。
そして沙耶は、お腹がいっぱいになっているのに、無理に食べものを勧められているような顔をしていた。
「先輩、具合が悪いんですか?」
「違うわ。久美に……、このゲームの持ち主に、こういうゲームのなんたるかを延々と説かれたのよ。そのことを思い出しちゃって」
そんなやりとりをしていると、ポリゴンでのムービーが始まり、物語本編のテキストが表示された。
「え? こんな技術があるなら、オープニングも動かせたじゃないですか」
「アタシ! ……っとと、私に聞かれても困るわよ。とにかく、様式美とかそういうもんらしいから、気にしないで。たぶん、数学の公式みたいなものよ」
「そうですか」
性格上、細かいところに目が行ってしまう優美だが、いったんは納得した。
さて、テキストをかいつまんで説明すると、彩花と名づけられた主人公の女の子は、大人しそうな外見とは裏腹に、能動的で、好奇心旺盛な女子高生だった。
そのため、他人とは違うところに目を向け、そのうちに、他人が見えていないものが見えるようになった。
どこからともなく聞こえてきた声によって、それは、選ばれた者だけが持つことを許された能力なのだと自覚する。
「こういうの、厨二病って言うんでしたよね」
「そうね。こじらせちゃったのね、かわいそうに。聞こえるはずの無い声まで聞こえちゃって」
「二人ともうるさいよ!? こういうのは雰囲気が大事なんだから! 野暮なこと言わないで!」
すでにゲームの世界にひき込まれつつある彩花が怒ると、その迫力に、優美と沙耶は、
「ご、ゴメン……」
声をそろえて謝った。
ゲームの中に話を戻すと、主人公が知らないうちに、机の中に、メモと淡い水色の勾玉が置いてあった。
メモには、〈この学校には、隠された秘密がある。私に代わり、真実を明らかにしてほしい……〉と血文字で記されており、主人公はメモに従い、人の目につかない、夜に探索を行うことを決意した。
「なんでこういうゲームって、わざわざ夜中に、学校とか廃墟に行こうとするんですかね?」
「天気も怪しいって言ってるしね。これも様式美ってやつなのかしら?」
性懲りもなく、沙耶と優美が現実的な話を始めると、
「やめてって言ってるのにぃ~」
彩花は頬を膨らませて、拗ねた顔を優美に向けた。
「あっ。ご、ゴメンね。気をつけてるんだけど……」
そうして謝った優美だが、これはゲームの世界だとわかっていても、指摘をせずにはいられない。
他の人だったら、空気を読んで黙っているということもできたのだろうけど、沙耶と彩花と三人でいるときには、つい気が緩んでしまうのだ。
彩花も、それはわかっている。
わかっていながら、無言のままに、ぷいっとパソコンのほうに向きなおった。
「彩花? えっ、ホントに怒ったの?」
彼女を怒らせてしまった彼氏みたいに、優美があたふたするのを堪能し、愉悦を覚えてから、
「怒ってないよ~」
笑みを浮かべて許してやった。
一連の行動は、無意識である。
こういうところから、彩花が、ただのおっとりまったりした女の子では無いことがうかがい知れた。
(7)
物語が進行し、主人公が夜中に家を出発すると、さきほど選んだ、探索の仲間がやって来た。
「優美ちゃん優美ちゃん。これ読んで」
「べ、別にあんたのことが心配なわけじゃないんだからね。これがどうしたの?」
表示されていたテキストを、棒読みで優美がアテレコすると、沙耶と彩花は、ふー……と失望のため息をはき出した。
「あたし、なにか悪いことをした?」
なんでスベったみたいな空気になっているのか、優美は不服であった。
「沙耶さん、しかた無いですよ。プロの声優さんじゃないんですから」
「そうね。素人に過度な期待をした、私たちが悪かったのよね」
なぜか、二対一の構図ができあがっていた。
のけ者にされた優美は、ちょっぴり心を痛めた。
探索の仲間が加わったところで、ムービーが終わり、プレイヤーの操作を受けつけるようになった。
ゲームは3Dのアクションゲーム形式で、ポリゴンのキャラクターを操作して物語を進めていく。
