第1話「エリーという名前」
五年二組の教室で、私は算数のドリルの答え合わせをしていた。窓際の席で、午後の光がノートのマス目を斜めに切っていた。
隣の席の美穂ちゃんが、椅子をそっと寄せてきた。鉛筆を持ったまま、私の耳に口を近づける。
「江里ちゃん、スカートの後ろ、血がついてるよ」
私は動けなかった。頭の中では、逃げなきゃ、と思っていた。体は椅子に縫いとめられたままだった。
「たぶん生理だよ。保健室行こ。ナプキンも、替えの下着も、スカートも貸してくれるから。うちのお姉ちゃんもそうだった」
美穂ちゃんは自分のカーディガンを脱いで、私の腰に巻いてくれた。先生には「江里ちゃん、お腹痛いって」と言った。嘘のつき方が上手な子だった。私は黙って、その嘘に乗った。
保健室の先生は、少しも驚かなかった。ナプキンの使い方を紙に描いて教えてくれ、紺のプリーツスカートを貸してくれた。私のより少し丈が長かった。その長さが、なぜかひどく恥ずかしかった。
「おうちの人には、先生から連絡帳に書いておくね。お洗濯して返してくれればいいから」
おうちの人、と先生は言った。
私は、母の言葉を思い出していた。入院する前の晩、母は私の髪を梳かしながら言ったのだ。
——生理が来たら、お母さんにだけ言ってね。
母の手は、そのとき少し震えていた。
「お母さん、入院してるんです」
「そうだったわね」先生はうなずいた。「じゃあ、お父さんに伝えておくね。大丈夫よ。お父さん、お医者さんの先生なんでしょう」
先生は連絡帳を開き、丸い字で書いた。
〈本日、初めての月経がありました。着替えをお貸ししています。〉
私はそれを横からのぞきこんでいた。私の連絡帳に、私の知らない字で、私のことが書かれていた。
保健室を出るとき、振り返ると、先生が机の上の電話の受話器を取るところだった。名簿のようなものを指でたどりながら、ゆっくりと番号を押していた。
私はその連絡帳をランドセルにしまって、自分で家まで持って帰った。誰にも見せずに。母に会えるのは土曜日だった。それまで、父には言わないつもりだった。
家に帰ると、台所に明かりがついていた。
父がいた。いつもより、ずっと早い時間だった。父は、大学からこんなに早く帰ってくる人ではなかった。
テーブルの上に、赤飯の折詰がひとつ置いてあった。デパートの包み紙が、きちんと四角に畳まれて、その横にあった。
さらにその隣に、駅前の薬局の白い袋があった。口が少し開いていて、ナプキンの包みと、生理用ショーツの小さな箱が二つ見えた。蛍光灯の下で、袋の白さが少し青く見えた。
「おかえり、エリー」
父は微笑んだ。誇らしそうな、何かを正しくやり遂げた人の顔だった。
私はまだ、ランドセルを下ろしていなかった。連絡帳は、その中に入ったままだった。
私はまだ、父には何も話していなかった。
「エリー」
父がもう一度呼んだ。江里子だから、エリー。ドイツの人の名前みたいで、教室の誰とも違って、私はその呼び方を少し格好いいと思っていた。
その日、その名前は少し違って聞こえた。どこが違うのか、うまく言えなかった。呼ばれた瞬間、私はランドセルを胸に抱きかかえていた。
「お腹、痛くない?」
やさしい声だった。私は首を横に振った。痛くはなかった。痛くないと言うことが、父に何かを渡さないための、たったひとつの方法のように思えた。
「赤飯、食べようか。お母さんの分も、あとで持っていこう」
父は折詰の包みを開けた。もち米と小豆の、少し甘い匂いが台所に広がった。私はランドセルを下ろして椅子に座り、ランドセルを足元に引き寄せた。
「エリーは、もう大人の仲間入りだね」
父は嬉しそうだった。本当に、嬉しそうだった。
私は赤飯を食べた。足でそっと、ランドセルを椅子の奥へ押しこみながら。
◇
三十年後、父の追悼会の席札には、「エリー様」と書いてあった。
山上会館のホールの最前列。白い布を掛けた長机に、二枚の札が並んでいた。右が「フォークト博美様」、左が「エリー様」。筆耕に頼んだのだろう、どちらも同じ、行儀のいい楷書だった。
