第七十三話 戻らぬ日々
リーンは屋敷の庭に佇みながら、ただ俺をじっと見つめていた。
「ここにいたのか」
「……うん」
村にいた頃のような彼女の明るい笑顔はそこにはなく、行き場のない虚しさのようなものだけがただ見て取れた。
「エリスさんが、『あなたはきっと逃がしてもらえるはず。だから、行きなさい』って……」
「エリスが?」
リーンが先程の話し合いに現れなかったのは、エリスが逃げるように言ったからだったようだ。
エリスは『あの子には、そんな勇気なんてない』とリーンを評していたが、それはなるべく彼女の逃亡に目が向かないようにするための発言ということか。
あるいは、本当の意味でこうなることを最初から予測していたからか。
事情を一切知らないフィオーネはリーンが逃げたのではないかと疑っていたようだが、普通に考えればクラウ商会の監視の目を潜り抜けてトラスヴェルムを出るのは難しいように思う。
また、アレン達を雇っていたウィオル商会は事実上崩壊寸前であり、リーンが匿ってもらえるとは考えにくい。
だからだろうか。逃げることもせず、他に行く当てもない彼女は屋敷の外をうろつくことしかできなかったのかもしれない。
そんな彼女の顔を見つめ返すと、不意に村で一緒に過ごした日々が思い出された。
剣術や魔術について教えてくれるような師匠もいない、どこにでもある平凡な村の出だった俺達は、村にあった冒険者に関する本をひたすらに読んで過ごしてきた。
数々の英雄譚を眠くなるまで二人で読んだ。
どのモンスターがどのランクに相当するのかを言い当てたり、適当なガラクタを冒険に必要な道具に見立てて集めては、それを持って近くの森の中に入ったりもした。
そんな日々は今となってはもう……ずっと昔のことのように思えた。
「もういいんだ。リーン」
そう告げた途端、彼女の瞳からは涙が零れた。
「うっ……ううっ……」
泣いている幼馴染を、俺はただ見つめた。
関係がこじれる前の俺ならば、ここでどうしていただろうか。今となっては自分でもよく分からない。
「ごめ……なさ……」
途切れ途切れに聞こえる、後悔が伴った謝罪の言葉。
それはきっと、ボルタナの冒険者ギルドで俺と別れたことを含め、これまでの沢山の出来事に対してだろう。
何より、俺に会った時に一体何を言われるのかが気になっていたに違いない。そう思ったから、「もういい」と口に出して伝えたのだった。
しばらく何も言わずにいると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「わ、わたしは……え、英雄にっ……なりた、かった」
──英雄。
それは誰もが憧れる存在だ。
俺もリーンも、物心ついた時からずっとそうなりたいと願っていた。
俺達だけではない、冒険者として生きようとする者ならば、誰もが一度は夢見るはず。
二人で初めて冒険者ギルドを訪れたあの日、リーンは能力鑑定によって自分が英雄になれる力を持っていることを知った。
丁度そんな時に、既に英雄となっていたアレンからパーティに誘われたのだ。
アレンの勧誘はレベル上限1である俺と道を違える理由には十分すぎるもので、当然の選択だった。
仮に俺と一緒にいたとしても、その先には冒険者として明るい未来など存在しないことは誰の目から見ても明らかだったのだから。
「あの時は……ほ、本当に……私は選ばれたって、そうとしか、思えなくて……だから、アークを……」
「……そうか」
リーンのレベル上限は冒険者の中で稀な80で、スキルも3つと恵まれている。鑑定結果に絶望するしかなかった俺とは正反対だ。
だから、そんな風に考える彼女の気持ちも理解はできた。
似たようなことを終始言い続けていたアレンも同じように自分が選ばれた人間だと思っていたのだろう。そして、たまたまギルドに現れたリーンはアレンに同調した。
……だが実際のところ、アレンはリーンの事を仲間だなどとは一切思っておらず、ただの道具としか見ていなかった。その結果、最終的に俺達から流水の鍵を奪うための人質として利用されてしまった。
「でもアークを見ていたら、だんだんよく分からなくなって……自分が何をしているのかも、もう、分からなくて……」
ボルタナでのシャドウキメラ出現に端を発する事件、そしてトラスヴェルムでリーンが経験した出来事は、彼女が思い描いていた冒険者としての生活とは大きく異なるものだったに違いない。
もしもアレンではなく、リュイン達のようなSランクパーティにリーンが入っていたのなら……もっと良い方向に進んだように思う。
「それに……アークがどうしてそんなに強くなれたのかも分からなかった」
「俺はレベルが上がらない代わりに、【即死魔術】スキルのレベルが上がるんだ。だから、こうして強くなれた」
そう説明すると、リーンは大きな目を更に見開いた。
「そう、なんだ……そんなことが……」