さきほどのムービーもそうだったが、ゲーム環境としては、現在の据え置きのゲームとはくらべものにならない、かなり昔のクオリティだった。
でも、キャラクターのポリゴンもカクついたりしないし、ゲームそのものは丁寧に仕上がっている。
そして、主人公たちが学校の裏手に回り、校内に侵入しようとすると……。
「うわっ!」
「ひゃあっ!」
「きゃっ……!」
三人は驚いて声を上げた。
ドアをすり抜けるようにして、化けものが飛び出してきたからだ。
三人とも、来るぞ来るぞと警戒していたはずなのに、いざそれをやられると、どうしても驚いてしまう、ホラーゲームあるあるだった。
「優美~。きゃって言った? いま、きゃって言った?」
「言ってません。それより彩花。敵が襲ってくるよ」
「平気だよ。きっと、チュートリアルとして用意された敵だと思うから、ここで、いろんな操作を試してみることにするよ」
このゲームにおける基本的な敵キャラは、痩せこけた頬、細い腕、肋骨が透けている鬼だ。
虚ろな瞳で、主人公とその仲間を見据え、ゆったりと歩を進めてくる。
この鬼を、ゲーム内では、場合によっては禁句の、餓鬼と呼称している。
こういう危ないワードが出てくるのも同人ゲームの特徴で、一般向けのゲームでは使うことができない表現が使いやすく、制作陣の趣味が、ふんだんに盛り込まれた世界が広がっている。
「久美は、そういう世界観を楽しむために、こういうゲームを買ってるんであって、アレなシーンを期待してるわけじゃないって熱弁してたけど、怪しいもんだわ」
「でも先輩、このゲームは、普通にクリアを目指していれば、そういうシーンには出くわさないんですよね」
「そうよ。ゲームをプレイすることを楽しんでもらうっていうのが、制作側の大前提みたいだから、安心して大丈夫よ」
「じゃあ、最初から、そういう要素を省けばいいじゃないですか」
「それも、様式美っていうやつなんでしょ」
「共感はできませんけど、作っている人たちに、変なこだわりがあるんだろうなってことは、わかってきました」
「だいたい、優れた技術を持ってる人っていうのは、それを持て余すから、一般人の理解を超えてるもんなのよねー……、って、その目はなに?」
「なんでもありません」
優美の目には、貴女、他人のことを言えないでしょうと、はっきり書いてあった。
ポーカーフェイスが得意な優美が、こうも思っていることを表に出すのは、そうあることでは無い。
それだけ、沙耶の思考や行動は、一般人のそれを凌駕しているのだ。
(自分じゃ、なかなか気づけないんだよなぁ)
だからこそ、性格の矯正をするのが難しいのだ。
それにひと役買った優美は、自らの苦労をしのんだ。
(8)
沙耶と優美が話をしている間、彩花は四苦八苦をして、キャラクターを動かしていた。
「んぅ~。けっこう複雑だなぁ」
とは言うものの、ゲーム慣れしているだけあって、上手く敵と距離をとりながら、明後日の方向に攻撃を放ってみたりなど、いろんな操作を試していた。
「そっか。照準を合わせないと攻撃が当たりにくいのか……」
過去にプレイしたことがあるゲームを参照しつつ、彩花は、操作のコツをつかんでいった。
「このゲージは、溜まったら、必殺技みたいな攻撃ができるのかなぁ」
ぶつぶつ……。と、ほとんど独り言みたいにささやく。
沙耶と優美が見守っていることを忘れているかのように、ゲームに集中していた。
と。
そこで、アイテムを入手するための、掴む操作が、探索の仲間の胸元に当たり、ゲーム内の彩花は、ゲーム内の優美に、ビンタを食らっていた。
「ほぇっ!?」
「また、こんな無駄な機能を……」
現実世界の彩花は、間の抜けた声を漏らし、現実世界の優美は呆れ顔になる。
「彩花。このゲームは、仲間との連携が大事になるみたいなのよね。仲間との親密度が高まると、強い攻撃ができるようになるんだけど、いまみたいな行動をすると、たぶん、仲間との親密度が下がるから注意したほうがいいわよ」
しかも、親密度は隠しパラメーターとなっており、数値が表示されることは無い。
