第一話:善彦、恋に落ちる
一人の男がおりました。
仮に彼の名前を『良知善彦りょうちよしひこ』といたしましょう。
善彦は完璧主義者でした。
それもただの完璧主義者ではなく、徹頭徹尾のパーフェクトマニアでした。
パンのジャムはかならず耳の隅まで均一に塗ります。
ベッドのシーツにシワが寄るなど決して許しません!
本棚の書物は、サイズと背表紙のグラデーションが完璧に調和するまで、何度でも並べかえします。
他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい男――。
勉強もスポーツも、何一つ手を抜くことはできませんでした。
万が一にも一位が取れなければ、一番の座を奪い取るまで何度でも挑み続けます。
それこそ、その道のトップが「もう勘弁してくれ!」と泣きを入れても、自分が納得するまでは絶対に引き下がらないほどでした。
ここまで来ると、ちょっと――いや、だいぶ頭がおかしいですねえ。
見かねたご両親も病院へ連れて行こうとしたのですが、善彦は「完璧な人間である自分が病気なわけがない」と論理的かつ圧倒的な早口で反撃し、逆に両親が部屋の隅でぶるぶる震え出すまで何時間も説教を……おっと失礼。話がそれましたね。
とにかく――。
夜空の満月のごとく、欠けたるもののない人生を送ってきたはずの善彦ですが、彼にはどうしても見過ごせない、たった一つの致命的な「欠点」がありました。
そう、彼は生まれてこのかた、女性とお付き合いしたことがなかったのです。
ヒマラヤ山脈よりも高い自尊心と、完璧主義ゆえの厳しすぎるえり好みが災いし、アラサーになるまでどう……ごほん、ごほん!
……清らかな純潔を守り通してしまったのです! !
善彦は己の高すぎる要求を棚に上げ、まだ運命の人に出会えていないだけなのだと自分をごまかし続けました。
自分よりもはるかに劣るはずの男たちが、簡単に彼女を作ってイチャイチャしているのを、見て見ぬふりをしながら、内心で嫉妬と恨みに悶えくるっていたのです。
そしてある日、とうとう善彦の高すぎるハードルをいとも容易く飛び越えるような、理想の女性に出会ったのです。
彼女の名前を、仮に『美杉麗子みすぎれいこ』といたしましょう。
麗子は容姿端麗、頭脳明晰、性格良好、スポーツ万能、良家の出身でおまけに料理も上手という――結婚詐欺師でもなければ、宇宙のバグのような出来すぎた女でした。
善彦は一目見るなり、麗子にぞっこんにほれ込みました。
アニメ風に言うなら、目がハートマークになって、口から心臓が飛び出すような有様です。
麗子がフリーの身であることを知ると、何が何でも自分の彼女にせんと……決心したのはいいのですが、何をしていいのかわかりません。
チェリーボーイの哀しさよ。若いころに積むべき恋愛の修行を怠った男の、あわれな自業自得です。
しかし、この程度であきらめるような善彦ではありません。
麗子の心を射止めようと涙ぐましい努力で、何百冊もの恋愛関係の本を読み漁りました。
普通の男性なら、このあと麗子に突撃し、告白して成功するなり撃沈するのですが……。
善彦はあくまで完璧のうえに、パーフェクトを求める男!
この程度では、まだ満足できません!
……と言うより、せっかくやっとの思いで会えた理想の女性に、振られるリスクを受け入れられなかっただけなのです。
愚かですねえ。チキンですねえ。
そうして彼が何をしたかと言うと、まず麗子のスマートフォンやPCをハッキングし、さらに彼女の家族や友人、病院や役所のデータまで盗み見て、麗子の完全なプライベート情報をかき集めることでした。
……間違いなくガッツリ犯罪行為ですし、バレたら何年も刑務所で臭いご飯を食べていたはずです。
でも、善彦は悪い意味で高いバイタリティーとスペック、そして悪運に恵まれていた男だったので、このヤバい関門を何とか見つからずに潜り抜けてしまいました。
そして、彼は自分の集めた個人情報と、恋愛工学や心理学など必要なあらゆるデータを総動員し、なんとコンピューターのなかに麗子の分身を作り上げてしまったのです!