母は自分の札を一度だけ見て、小さく背筋を伸ばし、椅子を引いた。
母は結婚してすぐに届けを出し、父の姓になった。フォークト博美。銀行の通帳も、病院の診察券も、年賀状の差出人も、母はずっとその名前で通してきた。書くときだけ、字がほんの少し丁寧になる。
私も、十歳から二十歳まではフォークトだった。二十歳の年、私は一人で家庭裁判所に申し立てて、鈴木に戻った。戻せたのは、名前だけだった。父の娘であることは、やめられなかった。母はそのとき、理由を聞かなかった。聞かなかったのが優しさだったのか、聞くのが怖かったのか、今でもわからない。
だからこの部屋で間違っているのは、私の札だけだった。
私は札を手に取り、裏返し、また表に戻した。それから、鞄の内ポケットにしまった。
「江里子」
母が小声で言った。
「記念に」
母はそれ以上何も言わず、膝の上でハンカチを二つに折り、さらに四つに折った。母は昔から、何かを折るのがうまい。言わないことは、たいてい折りたたんでしまう。
窓の向こうに、三四郎池の木立が見えた。十一月の終わりで、池のまわりの紅葉はもう盛りを過ぎ、水面には落ち葉が貼りついていた。正門からここまで歩くあいだ、銀杏並木は黄色く燃えていた。踏み潰された銀杏の実の匂いが、まだ靴底に残っている気がした。
父は、この季節の本郷が好きだった。好きだと、よく人に言っていた。父が「好きだ」と言うと、なぜか講義のように聞こえた。
開式の十五分前になると、ホールは黒い服で埋まりはじめた。研究室の歴代の教え子たち、医学部の教授たち、出版社の人、新聞で回想録を読んだという人。挨拶に来る人は、まず母の前で深く頭を下げ、それから私を見た。
「エリーちゃん?」
白髪まじりの男性が、目を細めて私の顔をのぞきこんだ。
「大きくなって」
私は四十一歳になっていた。四十一の女に向かって「大きくなって」と言える男は、たぶん、ずいぶん幸せな人生を送ってきたのだろう。
「ご無沙汰しています」と私は言った。相手の名前は思い出せなかった。研究室のクリスマス会で、私にサンタの帽子をかぶせた人かもしれないし、違うかもしれない。父の研究室の人たちは、子どもだった私にいつも親切だった。親切で、よく笑い、父の前ではほんの少し声が高くなった。大人が父の前で別の人になるのを、私は子どものころから見てきた。
「先生はね、いつもエリーちゃんの話をしてたんだよ。本、読んだ? 泣いちゃったよ、僕」
「読みました」
「そうか。そうだよね」
彼は私の肩を軽く叩いた。喪服の肩に、整髪料の匂いが残った。それから母に向き直って、先生の最後の学会発表の話を始めた。母は「ええ」「そうでしたね」と、ちょうどいい間で相槌を打った。母の相槌は、昔から上手だった。上手すぎて、母が何を考えているのか、私には一度もわかったことがない。
◇
開式の辞のあと、黙祷があった。
目を閉じているあいだ、私は数を数えた。六十まで数えたところで、司会者の「お直りください」が聞こえた。黙祷は一分だった。私の一分は、いつも正確だ。時間を正確に測る癖は、たぶん父の家で身についた。そう思うと、少し腹が立った。
医学部長が式辞を述べた。父が日本に来た年、教授に就任した年、国際学会の会長を務めた年、受けた賞の名前。数字がひとつ読み上げられるたびに、父の人生は少しずつ立派な形に削り出されていった。式辞の中で、「先生」という言葉は十四回、「ご家族」という言葉は三回使われた。数えるつもりはなかった。気づくと数えていた。
続いて、研究室を継いだ三輪教授が壇に上がった。父の最後の弟子で、もう五十代の半ばになる。三輪さんは原稿を広げず、代わりに父の回想録を開いた。
「先生のご著書から、一節を読ませていただきます。先生がいちばん大切にされた、ご家族についての章です」
母のハンカチが、膝の上で八つに折られた。
三輪さんの声は低く、よく通った。父の文章を読むとき、人はみな少しずつ父の話し方に似てくる。区切りの置き方も、語尾をわずかに沈める癖も。私は父の声を思い出そうとして、思い出せなかった。少し、ほっとした。