クリア時点での、仲間との親密度によって、エンディングが変化するということはあきらかになっているのだが、親密度を上げる方法や下がる原因、ゲームにおよぼす影響などは、まだまだ謎に包まれている部分が多かった。そのため、攻略サイトでも、絶えず検証が行われていた。
「えぇ~!? アドベンチャーゲームの要素もあるんですか!?」
彩花は、頭を抱えた。
個人製作の同人ゲームであるのを良いことに、好きなものと好きなものを掛け合わせ、仕上げに好きなものを加え、そして隠し味にも好きなものを、といったノリで制作されたゲームのようである。
「やっぱり、やりながら覚えるしか無いね」
ゲームは序盤も序盤。こんな段階で、全容を把握できるゲームでは無いことを思い知らされた彩花は、チュートリアルで用意された敵をあっさり倒し、校内に侵入した。
そこでムービーが始まり、茶髪でショートカット、白いワンピースを着た、どことなく雰囲気が沙耶に似ている女の子が登場した。
「んっ!? ふふふっ!」
「ちょ、彩花。笑ったらダメ……、くっ、ふふっ」
彩花は、ぷくっと口を膨らませて笑い、つられた優美は、彩花の両肩に手を置いて、背中に額を押しつけ、ぷるぷると小刻みに震えた。
「あんたたちねぇ……」
沙耶は、優美と彩花をにらみつけたけれど、二人が笑っているのを、積極的に止めることはしなかった。
「沙耶さん。結局、あの白ワンピはどうしたんですか?」
「あー?」
小指で耳をほじくる沙耶。
「あんなの、押入れの奥に封印したわよ」
「せめて、あたしに相談してくれれば良かったのに。よりによって、夏恋さんに相談するなんて」
沙耶と夏恋は、大学に進学するまで、ひたむきにソフトボール部にうち込んでいた。それはもう、常軌を逸するほどに。
しかし代償として、その感性は、一般的な女子とはかけ離れて成長してしまった。
昨今、男らしくだとか女らしくだとか言うと、なにかと問題になってしまうけれど、それを承知の上でも、周囲の人たちが、もうちょっと考えたほうが良いのではないかと忠告するほどに、沙耶も夏恋も、部活動以外のことを顧みなかった。
「言わないでよ、優美。あのときは、私もどうかしていたのよ」
遠い目で、そんなに遠く無い日のことを思い出す。
男女共学の大学に進学し、やっと沙耶は気づいた。
自分の感性は、どこかおかしいぞと。
ジャージとサンダル(つっかけの意)という服装で、堂々と登校するのは非常識だぞと。
そして、おしゃれをしてみようと決意した沙耶は、店員さんにカモにされて、似合いもしない白のワンピースを購入し、彩花はもちろん、優美にまで大笑いをされて、赤っ恥をかいたのであった。
「あれは、呪いの装備だったのよ」
「おおげさです。だいたい、いきなりお店に突撃した、先輩も悪いんですよ。自分で自分の服を選ぶ習慣も無いのに」
「うぅ……」
優美の言うとおり、自己の責任において犯した愚行なので、沙耶は言い返すことができなかった。
(でも、先輩がそんなだから、チームが強くなったっていうのもあるし……)
それこそ、呪いにかかったみたいに、沙耶が盲目的に部活動に励んでくれたから、良い成績を収めることができたのも事実なので、一概に、それが悪いとも言いきれない。
おおいなる才能を持って生まれるということも、一長一短なのである。
(9)
ワンピースを着た女の子は、主人公たちに優しくほほ笑みかけると、回復アイテムや、学校内の地図を渡してくれた。
「沙耶さんは、お助けキャラなんだね」
「ちょっと彩花。そのキャラを、私の名前で呼ぶのやめてよ」
「でも、せっかくですし」
彩花としては、三人でゲームを攻略している気分に浸りたいのだ。
ゲームの舞台も学校だし、みんなで高校に通っている疑似体験ができたら、三人一緒の学校に行きたいという願望が、叶ったような気持ちになれるかもしれないから。
そんな彩花の気持ちを、知ってか知らずか、
「うーん……。しかたないわね」
沙耶は、しぶしぶ了承した。
ゲーム序盤は、いろんな要素が盛り込まれたこのゲームに翻弄されていた彩花だが、だんだん、操作の感覚をつかんできた。
