第七十二話 あの日の問いに
「いないところで、ですか?」
一体どうして、とでも言いたげにファティナがチェスターに聞き返す。
「行けば分かりますよ。ひとまず移動しましょうか」
チェスターは、ファティナの質問には明確に答えないまま、扉を開けて俺達に部屋から出るよう促した。
その口ぶりは、先に内容を聞いていたか、あるいは既に何らかの見当がついているようだった。
ファティナは頭の上に疑問符を浮かべているかのような表情で首を傾げたが、結局そのまま廊下に出た。
階段を下り、一階の廊下の奥にある扉をチェスターが開ける。
そこは広めの部屋で、中では俺達よりも先にアレンのパーティメンバー達が待っていた。
盗賊のフィオーネは腕組みして扉近くの壁に寄りかかっている。
部屋の中央に向かい合うように置かれたソファーには、魔術師のドロテアが気怠そうな顔で座っている。
窓の前には、聖騎士のエリスが立っていた。
俺達が部屋に入ると、三人はほぼ同時にこちらへと視線を向けた。
浮かない顔をしているのはエリスだけで、あとの二人にはあくまで平静さを保っているように見える。
部屋の中には彼女達しかおらず、リーンの姿はない。
一人だけ別行動で、まだ来ていないのだろうか。
「一人足りないようですが?」
「ん? そうみたいね」
チェスターが一番近くにいたフィオーネにリーンの所在を尋ねると、彼女はたいした関心も見せず、さも言われてようやく思い出したかのような顔で答えた。
自分の仲間が一人いなくなっているというのに、本当に忘れていたかのようだった。
「私はリーンのことは知らない。逃げたんじゃないの」
「……あの子には、そんな勇気なんてない」
そう呟いたのは、エリスだった。
居場所ではなく、なぜかリーン自身について話す彼女からどことなく不自然さを感じたのは俺の思い過ごしだろうか。
「まあいいでしょう。それで、話というのは?」
チェスターはそれ以上リーンについては触れず、そのまま本題に入った。
「今回の一件のことよ。誤解がないように、事実をきちんと説明した方がいいと思って」
「事実とは?」
「流水洞穴でそっちのパーティとやり合った件とか、都市を破壊した件は全部アレンの考えでやったことよ。私はパーティリーダーである彼に無理強いされて、そうせざるを得なかっただけ」
「えっ」
フィオーネの説明に、なぜか仲間であるはずのエリスが驚きの声を発した。その顔には明らかな困惑が浮かんでいて、まるで、話が違うとでも言いたげだった。
「な、なにそれ……アレンが王様からの依頼について話した時、フィオーネも賛成してたじゃない」
「私は危ない話には乗らないほうがいいとアレンに提案したんだけどね。彼、聞く耳持たなくて」
そんなエリスとは対照的に、フィオーネは表情を一切崩さないまま淡々と話を続ける。
「確かに私は言った。ドロテアもそうだったわね?」
「……私とフィオーネは、やめるようにアレンに忠告した」
ドロテアはぼそぼそと小さな声でそれに答えた。
「私とドロテアは、最初からこの依頼を引き受けることに反対だった。鍵がどういうものなのか具体的な説明もなかったし、三つ揃えれば爵位をくれるという話だって、普通に考えれば胡散臭いもの」
「つまり、フィオーネさんとドロテアさんはアレンに強制されてそうせざるを得なかった、ということですか?」
チェスターの問いに、フィオーネは「そうよ」と返した。
それを聞いたチェスターは顎に手を当て、何やら考え込むような仕草をした。
ファティナとメルはお互いに顔を見合わせ、怪訝そうな表情をしている。
俺を含め、全員が意外だと思ったに違いない。
二人の言うことが真実であるならば、国王からの依頼について仲間内で意見が分かれていたということになる。
アレンとエリスが賛成し、フィオーネとドロテアが反対したという内訳だろうか。リーンについては恐らくアレンに追従しただけだろう。
「だが我が国の王女であるメルレッタ様に刃を向けたことは、最早弁明の余地はないぞ」
イリアがフィオーネをきつく睨みつけながら言い放つが、フィオーネは彼女に目を向けることすらせず、まるで動じていない様子だ。
「別にお姫様は狙ってない。城に連れて行こうとしただけ。傷でもつけて国王から文句を言われたら嫌だし」
「姫様、この者が言っていることは真なのですか?」
「……確かに流水洞穴で出会った時、アレンは私を城に連れ帰ろうとしていました」
メルの言う通り、アレンは彼女に危害を加えるつもりはなかったように思う。
イリアは当てが外れたのか、フィオーネから視線を外してそれきり何も言わなかった。
「なるほど。お二人は、同じパーティではあったものの今回の件は嫌々承知したということですか」
「パーティを組んでいるからといって、必ずしも意見が同じとは限らない。普通にあることでしょ」
「なにそれ、そんなの、聞いてない……」
エリスは自分のパーティメンバーを見つめながら愕然としている。
三人のうち、エリスだけが彼女達の考えを知らなかったようだ。
「それはエリスが聞いていなかっただけ。あなたはどうせアレンしか見ていなかったんでしょ」
「そんなことない! 私は全員を見て、守っていた!」
「どうだか。前から思っていたけど、エリスって何も考えてないんじゃない?」
「……え?」
言われて、エリスの表情が固まる。
「より正確に言うなら、考えないようにしていただけ。アレンに全部任せて、自分は思考を放棄していたってところね。私から言わせれば、あなたも共犯よ」