「彼女は、自分の名前をひどく大事そうに発音する子供だった。え、り、こ。三つの音を、落とさないように一つずつ運ぶ。私はその慎重さを愛した。いつのころからか、私は彼女をエリーと呼ぶようになった。彼女ははじめ少し戸惑い、やがてその名前で振り向くようになった。その名を呼ぶたびに、私は一歩ずつ、彼女の父親になっていったのだと思う」
会場のどこかで、鼻をすする音がした。
三輪さんは、私の三つの音を上手に読んだ。父がそうしたように、一音ずつ、大事そうに。
「妻が病を得た年の冬、家には私たち二人が残された。灯油ストーブの匂いと、算数の宿題と、ゲッティンゲンの姉が送ってくれた古いレコード。エリーはシューベルトを嫌がり、私はそれを笑った。あの冬ほど、自分が誰かの父親であると感じたことはない」
私は、目の前の机の木目を見ていた。
ストーブは本当にあった。台所の脇に置かれた、青い炎の見える丸いストーブだった。算数の宿題もあった。分数の割り算がどうしてもわからず、私は毎晩泣きそうになっていた。レコードもあった。シューベルトの歌曲で、ドイツ語の歌詞は一語も聞き取れず、私は本当にあれが嫌いだった。
全部、本当のことだった。
父の本には、嘘がひとつも書かれていない。私はそれを、最初に読んだときから知っていた。この本のいちばんよくできているところは、そこだった。嘘がなければ、読む人は、書かれていないことを探そうとはしない。
三輪さんが本を閉じた。拍手は起きなかった。追悼の席で拍手をしないことを、ここにいる人たちはみな心得ていた。代わりに、深い静けさが会場を満たした。誰もが、いま聞いた美しい父親の姿を、胸の中でそっと温めているような静けさだった。
隣で、母が小さく息を吐いた。それが何の息だったのか、私にはわからなかった。
◇
弔電が読み上げられた。学会、大学、ドイツの研究所。最後に、司会者が少し声を改めた。
「ドイツ、ゲッティンゲンにお住まいの先生のお姉様から、ご供花にメッセージを添えていただきました。研究室の皆さんが訳されたものを、ご紹介いたします」
——弟ハインリヒは、遠い東の国で、学問と家族に生涯を捧げました。彼の愛した日本の皆さまに、心から感謝いたします。彼の魂が、ゲッティンゲンの静かな冬と、東京の明るい秋のあいだで、安らかに憩いますように。
美しい言葉だった。
その原文を、私は開式前にロビーで見ていた。供花のひとつに、白いカードが添えられていたのだ。細い手書きのドイツ語で、二行だけだった。
Heinrich という名前は読めた。最後の、署名らしい文字も読めた。けれど、そのあいだの言葉は、ほとんど読めなかった。中学に入ってから、私はドイツ語に一度も触れていない。触れないようにしてきた、と言ったほうが正確かもしれない。
それでも、長さだけはわかった。二行だった。訳文は、その三倍はあった。
研究室の誰かが、親切に、丁寧に、足りないところを補ったのだろう。先生のお姉様の言葉が、先生にふさわしい長さになるように。
献花が始まった。遺族が最初だった。
壇上へ進むとき、母は私の肘に手を添えた。支えられているのが母なのか私なのか、わからない添え方だった。祭壇は白い百合で埋まっていた。その前に、白い薔薇を一輪ずつ置いた。
遺影の父は、少し首を傾けて、こちらの話を聞いている顔をしていた。父は人の話を聞くとき、いつもこの顔をした。話が終わる前に、もう答えを知っているような顔だった。
母は長く頭を下げていた。私は、写真の目を見ていた。母が顔を上げるまで、ずっと見ていた。なぜか、あの日の台所の、赤飯の甘い匂いを思い出した。
◇
ロビーの長机には、回想録が平積みにされていた。『ゲッティンゲンの冬』。濃紺の地に、細い銀の文字。新しい帯がかかっていた。〈記憶と赦しをめぐる、静かな告白〉。
誰が誰を赦すのか、帯には書いていなかった。
「エリーさんでいらっしゃいますか」