複数の敵が出てきても慌てず、トリッキーな動きをする敵が現れても、落ち着いて処理したりと、順調に物語を進行させていった。
「さすが、慣れてるね」
「へへへ~、このくらい、楽勝だよ」
優美に褒められると、彩花は目尻を下げる。
きりっとした吊り目の優美に比べ、目が垂れている彩花が微笑すると、とても愛嬌のある顔になる。
思わず撫でたくなってしまう優美。高校の後輩を、よく撫でていたので、女子にそういう行為をするのが、手癖になってしまっているのだ。
でも、一度、彩花に触れてしまったら、なんか歯止めが利かなくなってしまいそうなので、ぐっと我慢した。
(だって彩花、触り心地が良すぎるし)
ソフトボールをやめてからも、沙耶と優美は運動をしていることもあり、現役時代と同じとまでは言えないが、体は締まっている。
しかし、インドア派の彩花は、いい意味で、ふにゃっとしている。
ひとたびその身体に触れてしまったなら、頭だけじゃなくて、いろんなところを触りたくなってしまうかもしれない。
触り魔の自覚がある優美は、己の欲情に自制を課した。
胸の中は、けっこう葛藤していたが、表情は変えない。
でも、
(むっつりスケベめ)
沙耶には、バレバレだった。
「この階は、もう探索するところが無いみたいだね。上の階に行こうっと」
ということで、彩花はキャラクターたちを、階段のほうに誘導した。
階段を登る際、学校の制服を着ていたキャラクターたちは、後ろに回した手で、そっとスカートを押さえた。
またも、よくわからないこだわりであった。
「こういうの、大事よね。うん。恥じらいって、とても大事だわ」
ところが沙耶は、しきりに感心をしていた。
毛の先ほども、人目を気にすることが無かった、過去の自分を反省しているのである。
「そりゃ、ね。女だからこうしなきゃいけない、なんていうことは無いわよ。でもやっぱり、多少は人目を気にしないとダメよね。どんどん堕落していくから」
もの憂げに、窓の外に目をやって、前髪をかき上げる。
男女にかかわらず、ドキッとしてしまいそうな仕草だった。
その脳内には、平気で人のまえでケツを掻き、大口を開けて、ぎゃははと笑う自身の姿がフラッシュバックされていた。
「恥ずかしい。ああ、なんて恥ずかしい……」
このように。
なにを恥ずかしいと感じるかという、自分の感性に気づくことが大事なのである。
しかし、画面を覗き込んだ優美は、
「そもそも、パンツを見られたくないなら、短いスカートを履かなければいいんじゃないですか? いや、あたしも履きますけど、この子たちのは、立ってるだけで見えてもおかしく無い……、っていうか、見えないのが不自然な短さですよね。こんなの、ちょっとまえかがみになっただけで見えちゃいますよ。それでいまさら、恥じらいって言われても、しっくりきませんよ」
がっちがちの正論を述べまくった。
たしかにキャラクターたちは、二次元キャラにありがちな、履いてる意味があるんだかわからない、極端に短いスカートを履いてはいる。でも、そういうところにツッコミを入れ始めたら、キリが無いのである。
「優美……」
「なんですか?」
「いや、いいわ。あんた、そういう子だもんね」
彩花に劣情を抱いたかと思えば、ひたすら冷静に現状分析をしてみせる。
情熱と冷静の狭間。
優美のことをよく理解している者たちは、ひそかに彼女をそう評する。
冷静に見えて、意外に熱い。
熱くなっても、意外に冷静。
それが、清水優美という女性であった。
(10)
ゲームは序盤から中盤にさしかかっていた。
序盤は、敵を倒す操作を求められることが多かったが、中盤からは、謎解きが多くなった。
例えば、中庭の管理人の誕生日が記されたメモが購買部の控室に置いてあり、噴水の管理棟で、管理人の誕生日を入力すると、女神像の甕から流れ出ていた噴水の水が止まり、水が枯れて旧体育館の鍵が手に入る等、校内のあちこちにギミックが仕掛けられていた。
そのつど優美は、
(なんで購買部に、こんなメモが……)
とか、
(なんで、学校にこんな仕掛けが……。百歩譲ってそれはいいとしても、なんで噴水の中に、旧体育館の鍵が隠されてるんだろ?)