「ち、違う。そうじゃない。私は、ただ……」
明らかに動揺しているエリスは、消え入りそうな声で何かしらを言い淀んだ。
「違うの? アレンとはよく話していたみたいだけど、あなたが彼に何か意見したところを私は見たことがない」
「……同じく」
二人に対してエリスは何かを言おうとしていたようだが、結局何も言葉にはならず、そのまま口をつぐんでしまった。
「それに、私もドロテアもあなた達の命まで取るつもりはなかった。そのつもりで手加減していたし。結果的には負けたけど、それで良かったじゃない」
「それは嘘です! この人は、間違いなく私達を殺すつもりでした!」
ファティナが断定口調で言い切ってフィオーネを指差すと、フィオーネは先程までの無表情から一転して微笑を浮かべた。
「ファティナさん、だったっけ? あなたは冒険者になってまだ日が浅いから知らないと思うけど、結構冒険者同士の揉め事って多いのよ? そういう時だって、殺しまではやらない。そんなの常識よ」
「よ、よくもそんな見え透いた嘘を!」
「ファティナさん、どうか落ち着いてください」
チェスターがファティナをなだめる。
ファティナは彼に従うように口を閉ざし、フィオーネを睨みつけた。
俺が実際に流水洞穴で対峙した時、フィオーネもドロテアも、その攻撃からは一切の迷いを感じられなかった。むしろエリスとリーンの方がよほど戸惑いがあり、本気で俺達を殺そうとはしていなかったように思う。
二人のパーティ内での役割が攻撃役ではないから、ということもあるが。
「で、結局のところお二人はどうされるのですか?」
「私はもうアレンのパーティから離脱するし、この件からも手を引く。お金なら金貨数千枚の蓄えがある。それでも足りないなら後から稼いで返す」
フィオーネの提案を、チェスターは何も言わずにただ黙って聞いている。
「私はレベル上限80よ。何ならこの商会の専属になってもいいし、汚れ仕事だって引き受けるわ。他の冒険者と違って分別もある。だから私には、それなりの配慮をして欲しい」
「ああ、それは無理だ」
チェスターが即答した。
「どうして?」
「あなた方から一切『信頼』を感じないからです」
チェスターの告げたその言葉に、フィオーネは初めて顔をしかめた。
「信頼? こんなの綺麗事で語るような話じゃないわ。あなたも商人ならば、損得を第一に考えるのが正しいと理解できるはず」
「いいえ。商人にとって信頼とはいくら金を積んでも得られない大切なもの。我々は、それを持たない人間と取引をすることはできません」
「ふざけないで。そんな形もないようなものの話をしたってしょうがないわ」
「ふざけてはいません。大真面目ですよ。信頼は形はないが、確かに感じられるものです。小難しいことを言わなくともね」
チェスターはそう言ってから、俺達の方をちらりと見た。
「あなた方には相応の処罰を受けてもらいます。牢に入って、自分達のしたことをもう一度考え直した方がいい」
「その判断は不当だわ。私は真実を話した。そんな理由で私達を捕まえれば──」
「冒険者ギルドが黙っていない、ですか?」
遮るようにチェスターが言う。
まるで、こうなることを初めから想定していたかのようだ。
冒険者ギルドの花形とも言えるSランク冒険者が投獄されたなどという噂が広まれば、評判に大きな傷がつく。そうなれば、当然彼らも黙って見過ごすような真似はしないはずだ。
「あなたが何に対して不当だと言っているのかは知りませんが、決めるのは我々です。ここはトラスヴェルムだ」
話はこれまで、とでも言うかのようにチェスターは部屋の扉を開け放った。
そこには、戦士や魔術師の出で立ちをした人間達が大勢いた。見えるだけでも二十人は超えるだろうか。
「我々が雇っている冒険者達です。レベル上限60の者もいます。彼らを相手にして逃げ切れる自信があるのでしたら、どうぞお好きなように」
「……こんなの絶対に認めないわ」
「彼女達を連れて行ってください」
フィオーネは舌打ちし、ドロテアは露骨に嫌そうな顔をしながら、そしてエリスはうなだれるように、雇われの冒険者達に囲まれて部屋を出て行った。
三人がいなくなった後の部屋は急にがらんとして、静寂だけが辺りを包んでいる。
ファティナとメルは、彼女達が去っていった先をただ見つめていた。
「ふう、彼女達もこれで少しは反省してくれるといいんですがね」
「最初から、どういう話になるのか知っていたんだな」
「まさか。これでも生まれてからずっと商人ですからね」
そう言って、チェスターは肩をすくめた。
「あのエリスという人……少し可哀想だった気がします」
うつむきがちにファティナが言った。
確かにエリスもアレンのパーティの一人であり、俺達を襲ったのは紛れもない事実だ。
だが、事情はどうあれ仲間から共犯者扱いまでされたのには何とも言えない後味の悪さが残る。
「ふむ……そうかもしれませんね。さて、残る一人はアークさん次第です。我々としては、彼女の処遇についてはどちらでも、という感じですが」
「そうか、ありがとう」
チェスターが言いたいことを大体理解できた俺は部屋を出て、そのまま屋敷の入口へと向かう。
建物の外に出ると、白いローブを着た一人の女の子が所在なさげに立っていた。
「リーン」
「……アーク」
そこにいたのは俺の幼馴染、そしてアレンのパーティメンバーの一人である、神官のリーンだった。
7/20 精神論という言葉を修正しました。




