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共鳴、そして夜明け

 視界の端で踊る同期率のバーが、論理限界を超えて明滅を繰り返している。


 潜航船の狭いコックピット内は、スロットから溢れ出した白濁したプラズマで満たされ、空間そのものがパチパチと静電気を帯びていた。


 計器類はすべて針が振り切れ、あるいは液晶が焼き付いて死に絶えているが、テラの網膜に直接投影されるシステムログだけは、冷徹に「その時」が来たことを告げていた。


 ドームの外。


 漆黒の海溝を切り裂き、深海の絶対王者の如き威容で迫る《深淵の牙》が、その巨躯を弓なりにしならせた。


 怪物の発光器官が、暗黒の底に小さな太陽を生み出したかのような、暴力的な輝きを放つ。直後、大海溝の底を揺るがす凄まじい衝撃波――物理的な破壊エネルギーを伴った超低周波が放たれた。それは音という概念を超え、空間を圧壊させながら、逃げ場のないドックへと殺到する。


 だが、テラは動かない。


 ハンドルを握る指先は微塵も震えず、脳内のクロック速度を極限まで引き上げ、外環回廊全体を貫く「拍動」の波形を読み取り続けていた。


(……三、二、一。――今だ)


 最後の一拍。第十六拍の終端。


 テラは、限界まで引き絞られ、破裂寸前だった「星の欠片」の全出力を、都市の生体神経系へと一気に解放した。


 その瞬間アトラ・ネリウスのドーム全体が、目も眩むような鮮烈な藍色の光を放ち、爆発的に脈打った。


 それは単なる防御壁の展開ではない。


 都市全域を巨大な「音叉」として機能させる攻撃的な強制調律だった。


 潜航船の動力炉から放たれた奔流が、回廊を支える数千本の生体珊瑚の柱を駆け抜け、それぞれの柱が特定の周波数で共鳴を開始する。


 《深淵の牙》が放った死の超音波と、都市全域から放たれた逆位相の共鳴波が、ドームの表面で正面から衝突した。


 その衝撃波は凄まじく、ドームの隔壁の向こう側で数千万トンの海水が瞬時に爆発的な沸騰を起こし、漆黒の深海が真っ白な気泡の群れで埋め尽くされる。


 ドームを押し潰そうとしていた数千トンの水圧が、その共鳴によって一瞬だけ弾き飛ばされ、都市の周囲には「空白」の空間さえもが生じかけた。


 直撃の反射。


 自らが放った破壊エネルギーをそのまま鏡合わせに叩きつけられた《深淵の牙》は、その巨躯を激しく仰け反らせ、苦悶の唸りを海に響かせた。


 数千年の間、死に体であった都市が、明確な知性――「観測者」という意志を持って自分を拒絶したことを、怪物はその本能で悟ったらしい。


 発光を弱めた殺戮者は、不気味な残響音を長い尾のように引きずりながら、大海溝の底、光の届かぬ深淵へとゆっくりと後退していった。


【同期率:100%】

【プロトコル完了:外環回廊の正常稼働を確認しました】

【エリア特性:音律の平穏が復旧。生体建築の拒絶反応を停止します】


 視界を覆っていた警告の赤色が、穏やかな深海の色へと溶けていく。


 それと同時に、潜航船の装甲を握り潰さんばかりに締め付けていた生体珊瑚の蔦が、まるで魔法が解けたかのように弛緩し、眠りに落ちるように床へと滑り落ちていった。


 テラは、白濁したプラズマから元の透き通った藍色へと戻りつつある「星の欠片」をスロットからゆっくりと引き抜いた。


 掌に伝わってくるのは、先ほどまでの破壊的な放電の痛みではなく、まるで赤子の鼓動のように優しく、確かなリズムを刻む温かな脈動だった。


【アイテム変化:孤独の欠片 ⇒ 《アトラの導灯》】

【効果:アトラ・ネリウス全域における権限レベルの上昇、古代音律の可視化】


「……ふぅ。壊れるかと思ったが、意外とタフなシステムだな」


 テラは、焼き付いて煙を上げるコンソールを一瞥し、潜航船のハッチを開けた。


 一歩外へ踏み出した瞬間、肌を撫でる空気の質感に驚く。