とツッコミを入れたくなったが、彩花に怒られたく無いので、がんばって沈黙を保っていた。
探索仲間と会話する機会も増えた。
といっても、主人公たちがある地点にやって来ると会話が始まり、あらかじめ用意されている、複数のレスポンスのうち一つをプレイヤーが選択するというものなので、自由度は低かった。
いま行われたものでいえば、
「優美、怖い?」
「怖くなんか……」
に対して、〈からかって場を和ませる〉、〈優美なら大丈夫だよね〉、〈絶対に守るから〉、の三つの択が提示された。
彩花が迷わず、絶対に守るからを選択させると、ゲーム内の優美は頬を染めて、
「あ、ありがと」
と返してきた。
ゲームの中で会話が起きるたびに、彩花は優美にアテレコを求めてきたが、優美はずっと棒読みで、成長が見られなかった。
ただし、彩花が絶対に守るからという選択肢を選んだときには、キャラクターとリンクして、頬を染めていた。
「あ。沙耶さんが出てきたよ」
「もう、完全にその名前で固定されてるのね……」
自分で了承したとはいえ、白ワンピのこのキャラを、できれば自分として認識してほしくない沙耶は、あまり乗り気の様子では無かった。
しかし、優美同様に、彩花が楽しんでいるのを邪魔したく無かったので、がんばって耐えていた。
「なにか、ヒントをくれるのかな?」
白ワンピキャラを、お助けキャラだと認識していた彩花は、安心しきって近寄った。
しかし。
ワンピースの女性は、苦しみ出すと、鬼のような……、いや、鬼そのものへと顔面を変化させ、口から紫色のブレスを吐き出して、探索仲間に浴びせかけた。
「うわぁぁっ! 優美ちゃんが! 沙耶さん! なんでこんなヒドイことをするんですか!?」
「私じゃないっての!」
感情を移入させてゲームを楽しんでいた彩花は、叩き付けるようにゲームパッドを置くと、沙耶に掴みかかりそうな勢いで怒りをあらわにした。
「彩花、落ち着いて。ほら、保健室に急げだって」
優美は、二人の間に割って入って彩花を止めようとしたが、ゲーム内のキャラクターとはいえ、彩花が自分のことを本気で心配してくれていることへの喜びが隠せなかった。
さっきよりもはっきりと頬が赤く染まってしまい、それを悟られないように、彩花の顔を両手でつかんで、ゲーム画面に向けさせた。
そこには優美が言ったとおり、〈保健室に急げ!〉というテキストが表示されていたので、
「急がなきゃ!」
彩花は慌ててコントローラーを握り、沙耶は小声で、
「むっつりスケベ……」
とつぶやいたが、優美は聞こえないフリをした。
「保健室は……、えっと、ここだ!」
仲間の名前が優美であったことも影響したのか、彩花は驚異的なスピードで、保健室にたどり着いた。
背負っていた仲間をいったんベッドに寝かせると、〈薬を探せ!〉という指示が表示された。
「薬? 保健室にある薬なんかで治るのかなぁ」
「その辺は、ゲームだからね。ご都合主義な、すごい薬があるのかもしれないわね」
(たしかに……)
彩花はいぶかしがっていたが、いままでだって、何度、なんでこんなところにこんなものが置いてあるのだろうと言いたくなったか。優美にとっては、彩花の疑問は、いまさらなにをという感じだった。
ともあれ、彩花は保健室の棚から机から、ありとあらゆる場所を調べていったのだが、〈役に立ちそうなものは無い〉とか、〈この薬では治らない〉と表示されるばかりだった。
「えぇ~。あと、どこを調べたらいいの~?」
これまでプレイした経験則で、怪しそうな場所は隅から隅まで探索し尽くした。もはや彩花は、お手上げだった。
するとここで、画面が暗転した。
「あの……。なんだか、耽美なBGMが流れてきたんですけど……」
切なく美しく、そしてどこか淫靡な調べが流れ始める。
優美は、不安を覚えた。
「あら? あららら? これは、もしかしなくても……」
パソコンのディスプレイに、目を潤ませて顔を赤くさせた優美(ゲーム内の)が、彩花(もちろんゲーム内の)の首に手を回している一枚絵が映った。
「ほえっ?」
「まずい!」
沙耶は咄嗟に、彩花の目に手を伸ばして目隠しをした。
次の一枚絵が表示されると、案の定、主人公の女の子は、仲間に馬乗りになる恰好で、ベッドの中にいた。
「なっ……!?」
