010 幸運が圧倒する
夕日が沈むと、この街は一気に闇に包まれる。街灯やネオンの類が一切存在しない、殺風景な街並みを照らすものは何もない。
暗闇に紛れるようにして、二人は先を急いでいた。やがて、目的の場所へ辿り着く。
辺りを見回し、陽菜は言った。
「いるんでしょう、トリプルセブンのグループの方。隠れていないで、出てきて下さい」
返事はなかった。代わりに、複数の足音が近づいてくる。
陽菜が予知した通りになった。昨日と同じ場所、同じ時間帯を狙えば、この通りをうろついている連中とエンカウントできる。
「誰かと思えば、お嬢ちゃんたちか。……悪いが、ボスにあんたらの要求を呑むつもりはなさそうだぜ。何回来ようが、トリプルセブン様の答えは変わらねえ」
暗くて顔がよく見えないが、この声の主は板倉か。手首に包帯を巻いていることからも、彼である可能性が高いと思われる。
「さて、どうしたものかな」
能見と陽菜を取り囲んだはいいものの、彼らはすぐに仕掛けず、何やら仲間内でひそひそ話し合っていた。下手に攻撃して、昨日のように叩きのめされてもまずいと思っているのだろう。
敵襲に気づき、ぞろぞろと人が集まってくる。彼らは皆、芳賀の手下に違いなかった。昨日よりもやや数が少ないのは、能見の放った雷でダメージを受けた者がいるからだろうか。
(どうするんだよ)
隣に立つ陽菜を、能見はちらりと見た。
トリプルセブンの連中が攻撃してこないのは、反撃を恐れているからだ。もちろん陽菜の予知能力も脅威になるが、彼らを最も震えさせているのは、能見の使う稲妻。
しかし昨夜、能見は彼女に約束させられたのだ。陽菜がアタッカーを務め、能見は力を使わずに援護すると。
(俺があの力を使うつもりがないと知ったら、こいつらは喜んで襲いかかってくるだろうな)
奇妙な状況だった。能見たちは切り札を使わない選択をしているのに、敵はその切り札を当然使うものと思い、迂闊に動けない。
一触即発の空気は、そう長くは続かなかった。
「……君たちは下がっていろ。彼らは僕が片付ける」
途端に、人垣が割れる。男たちは慌てて左右に避け、指導者のために道を開けた。
二人の前へ立ちはだかり、芳賀は残忍な笑みを浮かべた。
もはや話し合いの余地はなさそうだった。トリプルセブンが率いる派閥は、能見と陽菜を仕留めようといきり立っていた。
ならば、こちらも受けて立つしかない。言葉を尽くして語っても分かり合えないのなら、力には力をぶつけるまでだ。ボスである芳賀を倒せば、さすがに彼らも抵抗をやめるだろう。上手くいけば、こちらの主張を受け入れて協力してくれるかもしれない。
「昨日は、うちの部下が世話になったね」
右手に構えたナイフの切っ先を、芳賀は能見へと向けた。
「どうやら彼らでは力不足のようだ。そこで、リーダーであるこの僕が、直々に相手をしてやることにした。光栄に思うがいい」
「……うわあ。めちゃくちゃ偉そうなんだけど」
陽菜は刹那、げんなりした表情を見せた。しかし、一転して厳しい顔つきになり、拳銃を抜き放つ。
「そのプライド、私が傷つけてあげます」
芳賀には、反応する暇すら与えられなかったはずだ。事実、目にも止まらぬ速さで射出された弾丸は、彼へと直進した。
トリプルセブンこと、芳賀の能力が何なのか。昨日の時点で、能見と陽菜には分かっていなかった。彼に勝つための方法を考えた結果、「先手必勝」というシンプルな答えに行きついた。
つまるところ、銃の早撃ち。相手より先にファーストアタックを決めれば、リードを稼げる。ごく単純な理屈だった。そのための射撃練習も行い、陽菜は今、万全な状態で戦いに臨んでいた。
けれども、彼女の撃った弾は当たらなかった。
銃弾が空中を進んだ先には、確かに芳賀の胸部があったはずである。だが彼は、信じられないほどの反応速度で身を翻し、弾丸をかわしてみせた。
「そんな。どうして」
