第七十四話 御者のエドワード
次の日の昼過ぎ、俺達はトラスヴェルムの門から少し離れた街道沿いの野原に集まっていた。
チェスターが早々に御者と馬車を手配してくれたお陰で、直ちにメティスに向けて出発することが可能となったからだ。
昨晩イリアを含めて話し合った結果、今は一刻も早く炎熱回廊に赴き、誰よりも早く最後の鍵を手に入れることが先決として全員の意見が一致した。
そうと決まれば出発は早いに越したことは無い。
なお、流水洞穴を攻略したことによる冒険者ランクの昇格については通達を待たないことにした。
そもそもの話、依頼を達成して金を稼ぎ、名声を得るといった活動が主目的ではない俺とファティナにとってランクアップは今のところあまり意味がない。すべてが片付いてからでも遅くはないだろう。
「それでは行って参ります。メルレッタ様、どうかご無事で」
「ありがとうイリア。あなたもどうか気を付けてください」
すぐ目の前ではイリアがメルに別れの挨拶を済ませている。
イリアのみ、ここからは一時的に別行動を取ることになったからだ。
イリアの隣には彼女がいつも乗っている青色のドラゴンが前足を揃えて行儀よく座っていて、ただ二人の方を見ている。
恐ろしいモンスターだとされているドラゴンが大人しく人間に従っているというのはとても不思議な光景だが、これもイリアの持つスキルである【竜使い】の効果によるものなのだろう。
イリアは率いていた兵士達とともに、一時的に王都に帰還するという。
メルを発見したことについては、別人だったということで押し通すつもりらしい。
また、彼女から聞いた話によると変身したアレンを見た兵士達の中には逃げ出して行方不明になった者、すっかり怯えてしまった者などが数多くいて、まともに統率がとれない状態なのだとか。
結果的に王女を連れ帰るという任務を放棄する形にはなるが、帰還の理由としては納得されるかもしれない。
あわせてイリアは、昨日のうちに伝令を出して街道に配置されている兵士達に合流するよう命じてくれた。これでもう俺達が街道を移動しても捕縛されることはないだろう。
どこに行くにも兵士に追われていてはメルもファティナも落ち着かないだろうから、これには素直に助かった。
「どうか私が城から戻るまでの間、姫様をお守りしてほしい」
「はいっ! メルさんのことは任せてください!」
ファティナが元気よく返事をすると、イリアは「頼もしいな」と表情を崩して微笑んだ。
「それでは」
イリアはドラゴンに跨ると、そのまま飛び去っていった。
都市から少し離れた所に兵士達の野営があると言っていたので、そこへ向かったのだろう。
メルはイリアの姿がすっかり見えなくなった空を、しばらく眺めていた。
それからまた、馬車を待つことにしたのだが──
「むう……」
本当ならばとっくに来ていても良さそうなのだが、まだ馬車は現れない。
手配した当人であるチェスターもトラスヴェルムの方をちらちらと見始め、顔から余裕がなくなってきている。
その間に、これからの事について考えることにした。
メティスに着いたら、早々に炎熱回廊の場所を確認し、最後の鍵となる【炎熱の鍵】を回収しなければならない。
炎熱回廊がどのような場所なのかはメルも詳しくは知らないという。古文書には色あせた内部の地図が少しと、鍵を破壊するための祭壇について書かれているだけだそうだ。
古文書の中身を少し見せてもらったが、随分昔に失われてしまった言語で書かれているらしく俺とファティナではさっぱり読めなかった。
今の時点でこの書物を解読できるのはクレティア国王を含めた王族、そして城にいる一部の学者だけだとか。
とはいえ、すべきことは決まっている。
流水洞穴のような仕掛けがなければ、そのまま最下層に直行して守護者を倒す。そのことにだけ注力すればいい。
ただ、一つだけ懸念があるとすれば。
国王から依頼を受けたSランク冒険者のバルザーク達が先行して攻略を進めているであろうことだ。
彼らの姿を最後に見掛けてから、もうかなりの日数が経過してしまっている。
炎熱回廊が攻略されたという噂はまだないようだが、もしも既に鍵を手に入れた後だとしたら問題だ。
バルザークもアレンと同様、絶対に説得に応じるような類の人間ではない。それどころか、アレンと違って何を考えて王からの依頼を受けたのか見当がつかない。
そして、どうしてそう感じてしまうのか自分でも説明がつかないが……不思議と彼らがこれまで出会ってきたSランク冒険者達のようにダンジョンで苦戦する姿が想像できないのだ。
単純にSランク相当にレベル上限が高いだけでは、鍵の守護者は倒せないはずではある。
ただの思い過ごしであればいいのだが。
「あの、大丈夫ですか?」
ふと、俺のすぐ横でファティナが心配そうにこちらを見ていたことに気が付いた。
「ああ……ちょっと考え事をしていただけだ」
「あの」
ファティナが再び口を開く。
「アーク様、このまま発ってしまって本当によろしいのですか?」
「何が?」
「……いえ、やっぱり何でもないです」
自分から話し掛けてきておきながら、ファティナはそれきり何も言わずに顔を背けてしまった。
まあ、言わんとしていることは分かる。
十中八九、リーンのことだろう。
ファティナは俺にとってリーンがどのような存在であったのかを、メルやチェスターに比べればより把握している。
だから気になっているのかもしれない。
彼女はどうなったのか、と。
どうやら、また余計な心配をさせてしまったようだ。
「すまない」
反射的に、ついそれだけが先に口から出てしまった。
するとファティナは耳をぴくりと微かに動かしてからくるりと振り返り、ぎこちなく笑顔を作った。
これだけの言葉で不思議と俺が言いたいことが伝わったらしい。