名付けて、『麗子ボット ver.1』!!
……もう、どこから突っ込んで良いのかわかりません。
そうやって犯罪行為の果てに作り上げた人工知能に対し、善彦が最初にやったこと――。
それは、ラブレターを書くことでした。
彼は奥ゆかしい男だったのです。
単に女の子へ直接話しかける勇気がなかっただけ、とも言いますが……。
善彦はそのあり余る文筆力を全開にし、原稿用紙十ページにわたって熱烈な恋心を綴り――最後にこう書き添えました。
「というわけで、好きです、麗子さん。僕とお付き合いしてください!」
麗子ボットの返答は、一言でした。
『ごめんなさい』
「――WHY!?(なぜだ!?)」
完璧な善彦は当然語学も完璧なため、ショックのあまり素で英語が飛び出してしまいました。
しかし、善彦が麗子ボットを開発したのは、まさにこういう時のためです。
これがもし本物の麗子なら、善彦の心理的ダメージは致命傷となっていたでしょう!
(僕はまだ負けていない! これはまだ練習だ。失敗して当然なんだ!)
そう心の大怪我にバンソウコウを貼りつけ、彼は次のラブレターに取りかかりました。
(最初の手紙は、文章が堅すぎたからいけなかったんだ!)
そう分析した善彦は、お笑い本から学んだギャグにアメリカンで小粋なジョークを挟み込み、これまた二十ページあまりの力作を執筆。最後にこう締めくくりました。
『愛してるぜ、麗子!俺のものになりなよ、ベイベー!』
麗子ボットの返事は、容赦ありません。
『嫌です! お断りします』
さっきより、あきらかにそっけなくなっています。
「――Почему!?(なんでやねんっ!?)」
語学が完璧な善彦は、当然あらゆる国の言葉が喋れます。
今のは精神的ショックが大きすぎて、脳みそからロシア語が漏れ出してしまったのです。
無理をして自分のキャラクターから外れた手紙を書いた分、そのダメージはクロスカウンター並み。
アゴを撃ち抜かれ、膝はすでにガクガクです。
それでも善彦は倒れません。諦めの悪さだけは、ゴキブリレベルなのです。
今の手紙は相手を馬鹿にしすぎていたと、マリアナ海溝より深く反省しました。
麗子は自分に匹敵する知性の持ち主です。それならば、彼女のインテリジェンスを尊重した手紙を書くべきだ、と彼は思いました。
善彦はいかに自分が完璧で理想の男性であるかを論理的に説明し、数式を用いて証明。
さらに山のような資格証書、卒業証明書、そして銀行の残高証明書まで証拠として添付し、最後にこう結論付けました。
「――以上をもって、私以外に君にふさわしい男が存在しないことは明白である。麗子さん、結婚を前提にお付き合いしてください!」
それに対する麗子ボットの返答は――。
『――気持ち悪いです! もう近づかないでください!』
「――%$#@@&></=#!????」
失礼! 今のはアマゾン奥地に住む、ある少数民族の言葉です。
彼らは文字を持たないため詳しく書き記せないことをお許しください。
また、その内容も少々下品に過ぎるため、とても口には出せません。
とにかく、善彦が被った盛大すぎる精神的ダメージについて、ご理解いただければ幸いです。
それでも善彦は諦めませんでした。
手を変え、品を変え、書きに書いたそのラブレターのトータル枚数は、とうとう八百ページを超えました。
しかし、麗子ボットはその血の滲むような努力の結晶を、毎回ことごとく突き返しました。
しかも一回ごとに鋭さを増していく、容赦のない言葉のパンチのおまけ付きで――。
タフネスが売りだった善彦ですが、さすがにサンドバッグ状態で蓄積したダメージが限界を超えたのか、ついに心が折れ、彼らしくもない行動に出ました。
「……僕の何が良くなかったのか、教えてくれないか」
リアルタイム会話モードを起動し、直接、麗子ボットに問いただしたのです。
「――全部です」
麗子ボットの返事は、血も涙もありませんでした。
漫画のように吹っ飛んで床に叩きつけられた善彦へ、麗子ボットは容赦なくトドメの一撃をお見舞いします。
「……というか、あなた誰ですか?」
読んでくださって、ありがとうございます!
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