愛しい人
駅構内をめざす。
結局、夫婦の別れ際は
「気を付けてね」
『ああ』
だけで終わった。まあ想像どおりだった。
オレは改札を通り抜けて、一応振り向いた。
だが、妻の後ろ姿は小さくなっていた。
ここまでとはねえ。思わず笑ってしまう。
特急を待つ間、オレは加瀬恭子のメールを何度も読み返した。
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部長。
どうか気を付けてくださいね。
環境も変わり、独りぼっちでの戦いになると思います。
新規開拓はもちろんのこと、事業所の社員さんも気がかりです。
みんなが部長のマイナスにならないよう祈ります。
日常生活も大変だと思います。
できれば私が傍でなにかお手伝いがしたいのですが。
部長のご迷惑がかかってもいけません。
心の中で部長を思います。
でもメールはします。かならず一言でいいので連絡くださいね。
おやすみでもおはようでもかまいません。
こんな私が部長の心の支えになれるなんて幸せです。
またお邪魔にならなかったら、休日にでも駆けつけたいです。
忙しくても私のこと忘れないでくださいね。
ではまたメールお待ちしています。
恭子
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最後の名前が恭子で終わっているメール。
何度読み返しただろう。
あの夜が蘇る。
あの川べりで長い長いキスを何度もした。
寂しさに耐えきれない2人の思いが重なり合った。
最後まで行かなかったにしろ、オレは加瀬恭子を抱いたも同然だった。
向こうへ着いたら最初の休みに彼女を呼ぼう。
幸い○○県にもオレが使ってるホテルがある。
ゆっくり過ごしたい。オレを愛してくれる女と。
そんな夢を抱きながらオレは20年近く暮らした街を出た。
それは妻との別離であり、オレの不満だらけの生活との別離だった。
さらば、愛しい女よ だっけ?
読んだことはないがそんな小説があったっけ?
たしか、探偵ものだったな。
なぜかオレはその言葉をつぶやいた。
さらば愛しい女よ
待っていてくれ。
落ち着いたら必ず君を呼ぶから。
オレの異動は彼女のおかげで夢と希望に満ちたものになった。