 先ほどまでの湿り気と不気味な停滞は消え失せ、回廊内には微かに塩の香りを伴う、清涼な風が吹き抜けていた。


 柱の表面を走る発光組織は、完璧な「十六拍」のリズムを奏でながら、都市の深部――まだ見ぬ心臓部へと向かって、幾千もの光の筋を走らせている。


 ドックの出口。瓦礫と珊瑚の蔦が片付けられた通路に、先ほどの魚人族の戦士が立ち尽くしていた。


 彼女は、まるで初めて見る景色を眺めるかのように、周囲の光り輝く回廊を仰ぎ見ている。


 テラの姿を認めると、彼女は手にしていた黒い鱗の槍を恭しく床に突き立て、その場に膝をついて深々と頭を垂れた。


「……見事だ、異邦の観測者よ。我ら一族が、ただ維持することさえ叶わず、数千年をかけて朽ちるのを待つのみであったこの街の呼吸を、お前はわずか一拍の内に完遂させた。この地を守り続けてきた者の一人として、そして音律の静寂を愛する者として、最大の謝辞と敬意を」


 彼女は顔を上げ、槍を背負い直すと、真っ直ぐにテラを見据えた。


 その瞳は、もはや獲物を測るような冷たいものではなく、未知の可能性に触れた者特有の、潤んだような期待に満ちている。


「私はネリア。かつてこの都市の調律と、天上の星々の観測を司った武官組織『音律院』の末裔にして、この外環の守護を任された者だ。……テラと言ったな。お前が持つその『灯』に免じて、これまでの不躾な振る舞いを詫びよう。お前はもはや略奪者ではなく、この都市に新たな音を運んできた『客人』だ」


「テラでいい。……礼を言われる筋合いはないよ。俺はただ、未踏領域の攻略をしたいだけだ。そのためにシステムを正常化した。それだけのことだ」


 テラが淡々と、しかし一点の曇りもない合理的な言葉を返すと、ネリアの唇は驚いたように、そして愉快そうに微かに綻んだ。


「ふ、合理の極みか。地上の民には珍しい気質だな。……だが、望むが良い。お前が再起動させたのは、単なる回廊の防衛機能ではない。都市の心臓部へ至る『市場』の門も、また数千年ぶりの目覚めの時を迎えたのだ」


 ネリアが指し示した先。


 外環回廊の終端、これまで固く閉ざされ、生体珊瑚に埋もれていたはずの巨大な双開きの隔壁。


 それが、重厚な地鳴りのような音を立てて、ゆっくりと左右へとスライドを始めていた。


 その隙間から溢れ出してきたのは、これまで見てきた青白い燐光とは次元の違う輝きだった。


 まるで頭上に真夏の太陽が存在するかのような、圧倒的で、清冽な黄金の輝き。


 それは海水のレンズ効果によって幾重にも増幅された、星々の光の集束だった。


【現在地:潮の市場タイダル・マーケットに接近中】

【エリア特性:重力共鳴、光学的星図】


「潮の市場……。ここからが本番というわけか」


 テラは『アトラの導灯』を握り直し、光の奔流へと迷いなく足を踏み入れた。


 門を抜けた先に広がるのは、もはや「都市」という言葉では形容しきれないほど広大な、円形の巨大広場だった。


 天井を覆うのは、直径数百メートルの巨大な透明ドーム。その外側を流れる特殊な海流が、巨大なプリズムのように星の光を屈折させ、床一面に「動く星図」を描き出している。


 かつてここでは、魚人族たちが地上の物語に毒されていない真実の星空を観測し、潮の満ち引きと共に運命を計っていたという。


 しかし今、その美しい星空の下でテラを待ち受けていたのは、かつての賑わいではなく、主を失ったまま暴走を続ける古代の自動機械たち。


 そして、水流の中に隠された「星座の欠落」を修復しなければ一歩も先へ進めない、巨大な天文学的迷宮だった。


 テラは導灯を掲げ、不規則に巡回する守護者たちの赤い光を視界に捉えた。


「……さて、パズルを解くか、それとも強行突破か」


 アトラ・ネリウスの深部は、まだ始まったばかりだった。

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