振り向くと、黒いスーツの女性が名刺を差し出していた。四十代の半ばくらい。髪をひとつにまとめている。ファンデーションが小鼻の脇で粉を吹いていた。泣いたあとなのか、寝ていないのか。どちらにしても、仕事の顔だった。名刺には出版社の名前と、「瀬戸口」という名字があった。
「先生のご本を担当しておりました。このたびは、本当に」
彼女は言葉を探すように一度口を閉じ、それから丁寧に頭を下げた。
「実は来春、文庫にさせていただくことになっていまして。先生とも、亡くなる少し前にそのお話をしていたんです。それで、もしよろしければ……巻末の解説を、エリーさんにお願いできないかと」
私は名刺を見ていた。
「先生がいちばん大切にされた方の言葉で、この本を閉じられたら、と。先生もきっと」
「私、文章は書きません」
「エリーさんにしか書けない先生の姿が、きっとあると思うんです。長いものでなくていいんです。思い出をひとつ、ふたつ」
後ろから、母の声がした。
「先生、喜ぶわよ」
いつの間にか、母がそばに立っていた。瀬戸口さんは母に深く頭を下げ、母も同じだけ頭を下げた。二人が頭を上げるまで、私は名刺を持ったまま待っていた。
「考えます」
私がそう言うと、瀬戸口さんの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます。締め切りは年明けの……いえ、ご無理のない範囲で」
彼女は、もう決まったことのように笑った。考えます、という私の言葉は、ここではそういう意味になるらしかった。
断るための言葉を、私はいつも、相手が帰ったあとで思いつく。
◇
帰りは、大学が手配してくれたタクシーで母を送った。
母は後部座席の窓際に座り、膝の上に白い薔薇の小さな花束を抱えていた。車が本郷通りへ出ると、銀杏の葉が一枚フロントガラスに貼りつき、ワイパーにさらわれていった。
「席札」
私は言った。
「私のは、直してって言ってくれてもよかったのに」
母は窓の外を見たまま答えた。
「いいじゃない、エリーで。先生がずっとそう呼んでたんだもの」
それで話は終わりだった。
先生がずっとそう呼んでいた。だから、それでいい。母の中では、それがいつも理由になった。三十年前から、ずっと。それはたぶん、母が自分に言い聞かせてきた理由でもあった。
信号で車が止まった。母はハンカチを広げ、また折りはじめた。
「江里子。お願いがあるんだけど」
「なに」
「先生の書斎。一人じゃ、どこから手をつけていいかわからなくて」
父が亡くなってから、母はまだ一度もあの部屋に入っていないのだと言った。本と論文と、ドイツから持ってきた古い箱。捨てていいものと悪いものの区別が、自分にはつかないのだと。
「週末なら」
「ありがとう。助かるわ」
母は私の手の甲に、そっと自分の手を重ねた。そして、すぐに離した。一秒もなかった。母はいつもそうだ。触れることで何かを言い、離れることで、その何かをなかったことにする。
母を家の前で降ろし、私は自分の部屋に帰った。
コートを脱いで鞄を開けると、内ポケットから席札が出てきた。エリー様。行儀のいい楷書。その隣に、瀬戸口さんの名刺を置いた。
本棚から、自分の『ゲッティンゲンの冬』を抜き出した。出てすぐに買った本だ。三十代の半ばだった。名前の場面には、鉛筆で細い線が引いてある。自分で引いた線なのに、今見ると、知らない誰かが引いた線のように見えた。
ノートパソコンを開き、新しい文書を作った。
解説、と打った。その下に、エリー、と打った。そう頼まれたのだから、そう書くのが正しいように思えた。
カーソルが、名前の後ろで点滅していた。
しばらく見ていた。それから、一文字ずつ、後ろから消した。ー。リ。エ。消すのは簡単だった。
書くのは、そうはいかなかった。
席札は、机の端でまだこちらを向いていた。行儀のいい楷書と、保健室の先生の丸い字。似ているはずがないのに、似ている気がした。どちらも、私のことを、私より先に知っていた人の字だった。
その夜、私は一文字も書かなかった。
窓の外で、銀杏の葉が音もなく落ちていた。音が聞こえないのは、ありがたかった。聞こえたら、私はまた数を数えはじめただろうから。




