囮大作戦
◇◆◇◆
巫山戯たことに、あの男は私を『転移陣』とやらの方へ投げ飛ばした。なんとか受け身は取ったものの、雪の積もった地面では体の前面が雪の中に潜り込んでしまう。
「……ゴホッ……ゴホッ」
気管に滑り込んだ雪に咽せながら、私は背後を振り返る。するとそこに巨大な龍が、とんでもない勢いとともに着陸した。
とてつもない衝撃が、舞い上がった積雪が、私を襲う。なんとか身を捩り、雪に埋もれ切ってしまうことは防いだものの、それでもやはり半分以上は埋まり、身体の自由が利きにくくなる。
私はそこで急いで離脱しようと試みる……が、先ほどの衝撃のせいか、思った以上に身体がうまく動いてくれない。恐怖が身体を支配してしまっていた。
「ヒ…………ヒッ……」
引きつる肺を無視し、私は這う。無様に生に縋ろうとする。
この姿はまさしく、つい先程まで私が最も忌み嫌っていたものだった。しかし、そんなことはどうでもいいと、私は必死に『転移陣』へと這い進む。
と、そこで、
「おい、こっちだッ!」
そう、あの男が叫ぶ声がする。反射的に振り返る。そして、私は目を見開いた。
あの男、レンは《氷龍》を自分の方へ引きつけようとしていた。恐らくは、私が逃げられるように。
私が、恐怖に身を強張らせている相手を、レンは引き付けようとしていて。
私はそれに、甘えることにした。全力をもって、『転移陣』へと向かう。生への執着が、私の身体を動かしていた。
同時に私は、あの男が言っていた言葉の意味を知る。命とは、とてつもなく、重い。
「はぁ……はぁ……ッ」
匍匐前進の要領で進む。『転移陣』はすぐそばだ。後十数秒もあれば、私は助かるのだ。
これで……!
そう、安堵した時だった。
突然、背筋に怖気がはしる。
「マーロウッッ!」
レンが切羽詰まったような声を発する。私は反射的に振り向いた。……振り向いてしまった。
そこで、《氷龍》の目と私の目が合う。
「あ……」
私の動きはそこで止まってしまった。
今までの攻略におけるフロアボスの如き巨躯。ガラス玉に詰めた鮮血のようにギラギラした眼。そして、視界の端で鈍く光る龍爪。
その圧倒的存在感が、私を縛る。
そんな抗ってはならない存在が、確実に私に迫ってきている。
これが現実世界なら失禁でもしていただろう。私は無意識にガクガクと震え、涙を流した。死にたくない、死にたくない。そう、思った。
しかし、プログラムされた存在であるその龍は、情けの一つも見せない。そしてプログラムとは思えない程の恐怖を私に植え付けつつ、その顎を開いた。
噛み付き。
言葉にすれば単純なその攻撃パターンも、相対すれば、恐怖しか残らない。私は、
「……ッ!」
己の無力さを嘆く間もなく、現実で待つ人々を考える間もなく、その顎に喰われようと――
そこで、
「――“打突”」
信じられない光景を目にした。
《氷龍》の頭部が何かに弾かれたように上へと逸れ、龍はその体勢を大きく崩したのだ。
私はしばし唖然としたが、即座に気を取り直す。何度か頭を振って気付けをするも、その出来事は真実のようだった。
「何してるッ! 早く行けッ!」
あの男が私にそう叫ぶ。その男、レンは、先ほど“龍の頭を斬り上げた”右手の刀を地面に刺しながら、《氷龍》を睨みつけていた。ただ体勢が整っていないだけかもしれなかったが、《氷龍》はそれにたじろいでいたように、私には見えた。
「――失せろッ!」
奴の言葉にハッとして私は弾かれたように動き出す。その身体は既に束縛を抜け出し、痛む右足を抜きにすれば、いつも通りの動きをしてくれた。
非戦闘員を置いて行く事は、誇りある『解放軍』の理念に反することだと、いつものように考える余裕もなく。
「……!」
私は、この命が無事だということに歓喜を抱いて、『転移陣』を通り抜けたのだった。
◇◆◇◆
「……行った、か」
俺は『転移陣』へと消えたマーロウを確認すると、再び前を向く。
そこには既に迫ってきていた龍の顎があった。
反射的に横へ跳び、回避。そのまま転がりながら距離を取り、離れたところで起き上がった。
「……怖っ」
一連の動作が終わった後に遅れて恐怖が身体を駆けまわる。しかし、それに身体を硬直させておくわけにもいかなかった。
俺の装備は生産職故に、薄い。一撃でも《氷龍》の攻撃を受ければ、俺のHPは吹き飛ぶだろう。
そして吹き飛んでしまえば、もう二度と目覚めることはない。
「……それでも」
マーロウを見捨てるわけにはいかなかった。
俺が人を救えるなんて驕るつもりはないけれど、それでも、
「人の命の上に立つのは……ごめんだ」
思い出されようとする記憶のカケラを再び封じ込めて、俺は《氷龍》を見据える。
「かかってこいよデカブツ。俺が相手をしてやる」
俺は目の前の巨躯に対して《索敵》を全開にして注目する。それが相手にも伝わったらしく、龍はその迫力をぐんと増した、その瞬間。
「グアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッ!!」
《氷龍》が怒り狂ったように、迫る。
圧倒的威圧感を放つその巨体を生かした、必殺の突撃を、脆弱な人間に向けて敢行する。
俺はそれを見て、ニヤリと口唇で笑った。
そしてそのまま膝を軽く曲げると――
「――っとう!」
全力で横に跳ぶ。俺の足先を掠るようにして、《氷龍》が通り過ぎた。
「うおおおおおおおおおお!」
俺は全力で腹の下に力を込めると、《氷龍》の向かった先とは“反対側”に全力疾走を始めた。
「おまえみたいな化物と戦ってられるかあああああああああああ!」
俺は本音をぶちまけながら、疾走! そんな俺の向かう先には、先程まで《氷龍》が邪魔で使うことができなかった『転移陣』。
俺は、ハナから戦うつもりなどなかった。
太ももを地面と平行になるまで上げ、ナンバ走りで駆け抜ける。《索敵》を敢えて感知させることによる擬似挑発効果を与えられた《氷龍》は、勢いがつきすぎて体勢を整えられないだろう。俺は、安全に移動できる。
そう、思っていたのだが。
「グガアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
予想より早く背後から迫る《氷龍》を見て、相手のものと遜色ないほど全力の叫び。俺は背後を指さし、全力で叫ぶ。
「――“エクスプロージョン”っ!」
突如空気中で起こった爆発が《氷龍》の顔面を直撃するが、効果なし。怒りに支配されて構わず《氷龍》が迫る。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺は、叫び、嘆き、苦しみながら、全力で駆け――
「――う……りゃぁ!」
背後で凶悪な顎が開いた気配がしたと同時に、前へ跳ぶ。
俺が『転移陣』に飛び込んだのと、龍に噛み付かれたのはどちらが早かったのか。
視界がホワイトアウトした俺には、判断がつかなかった。




