第1話 トウリ少年
その日まで僕は「この時代の」いたって普通の子どもだった。
暦なんてものはないから自分の年齢さえ定かではない。
集落の皆で暖かくなれば種もみを蒔き、暑くなれば川まで行って魚を取り、稲穂が実れば刈り取り、寒くなれば狩りをする。それが1年だ。
もちろん時計なんてものもない。とりあえず目を覚ましたときが一日の始まりで、朝に家族で食事を食べ、集落の皆で仕事をし、仕事が終われば自由時間。酒を飲む大人もいれば話し込む大人もいる。武器や農具などの手入れをするものもいれば山で木の実を拾ったり野草を摘むものもある。体力のあるものは個人的に狩りをするものもいる。
僕ら子どもは棒切れ片手に走り回ったり、弓を教えてもらったりしていた。
日が落ち始めたら皆が家へと帰り、家族で晩御飯。食べ終われば眠たくなったものから順に寝ていく。眠りに落ちればそれが一日の終わりだ。
平和で長閑な生活。
僕たちは皆「太陽」を神と崇めている。
日神様だ。
今こそ長閑で平和に暮らしているが、少し前までは争いが尽きず、多くの人が死んでいた。僕の父を含めた集落の大人達も何度か戦に駆り出された。帰らない人もいた。
今がこんなに平和なのは、そんな争いを見かねた日神様が神託を下し、争っていたクニの王達に争うことを止めさせて手を取りあうように告げたからなのだそうだ。
そして日神様に代わり、皆を治めることになったのが、日神様に最も愛された巫女として「日巫女様」と呼ばれる御方である。
このクニの誰もが日巫女様を通じて日神様の恩恵と加護とそのお導きにより生きていた。
無論僕もそうだった。
…その日までは...:。
その日の朝、僕は目を覚ますと同時に「記憶」を取り戻していた。特に「頭を強く打ったきっかけになる事故」もなければ「激しい頭痛」だとか「記憶が流れ込んでくる」みたいなものもなかった。
ただ単に目を覚ますと「これまでのこと」はもちろん、「前世のこと」も当たり前に記憶にあっただけだ。
ただ...「前世」と言って良いのかな?
明らかに「今」はあの時から遥かに大昔だ。
生まれ変わるって先の時間にじゃないの?
ただ確かに「前の生」は終わったのだから「今の今日までの生」は「生まれ変わったもの」なのは確かだけど。
まあとにかく僕は自分が昭和、平成、令和を生きてきた人生の記憶を突然当たり前のように有していたのだ。
正直混乱はした。
昨日までの常識では考えられない世界が脳裏に拡がっている。当たり前だった日常生活をひどく未開の生活と思う。なんせ文字すらないのだ。
だからといって小さな集落の一少年にそんな遥か未来の記憶があるからと今すぐ何かをどうにかするなんてできるわけがない。
むしろ妙なことなどしようものなら時代が時代だから気味悪がられて殺されかねない。
せいぜいこっそりと自分だけのために使える生活の知恵を得たと思うべきなのだろう。まあ、使えるものの方がはるかに少なそうだが。
結局は時折記憶の世界を眺め懐かしむくらいで、この時代の普通の少年として、父母兄弟と稲を育て、集落で行う狩りに参加し生きていくことが最善なのだろう。ありがたいことに人格が入れ替わったというわけでもないから、今の自分自身のことも「現実」として受け止めているし、文字もない世界を「当たり前」と生きてきた自分もちゃんといる。
自分なりに結論。
耳なし猫型ロボットがある日突然いなくなった眼鏡の少年みたいなものだ。あんなこといいなできたらいいなが叶わなくなって、最初は寂しく思うし、不便に思うかもしれないが、結局は彼も普通の小学生として生きていく。ただ思い出が何かの力にはなることもあるだろう。そんなスタンスで今日から僕は生きていけばいい。
しかし、あたかも僕がそんな風に朝を迎えたことなどわかっていたという感じでその日の夜には日巫女様が住んでいる「御殿場」からの使者が訪ねてきた。
「トウリという子はいるか?」
粗末な藁葺きの住居入口に立つ三人の使者。そのひとりが直立のまま僕の名を問う。僕と父母、弟の家族4人は急に来訪した使者達にひれ伏す。
「トウリという子はいるか?」
使者が繰り返す。僕はゆっくりと顔を上げて使者を見た。目が合う。
「トウリであるか?」使者の問いに僕は黙って頷いた。
「ト、トウリがいかがしましたのでしょうか?!」ひれ伏し顔を伏せたまま母が使者に問う。その声に父と弟は背中を僅かにびくつかせた。
それはそうだ。何の前触れもなく剣を帯びた御殿の人間が突如やってきて息子の名を出したのだ。意味もわからず、とにかく怖いし不安になる。が、僕は彼らが来た理由をわかっている。いや、確かに不安ではあるがタイミングが良すぎだ。なんせ今朝の夜だ。
日巫女様は日神様より「力」を授かった御方だと言う。そして日神様からの御言葉「神託」を聞くことができると。
21世紀の記憶を取り戻した僕にはそんなスピリチュアルなことは眉唾である。が、同時にこの時代の子としての僕には日巫女様の神秘性は集落の大人達からの教えで身に染みて認識されていた。
現にこうしてこのタイミングで僕を呼びにきた日巫女様には何か不思議な力があるのだろうともすんなりと受け入れる自分がいる。
「案ずることはない。吉報である。日神様よりここに住まうトウリという少年を連れてくるよう日巫女様に神託が下された。日巫女様の命により我らは迎えにきた」使者は家族の背に向かいそう言った。そして改めて僕を見る。「少年よ。日巫女様がお待ちである。すぐに向かうので立ち上がりそのまま我らの方へ。すぐに出立する」
準備する時間もなしか?とは思ったが従うしかない。僕は立ち上がり使者の方へとゆっくりと歩いた。今から出発となると御殿場に着く頃には日が昇っているんじゃないか?不眠不休で歩かせるのだろうか?むしろ彼らは不眠不休で再び来た道を帰るつもりか?車はおろか馬すらいないこの世界で。
まあ、そうなんだろうな、それが日巫女様の御言葉である以上は。
人類は文明から遠ざかるほどに神との距離が近くなる。
日神様...太陽の神様に最も近い御方、数多の神託で人々の暮らしを良くし、長く続いた争いも収められた偉大なる日巫女様が我が身を所望なのだ。




