その後の愛憎
俺は横たわる女の頬を叩く。まだ息はあるが、返事はできなくなっているようだ。
「あばよ。わがままなお嬢さん」
俺の人生を滅茶苦茶にしてくれた、自分の事だけが大切な怪物。
こんな女は死んだ方が世のためだ。
ふうと深く息を吐いてから、俺は良き夫の仮面を被った。
「ああ、誰か来てくれ! 妻の様子がおかしいんだ」
手当の甲斐なく妻は亡くなった。
舅の嘆きは深く、立派な葬儀が行われた。俺はしおらしく悲しんで見せた。
赤ん坊は乳母が世話をしている。
一段落した頃、舅である公に呼び出された。
そろそろ屋敷を出て行けと言う話だろうか。予想どおり、「共に赤ん坊を育てていこう」などと言われることはなく、俺はすることもなく日々を過ごしていた。今までは、お茶に買い物に外出に……本当に男妾のような生活を強いられてきたのだな。
その部屋は香が焚きしめられていた。むせかえるようだ。
道士がいて、大きな水晶玉と一抱えあるような壺を並べている。
「お前には、出ていく前に一仕事をしてもらう」
「なんでしょうか」
俺は頭を軽く下げ、顔の前で手のひらを上下に重ねて、敬意を表す。
「お前の魂を使い、時を巻き戻す。
お前と出会わなければ、あの子は儂の選んだ男と結婚するだろう。手塩にかけた娘が不幸になることを望む親などいない」
公は表情を消して、そんなことを言った。
あいつが死んだのに、まだ俺を振り回すつもりか。
「それなら……私との結婚を諦めるように説得してくださればよかったではないですか!」
礼儀を忘れて、俺は叫んだ。
「なぜだ? あの子の望みを叶えるのが最優先だ。私にはあの子を幸せにする義務がある」
傲岸不遜な態度で、公は俺を睥睨した。
俺は目眩を覚えて、膝をついた。
「やっと香が効いてきたか」
「安心しろ。お前の幼なじみもこの壺の中だ。お前たちは、この中で混じり合う。喜ぶがいいぞ」
道士がにやりと口の端を吊り上げた。
舅は涙を流しながら、棍棒で殴りかかってきた。先が太く、害獣を叩きのめすために使っているのを見かけたことがある。
恐怖と痛み。叫んでも、この屋敷に俺の味方など一人もいない。
「郡公。殴らなくても、もうその男は動けません。術で魂を抜きますから……」
道士が話しかけても、舅は答えない。鈍い打撃音が部屋にこもる。
道士は諦めて、何かを唱え始めた。陰鬱な声だ。
こうして、俺も殺された。
私は、なぜ自分が巻き戻ったのかを知らない。
気がついたら、夫となる男と出会う前に戻っていた。
私を殺したあの男を探したが、どうしても見つからない。
父に人探しをお願いしたが、進展がない。なにせ、なぜ探しているかを説明できないし、絵姿もないのだ。
無茶なことを言っているのは理解しているが、忘れて生きるというのは難しい。
出会わなかったことにして生きていく? そんな選択肢は、私の中になかった。
私にできることは男の生家のあたりをうろつくことくらいだった。
その家の使用人に銅銭を握らせたが、そんな男はいないと言われてしまった。そんなはずはない。
男の幼なじみの家にも行った。親同士の仲が良いので行き来はあるが、釣り合う年頃の子どもはいないという。あの忌々しい女もいないのかしら。
こうなってくると死に戻ったなんて、私の妄想かもしれないと不安になってくる。
けれど、私の腹には殴られた跡が、痣になって残っている。
彼を一目見て、愛しい方が強いのか、憎しみの方が強いのか確かめたい。
あれほど憎まれていると知っていたら、別の愛で方ができるかもしれない。
私は自分が屈辱の涙を流すことを想像して、ぶるりと震える。それも、また甘美……少しだけ、そんな予感がするのよ。
本気の憎悪をぶつけられて、ぞくぞくした。あんなに情熱的な人だとは思わなかった。
みすぼらしい幼なじみの女とは、人の良さそうな温い雰囲気を出していたから、私もそれに合わせていたのよ。
彼はあの女の前でも本性を隠していたのね。それを誰にも気付かせないとは、なかなかやるわ。
今度こそ、本当のあなたを見せて。
あの短い時間で、あんなに興奮したのですもの。次はもっと長く……いえ、もっといろいろな顔を見たいわ。
温く愛されるより激しく憎まれる方が、魂が繋がっている気がしない?
私の中では、彼に対する愛憎のどちらが強いのかしら。こうして想像しているだけでは、わからないわ。
ああ、早く見つけなければ。
そうして、今度こそ――私のものにする。




