第54話 黄巾の兄妹
ヒムカ元国王。決して悪い人間じゃない。
王妃もそうだ。
ただ国王をする器がなかっただけで、平民に生まれていたらきっと長閑で人の良い夫婦で過ごせていただろう。
現に今がそうだ。この収容所での小宴会も、そもそもがこの夫妻の人柄に惹かれ始まったものだ。
小人、玉を抱きてその罪となす。だ。
「しかしトキ国は王より先に宰相殿が降ったのかな?」ヒムカ王がカフクに尋ねる。
「いえ、私達は日巫女様を暗殺に来て捕まりました」カシが正直に答える。
「ほう。それは決死の作戦だのう。しかも宰相の兄妹が直々にかい?成功しようが失敗しようが死ぬだけじゃわ」
「意地ですね。私の意地。兄を巻き込みましたが」
「私はカシのために生きて死ぬと昔から決めてたのだ。最後はこうして兄妹穏やかな日を過ごせてから逝くのだ。幸福だよ。相国様には感謝致します。思えば我ら兄妹、こんな穏やかな時間等ずっとなかった」
「しかしカシ殿。カシ殿の一手は全て決まれば会心の一手だった。今回も正直ナナコがいなければ成功したかもしれん。用兵など如何に身につけられた?ああ、尋問じゃないぞ?嫌なら答えんでも良い」
「漢にいた時に書物で学びました。黄巾として官舎を襲っては私は書物を奪いました。他の者は金銀や女に夢中でしたが、私は書を読むことだけが楽しみでしたので」
「そう言えばナナコに話を遮られたな。許せ。アレは少しばかり過保護でな」
「ナナコ殿...彼女には謝っていたと私の死後にお伝え下さい。この国の人間も決して幸せなだけじゃなかったとムサシ殿ケイジ殿に知らされました。しかし女の身でありながら漢語を理解し、あの武の技量。堂々と一国の相国様の横に侍る姿。私は嫉妬しました」
カシは昼間の話の続きを語った。
黄巾の乱。黄天まさに立つべしとは言えど、中身は暴徒。太平道の教えなど一部の信者が縋るのみ。多くの者は自分達の貧しさへの憂さ晴らしだ。黄巾を頭に巻けば搾取する側になれるのだ。官舎を襲うのはまだ名分が立つが、結局は自分達に偉そうだった奴らをいたぶり、その女房、娘達を犯して意趣返ししたいだけ。
揚げ句にはただの村落も襲う。自分達と同じ立場の人達なのに。張角様の教えだ、世直しだと「中天黄乙」と叫べば自分達の罪悪感など吹き飛ぶ。全ては神の御心だ。
なるほど、カシが宗教嫌いな訳だ。カシから見ればヤマタイ国もそんな感じなのだろう。日神様のため、日巫女様のため。日巫女も張角も同じ穴の狢か。極論そうかもしれない。
やがて張角が倒れ、黄巾本体が劣勢になる。狩られる側になった。何事もなかったように故郷に帰り田畑をまた耕すものも多数いた。祭りは終わり。さあ、憂さ晴らしもしたし日常に戻るか、だ。
もちろん最早帰る場所がない者も大多数いた。同じ黄巾に奪われたのだ。カフク兄妹もそうだった。
残党は幾つもの群れとなり彷徨う。太平道の世?そんな目的はもうない。いや、末端にはそもそも初めからなかったのかもしれない。ただ自分達が生きるために村を襲う野盗の群れ。
カフク兄妹は「どうしてこうなったんだろう?」と思う。ただ貧しさから抜け出したかった。私達は何をしているのだろう。
ある日から、カシは仲間達に犯されるようになった。小さな群れで女は自分だけになっていたのだ。
元々気が弱く野盗になってもロクに人の斬れないカフクはいつも殴り倒され、抑えつけられ、昼夜問わずに犯される妹を見ているだけだった。子を孕めば皆に腹を殴られ、そのうち幾ら犯されようが子を孕まなくなった。
ある日、漢の兵士が自分達を討伐に来た。カフク兄妹は逃げた。当てもなかったがとにかく逃げた。何カ月かの逃亡生活で彼らは倭人に出会い倭人の舟で対馬に来た。
対馬で同じ漢人や朝鮮人から「黄巾の残党」だと噂され、蔑まされた。二人は必死に倭人の言葉を覚えた。そしてまた海を渡り博多に来た。彼らは漢人であることを隠し、漢に渡り知識を得た倭人のフリをしてトキ国大王に謁見し、トキ国に登用された。
トキ国大王はカシを妾とし、兄カフクを重用した。カシには野望があった。いつかこの国を大きくし、兄とこの国を乗っ取り、いつか漢をも滅ぼすのだと。
そうしたいわけではなかったかもしれない。できるとも思ってなかったかもしれない。ただ生きる理由が必要だっただけかもしれない。
「腹を空かすこと。人にとってこれほど苦しいことはない。腹を空かした人間は心も腐る。腹を空かした人間が多くなれば国が腐る。海の向こうも変わらんということだな」ムサシが月を眺めた。
戦後裁判までまだまだ日はあるだろう。
この兄妹にはそれまでここで安らかに余生を送って欲しい。
二人の長い長い旅の終着点。




