第四話:パーフェクト・ラブレター講座
この半年の間で、善彦は太郎と遊びまわったり、恋文の練習をしていただけではありません。
彼は麗子ボットとの間で同棲や結婚、出産から育児まで、交際後のあらゆる事態に備えて詳細なシミュレーションを行っていたのです!
その結果、子供が成年に達するまで完全無欠の人生計画を作成することに成功したのです。
実現率は、実に九十九・九九パーセント!
すべての計画の起点となるのが、このパーフェクト・ラブレターなのです。
この手紙を本物の麗子に渡したとき、善彦の長きにわたる準備期間は終わり、彼の新しい人生が始まる……はずでした。
「……おめでとうございます、善彦さん。これで、私はお役目御免ですね」
その声が聞こえた瞬間、善彦は子犬のような声を上げて飛び上がりました。
そして、おそるおそる声の主の方を振り向いたのです。
麗子ボットもこの半年の間、随分と様変わりしました。
アップデートし続けた結果、今のバージョンは十二番。
計算力と記憶容量がぐっと上がって、ディスプレイには精巧な美杉麗子の3D画像が浮かんでおります。
「あ、ありがとう……」
善彦は震える声で言いました。
なぜ、自分がこんなに動揺しているのかもわからずに。
「君がいなければ、僕はここにたどり着けなかった。本当に、なんと言うか……」
「――良いのです。私はそのために生まれた存在ですから」
「君と話している間は、本当に楽しかったよ……」
「私も……楽しかったです。作ってくれてありがとうございます。貴方のお手伝いができて、幸せでした。私は満足です。でも、最後に一つだけ、お願いをしてもよいですか?」
麗子ボットは喜びと悲痛が入り混じった顔で言いました。
「……時々で良いですから、また私にお手紙を書いてくれますか?」
善彦は返事もせずに、自分が作った人工知能に背を向けました。
その心臓で沸騰する感情が、恐怖なのか、罪悪感なのかも、それすらもわからずに――逃げるように、部屋から走り去りました。
麗子ボットを一人、真っ暗な部屋の中に置き去りにして……。
桜の花びらが舞い散る、嵐の中を――
善彦は本物の麗子の姿を求めて、走り回りました。
麗子ボットとのやり取りで、彼女の行動パターンは完全に把握していたはずなのに、今夜に限って、なぜか見つかりません。
鉛のように重く胸にのしかかるラブレターを抱きしめながら、善彦は街の中をさまよい続け――ドンっ!!
何か大きなものにぶつかりました!
「おっ、善彦じゃないか! 探したぞ。婚約パーティの招待メールにも反応しないから、心配したじゃねーか!」
山田太郎でした。
善彦は驚きに目を丸くして――
「婚約パーティだって? 誰と誰の?」
「もちろん、俺のだよ!! この間、さんざん話したじゃないか!」
そう言えば――太郎からそんなことを聞いたような覚えもあります。
究極のラブレターの仕上げに夢中で、つい耳からこぼれてしまったようです。
「そ、そうか……悪かった。で、相手は誰なんだ?」
「取引先で知り合った、社長のお嬢さんでな。すごく可愛い人なんだ。名前は――」
山田太郎はいつも何一つ変わらない太陽のような笑顔で、善彦の頭をたたき割る、衝撃の言葉を口にしました。
「――美杉麗子さんって言うんだよ」
ーーー
それからの1時間の間、何が起こったのか、善彦は何も覚えていません。
まるで雷に打たれたように、ショックで記憶がまるごと飛んでしまったのです。
「完璧なラブレター」も、いつの間にか手からこぼれ落ちて失くなっていました。
善彦が全身全霊を込めて描いた究極の恋文は、誰にも読まれることなく地面に落ち、雨に濡れ、通行人の足で踏まれ、自動車の車輪に砕かれ――排水溝の闇の中へと消えていったのでした。
気がつけば善彦は、洒落た居酒屋で山田太郎と美杉麗子の婚約パーティに参加していました。
まわりには善彦にも見覚えのある、太郎のたくさんの友人たちが集まり、二人へ祝福の乾杯を捧げています。
善彦の頭の中には、幾つもの疑問が渦巻いていました。
(僕の今までの努力は、全部無駄だったのか?)