ボルタナにいた時からずっと一緒に行動してきたせいだろうか。言葉足らずでもまあ伝わるようになったものだ、と少し驚いた。
「お二人とも、どうかしましたか?」
「いや、リーンのことだ。助かってる」
俺達のやりとりの意味が分からなかったであろうチェスターが尋ねてきたので、説明する。
鍵の騒動に巻き込まれたリーンがその後も無事でいられるのは、チェスターのお陰だ。
「ああ、そのことですか。実は……出立の寸前に告げるつもりだったのですがね、彼女から言伝を預かっています」
「言伝?」
「『あの時はごめんなさい。また話せる日が来るのを待っています』だそうです」
「……そうか」
色々と思うところがあったのだろう。
俺の中ではもう終わったことなので別に気にしてはいないが、彼女にとってはそうではない。
今度無事に会うことができたなら、話をしようと思った。
また、幼馴染として。
「アークさんはどうぞ事態を収めることに注力してください」
「ああ、こちらもなるべく早く終わらせるように努力する」
「そうですね、チェスターさん達が守ってくれれば安心です! 私も頑張ります!」
「はい? それは一体何の話ですか?」
ファティナが意気込みながら話すと、それに対してメルが不思議そうに首を傾げた。
アレン達が狙われるかもしれないという話は、二人には話していない。というか、そもそもファティナは何で俺とチェスターの会話の内容を知っているのだろうか。あの場にはいなかったはずだが……。
「……アークさん以外にはこの件は話していないはずですが? どうしてファティナさんはご存知なので?」
チェスターに指摘されたファティナは無表情になって石のように固まった。
そんな会話をしていたところで、街道から馬のいななきが聞こえた。
見ると、二頭立ての幌馬車が街道から外れて俺達の方に向かって来ていた。
馬車はゆっくりと俺達に近付くと、すぐ横に止まった。
それと同時に、御者台から一人の男が降りてくる。
「遅いぞエドワード! お客様をお待たせするなと日頃から言っているだろう!」
「そう怒鳴るなよ。ほんの少し遅れただけだろう」
眉を吊り上げて怒るチェスターに、無表情のまま平然と男が言い放つ。
御者は痩せた背の高い男だった。
歳は三十過ぎといったところだろうか。
耳を覆うほどの長さの茶髪を真中分けにしており、顎に生やした髭は綺麗に短く整えられている。
しかし何より、その恰好に驚いた。
男は旅着などではなく、白い長袖のシャツに黒のベストを着ていたからだ。
その姿はまるでチェスターのように小綺麗で、とてもではないがこれから数日間の旅を始めようとする人間には到底見えない。
「手配してくれたという御者か?」
「ええ。我が商会で雇っている御者のエドワードです。こんな男ですが、腕は間違いありません。エドワードであればメティスには予定よりも三、四日早く着けるでしょう」
「……? 街道を普通に走って、そんなに早くですか?」
チェスターがさも当然のように言うので、メルが驚く。
確かに数日早くは言い過ぎではないだろうか。
どんなに速く逞しい馬でも休む時間は必要だ。酷使すれば逆に疲れて走れなくなるし、事故も起きやすくなると聞いている。四日も早いなど普通に考えればありえない。
「世の中には不可能を可能にする人間もいるということだ。美しいお嬢さん」
「おい! こちらはやんごとなきお方だと前もって説明しただろうっ……!」
チェスターが語気を荒らげると、エドワードはあしらうように手を振った。
「分かった分かった。だが嘘は言ってないだろう」
彼自身が一切否定しないところを見るに、余程腕に自信があるようだ。
「いいかエドワード、言われた通りに仕事をしろ。お前が言った通りの金を先払いにしてやったんだぞ」
「今回の仕事は危険だと聞いているからな。更には急な呼び出しで、まさに苦労に見合った報酬だ」
「はあ……もういい。さあ皆さん、どうぞお乗りください」
チェスターは大きな溜め息を一つ吐き、俺達に馬車に乗り込むよう促した。
最初にメルが荷台に上がろうと足を掛ける。
「きゃあ!」
すると突然、メルが変な声を上げてスカートを手で押さえるようにしながら後ろに飛び退いた。
「い、今私に触ろうとしませんでしたか!?」
「こらエドワード! いい加減にしないか!」
「乗るのに手を貸してやっただけだ。別に減るもんじゃないだろうに」
「そんなこと頼んでません! アークさん、この人ではなくどなたか別の人に御者を代わっていただきましょう」
「いや、今からだと出発が遅れる。それに彼に任せるのがメティスに着くのは一番早いんじゃないか?」
「それはそうですが」
余程尻を触られるのが嫌らしい。
まあ嫌か。
「う、うーん……」
ファティナも呆れてしまっている。
チェスターの言う通り、エドワードは少し変わった人物のようだ。これまで出会ったクラウ商会の者は紳士的な人物ばかりだったが、例外もいるらしい。
しかし、チェスターが俺達のためにわざわざ彼を御者として手配したということは、それを差し引いても腕が良いという証明なのかもしれない。
女性陣──とりわけメルはかつてないほどに不服そうだったが、ああだこうだと言い合った後、結局は渋々馬車に乗った。
「どうかお元気で」
チェスターが差し出してきた手を握り返す。
「ああ、今までありがとう」
「すべてが終わったら、またトラスヴェルムにお越しください。その時は盛大にもてなしましょう」
俺が荷台に乗ると、エドワードが馬に鞭を打つ音が聞こえた。
馬車はゆっくりと動き出し、街道を軽快に走り出す。
やがてチェスターの姿は段々と小さくなり、トラスヴェルムの白い壁も、建物も、遠ざかっていく。
普段なら荷台を通して嫌というほど伝わって来る振動が、不思議とほとんど感じられなかった。