ゲームの中の優美同様に、顔をまっ赤にさせる優美。
ただ、その一枚絵は、素肌や下着が露出している過激なものではなかったし、再び画面が暗転しながら音楽が途切れたので、胸を撫でおろした。
それも、つかの間のこと。
画面が黒く染まったままBGMが流れ始め、
<大丈夫だよ。私が治してあげるから>というテキストと共に、画面には、スティックの操作指示が表示された。
まずは、軽くスティックを弾くような操作指示。
そして、スティックでゆっくりと円を描くような操作指示。
さらに、スティックを上下に小刻みに振るわせるような操作指示。
目をふさがれている彩花と交代して、優美がコントローラーを握ったが、難易度がノーマルだったこともあり、それほど難しい操作指示では無かったので、優美でも簡単にこなすことができた。
だが、操作が成功すると、脚本家の情熱がふんだんにそそぎ込まれたテキストが流れてくるので、優美の指先は震えまくってた。
どうでも良い情報だが。
このゲームは、ゲームパッドでのプレイが推奨されてはいるが、一部の猛者たちは、キーボードとマウスの操作でクリアすることができ、そうした繊細な操作を行うことができる人々は、ネット上で、神の指を持つ者として称えられる。
本当に、どうでも良い情報だけど。
(うぅ……。名前があたしと彩花になってるから、なんか……)
画面が黒いままで絵が無いから、なおさら、脳内でなにが起こっているのかを想像してしまう。
しかも、キャラクターの名前が身近な人だから、より鮮明にイメージできてしまう。
早くこのシーンが終わってほしいような、もっと見たいような。
優美の脳がとろとろに溶けそうになってきたとき、ようやくBGMが途切れた。
「いったい、なんだったの?」
「彩花。追求しなくていいから」
いまだに顔から熱が引かない優美は、部屋の窓を開けて、空気の入れ替えを図った。
「でも、なにかヒントがあったりしたんじゃないの?」
「無い無い。ただの蛇足」
「そうなの?」
納得がいかない彩花だったが、
「そうなの。もういいから続きをやろうよ」
優美がそう言いきったので、気にしないことにした。
(11)
「先輩。これ、一回クリアしたら、彩花のパソコンからアンインストールしてくださいよ」
ようやく、優美の胸の動悸が収まってくると、今度は怒りが湧いてきた。
あれだけ大丈夫だと言い張っていたくせに、この顛末。どう責任をとるつもりなのか。
「おかしいわねぇ」
しかし沙耶は、さして気にしたふうでは無かった。
根が明るく、前向きな性格をしている沙耶は、失敗を気に留めることは、あまり無いのだ。
パッケージの表と裏を何度も見返して、
「ああいうシーンにたどり着くためには、いろんな条件をクリアしないといけないのよ。初見じゃ、まず無理だろうって久美も言ってたわ。っていうことは、彩花の深層意識だったりしてー」
肘で優美をつついて、からかう。
「や、やめてくださいよ……」
「まんざらじゃないって顔してるわよー?」
「してません。現実とゲームの世界をごちゃ混ぜにしないでください」
「またまたー、照れちゃってー」
沙耶と優美がじゃれ合っているうち、物語はいよいよ終盤戦。
これまでよりも強力な敵を倒しながら、しかも謎解きをこなさなければならない。いままで培ってきたゲームスキルが試される。
この学校で起きる怪奇現象には、教職員の誰かがたずさわっているとのヒントを得た彩花が、さっそく職員室に向かうと、沙耶と優美は、なぜか、ちょっとだけイヤそうな顔をした。
その職員室では、〈校長先生は、4時半には起床してランニングをしているらしい。私も見習わなければ〉という、とある職員の手記が、ヒントとして配置されていた。
「へぇ~。早いなぁ」
感心の声をあげた彩花は、平日は6時30分に起床している。部活動をしていたころの優美と沙耶ですら5時起床だったので、彩花の言葉に同調した。
「そういえば、彩花って寝起きが弱いけど、今日は特にひどく無かった?」
沙耶が、いつまで経ってもぽやーっとしていた、さっきの彩花の様子を思い出した。
「実は、いつもは休みの日は、目覚ましの設定を解除してるんですけど、今日は忘れて、一回起きちゃったから」
「それで、いつにも増してぽけぽけしてたのね」
