第6話 運命は今、彼女を見ているぞ
アリステラ・アカデミーの一日は、竜の鳴き声と共に始まる。
入学から数日。ルーシェの学園生活は、慌ただしくも充実した日々として回り始めていた。田舎の静かな暮らししか知らなかったルーシェにとって、すべてが目新しく、騒がしく、そして楽しかった。
その日の竜学の授業も、ルーシェの興味は半分、窓の外――箱庭のある方角へと向いていた。
「竜と一括りにしても、その生態は様々です。それは勿論、箱庭で暮らす彼女達も同じ」
教壇に立つ女性教師が、落ち着いた声で講義を進めていく。
「火を吹く個体から、雷を纏う個体。草食の個体から、鉱石を好む個体もいます。竜を識り、竜を学ぶ事で、未契約で言葉を交わす事ができずとも、信頼関係を築く事ができるでしょう」
ルーシェの手が、勢いよく挙がった。
「先生!私は早く箱庭に行きたいです!」
教室に小さな笑いが漏れる。教師は穏やかに微笑んだ。
「はいルーシェさん。元気でよいですね。ですが、新入生はまず竜について学ぶ事が義務付けられています」
教師は黒板に向き直り、言葉を続けた。
「少し前までは、竜の機嫌を損ねてトラブルになる事例も多かった為、新入生はしばらくの間、箱庭への立ち入りは禁止されるようになりました。焦る気持ちは分かりますが、まずはゆっくり、竜の事を学んでいきましょうね」
ルーシェは静かに席に座り、隣のスカーレットに身を寄せて、小声で抗議した。
「むー。竜の気持ちなんて、直接聞けば分かるのにー」
「そりゃ、お前だけだからなー」
スカーレットが呆れたように囁き返す。
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「今日は、空脈について学んでいきましょう」
教師が、空に伸びる線を描いた図を示す。
「空脈とは、空に張り巡らされた、膨大なエネルギーの流れの事です。竜人達の暮らす島は、通常、遥か上空で空脈に沿って、ゆっくりと漂っていると推測されています」
ルーシェは聞き入っていた。田舎で育った彼女には、初めて聞く話ばかりだ。
「しかし、一年の内、数日ほど。空脈によって、彼らの島が地上に近づくタイミングがあります。そこで彼らは地上へ降りて、攻撃を仕掛けてくる訳ですね」
教師の声が、わずかに厳しさを帯びる。
「そして最近の研究から、彼らは通常降りられないのではなく、島へ戻るだけの力がない、という事が判明しています。その場合、地上に隠れている事になりますので——『警戒期』でなくても、油断してはいけないという訳なんですね」
ルーシェの脳裏に、あの輸送竜の上で見た光景がよぎった。隣のスカーレットも、同じことを思い出していたらしい。
「アタシらの輸送竜襲った奴ら、普通に空に帰って行ったよな。今は警戒期じゃねぇってのに」
「竜人の上位種は、そういうの無視できるって本人が言ってたよ」
「マジかよ……そりゃ、アカデミー上層部は今頃、頭抱えてるだろうな……」
授業で習った常識を、いとも簡単に覆す存在。それと自分たちは既に出会ってしまっている。その事実の重さを、スカーレットは考えているようだった。
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「竜約術の基本は、基礎魔法の応用から!」
担当の教師は、先の二人とは打って変わって、はつらつとした声の持ち主だった。
「皆さん、入学試験である程度の能力がある事は分かっていますが、まだまだ甘いです。生まれ持った属性の長所を伸ばし、短所を補える竜と契約する事が、立派な魔女になる秘訣ですわよ! はい、まずは魔法詠唱の理論から!」
びっしりと埋まっていく詠唱式を前に、ルーシェの目は早くも泳ぎ始めていた。机に突っ伏しそうになりながら、隣に小声で泣きつく。
「うぅ……どの授業も、理論とか説明ばっかりで意味分かんない。スーちゃんもそう思うよね?」
同意を求めるルーシェに、スカーレットは涼しい顔で答えた。
「まぁな。ただ、アタシは知らなかったで後悔はしたくない。知識だって立派な武器になるからな」
ノートには、教師の言葉が几帳面に書き取られている。ルーシェは、その横顔をまじまじと見つめた。
「スーちゃんって、意外と真面目だよね。そんなギャップも魅力だと思います」
「試験勉強は自分でなんとかしろよー」
スカーレットは発言の裏を読みそっけない態度を取る。
こうして、ルーシェの学園生活の日々は過ぎていった。座学に追われ、箱庭に焦がれ、それでも一日ごとに、少しずつ前へ。
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アカデミーの一室。窓の外に夕陽が沈みゆく中、ヴァレンタリアは学長——ライゼンと向かい合っていた。
「先日の襲撃ですが、レインラインと名乗る竜人は、警戒期でないにも関わらず、少数の竜人を伴い上空へと帰って行きました。上位種であれば、空脈に抗えると」
ライゼンは、白い髭を撫でながら、低く唸った。
「これは重大な問題だな。既に他のアカデミーにも報告しているが……常に大陸全域を見回るには、魔女、魔法使いの数が圧倒的に足りない」
老学長の目が、窓の外の空へと向けられる。
「しかし、これまで起こらなかったという事は、まだ何かしら制限があるのだろうか……」
ヴァレンタリアは、わずかに目を伏せた。
「そこまでして奪いたかった積荷というのは、やはり『クリスタル』でしょうか?」
「ああ、あれは海底でのみ採れる、魔力を多く含んだ結晶。海が無く、空気中の魔力も薄いであろう空では——奴らが何より欲しがるのも頷ける」
ヴァレンタリアの拳が、強く握られた。
「申し訳ありません。挑発に乗って、貴重な資源をみすみす奪われてしまいました」
「君が気にする事じゃない」
ライゼンの声は、穏やかだった。
「偶然近くに居た君が駆けつけなければ、輸送竜ごと、乗客の命も奪われていただろう」
その言葉に、ヴァレンタリアは少しだけ、肩の力を抜いた。そして、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば——ルーシェという新入生が、怯える輸送竜を鎮め、竜人相手に戦っていたようです」
その名に、ライゼンの眉がわずかに動いた。
「私から見ても、今後に期待が持てる生徒である事は、間違いないと思っています」
「ルーシェ・アイオライト……やはり、血は争えんという事か」
「学長?」
ヴァレンタリアが、聞き返す。だが、ライゼンの言葉は、彼女に向けられたものではなかった。誰にともなく、あるいは、ここにいない誰かを思うように、学長は続けた。
「起こる全てが偶然でないのなら……彼女を軸に、何かが動き出そうとしているのか?」
しばしの沈黙の後、ライゼンはヴァレンタリアに向き直った。その眼差しには、いつもの温和さと共に、何か切実なものが宿っていた。
「ヴァレンタリア君。 君が、ルーシェを導いてやってくれ」
「私が、ですか?」
「ああ。そして——気を付けるんだ」
ライゼンの声が静かに響いた。
「運命は今、彼女を見ているぞ」
窓の外で、最後の陽光が空に溶けていく。その遥か上、誰も知らない果ての空で、何かが静かに動き始めていることを——まだ、誰も知らない。