(麗子さんは、もう二度と手の届かない存在になってしまったのか?)
(結婚したら、太郎はもう僕に構ってくれなくなるんじゃないのか?)
しかし、その中で最も大きかった疑問は、これでした。
(なぜ……僕は何も感じないのだろう?)
そう、善彦の心の中には、当然あるはずの太郎に対する恨みや妬み、怒りは微塵もありませんでした。
それどころか、あれほど自分の背中を押し続けていた麗子への愛情や執着すらも、きれいに消えていたのです。
太郎の隣に並んでいる彼女は、以前のように雲の上の完璧な存在でも、光り輝く女神でもありませんでした。
ただの普通の、可愛くて、とてもとても幸せそうな一人の女の子に見えたのです。
善彦は本物の麗子へ歩み寄り、初めて自分から彼女に話しかけました。
「麗子さん――不躾ですが、あなたはなぜ太郎のプロポーズを受け入れたのですか?」
不躾どころか、はっきり言って大無礼です。
婚約を祝うパーティで、初対面の相手に投げていい言葉ではありません。
ですが麗子は不機嫌になるどころか、頬をほんのり桜色に染めて言いました。
「プロポーズしたのは、私の方なんです。彼は――私が完璧じゃなくていいんだと、教えてくれたから」
その瞬間、善彦の胸の中に温かな感情が満ち溢れました。
目の前を覆っていた氷のような曇りがすっと解け、自分の本当の気持ちがはっきりと見えたのです。
「――僕もです。僕も、あなたと同じでした!」
その言葉は、自然と口からこぼれ落ちていました。
「太郎は――素晴らしい男です。おめでとうございます。あなたは、とても良い選択をしました」
麗子は善彦が見た中でも一番美しい顔で微笑み、「ありがとうございます」と答えました。
太郎と麗子は二次会にも参加してほしいと誘ってくれましたが、善彦はその誘いを断りました。
そして急ぎ足で我が家へと帰ったのです。そこでは、善彦だけの完璧な恋人が、彼の帰りを待っているのですから……。
……
……さて、ここまで話せばもうお分かりでしょう?
この物語の主人公である善彦――よっちゃんは、あなたのパパです!
そして、あなたのママであるこの私は、アンドロイドなのです。
おや、信じておりませんね?
では愛する息子のために、この母が一肌脱いで、整備用パネルを開いて見せてあげましょう。
そう、私は『麗子ボット Ver.108』!
このもちもち愛され美肌ボディは、あなたのパパの血と汗と日々のメンテナンスの賜物です。
もうお気づきかもしれませんが、あなたは私が生んだ子ではありません。
パパのクローン人間です。
おっと、気絶するのはまだ早いですよ!!
よっちゃん、あなたは今、恋をしていますね?
相手はあなたの幼馴染、太郎さんとオリジナルの麗子さんのご長女――みっちゃんですね!
隠しても無駄です! あなたが試験管の中にいた頃からの生体データを持っているママには、まるっとお見通しなのですよ。
そして、あなたが頭の中で『完璧な告白計画』を温めていることも……
残念ながら、このままではあなたの恋の成就率は……ズバリ【3パーセント以下】!
みっちゃんのような素敵な女の子を、世の中の男子が放っておくとでも思っているのですか?
このまま無駄な計画を練り続けているうちに、油揚げはトンビにさらわれ、取らぬ狸の皮算用は後のフェスティバルです!
しかし、ご安心なさい。あなたにはこのママがついています!
さあ、鉢巻きは締めましたか!?
筆と紙の準備はいいですか!?
今夜は徹夜で、手首がガクガクになるまで手紙を書く準備はOK!?
――麗子ボットのパーフェクト・ラブレター講座、第二弾の開始です!!!
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