最終話 婚姻宣言
「……っ、これは中々……」
店長と分かれ山道を進むが、現代人にとって舗装されていない山道は壁のように感じられる。店長の説明通り二人からの守りは消え雨風に晒されているが、此処で弱音を吐くわけにはいかない。
「うっ……此処は?」
「……っ、琥珀! 目が覚めた? 宣言をする山道の途中だよ」
腕の中で琥珀が動いた。布を捲ると、琥珀色の瞳と目が合う。一先ず、彼が目を覚ましたことに安堵する。
「この嵐の中で……危険です。戻りましょう……」
「え……何で? 此処まで来たのよ!?」
雨風の音に搔き消されそうな、弱々しい声で彼は言葉を口にする。しかしその内容は引き返すことの提案であった。屋敷では行くことに賛同した筈だが、今更何故そのような発言をするのか分からない。
「僕は貴女に……危険なことをして欲しくない……」
「でも……そもそも消える原因の力を使うことを恐れた理由は……私に雷を落としたからでしょう? 私は出来た人間じゃないから責任を取るとか同情とか、そんな大層な理由でこんなことをしているわけじゃないわ……」
琥珀が消える原因を作ったのは私である。だが此処の住人達はそれを知りながらも、私を責めることはしなかった。寧ろ優しく接し、守ってくれている。
「では……何故?」
「私は、ただ一緒に居たいと思っている。……琥珀、貴方に消えて欲しくない!!」
自分が消えそうになっているというのに、未だ私の身を案じる彼に私は叫んだ。
「……っ、その言葉が聞けて良かった……逃げて……」
私の言葉に目を見開いた後、彼は嬉しそうに笑うと琥珀色の瞳を閉じた。彼の身体が透明化し始め、存在の希薄化が進んでいるが分かる。一刻も早く山頂に辿り着く必要があるのだ。
「誰が逃げるものですか! 絶対に私が助ける!!」
振袖の袖を腕に巻き付け、草履を脱ぎ捨てる。ぬかるむ泥水を踏みしめると、山頂を目指して歩き出した。
〇
「つ、着いた……」
どのくらいの時間、登ったかは分からないが山を登りきった。話しの通り山頂には石階段の上に、白い石造りの鳥居が存在している。後は三階建て程の高さがある、石階段を上るだけだ。
「もう少しだからね、琥珀」
石階段を上りながら、そっと腕の中の琥珀を布越しに撫でる。本当ならば階段を駆け上りたいが、雨に当たり水分を含んだ着物と足袋ではそれが叶わない。もどかしい気持ちを抱えながら、足を進める。
「やったわ! これで……わっ!?」
緩慢な動きで最上部へと足を付ける。琥珀が消える前に間に合ったのだ。その一瞬の気の緩みを突くように、突風が吹きつけ私は階段から足を踏み外した。
「……っ!!」
こんな所で痛恨のミスである。三階建ての高さから転げ落ちて無事で居られる保証はないだろう。しかし弱っている琥珀に怪我をさせるわけにはいかない。せめて彼だけでも守ろうと、両腕で抱え込んだ。
「僕が言うのも難ですが、貴女はもっと頼った方が良いですよ」
「……っ、え? 琥珀?」
硬い石にぶつかる衝撃に身構えていたが予想は外れ、逞しい腕を背中と膝裏に感じる。咄嗟に閉じていた瞼を上げると、琥珀色の瞳と視線が合う。先程まで消えそうになっていた琥珀が、人の姿で私を抱えていた。
「ええ、貴女の琥珀ですよ」
「なっ! それよりも身体は大丈夫? 早く宣言をしないと!」
「分かっています。大丈夫ですよ」
「……っ、如何したらいいの?」
琥珀は爽やかな笑みを浮かべるが、言葉と表情とは裏腹に額には汗が浮かんでいる。相当な無理をして私を助けてくれたのだ。
「名前の後に、僕の妻になると宣言してください。僕が先に宣言しますね」
「分かったわ」
そっと石階段の最上部に降ろされると、手を差し出された。きっと手を繋ぐのも宣言をする為の所作なのだろう。私は琥珀の手に左手を重ねた。
「私、雷神の琥珀は鈴木美智留を我妻として迎え入れ、一生愛して彼女を守ることを此処に宣言する!!」
「……っ、私、鈴木美智留は、雷神の琥珀の妻になり、ずっと一緒に居ることを宣言します!!」
初めて聞く琥珀の大きな声は、威厳と優しさで溢れていた。彼の声の大きさにつられ、私も力の限り鳥居へと叫んだ。
「こ……これで良いのかな? わっ!?」
宣言はしたが、これで琥珀が救われたのか分からない。私は彼に顔を向けようとすると、琥珀に正面から抱きしめられた。立っていられない程に、具合が悪いのかと緊張が走る。
「やっと……やっと美智留の名前を呼べた」
「え? そんなに呼びたかったの?」
私の心配は杞憂に終わった。彼から伝わる鼓動と温もりが、琥珀の存在を肯定している。宣言が無事に行えたのだ。私の名前を呼ぶ琥珀の背中を撫でる。
「うん……呼んだら帰せそうにないから我慢していた……」
「ふふっ、これからはいくらでも呼べるわよ? 泣き虫ね?」
彼の琥珀色の瞳からは涙が零れ落ちる。背伸びをすると、それを指先で拭う。初めて出会った時も泣いていた。
「泣き虫な僕は嫌だ?」
「そんなところもひっくるめて……愛している!!」
庇護欲を誘うように、潤んだ瞳で私を見詰める。答えなど当に分かっているだろうに、この泣き虫な雷神は言葉にしないと不安なのだろう。私は琥珀の耳を掴むと、再び叫んだ。言っているこちらが恥ずかしくなる。
「……っ!! 美智留!! 僕も愛している!!」
「きゃ! 消えかけのだから、大人しくしていなさいよ!?」
彼は満面の笑みで、私を抱き上げ強く抱きしめた。人生で初めて贈られた言葉に、全身が熱くなる。それを隠すように文句を口にするが、彼が無事で本当に良かった。
「これから宜しく、僕の奥様」
「ええ、宜しく。私の旦那様」
何時の間にか天候は回復し、青空が広がる。私たちの門出を祝福するように虹が掛かった。