「はい。二人は、高校の三年間、ずっと5時に起きて朝練をしてたんですよね? 私には、絶対に無理だなぁ」
彩花は、当時のことを思い出し、やはり感心して言ったが、
「毎日やってれば、慣れるわよ。それに、定期的に休養日もあったし」
事も無げに言う沙耶だが、その休養日ですら自主練習に充てていたので、三年間、ほぼソフトボール漬けだったと言ってさし触り無い。
「本当に、高校で辞めちゃって良かったの? いまでもソフトボールが好きなんでしょ」
沙耶も優美も、全国に名が知れた選手で、様々な有名チームが、二人をスカウトしにやって来た。
二人の実力からして、いずれは日本代表と、誰もが太鼓判を押していた。
でも沙耶は、
「普通の女の子に戻りたかったのよね」
と、はぐらかし。
優美は、
「ぜんぶ、あそこに置いてきちゃったから。だからもう、ソフトボールは続けられないんだよ」
ちょっぴりさみしそうにそう語る。
つまりは二人とも、競技としてのソフトボールからは、すっかり引退してしまったのだ。
「ほら彩花、ゲームの続きをしよう」
「うん……」
二人の才能を、大きく評価している人たちは、ソフトボールを続けないのはもったい無いと口をそろえる。
でも、親友である彩花には理解できた。
すごい才能を持っていることが、すごく恵まれているということでは無いのだと。
他の人とは違う世界が見えてしまうことが、二人を苦しめたこともあっただろう。
だから二人は、持っている才能を、自分を楽しませるために使おうと決めたのだ。
そんな優美と沙耶は、ゲームのヒントを書き留めたメモを片手に、謎解きを楽しんでいた。
(12)
探索を続けているうち、用務員室にあった記録帳から、〈彼が目覚めるべき時間へと導いて欲しい〉というヒントが見つかった。
「先輩、これって……」
「そうね。さっきの、校長先生の起床時間と関係がありそうね」
「じゃあ仮に、彼というのを校長先生だと仮定すると、目覚めるべき時間というのは4時30分だということになります。でも、導くっていうのは、なにを意味しているんでしょうか」
「そこが問題よね」
優美と沙耶は、思考の海に潜った。
彩花は、余計なことを口にせず、結論が出るのを待つ。
二人は、すごく悩んでいるように見えるけれど、実際は、すごく嬉しいはずだから。
優美は、優れた観察眼を。
沙耶は、鋭い感性を。
神様が、二人が生まれるときに授けてくれた才能を、いま、ゲーム攻略のためなんていう、くだらないことに使っている。
二人は、それが楽しくてしかた無いのだ。
だから、二人が満足するまで、彩花は口を挟まない。
やがて。
「あ。そうか」
優美は、ぱちんと手を合わせた。
「優美ちゃん。なにかわかったの?」
優美は、彩花の問いには応えず、小物入れから黄色のシュシュを取り出して、彩花に差し出した。
「えっ? どゆこと?」
優美が、彩花が予想していた斜め上の行動に出たので、彩花は混乱した。
優美は軽く身をかがめながら笑っていた。でも彩花には、なんで優美が笑っているのか、わからない。
「んぅ~?」
と間の抜けた声を漏らす他に、手段が無かった。
「あー! そういうことか!」
遅ればせながら、沙耶がぱちんと指を鳴らす。
「なるほどね。さっきから感じてた違和感の正体は、それだったのね」
彩花に先んじて、優美の行動の意味するところを理解した沙耶は、胸のつかえがとれて、すっきりしたようだった。
「えっ? えっ? どういうこと?」
そのことで彩花はさらに混乱した。
優美と沙耶の顔を交互に眺めて答え合わせを求めると、優美は、
「彩花。今日は、六月三十一日だよ」
と教えて、身に着けていた青色のシュシュを外して、黄色のシュシュで、後ろ髪をまとめてあげた。
「えっ。でも……」
自分の記憶では、今日は偶数日。六月三十日のはずだ。間違い無い。
「彩花」
沙耶は、スマホの画面を見せて、今日の日付を確認させた。
「六月三十一日? な、なんで?」
いったいどうして、こんな勘違いをしていたのだろう。
思い当たるフシが無く、うーんとうなっている彩花を、沙耶と優美は、二人して笑っていた。
自分たちの能力を、友人のおっちょこちょいによって生まれた、天然の謎解きを解くことに使う。
あきらかな、才能の無駄遣い。
優美と沙耶にとって、これほどの贅沢は無いのだった。