陽菜は愕然とし、拳銃を握った手を微かに震わせている。対照的に芳賀は、自信に満ちた笑みを深めた。
「……やっぱり君たちじゃ、僕の遊び相手にすらなれそうもないね」
月光を反射する刃を閃かせ、陽菜へ躍りかかる。
「トリプルセブンの名は伊達じゃないってことを、身をもって知るがいい!」
芳賀が振り下ろした刃を、陽菜のナイフが正面から受け止める。均衡が生じたのも束の間、彼女はもう片方の手も突き出した。ハンドガンの銃口を芳賀の脇腹へ押し当て、今度こそ弾丸を命中させようとする。
「おっと。そうはいかない」
しかし、陽菜の指がトリガーを引くより先に、芳賀は足払いをかけた。バランスを崩して転倒した彼女へ、芳賀が馬乗りになる。
「きゃっ」
無我夢中で陽菜がナイフを振るう。その斬撃をも、芳賀は難なく回避した。彼女の攻撃を読んでいたかのように、無駄のない動作で上体を逸らしてみせる。
「無駄だよ。君の攻撃は全て、僕にかすりもしないんだから」
とどめだ、とばかりに、芳賀は一思いに刃を振り下ろした。
「援護に徹する」と陽菜に約束していたものの、彼女が芳賀と一対一で戦うことになるとは予想していなかった。
芳賀を狙い撃とうと、能見は何度も銃を構えた。けれども、その度に彼はかわしたのだ。巧みに動き回り、照準外へ逃れる。それどころか陽菜に弾が当たりそうになり、引き金を引くのを断念した。
かと言って、自分もナイフで応戦するのは論外だ。それでは援護ではなく共闘になるし、万が一にも能見が芳賀と戦って負傷すれば、陽菜はきっと自分を責めるだろう。能見が加勢せざるを得ない状況をつくった、非力な自分を。「力を使わないで」と願った結果、かえって能見を傷つけることになった自分を。
これ以上、彼女を苦しませるような真似はしたくなかった。能見は迷い続けていた。
すんでのところで地面を転がり、陽菜は凶刃から逃れた。喘ぐように息を吸って、ふらふらと立ち上がる。
「……うっ」
不意に顔を歪め、彼女は太ももを手で押さえた。昨日撃たれた傷が痛むのだろう。
「どうした? もうスタミナ切れかい?」
刺突を避けられても残念がる素振りもなく、芳賀は楽しそうに言った。追い詰めた獲物を眺めるのは、彼にとって極上の娯楽らしかった。
「ラッキーセブンという言葉を聞いたことがない、なんてことはないだろうね。数字の7は一般に、幸運を意味するとされている」
息を切らしている陽菜を見つめ、芳賀がにやにやと笑う。
彼の背を狙い、能見は発砲した。またしても芳賀は、それを見越していたかのようにバックステップを踏む。こちらを振り返ることすらせず、彼は鮮やかな回避に成功した。
「ラッキーセブンが三桁揃ったのがこの僕、トリプルセブンだ。オカルト的な文脈において、『777』は非常に良い前兆を意味する。天の導きに従い、その褒美を受け取ることができるとされる」
銃撃などなかったかのように、芳賀は話を続けた。軽くあしらわれたように感じ、能見は無力感に苛まれた。
彼に対抗するには、やはり、あの力を使うしかないのだろうか。たとえどんなリスクを払ってでも、稲妻のパワーを解き放つべきなのだろうか。
だが、陽菜の悲しげな顔が脳裏をよぎると、それもためらわれてしまうのだった。
「そのせいなのかは分からないけれど、僕には普通とは違う力がある。あらゆる攻撃をかわす力だ」
惜しげもなく、トリプルセブンは自らの能力を明かした。その瞬間、今までの全てに説明がついた。
能見が胸倉を掴んだときも、さっきのように銃を撃ったときもそうだ。芳賀は、彼自身が「攻撃」と認識したものの全てを回避できるのだ。何と桁外れで、とてつもない力だろう。
芳賀がこれほどまで大人数のグループを築いた理由が、ようやく分かった。芳賀の攻撃は他の者に当たるが、彼に攻撃を当てられるものは誰一人としていないからだ。一方的にダメージを喰らい続け、ついに相手は降伏するしかなくなる。