「能力鑑定の時は、俺も自分にそんな能力があるとは知らなかった。だからリーンにも伝えることができなかった」
ありのままに事実を伝える。
今更言ったところで、何の意味もないことは分かっていた。
でも、リーンが本心を語ってくれたことに対して俺もそうすべきだと思い、話すことにした。
「本当に……ごめん、アーク……」
「いや……もう終わったことだ」
しばらくしてようやくリーンは泣き止むと、目に溜まった涙を指ですくった。
「リーン、ひとつだけお願いがあるんだ。聞いて欲しい」
「何?」
「しばらくの間、トラスヴェルムから出すことはできない……それでも構わないか」
リーンは何も言わなかった。
多分、彼女はどうして俺がそう頼んだのか理解できていない。
むしろ、「大人しくアレン達と同じように捕まれ」と言われたとでも思っているかもしれない。
だが、今ここで推測の域を出ない話をすることは無駄に彼女を怯えさせることにもなりかねないので、言わなかった。
それでも、リーンはうなずいてくれた。
「アークは……これからどうするの?」
「俺にはまだやらなければならないことがある。だからじきにトラスヴェルムを発たないといけない。それが終われば、リーンも自由になれる」
「そう……分かった」
それ以上は、もう何も聞いてはこなかった。
聞かずとも、鍵に関する何かであると察しがついたのだろう。
「話は終わりましたか?」
急に背後から声が聞こえて振り返る。
そこにはチェスターと、その後ろに二人の男が立っていた。いずれも恰好からして雇われている冒険者に見える。
また丁度良いところで現れたものだ、と思った。
「……ああ。彼女を頼む」
「分かりました。決して手荒な真似はしませんのでご安心ください」
「助かる」
チェスターが冒険者達に目配せすると、彼らはリーンの両脇を固めるように立った。
リーンは何も言わずにそのまま彼らに従い、大通りへと歩き始めた。
段々と小さくなっていく彼女の後姿が見えなくなるまで、俺はその光景を眺め続けた。
「やはりアークさんは、私が思った通りの人物だったようだ」
「……何の話だ」
思った通りに事が運んだ、とでも言いたげに笑うチェスターに言い返す。
彼もまた、俺がリーンの処遇についてどうするつもりだったのか想定できていたのだろう。
「彼女を投獄するつもりはありませんし、護衛も付けますのでご安心ください。まぁ、多少の不自由はあると思いますがね」
「そうか」
これまでクレティア国王がとってきた行動から判断するに、国王は三つの鍵を手中に収めたいと思う一方、その存在を公にしたくないと考えているのは間違いない。
探索に王国騎士団を投入しないのは温存しておきたいから、というメルの話は一理あるが、それならば冒険者達に向けて三つのダンジョンを攻略するようにもっと呼び掛けても良いはずだ。
だが、国王はそういった奨励を一切出していない。それどころか、イリアのような騎士団の人間にもわざと誤った情報を流している。
その徹底ぶりは、まるで自分が鍵を集めていることを誰かから隠したいかのようだ。
そう考えるなら。
秘密裏に鍵を集めているという情報を知りながらも探索が不可能になったアレンのパーティは、国王としてはもう残しておけないのではないだろうか。
だとすれば、リーンをこのまま一人にしておくことは得策ではない。
クラウ商会の監視下での生活となるため多少の不便はあるとは思うが、チェスターに任せていれば安全だろう。
しかし、ずっとそうしてはいられない。
この問題を根本的に解決するためにはすべての鍵を集め、一連の騒動に終止符を打つ必要がある。
チェスターも同じように考えているからこそ、あんな風に言ったのだろう。
「チェスター、色々とすまない」
「いえいえ。おっと、そうだった」
ふと、チェスターが急に何かを思い出したかのように手を打つ。
「馬車の件ですが、商会の中でもいっとう腕の立つ御者をお供に付けますので期待していてください。ただ……少々性格に難がある者なのですが、それでも構いませんかね?」
「ああ、メティスまで連れて行ってくれるのであれば問題ない。ありがとう」
その御者がどういった人物なのかは知らないが、性格に問題があると言いつつもチェスターが推すほどなのでよほどの腕利きに違いない。
メティスまで移動するのにはこれまで以上に日数がかかるので、腕の良い御者が付いてくれることは頼もしい。
「それでは準備ができ次第、また声を掛けますよ」
馬車の件の話が終わり、二人して再び屋敷の中に戻ろうと振り返ったその時。
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
庭に立っている一際大きな木の根元辺りで、見覚えのある白っぽい塊のようなものが動いたような気がした。
見間違いだったかもしれない。




